第4話:サンドイッチを作ろう
※注意※
虐待をほのめかす表現があります
2026/8/9 加筆修正
温かいのは、苦手だ。
ずっと寒さに慣れていたから。
優しくされるのも、苦手だ。
どう返したらいいのか、分からないから。
だから演じる。理想の子どもを。
そうすれば、失望されないし、痛いことも、嫌な事もされない。
ずっと演じ続けるのは苦しいし、本当は嫌だ。
けど……それ以外に、僕自身を守る方法が分からないんだ。
母さんは僕を見るたび、ひどく苛立った。
父さんは僕に興味がなかった。でも、たまに不思議な表情をしていた。
事故に遭ったあの時、なんで父さんは旅行に連れていってくれたんだろう。
なんで、母さんに怒ってたんだろう。
なんで、父さんは──僕に申し訳なさそうな顔をしてたんだろう。
まどろみの中、ケイはゆっくりと意識を浮上させた。
手を伸ばすと、なめらかなシーツと、ふかふかのベッドの感触が指先に触れる。
(あ、そっか。昨日、すぐ寝ちゃったんだっけ)
慣れないことの連続で、心も体もくたくただった。
けれど、あの大きくてごつごつとした手で頭を撫でられた瞬間、張りつめていたものがふっと緩んで、そのまま眠ってしまったのだ。
そこまで思い出した途端、ケイは布団の中で小さく身を縮めた。
(うわ……)
出会って間もない人に頭を撫でられただけで、安心して寝てしまうなんて。
恥ずかしいにもほどがある。
ほんの少し優しくされたくらいで、どうしてこんなに簡単に気が緩んでしまうんだろう。
そう思うと、胸の奥がむずがゆくて落ち着かなかった。
(切り替えなきゃ……)
ケイは気持ちを誤魔化すように、自分の両頬を軽くぺちぺちと叩く。
すると、ぐう、と低い寝息が聞こえた。
そこでようやく、自分がひとりではないことに気づく。
広いベッドの上。背後に感じる人の気配。
起こさないよう、ケイはそっと振り返った。
折り重なった毛布の向こうで、ヒョードルが静かな寝息を立てている。
がっしりとした体格に、整った顔立ち。眠っているだけなのに、どこか人を圧するような存在感があった。
寝顔を見ているうちに、昨日この人に引き取られたのだという実感が、遅れて胸に広がってくる。
(外国の俳優さんみたいで、かっこいいなあ……そして、元王様で、大英雄……かあ)
フリッグが、地上で暮らすならと勧めてくれたのが彼だった。
いまセプネテスでは魔王が誕生しつつあり、魔獣や魔物も活発に動き始めているらしい。
ケイの身を守れる場所。
そして、心まで壊さずに暮らしていける場所。
そう考えて、フリッグはヒョードルのもとにケイを託したのだ。
元王であっても、王だった人は王だった人だ。
本来なら、ただの一般人が気安くそばにいていい相手ではない。
そう思って遠慮していたのに、話はあれよあれよという間に進み、気づけばヒョードルの家で暮らすことになっていた。
(でも……引き取ってもらってるんだ。せめて役に立たないと)
ケイはぼんやりと天井を見ながら、これからのことを考える。
ヒョードルには「ゆっくり休め」と言われていた。けれど、何もしないでいるのは落ち着かなかった。
少し迷ってから、「よいしょ」と小さく声を出し、ベッドから下りる。
床に足をつけた瞬間、ひやりとした冷たさが伝わってきた。
身をすくませながら部屋を出て、一階の調理場へ向かう。
朝の空気は冷たく、外が冬なのだと肌で分かった。
両手をこすり合わせていると、ふいに、ぼわりと暖炉に火が灯る。
「わっ……」
驚いて目を丸くした直後、ケイの肩がびくりと跳ねた。
けれどすぐに、自分でもそれを誤魔化すように小さく息を吐き、暖炉へそっと近づいた。
