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『ゾンビだらけの世界でただ1人の魔法使い』  作者: mixtape
序章:また会う日まで

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小話:女神の心配事

2026/10/12 大改稿

 魔王討伐後の、とある夜。


 渡繋は、女神フリッグの神域へ招かれていた。

 正確には、眠っている身体を地上へ残し、精神だけが訪れている。


 白い花々が咲く庭園には、風も虫の声もない。

 現実から切り離された静けさの中、二人は小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。


「本当に、地球へ行くつもりなのか?」


「……うん」


 頷くまでに、少し時間がかかった。


 魔王の力で揺らいでいた世界の境界は、既に閉じ始めている。

 繋の魂の座標を辿り、元の世界へ送り届けるなら、いましかなかった。


 十六年間、望んでも叶わなかったことだ。

 それなのに、繋は素直に喜べなかった。


 膝の上で重ねた手へ視線を落とす。

 その迷いを見つめてから、フリッグは地球へ行きたい理由を尋ねた。


 両親を供養したい。

 以前から話していた願いを口にすると、墓を建てれば区切りがつくのかと、静かに問い返された。


 繋は答えられなかった。

 供養したいのは本当だ。けれど、それだけではないことも分かっていた。


「……僕ね。みんなから、たくさんのものをもらったんだ」


 ヒョードルも、スヴィグルも、スノトラも、ベオウルフも。

 役に立つからではなく、大切な人だからと、そばにいてほしいと言ってくれた。


 その言葉を疑っているわけではない。

 共に過ごす時間は嬉しいし、自分も彼らを大切に思っている。


 それでも、与えられるたび、何を返せるか考えてしまう。


 何もしないで受け取ってはいけない。

 役に立たなければ、ここにいてはいけない。


 以前よりは頼れるようになった。

 疲れたときには休みたいと言い、手が足りなければ助けを求めることもできる。


 けれど、ときどき、ただ大事にされることが難しくなる。

 失敗すれば取り返さなければと焦り、何かしてしまったのかと相手の顔色を窺ってしまう事がふとした時に出てくる。


「僕は、もうあの家にはいないのに」


 繋は服の上から、胸元を掴んだ。


 両親にされたことを、長い間、正面から見られなかった。

 幼い自分には、そのまま覚えて生きることができなかったのだ。


 母親は忙しかっただけ。

 父親は家族との接し方が分からなかっただけ。

 自分がもっとよい子供なら、三人で幸せになれたはずだと。


 事故のことまで自分のせいにして、どうにか納得しようとした。


 スヴィグルから、本当にあったことを教えられた。

 それでも、今でも受け止めることが出来なかった。


 自分が悪かったのなら、仕方がないと思えた。

 何も悪くなかったのに傷つけられたと認める方が、怖かった。


 この世界で十六年も生きてきた。

 家族もできたし、楽しいことも、数え切れないほどあった。


 なのに、心のどこかは、まだあの家から出られていない。


 両親の帰りを待ち、物音に耳を澄ませていた子供。

 役に立てば、いつか愛してもらえると信じていた自分が、まだそこにいる。


「迎えに行きたいんだと思う。……あの家に残っている僕を」


 口にして、ようやく顔を上げた。


 フリッグは黙って、その瞳を見つめた。

 そして、それが自分を罰するための帰還ではないかと尋ねた。


 供養できなかったことを責め、いまさら義務を果たそうとしているのではないか。

 そう問われると、繋もすぐには否定できなかった。


 そういう気持ちも、ある。

 けれど、それだけではなかった。


「もう、ここにいなくていいって、あの頃の僕に伝えたい。外には、何もできなくても、一緒にいていいって言ってくれる人たちがいるんだって」


