第2話:到来
「いやあ、今日も大量大量!!」
見た目は壮年の男性。その肩には、標準を大きく逸脱したサイズの巨大な猪をいくつも担いでいる。
衰えなんてまったく感じさせない壮年の美丈夫。 俗に言うイケオジそのものだ。
妖精族エルフ種の王。
賢王にして武王として知られたヒョードル・ニコラウスは、夕色から紺色に変わる前の空の森を魔物退治しながら歩くのが大好きだった。
「さてさて、今日の夕飯はどうするかのう! ま、料理はからきしダメじゃから焼くしかないがな! ワハハハ!」
大きな声で繰り出される独り言である。
豪快な笑い声が夕闇の森に響き、森の空気は深い静寂と、しっとりした草木の薫りに満ちている。
王を退位してからというもの、ヒョードルは文字通り、おひとり様の気ままな生活を満喫していた。
好きな時に好きなだけ本を読み、鍛錬する。わずらわしい政務もなければ、面倒な世継ぎの話も遠い過去。
まさに、最高の気楽さだった。
ヒョードルは上機嫌に口笛を吹きつつ、自宅へと足を向ける。
(いやはや、魔獣を一人で退治しても誰にも怒られんのは、まっこと楽よのう!)
ふと、王であった頃のこと―― 常に息苦しさを纏っていた二百年を思い出し、片眉を下げる。
長命種故の古臭い伝統と慣習。腐りきった貴族も宰相も多かった。
子どもの頃から王位継承者として、企てられたあれやこれや。 自分をただの飾りにしたい者、王家の血を目当てに自分の子どもを許嫁に、と画策した連中。さらには近しい血筋同士の婚姻が重なる悪習まで。善良なふりをした腹黒どもが、どれだけ王座を穢したか。
そんな現実を、ヒョードルはたった一人で打ち壊してきた。
時に暴君、時に賢王、またある時は武王と、必要に応じて役割を使い分け、ついには千年以上続いた古いしがらみを断ち切ったのだ。
当然、抵抗や反乱も絶えなかった。
貴族たちの腐敗の根はヒョードルの想像以上に深く、多くの判断を迫られる場面も少なくなかった。
時には血を見ることもあったが、王である以上、「無血で終われる」といった甘い考えはとうの昔に捨てていた。自らの手を汚しながら、新しい未来を切り開いていったのだ。
そうやって、ヒョードルは暴君呼ばわりされても構わず、改革を押し通した。
全ては、前王である父と母が権力争いに巻き込まれ、毒殺されたことへの復讐を果たすためだった。
幼いヒョードルの即位を強引に推し進め、政権を実質的に宰相が牛耳ろうとした。両親を殺害したのは、すべて私利私欲のためだった。
周囲は嘘を並べ、甘い言葉でヒョードルを操ろうとしたが、聡く、歴代でも稀に見る強い直感を持って生まれたヒョードルは、その企てをすぐに見抜いた。そして復讐のために生きることを決意したのだ。
そうして、自分と腹違いの妹を守るためにも、腐った王政を変えるために、ヒョードルは革命を起こした。
そこからは、目まぐるしい数百年を駆け抜けた。政権も家臣も徹底的に一新する事に力を注いでいれば、途中で世界規模のスタンピードが起き、魔物と魔獣退治に東奔西走するうちに、やがて大英雄だったり武王と讃えられる立場にまでなった。
走りに走りまくって────
気づけば完全に燃え尽きていた。
だから、ヒョードルは自分と同じくらい才能も胆力も持ち合わせたシグルに、ぽーんと王位を譲った。
妹のことは今でもちょっと心配になるが――あの穏やかでお淑やかな顔の下に、本当は剛健で肝っ玉な性格を隠している腹違いの妹の事だ、意外と大丈夫なのかもしれないとヒョードルは思った。
(むしろ、意外と女傑になるやもしれん)