吐く息がうっすら白い。炎の明かりが壁に揺れて、部屋の中をじんわりと照らしている。
暖炉の中には薪が積まれているのに、火種らしきものは見当たらない。
不思議に思って覗きこむと、奥にうっすら紫色の魔法陣が浮かんでいた。
(そっか、これも魔法……)
改めて、自分が魔法のある世界に来てしまったのだと実感する。
ついさっきまで夢の続きのようだった現実が、少しずつ輪郭を持ち始めた。
神域にいた時は、時間が止まっていたせいか、寒さも空腹も感じなかった。
だからこそ、あの場所は魔法というより、死後の世界みたいにも思えた。
ケイは改めて調理場を見回した。
六畳半ほどはありそうな広さの台所だ。
シンクの隣には、冷蔵庫のような箱がある。
気になって近づいたものの、勝手に開けていいものか迷い、そっと手を引っ込めた。
(他に何か、使えそうなものは……)
視線を巡らせると、テーブルの上にパンといくつかのフルーツが置かれていた。
(これなら、フルーツサンドが作れるかも)
簡単で、見た目もいい。手軽に栄養も摂れる。
本当はもっと手の込んだものを作りたかったけれど、異世界のコンロの使い方すら分からない。下手に触って爆発でもしたらと思うと、さすがに手は出せなかった。
今回はおとなしく諦めて、次こそは。
そう心の中で小さく意気込みながら、ケイはパンとフルーツを手に取る。
果物を並べる前に、ケイは一瞬だけ手を止めた。
これを使っていいのか、食べ物を減らしてしまって怒られないか――そんな考えが、反射のようによぎったのだ。
けれど、すぐに首を横に振る。
(だめだ。ちゃんと、役に立たないと)
「よし」
自分に言い聞かせるように呟いて、サンドイッチ作りに取りかかった。
◇
しばらくして、二階の寝室。
ヒョードルはぱちりと目を覚ました。
ベッドの上で大の字になっていた上半身を勢いよく起こし、ぼんやりした頭のまま手探りで隣を探る。
だが、触れたのは冷えたシーツだけだった。
「……いない」
その一言で、寝起きの眠気が一気に吹き飛ぶ。
(待て待て!! 嫌なら家を出てもいいとは言ったが、まさか初日からか!?)
ヒョードルの背に、嫌な汗が伝った。
昨日のやりとりを必死で思い返す。押しが強すぎただろうか。距離を詰めすぎただろうか。安心させるつもりが、逆に怯えさせてしまったのではないか。
次々と不安が膨らみ、居ても立ってもいられなくなる。
ヒョードルはベッドから飛び降りると、ローブも羽織らず、そのまま階段を駆け下りた。
玄関まで一直線に向かい、扉に手をかける。
その時だった。
「あ、おはようございます」
聞き慣れない、けれど探していた声に、ヒョードルは弾かれたように振り返った。
そこに、ケイがいた。
無事な姿を見た瞬間、全身から力が抜ける。
そのまま玄関先で立ち尽くし、ヒョードルは大きく息を吐いた。
「よ、よかった……!」
「へ?」
次の瞬間には、ヒョードルはケイをぎゅっと抱き寄せていた。
あまりに勢いよく抱きしめられて、ケイは目を丸くする――が、その肩が一瞬だけ強ばる。
ほんの一瞬。けれど、ヒョードルはその小さな反応を見逃さなかった。
「よかった……本当に。初日から嫌になって出ていってしまったのかと思った」
そう言うと、ヒョードルは力をゆるめ、すぐに身体を離した。
ケイは一瞬きょとんとして、それから困ったように眉を下げる。
「ご、ごめんなさい。実は何かできることがないかなって思って、朝ごはんを作ってました。……でも、もうお昼ごろだから、昼食かな?」
そう言われて、ヒョードルはようやく顔を上げた。
