第36章:ブラッドローズ最後の者
月は明るく満ち、星々が夜空に散りばめられ、雲はゆるやかに幽霊のように漂っていた。
木の葉が、冷たく薄い風にささやく。
中心にある焚き火は、温かな橙色の光輪を立ち上らせ、夜に樹脂と焦げた木の匂いを漂わせていた。
左手、百メートルほど先の木々の間から、影が一つ姿を現した。
最初に見えたのは月明かりに照らされた靴だけ。やがて全身が現れた――深い黒の外套に包まれ、フードを深くかぶった人物。
月光が布をかすめ、隠された輪郭をわずかに映し出す。だがその顔は、フードの奥に沈んでいた。
(冒険者ギルドを出たときから尾けられていたのか。狙いは俺か、それとも彼女か?)
好奇心と警戒心が胸で絡み合う。
足音が増えた。影が一つ、二つ、さらに……やがて十八人近くが木立の縁に並び、闇の波紋のように動く。
彼らは隊列を組み、一定の、危険なリズムで歩みを合わせた。
一人の男が前へ出て、中央に立つ。明らかに指揮官だった。
「これで君の力を完全に取り戻せるか?」
俺は夜に向かって、そしてエヴァに向かって小さく問う。
「十分すぎるわ。」
エヴァの声は低く、揺るがなかった。
「なぜ私たちを追うの?」
彼女が影たちに問いかける。
返答はない――張り詰めた沈黙。
影のような彼らが、何事かを小声で囁き合った。
そして一斉に駆け出した。統制のとれた突撃。しかし指揮官だけは動かない。両脇から三人ずつが姿を現す。
「リオラは眠っている。任せていいか?」
俺が尋ねる。
「あなたが自分を守れるなら問題ない。」
エヴァは即答した。
「俺のことは心配するな。」
そう言って、俺は光を曲げた。焚き火の輝きは俺たち以外には届かなくなり、映像は歪み、影は夜に溶ける。風が匂いを拭い去る。
俺たちは夜に紛れ、刺客たちが迫るのを待った。
エヴァの手が静かに動く。慣れた仕草で短剣を抜き、影に溶けるように姿を消す。
近くの刺客が歩みを緩め、空気を嗅ぎ、見えぬ獲物を探す。
六人が輪を狭める。一人が屈み、二人が左右から木立を探る。浅い呼吸だけが衣擦れの音に混じった。
彼らは気づかなかった――エヴァが背後に移っていたことに。
茂みが揺れた。全員の視線がそちらに向く。
その瞬間、エヴァが動いた。
刹那の流れの中で、彼女は一人の背後に現れ、短剣を胸へ突き立てた。
銀の刃は金の細工を持つ鍔、漆黒の柄に小さな紅玉を埋め込まれていた。
刃が抜かれると同時に、熱い血が月光を赤く染めた。
悲鳴はない。男はよろめき、次の瞬間、別の男の下腹部に刃が突き込まれた。濡れた音が彼に代わって響いた。
輪が爆ぜる。刺客たちが押し寄せ、剣が鳴り、夜が金属音で満ちる。
エヴァは牙を持った影のように舞い、切り裂き、投げ、また消える。
一人が背後を取ろうとしたが、すでに腹に刃を受けていた。驚きに目を見開き、荒い息を漏らす。
気づかぬうちに二本目の短剣が飛び、別の影を貫いた。男は崩れ、黒い染みが服に広がった。
二人が連続して襲う。
最初の一人の横薙ぎを避け、浅く切りつける。血の弧が空に描かれ、そのまま仲間に降りかかる。
二人目が腕を上げた瞬間、エヴァの刃が顎下を突き上げた。鈍く確実な一撃。男は窒息しながら崩れた。
「援軍はどのくらいで来る?」
指揮官が低く問う。
「一時間……いや二時間以内。急いでいます。」
一人が答える。
「銀の陣形だ。殺すな。動きを止めろ。時間を稼げ。」
指揮官の声は鋭かった。
(援軍? 今夜は眠れそうにないな……)
苛立ちが胸を刺す。
エヴァは倒れた男の頭から刃を引き抜き、後退する。
その瞬間、血が揺れた。死者の血が月光の中で震え、刃へと集まり始める。
短剣は血を吸い、紅玉が心臓のように脈打つ。
刃は赤黒く変色し、肥大化し、鉄の匂いと甘い腐臭が漂った。
刺客たちは凍りつく。エヴァは無表情で、刃を傷口へ向ける。血が引き寄せられ、男は絶叫しながら干からびて崩れた。
恐怖が広がる。だが指揮官の怒号が夜を裂く。
「かかれ!」
エヴァは血剣を投げた。
大地に突き刺さると、土から血の棘が噴き出し、五人を串刺しにする。
残りは後退し、怯えを隠せなかった。
それでも隊列を組み直し、二人一組で迫る。
エヴァは再び刃を取り戻し、一人を木に磔にした。血が滝のように流れ落ちる。
もう一人が固まった瞬間、頭を掴まれ――
次の瞬間、頭蓋が炸裂した。骨と血肉が飛び散り、夜が赤に染まる。
「奴らの牙には毒が仕込まれている。血を吸わせぬためだ。」
俺はエヴァにだけ聞こえる声で告げた。
「首だけ落として、後で使え。」
「それと、援軍が来る。すぐに離れるぞ。」
「……わかった。」
短い返答とともに、彼女は再び短剣を手にした。
胸に抱え、祈りのように呟く。
「――汝の心に安らぎを、
汝の胸に歓喜を、
汝の身に血を。
血月が昇るとき、
罪人の屠りを始め、
この世に我が聖なる姿を戻さん。
我はエヴァンジェリン・フォン・ブラッドローズ。
もはや仮面を捨てよう。
赤き月と古き誓いにより――ここに復讐を果たす。」
紅玉が輝いた。刺客たちが動揺し、最後の突撃を仕掛ける。
しかしエヴァは一歩も退かず、自らの胸に刃を突き立てた。
世界が止まり――そして爆ぜた。
血が彼女を包み、繭のように形を成す。
心臓の鼓動のような音が響き、赤い光が内から滲む。
次の瞬間、球体は爆発し、世界は赤に染まった。
月が血を流し、森も地も紅に照らされる。
そこに立っていたのは、一人の女だった。
雪のように白い髪が背に流れ、紅の瞳が夜を貫く。
黒と深紅のドレスは夜を飲み込み、銀の刺繍が星のように煌めく。
絹の袖は透け、首元のガーネットが月光を宿す。
その姿は――ただ現れた者ではなかった。
まるで裁きそのものだった。
刺客たちの目が恐怖に見開かれる中、彼女は微笑んだ。
招きか、断罪か。
紅の月がさらに濃く滲んだ。
――つづく。
読んでくださってありがとうございます!
新しい投稿スケジュールにも少しずつ慣れてきていただけていると嬉しいです。
今回は彼女の描写をかなり細かく入れてみました。自分としては必要だと思ったのですが、皆さんはどう感じましたか?多すぎたでしょうか、それともちょうど良かったでしょうか。
ご意見をいただけると、これからのバランスをとるうえでとても助かります!