今ごろ、自分の悪口でも言いながら、忙しなく王事をこなしているはずだ。
まあ、古臭い慣習もすべて一新できたし、膿も全部出しきった。
新しい時代を築き、次の世代に繋げることもできた。
立派な——エルフ族初の女王が、輝かしい未来を作ってくれることを願いながら、ヒョードルは歩き続ける。
こうして、たまに過去を思い出しては老け込む自分に苦笑しつつ、ヒョードルは自宅へと向かった。
────その時だった。
「ん?」
パキッという、空間が裂けるような音が、突然、森に響き渡る。
空間がまるで布のように引き裂かれ、純黒の亀裂が浮かんだ。その内側は、星も月の光も呑み込む深い闇。
そこから、何かが現れた──いや、「誰か」が現れる。
人影は森の中心に降り立つ女性。
圧倒的な存在感を放つ、その女性をヒョードルは良く知っていた。
「────久しいですな、フリッグ様」
彼女の名前はフリッグ。
その容姿はひとことで言えば美人。
それもただの美人ではなく、絶世の美女という表現がふさわしい。
地球で言えば海外モデルのような高身長と端正な顔立ち、鋭い目つきに金色の瞳を持ち、髪は銀色に輝き、長い髪を二つ編みにして肩にかけていた。
「スタンピード以来だな。息災か? いや、見た目通りピンピンしてるな」
至高の創世神は呆れたように口の端を軽く上げた。片方は紛れもなく神であり、最高神だというのに、気さくな態度に思わず同じ人間なのではないかと勘違いしそうになる。
ヒョードルもヒョードルで豪胆な性格をしているせいか、最高神を前にしてもいつも通りの態度を崩さない。
そんな中、ヒョードルはふと、フリッグの背後に隠れる小さな人影に気づいた。
「うむ? 後ろの子は、人族いや───」
それは、異世界セプネテスでは珍しい髪の色。
真っ黒な髪色などセプネテスの人種には存在しない。まして、その瞳の色もだ。
ヒョードルは「もしかして」と呟く。背後の子が、遥か遠い異邦の子だということを。
「落とし子、でしょうか?」
「まったく、お前は相変わらず目敏いな」
フリッグは口角を上げ、笑って見せた。フリッグは背後に隠れている少年に振り向くと、思いの外優しさが滲み出た表情で語り掛ける。
「ほら、大丈夫だ。お前に害を成す者ではない」と、そっと少年の背中を押す。
少年はおずおずと女神の隣に立ち、俯きがちだった顔を、恐る恐るヒョードルへと向けた。
──バチリ。
瞳が合った瞬間、ヒョードルの後ろ首。付け根辺りに電撃が走った。
いや、落ちた気がした。
エルフ族の王の血筋に伝わる優れた直感力が少年に何かを感じ取る。
この子は、きっと大きなことを成し遂げるだろう――そう、理屈ではなく、直感する。
ヒョードルは後ろ首を擦る。
だが、どう見ても目の前の子はただの人の子で、遠い異世界の出身だ。
現に今も、瞳の奥は揺れて、怯えるように此方を見ている。
瞳の奥に隠れた意思の強さがある訳でもなく、秘めた力を持っている訳でもない。
ただ、ごく一般の平民の子と変わらない存在。
それでもなぜ、こんな直感が走るのか自分でも分からなかった。
(だが、儂の血に流れている直感がこの子を見て何かを告げている)
不思議な気分だった。今までにない体験であり、未知なる感覚だった。
ヒョードルは、肩に乗せていた魔獣を横に置くと、威圧感を与えないよう離れたまま片膝をつき、目線を合わせた。
「初めまして、儂の名はヒョードル・ニコラウスと言う。宜しくのう」
「は、はじめまして・・・・・・僕はワタリ・ケイと言います」
ケイと呼ばれた少年は、意外と丁寧にもお辞儀をしながら名を名乗った。その姿に、微笑ましくも、その歳で礼儀がなっている事に驚く。
