第3話:養子に迎える
※注意※
虐待をほのめかす表現があります。
2026/8/9 加筆修正
「その……あの……改めてよろしくお願いいたします」
「うむ! 儂の方こそよろしくの!」
「まあ、安心しろ。また顔を見に来る」
フリッグはそっと頭を撫でる仕草を見せ、一歩、空間の裂け目に足を踏み入れた。
「ヒョードル――この子をよろしくな」
その時、ヒョードルの脳裏に再び念話が走る。
その内容によって、ケイの怯えや諦めにも似た素振りが何に由来するのか、その一端を知る。
「ヒョードル、さん?」
「あ、いやいや。少しだけぼーっとしとっただけじゃよ」
不安そうに見上げるケイに、ヒョードルは握った手をさらに優しく握り返す。
裂け目は音もなく閉じ、夜の森には再び静寂が戻った。ヒョードルの手には小さな温もりだけが残り、世界の色をほんの少し変えていた。
(まさか、この子のご尊父様もご母堂も事故で死に別れているとはな……果てには違う世界に放り込まれて……心身ともにすり減っとるじゃろうに……)
見下ろせば、不安に揺れる表情を必死に見せまいとして、気丈に振る舞う子供。その姿に、ヒョードルは女神の言う通り、子供らしくないと常々感じてしまう。
だが、それでも。こんなにも小さな存在が、自分のもとへ辿り着いたということ自体が、奇跡なのだろう。
(さてさて。星が降ってくる、というのはこういうことを言うのかもしれんの)
「では、帰ろうかの! 儂らの家にな!」
何気なく口にしたその言葉に、ケイは目をきょとんと丸くし、それから遠慮がちに嬉しそうに笑った。
その姿に、ヒョードルはやはりフリッグの言う通り、両親との死別による深い傷がまだ癒えていないのだと感じ、空いている手でそっと頭を撫でてやる。
ケイは少しだけ肩を震わせたが、俯きながらもヒョードルの大きな手を受け入れる。
もう一つ、女神は言っていた。
──ケイは両親のことを頑なに話そうとしない。死別したにもかかわらずな。
(もしや、親から何かの仕打ちを受けたのか……?)
最悪の予感が脳裏をよぎり、ヒョードルは握ったその柔らかな手に、少しだけ力を込めた。
静寂の森の中を歩き続ける。
その間もケイの手をしっかりと引きながら、魔法の結界を抜けて我が家へとゆっくり帰っていく途中、おもむろにケイがヒョードルの名を呼んだ。
「えーっと、ヒョードル様?」
「様は必要ないのう」
「……ヒョードルさん?」
「うむ! なんじゃ?」
「手を離してもらっても大丈夫ですよ?」
「む。何を言っておる。迷子になるぞ!」
「だから、これでも十三歳なんですってば!」
「なんだ、生まれたばかりではないか。まだまだ危うい。大人しく手を繋がれていなさい」
ヴーッと上唇を噛み、声にならない抗議を漏らして、恥ずかしがるケイ。
しかし内心では、初めて子供扱いをしてくれて、甘やかしてくれる大人がいることが嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。
「おっと、魔獣じゃ。危ないから、背後に隠れておれ」
「わッ!」
何気ない話を交わしながらヒョードルの自宅へ向かう途中、茂みから飛び出してきた魔獣たちと出くわす。
黒い靄を身体に纏ったそれらは、危険区域にしか生息しない魔獣だ。狼のような、猪のような、蛇のような――そんな姿をした体長二メートル近い獣たちが、ケイたちに襲いかかってくる。
ヒョードルはすぐさまケイを背後にかばい、空いた手をすっと横に差し出して指を揃え、手刀の形を作る。そして肩幅の位置に腕を下ろし、静かに立った。
ヒョードルが何をするつもりなのか。ケイは不安からヒョードルのズボンの端をぎゅっと掴んだ。その瞬間、ヒョードルの右手の周りに紫色の膜がふわりと浮かび上がる。
その膜は徐々に手刀の形に沿って変形し、まるで鋭利な剣のようなものへと姿を変えていく。特に大仰な魔法を使っているわけでもない。ただ純粋な魔力を宿した手刀。それを剣のように扱い、一瞬で迫る魔獣たちを鮮やかに斬り裂いていく。
ケイは初めての魔獣との遭遇に怯え、動けずにヒョードルの背後に隠れていた。しかし同時に、初めて見る魔法の光景と、一方的に戦うヒョードルの姿に、恐怖とともに目を輝かせてもいた。
「すごい……」
絶え間なく襲いかかってくる魔獣たちを次々となぎ払う中、後ろから感嘆の声がぽつりと聞こえ、ヒョードルはふと背後を振り返った。 そこには、素直に驚きを浮かべた、子供らしいケイの姿があった。