視線の先、調理場のテーブルには、一人分のサンドイッチがきれいに並べられている。
パンの間に挟まれたフルーツは彩りよく、見た目にも丁寧だった。
ただ、それを見たヒョードルは、まず別のことを思う。
「お主、それだけで足りるか? 育ち盛りじゃろう。まだ何か作ってやるから、ちょっと待っとれ」
自然に出たのは、そんな言葉だった。
自分のために作られたものだとは、最初から思いもしなかったのだ。
ケイは慌てたように手を振る。
「ち、違うんです。これ……ヒョードルさんのために作ったんです」
「……なんと?」
ヒョードルは目を瞬かせ、それからサンドイッチを見直した。
もう一度、今度はケイの顔を見る。
「では、なぜ一人分だけなんじゃ?」
尋ねると、ケイの方が不思議そうに目を丸くした。
本気で意味が分からない、という顔だった。
その反応を見て、ヒョードルは悟る。
この子は、自分の分を用意するという発想が抜け落ちるほど、他人のために動くことに慣れてしまっているのだと。
胸の奥が、少し鈍く痛んだ。
だが、その痛みを表には出さず、ヒョードルはいつも通りの調子で笑う。
「せっかくじゃ。一緒に食べよう」
「一人で食べるより、二人で食べた方がうまい。そうじゃろ?」
できるだけ軽く、拒まれにくいように、当たり前のことみたいに言う。
ケイは戸惑ったように視線を泳がせた。
けれど、ヒョードルのまっすぐな笑みに見つめられて、やがて小さく頷く。
「……でも、僕、一つしか作ってなくて」
「なら、ちょうどよい」
ヒョードルはすぐに答えた。
「儂にも異世界の料理を教えてくれぬか? 手伝いならいくらでもするぞ。二人分作って、一緒に食べよう」
「儂も、お主の世界の飯には興味があるんじゃ」
そう言って調理道具を手に取る姿は、元王というより、好奇心旺盛な大人そのものだった。
しかも、手伝うではなく、一緒に作ろうと言ってくれる。
同じ食卓につく前提で。
そのことに、ケイの表情がふっとやわらいだ。
「それなら……」
二人は並んで調理台に立つ。
ケイがやり方を説明し、ヒョードルが見よう見まねで手を動かす。
それを隣で見ながら、ケイは不思議な気持ちになる。
そういえばこうやって、キッチンで誰かと一緒に料理をするのは初めてだった。
ひとりぼっちじゃないのも、ひとりでご飯を食べないのも。
こんな温かな時間は、初めてだった。
やがて二人分のサンドイッチが完成する。
皿に並べられたそれを見て、ヒョードルは満足そうに頷いた。
「うむ、うまそうだ!」
隣を見ると、ケイも同じように完成した皿を見つめている。
どこか誇らしげで、でも照れくさそうな、そんな顔だった。
ヒョードルはその横顔を見て、静かに思う。
本来、この年頃の子どもなら、もっと無邪気で、もっと自分本位でいいはずだ。
なのにこの子は、誰かの役に立つことばかりを先に考える。まるで、それ以外の居場所の作り方を知らないみたいに。
胸の奥に浮かぶものは、疑問というより、痛ましさに近かった。
けれど今は、それを追及する時ではない。
まずはここが、気を張らなくてもいい場所なのだと、少しずつ覚えてもらう方が先だ。
「さて、食べようか!」
明るく声をかけると、ケイがはっとしたように顔を上げる。
「はい」
その返事はまだ少し遠慮がちだったが、最初よりもやわらかかった。
こうしてヒョードルは、数百年ぶりに家族以外の誰かと食卓を囲む。
そしてケイは、誰かと並んで作った食事を、同じテーブルで食べる。
こうやって、ささやかな日常を繰り返していけば。
きっと、二人の距離は近くなっていくだろうと、ヒョードルは強く思うのだった。