(確か昔読んだ禁書には、異世界と此方では学力の水準が違うと書いてあった。という事は、この子が居た元の世界では学力水準が高いのだろう)
であるなら、教養も高いのだと理解する。
「まったく、お前はこんな時でも・・・・・・・。そんなに丁寧にせずとも、もっと子供らしく挨拶をすれば良いというのに」
フリッグが思わずため息交じりに呆れていると、ケイは「だって・・・・・・」と続ける。
「これ以外の生き方を知らないんだもん・・・・・・」
フリッグとケイのやり取りに、ヒョードルは目を見開く。
まずは、至高の女神であり、最高神であるフリッグに。
人間臭いところはあるものの、基本は人には余り関与もせず、冷徹に接するフリッグが唯の人の子に、「まるで姉のような」姿を見せている事にヒョードルは、信じられないもの見た。
そして、もう一つ気になった事もあった。
それはケイに対してだ。
(これ以外の生き方を知らない、か・・・・・・)
ケイの言葉に、ヒョードルはかつての自分を重ねそうになった。ケイが言った言葉がどういった意味を持つのか、そしてフリッグが彼に見せる心配がどういう事なのかは知らない。
だが───。
少し口を尖らせる姿は、まさに子供らしかったがそれは恐らくフリッグに対してのみに見せる仕草なのだろう。
「ヒョードル。この子はな、世界の狭間に落ちて死にかけていたのだ。いつもなら本土の方に落ちるのに、今回は何故か世界の狭間が開いていてな・・・・・・世界の狭間に落ちた人間など初めてだし、助けたのも初めてだ」
フリッグはやれやれといった感じで説明をするも、ケイを心配するような視線を向けているものだから、態度と合ってない事に、ヒョードルは思わず内心で笑ってしまう。
「今はこうやって歩けているが、まだ療養中だ」
最初に拾った時は瀕死の状態――今はようやく歩けるようになったが、まだ完治はしていない、とフリッグは説明する。
そして、なぜ自分の前へこの少年を連れてきたのか。ヒョードルは勘づいた。
「成る程、儂にこの子を預けるために来たのですな」
「ふはは。相変わらずお前は話が早くて助かる。この子を生かすにも、神界にいる私では難しい。それに、お前なら安心して、この子にこの世界で生きる術を与えてくれると思った。ただ、強制ではないぞ?」
ケイは不安そうにフリッグの手をぎゅっと握る。
ヒョードルはそれを見て可愛らしい仕草だなと思うと、次の瞬間、ケイは目を強く瞑ったあと、その手をそっと離してみせる。
それに、ヒョードルは違和感を覚えた。
ヒョードルは、視線だけフリッグに流すと、神妙な顔をしており何か訳ありなのが伝わってくる。
改めて少年へ目を落とす。
さっきまで怯えがちだった瞳が、今は真っすぐこちらを見返していた。
(覚悟か? それとも諦めか?)
目の前の少年の心情も気になるが、それよりもヒョードルの意識は自身に向く。
果たして自分は親代わりになどなれるのか。
女神は強制ではないと言ったが、ヒョードルは目の前の子を引き取ってみたいという気持ちが芽生えていた。
それだけではない。
自分が王位に就いた頃とどこか似たような瞳を持つケイを、ヒョードルは放っておくことが出来なかった。
しかしだ。
自分には子どももいないし、子育て経験もない。
エルフは長命種ゆえ、種を残すこと自体が少ない。だから王でいた頃も世継ぎは作らず、妹に王位を譲って気ままな隠居生活だ。
本当に自分にこんな役が務まるか、迷いが湧く。
(こんな儂に、誰かを育て慈しむ事は出来るのだろうか?)