(ふむ。こういうところはまだ子供のようで安心じゃのう)
先ほどまで敬語を崩さず、大人びた態度をとっていたケイとは真逆の様子に、ヒョードルは内心「かわいいな」とほくそ笑む。
「ヒョ、ヒョードルさん、ま、前!」
「ん?」
気を取られたヒョードルに向かって、巨大な狼が大きく口を開けて飛びかかってきた。毛並みは逆立ち、牙はまるで刃のように光っている。その姿は、先ほどまでの魔獣よりも一層凶暴そうだった。
(おっと、油断したかの)
そう心の中で思うも、表情は変わらない。
今にも自分を喰らおうとする狼に向けて腕を振り上げる。体の向きは半ばケイをかばうように保ったまま、手刀を縦にビッ!と振り下ろした。
一瞬後、空気が裂ける鋭い音とともに、狼の巨体はきれいに真っ二つに斬り割かれていた。返り血すら浴びぬその動作は、まさに歴戦の戦士そのもの。
(いやはや、いくら戦い慣れているとはいえ、余所見はよくないな)
ヒョードルは内心で苦笑する。どれほど余裕があっても、この森は油断すれば命を落とす場所だ──そう頭では分かっている。
だが、それでも。たかが余所見ごときで獣の攻撃を許すなど、自分にはあり得ないことだという自負もしていた。
(ま、これしき余裕の範囲じゃがな)
まさに「武王」と呼ばれるに相応しい男だった。
「わははは、怖かったのう? もう大丈夫だ」
そう言って、ヒョードルは無骨で大きな手でケイの頭を優しく撫でる。
魔獣との遭遇に戦い、魔法。
そして初めての未知なる恐怖。
頭を撫でられたことで気が緩んだのか、さまざまな初めての経験が遅れてケイを襲った。
「な! 大丈夫か!?」
やがてケイは腰を抜かしたように、その場に崩れ落ちてしまうのだった。
「ごめんなさい……」
「何を謝っておる。誰だって初めてならしょうがないことじゃ」
ケイはヒョードルに背負われた状態で森の中を進む。
「ヒョードルさん、大丈夫ですから。降ろしてください。じゃないと、また魔獣が現れたらヒョードルさんが戦えません……」
ケイが心配している通り、ヒョードルはケイを片手で抱えながら、先ほど倒して増えた魔獣の肉も抱えていた。
「わははは。心配せんでもいい。それに足がある!」
迷惑をかけてしまっている現状に堪えきれず、小さな声になるケイに、ヒョードルは豪快に笑いながら、他にも攻撃手段があることを示す。
思わず目を丸くして、ケイはくすりと笑いをこぼした。
「それにな、もう家に着くから気にしなくてよい」
ケイはその言葉に、胸元へ向けていた顔を前に向ける。
そこにはレンガで建てられた、温かい雰囲気の家があった。外観だけ見れば四人は容易く暮らせそうな広さだ。それだけではない。周囲は柵で囲まれ、訓練用らしき木偶も立っている。
けれど──とケイは思う。
木の柵だけで、先ほどのような魔獣の侵入を防ぐことができるのかと。
しかし、それは杞憂だった。上空から魔鳥と呼ばれる大きな鷲のような鳥が家へ降りようとした瞬間、バチリと小さな音が鳴ったかと思うと、鳥は灰となった。
その光景を見たケイは、すぐに理解する。
なるほど、家の周りに強力な結界を張っているんだな、と。
ヒョードルたちは玄関前の柵を抜け、家の扉を開ける。
ぽつり、ぽつりと部屋の中の灯りが勝手にともっていく。そして中央には暖炉があり、薪をくべる必要もない。炉の中では魔法陣が静かに輝き、心地よい炎を生み出していた。
「わあ……まるで物語の中みたいだ」
「ふふふ」
ヒョードルは、素直に喜ぶ少年に小さく笑みをこぼす。
また、その言葉から、ケイの世界には魔法が存在しないのだと理解する。遠い異世界では、魔法が存在しない代わりに科学技術が発展していたり、あるいは別の力がその代わりを担っていたりすることがあると、禁書で読んだことを思い出した。
さらに、家に帰る途中で交わした話と照らし合わせると、どうやらケイのいた世界は科学技術が発達した世界らしいと分かる。
ヒョードルはケイを背中から降ろし、家の中へ入った。荷物を調理場のテーブルに置くと、玄関の前でおろおろと立ちすくんでいるケイに「どうしたんじゃ」と不思議そうに近づいた。
「その……」
ケイは気まずそうに俯き、言葉を続けられず固まってしまう。ヒョードルはケイの目の前まで歩み寄ると――
「わっ!?」
ケイの驚いた声が家の中に響いた。ヒョードルがいきなりケイを抱き上げたのだ。