 地球へ行けば、すべてが変わるとは思わない。

 あの家を訪ねても、何も感じないかもしれない。かえって苦しくなるかもしれない。


 それでも、自分の目で確かめたかった。

 帰れずにいた場所へ、いまの自分で立ってみたかった。


 両親のためなのか、自分のためなのか。

 それも、ちゃんと自分で選びたかった。


 フリッグは長く黙っていた。

 やがて、ゆっくりと息を吐く。


「過去へ戻るためではなく、そこから歩き出すために、か」


 繋は頷いた。


 その決意を確かめてから、フリッグは姿勢を正した。

 送り出すかどうかを考える前に、伝えておかなければならないことがあった。


「お前が知っていた頃と、いまの地球は違う」


 四年前、世界規模の大地震が起きた。

 そのあと、死者が蘇り、生きている人間を襲い始めたのだという。


 いまでは人類の大半が死人と化し、文明もほぼ崩壊している。


 繋は、すぐには言葉の意味を掴めなかった。


 学校へ続く道。

 夜になっても明るい店。

 行き交う車の音と、遠くまで並ぶ建物。


 記憶の中の故郷に、死人が歩く光景を重ねようとして、息が止まった。


「そんなことが、地球で?」


 フリッグは頷いた。

 聞き間違いだと、笑ってはくれなかった。


 生まれた町が、当時の姿を残しているかも分からない。

 会いたい者がいても、生きている保証はなかった。


 家も、通った道も、もうないのかもしれない。

 供養したいと言いながら、そこへ辿り着けるかどうかすら分からないのだ。


「それでも、行くのか?」


 繋は目を伏せた。


 行かないという選択もできる。

 この世界には家があり、仲間がいる。ようやく戦いを終え、共に過ごせる時間ができたばかりだった。


 そのすべてを離れ、また一人になる。


 膝の上で握った手を、ゆっくり開いた。

 怖くないはずがなかった。


 けれど、あの家に立てる機会があると知ってしまった。

 いま諦めたら、きっと考え続けてしまう。


 あのとき、行っていれば、と。


「……それでも、行くよ」


 フリッグは繋の顔を長く見つめ、やがて頷いた。


 仲間たちへは、明日話すつもりだという。

 だが、地球の現状も伝えるのかと尋ねた途端、繋は口を閉ざした。


 その沈黙に、フリッグの眉間へ皺が寄る。


 帰ることも、供養したいことも話す。

 けれど、故郷が滅びかけていることまでは言うつもりがないらしかった。


「……話したら、心配するでしょう」


「当然だ」


 止められるかもしれないと、繋は続けた。

 その顔を見れば、止められたくないだけではないことも分かった。


 仲間たちは、もう十分に戦った。

 ようやく傷を癒やせるのに、自分の事情へ巻き込みたくない。


 そう説明する繋を、フリッグは静かに遮った。


「お前を案じるかどうかまで、お前が決めるな」


 繋の肩が揺れた。


 家族から与えられるものを受け取りたいと願いながら、その家族へ危険を隠して行く。

 それでは、彼らが繋を支えたいと思っても、選ぶことさえできない。


 言われていることは分かっていた。

 繋は俯き、唇を噛む。


「……いきなり全部は、無理だよ」


 ようやく出た声は、小さかった。


 大切にしてくれていることは分かっている。

 それでも、苦しんでいる顔を見ると、話さなければよかったと思ってしまう。


 信じていないわけではない。

 自分の痛みで苦しませたくなかった。

 大切な相手であるほど、なおさらだった。


「言えることは、言おうとしてる。でも……いまは、これが精いっぱいなんだ」


 フリッグは、組みかけていた腕を下ろした。


 責めれば、繋は謝るだろう。

 だが、それで安心して頼れるようになるわけではない。


「一度で変われるとは、私も思っていない。だが、心配をかけたくないという言葉で、彼らの気持ちまで片づけるな」


 隠して行けば、あとで苦しませることにもなる。