常に、独りだった自分が。
人生の大半が復讐で出来ていた、こんな自分が。
誰かに愛を与える事が。
自分には、出来るのか。
沈黙の中、ヒョードルはやがて静かな決意を胸に、「うむ」と一言呟き、頷いた。
ケイはその瞬間、びくりと体を震わせた。
戸惑いを隠せず困惑している彼に、ヒョードルは笑って一度立ち上がり、もう一度ケイの前で膝をつく。
まっすぐケイの瞳を見て、決意を込めて言葉をかける。
「お主が良ければ、ウチに来るか?」
その言葉に、ケイは慌てて首を振り、先ほどと違い必死に言葉を紡ぐ。
「え、あ、ね、 ねえ、フリッグ! ヒョードルさん、いや、ヒョードル様は元王様なんでしょ? 畏れ多いし、僕は一人でいいよ! 良い! 大丈夫! だって、 ぼくなんか───!」
「おっと、その先は言わせんぞ」
フリッグがケイの頭をぽんと優しく叩いた。
「・・・・・・っ!!」
ケイの息を飲む音だけが森に響き、しどろもどろな姿にフリッグは「大丈夫だ」とケイを説得しようとする。
しかし、ケイはフリッグに向かって、「元でも王様だった人にお世話になるなんて、普通ありえないってば・・・・・・!」と、本音をつい吐き出してしまう。
「おっと? それを言うなら、忘れてるかもしれんが私は神だぞ?」
「そ、それは分かってるけど・・・・・・!」
ケイの素直な狼狽ぶりに、ヒョードルは小さく吹き出しそうになった。
「ワタリ殿」
低い声で呼ばれ、ケイは肩を大きく揺らす。
なるべく威厳はなく、穏やかな声で両手をそっと取る。
「言い方を変えよう。儂と共に、しばらく一緒に暮らしてみないか?」
家族になろうとは言わない。
自分がどんな感情でケイを引き取るのか、まだ答えは出ていない。
ただ、自分の人生の“枠”の中にこの子を入れてみたい。
素直に、そう思った。だからこそ、手を取ってみたいのだ。
ヒョードルはじっと、真っ直ぐにケイの瞳を見つめて答えを待つ。
ケイの口からは「あ・・・う・・・」と言葉にならない言葉が出てきては、助けを求めるようにフリッグを見上げるも、当の女神は敢えて知らんぷりを決め込んでいた。
その時だ。ヒョードルの脳内にフリッグの声が響く。
「ヒョードルよ。念話での会話ですまないが、こやつは恐らく他人の手を取る事が出来ない」
「───出来ないとは・・・・・・?」
「そもそも、取り方を知らないのだ」
「それは・・・・・・」
中々に酷な人生だったのではないかと、ヒョードルはケイには見せないように苦い顔をする。
ヒョードルはケイから動いてくれる事を望んでいたが、それが難しい事を知り、ゆっくりと彼の柔らかい手に手を伸ばした。
ゆっくりとケイの手に触れると、緊張で手汗がじんわりと滲み、そしてわずかに震えているのを感じる。
だが、ヒョードルはその手をゆっくりと、しかし力強く握りしめ、ケイに告げた。
「今はすぐに言えないことがたくさんあるかもしれない。じゃが、嫌なことや無理だと思ったことがあれば言ってくれ。あるいは、逃げてもいい。その時はフリッグ様を呼んで、お主をフリッグ様の元へ帰そう」
おそらくケイが自分から断ることのできない性格だと考え、ヒョードルはあえて逃げ道を用意してやる。
その意図を察したのか、フリッグが冗談めかして口を開く。
「そうだな。その時は必ず私がお前を迎えに行ってやるから、安心しろ───と言いたいところだが、ヒョードルは甲斐性なしじゃないし、私的にはオススメだぞ」
「フリッグ様・・・・・・」
「なんだ? 私の一押しの人間なのだ。推しに何が悪い」
「恥ずかしくなるからやめて下され!!」
2人の漫才のようなやり取りに、ケイは思わず目を丸くした。そして、ついには吹き出してしまう。
「ふふっ」
突然の笑い声に、2人は驚いてケイの方を見る。それに気づいたケイは、慌てて顔を赤く染めながら謝ろうとしたが、それを遮るように、ヒョードルがケイを抱き上げた。
「わっ!」
「ふははは。いいぞ! お主には笑顔があってる!」
「そうだな。お前はもっと笑うべきだ」
ケイは2人に何故か褒められて、顔面を更に茹でた蛸のように真っ赤になりながら、恥ずかしさを隠す様に叫んだ。
「あの、皆さん、僕のことを小さな子どもだと思ってませんか?!」
未だに抱き上げられた状態でケイがもぞもぞと身体を動かしながら訴えると、フリッグが腕を組み、まるで「何言ってるんだ」という表情で返す。
「何を言っている、私らから見ればお前なんて生まれたての子どもと変わらん!」
「そうじゃ!」
「うそでしょ・・・・・・」
衝撃を受けるケイに、二人は豪快に笑うのだった。
もしこの内容が良かったらブクマ・評価・リアクションしてくれますと飛び跳ねて喜んでるかも。