「よし! 温かいご飯でも食べて、今日はゆっくり休もう!」
気にせんでもいい、と言っても、この子の性格からしてきっと気にするだろう。そして、こちらが手を差し伸べても、自ら受け取るのは今のところ難しそうだ。
ならば、ヒョードルにできることはただ一つ。
強引にでも、手を引っ張り続けること。
それが正しいのかは分からない。かつて国を動かしていた時のような繊細なやり取りなら得意だが、子供相手となるとどうすればいいのか、正直わからない。
とにかく、やってみるしかない。
ヒョードルは抱き上げたケイに視線を向ける。困ったような表情で顔を赤く染めている子供が映った。
嫌がっている様子はない。だから、きっとこの行動は間違っていないのだろう。
時間は、まだある。
ゆっくり、互いに歩み寄っていけばいい――ヒョードルはそう思った。
◇
夕食を済ませ、身体を清めた後、ケイはヒョードルに濡れた髪をタオルでガシガシと拭かれていた。
最初こそ「自分でやる」と言い張ったケイだったが、ヒョードルがなぜか強引に自分に任せろと譲らなかったため、大人しく頭を任せていた。
もともといろいろなことを学ぶのが好きなヒョードルは、初の子育て体験に胸を躍らせており、ケイにあれこれしてみたくて仕方がなかった。
最後にドライヤーのような魔道具でケイの髪を整えながら優しく触れていると、幼子は温かい風と柔らかな振動の中で、だんだんと眠たそうに目を細めていた。
「そのまま寝ていなさい」
「……でも」
「いい、いい」
まったく、本当に子供らしくない、とヒョードルは肩の力を抜く。ご飯も一緒に食べ、風呂にも入った。風呂に関しては半ば無理やりだったが、心を開きやすいように、あえて大雑把にふるまった。それでも遠慮し続けるケイを、ヒョードルは不思議に思う。
風呂に入った時、ヒョードルは一つだけ気になるものを見ていた。
大きな傷ではない。ぱっと見れば、子供がどこかで擦っただけとも思える程度の、小さな古傷がいくつか。
それだけで何かを断じることはできない。だが、胸に引っかかった。
ケイの過剰な遠慮。
怯えたような目。
何かをしてもらうたびに、申し訳なさそうに身を縮める癖。
そこに、あの傷。
(……考えすぎ、かもしれん)
そう自分に言い聞かせる。証拠はない。傷も決定的なものではない。
だが、もしも。
もしもあれが、誰かに与えられてきたものの名残だとしたら――。
ヒョードルの胸に、鈍い苛立ちにも似た感情が灯る。
けれど今は、まだ踏み込むべきではない。
問い詰めれば、この子はきっとまた無理に笑う。あるいは、何でもないと言って、ますます心を閉ざしてしまうだろう。
ならば今、すべきことは一つだ。
安心できる場所だと教えること。
無理に聞き出すのではなく、自分から話してもいいと思えるまで待つこと。
眠気をなんとかこらえようとするケイを両手で抱き上げる。案の定、驚いたケイが「ヒョードルさん?!」と狼狽えるも、ヒョードルは無言で寝室へと進んだ。
そして、ケイの身体を優しくベッドに横たえ、ぽんぽんと軽く叩く。
「ヒョードルさん……えっと……」
「気にせず寝なさい。慣れない環境で初対面の人間と話して、ずいぶん気を張っていたのが伝わってくる。疲れただろう? だから今日はゆっくり、このまま眠ればいい」
枕元にランプの優しい光をともしながら、ヒョードルはじっと少年の寝顔を覗き込む。
やがて、遠慮がちな声が返ってきた。
「……おやすみなさい、です」
「ああ、おやすみなさい」
それきり、言葉は途切れた。
ヒョードルはしばらく無言で、その手をもう少しだけ強く包み込んだ。
(焦るでない。今はまだ、守ることの方が先じゃ)
「しばらくは、儂が家族の代わりじゃな。好きに過ごしてよい。何も恐れることはないさ」
ヒョードルはそっと、少年の額に手を添えた。
ただ、「ごめんなさい」と、眠りに落ちる直前に呟かれたその言葉が、心のどこかに引っかかるのだった。
繋がヒョードルに救われているように、ヒョードルも繋に救われた。
この時点での異世界の情勢は魔王出現により、魔獣と魔物が世界に溢れ人々に余裕が無い状態。
繋が地球に帰るまでの間、そして地球へと戻っても繋の心が休まる日々がほとんど無いまま、今度は地球で戦わないといけない状況。
どうか。繋とヒョードルが穏やかな日々を過ごせる日がきますように。