 そのことだけは、忘れるなと伝えた。


 繋は頷いた。

 それでも、地球の現状を話すとは言わなかった。


 フリッグは深く息を吐く。

 自分から明かすと脅せば、従うかもしれない。だが、それでは次に何かあっても、自分にさえ相談しなくなるおそれがあった。


 いまここで答えを迫る代わりに、地球へ渡ったあとの注意を伝える。


 こちらで身につけた魔法は、地球でも使える。

 ただし、環境も魔力の性質も異なるため、渡った直後は、身体に蓄えられる魔力が大幅に減るはずだった。


 馴染めば戻るだろう。

 だが、それにどれほど時間がかかるかは分からない。


 繋は考えるように視線を落とし、それから頷いた。


「無理に戦わず、逃げながら慣れればいいんだよね。魔法が使えるなら、何とか――」


「この馬鹿者!」


 鋭い声が庭園へ響いた。

 繋が驚いて顔を上げる。


 フリッグは額へ手を当てた。

 十六年を生き抜き、魔王討伐まで成し遂げた。その腕を疑っているのではない。


 問題は、繋がその力を自分のために使うかどうかだった。


 逃げると言いながら、目の前で誰かが襲われていたらどうするのか。

 そう尋ねると、案の定、繋は答えに詰まった。


「スヴィグルと出会った日のことを覚えているか?」


 十年前。

 訓練場で魔法書を読んでいた繋は、手違いで訓練生と間違えられ、スヴィグルと討伐訓練へ向かわされた。


 その最中、彼へ襲いかかった大型の魔獣を、身を投げ出して庇った。

 胸元を引き裂かれ、血を流しながらも、先に尋ねたのは相手の無事だった。


『君は大丈夫? 怪我はない?』


 青ざめたスヴィグルを安心させようと、笑った。


『僕は平気だよ。これくらいじゃ死なないから』


 その瞬間、彼の顔が歪んだ。

 怒っているようにも、怯えているようにも見えた。


『気持ち悪ぃんだよ!』


 吐き捨て、逃げるように立ち去った背中を覚えている。


「……勝手に庇って、怒らせたんだよね」


 その覚え方に、フリッグは目を細めた。


 死ななければ平気。

 それが、繋の基準だった。


 目の前で血を流す相手にそう笑われて、スヴィグルはどうすればよかったのか。

 問いかけられ、繋は黙り込んだ。


 言葉よりも、表情をよく覚えている。

 自分を睨みつけながら、今にも泣き出しそうだった顔を。


「あの言葉でお前を傷つけたことまで、正しかったとは言わん。だが、お前が自分を大切にしないことを、あやつはあの頃から恐れていたのだろう」


 繋は小さく頷いた。


 十年経ったいまも、同じ思いをさせたいわけではない。

 そのことは、言わなくても分かった。


 フリッグは立ち上がり、繋にも立つよう促した。

 訝しげな顔をした彼の両頬を、手で包む。


「絶対に死ぬな」


 繋の瞳が、僅かに揺れた。


「誰かを救うためなら、お前だけが傷ついてよいと思うな。助けを求められる相手がいたら、頼れ」


 状況によると言いかけた口が、視線に負けて閉じられる。

 代わりに、気をつけるという、どうにも信用しきれない返事が返ってきた。


 フリッグは頬を包む手へ、少し力を込めた。


「いひゃいってば」


「その返事では、不安しかないわ」


 呆れた声とは裏腹に、その目は心配そうだった。

 繋は抵抗をやめ、やがて小さく笑う。


「ありがとう、フリッグ」


 礼より言いつけを守れと返し、フリッグは手を離した。

 赤くなった頬を、一度だけ撫でる。


「それと……お前が地球へ渡ったあとも、こちらへ戻る道は探すつもりだ」


 繋の目が、大きく開かれた。


 すぐに戻れるとは約束できない。

 世界の境界を越える道を、安定させるのは容易ではなかった。


 それでも、必要ならスノトラたちの知恵も借りる。

 繋にも、向こうで手掛かりを探すように伝えた。


 繋は何度も頷いた。

 その目元が濡れていくのを見て、フリッグは眉を寄せる。


「一度行ったら、もう二度と会えないかもしれないって、思ってたから」


 仕方がないと、諦めようとしていたらしい。

 その覚悟で黙って行こうとしていたのかと思うと、また叱りたくなった。


 けれど今度は、指先で額を軽く弾くだけにした。


「会いたいのなら、会いたいと言え。帰りたい場所があるのなら、帰りたいと願え。最初から、諦めるな」


 繋は額へ手を当てた。

 目元を濡らしたまま、ゆっくり頷く。


「……僕も、またみんなに会いたい」


「それを、明日はちゃんと伝えてこい」


 ようやく引き出せた言葉に、フリッグは肩の力を抜いた。


 間もなく、繋の姿が淡い光に包まれ始めた。

 現実の身体が、目覚めようとしている。


 繋は透け始めた自分の手を見下ろし、それから顔を上げた。

 行ってくると告げる、その肩へフリッグは手を置く。


「忘れるな。お前の居場所は、過去にはない」


 繋が、じっとこちらを見た。


「あの家へ行くことを止めはしない。だが、そこへ人生まで置いてくるな。お前と生きたいと願う者たちがいる。その事実は、地球に何が残っていようと変わらん」


 繋は再度フリッグの言葉を心の中で繰り返す。


 供養ができても、できなくても。

 両親を許せても、許せなくても。

 いまの家族との日々まで、失われるわけではない。


 そんな繋の頭にフリッグの手が移る。

 一度だけ、髪を撫でた。


「行ってこい。そして、帰ってこい」


 繋は泣きそうに目を細め、はっきりと頷いた。


「……またね、フリッグ」


 目頭に涙を耐えたままの笑顔を最後に、繋の姿は神域から消えた。


 ◇


 一人になった庭園で、フリッグは椅子へ腰を下ろした。


 テーブルの向こうは、もう空いている。

 つい先ほどまで困ったように笑っていた顔を思い出し、額を押さえた。


「まったく。心配をかけたくないと言って、最も心配させることをする」


 地球の現状を伏せたまま、一人で行くつもりなのだ。

 話すよう促しても、最後まで頷かなかった。


 繋は、すべてを偽るわけではない。

 供養したいのも、仲間と離れるのが寂しいのも本心だ。

 話せる部分だけを差し出すから、その奥に隠したものには気づきにくい。


 サムフェラグも、その隙間を埋めてはくれなかった。


 スヴィグルが狂化を制御し、契りが安定したいま、平時に感情が流れ込むことはほとんどない。

 命が脅かされれば異変は伝わるだろう。だが、その前に何を思い、何を隠したのかまでは分からない。


 魂をつないでも、言葉は要る。


 怖いのだと。

 助けてほしいのだと。

 帰ってきたいのだと。


「その為の言葉だというのに」


 口にできるまで、まだ時間がかかるのだろう。

 分かってはいても、待つ側の気持ちにもなれと言いたくなる。


 フリッグは長く息を吐き、立ち上がった。


 魔王バロルの魂の行方。

 地球で起きている屍人化現象。

 大地震と、複数の世界で緩み始めた境界。


 そして「特異点」。


 調べるべきことは山ほどある。

 帰還の道を探すと言った以上、休んでもいられなかった。


 白い花々の間を歩きながら、ふと足を止める。


 道を探すと告げたときの、繋の顔が浮かんだ。

 もう一度会えるかもしれない。それだけで、あれほど嬉しそうにする。


 ならば、なおさら叶えてやりたかった。


「……世話の焼ける弟だ」


 自分が勝手にそう思っているだけだ。

 それでも、いまさら他人行儀な距離へ戻るつもりはなかった。


 次に会ったら、まずは無事を確かめる。

 怪我をしていたら叱るし、また無茶を笑って済ませようとしたら、今度こそ長い説教だ。


 だから、そのためにも帰ってきてもらわなければ困る。


「姉の言いつけくらい、守ってみせろよ。ケイ」


 この供養という儀式の果てに。

 あいつが自分の生を赦せるようになってくれれば、と思う。


 返事のない庭園へ言い残し、フリッグは歩き出した。



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