第6話:「ただいま」と再会
2025/8/6 加筆修正済み
2026/6/2 大改稿版投稿
「くそッ! あいつは大丈夫なのか!」
ヒカルは落ち着かない様子で、キャンプ地の周囲をそわそわと歩き回っていた。菊香が何度も「大丈夫だよ」と声をかけていたが、ヒカルの不安は少しも収まらない。
ついには、菊香が落ち着かせるように少し強めの声で言い聞かせる。そこでようやく、ヒカルは「スマン……」と小さく謝った。
ヒカルたちを襲っていたゾンビ化した鹿の群れは、先ほど突如として動きを止め、そのまま近くの森の奥へと姿を消していた。
その異変が、繋の向かった先で何かが起きたことを示しているようで、かえって不安を煽る。
そして一同は、戦闘と逃走で溜まった肉体的・精神的な疲労を癒やすため、比較的安全そうな場所を見つけて野営していた。
「繋さんなら、間違いなく倒して無事に戻ってくるよ」
そんなヒカルに、菊香は困ったように笑いながら声をかける。
正直、菊香自身も繋の安否が分からない今、ヒカルと同じように心が落ち着かなかった。けれど、自分以上にそわそわしているヒカルを見ているうちに、逆に少しだけ冷静でいられていた。
「まさか、近くにClass3がいたとはな……」
辺りはすっかり夜に包まれ、夏原と晴斗が焚き火の準備をしていた。薪がパチパチと音を立て、かすかな火花が闇を照らす。
「渡さん、一人で大丈夫なんすかね……。Class3に遭って生き残った人なんて、俺、今まで聞いたことないっすよ」
不安げな表情でそう漏らす晴斗に、菊香は小さく首を横に振った。
「大丈夫……。繋さんは強いから」
その声は強がってこそいたが、かすかに震えていた。
(分かってる。繋さんが強いことくらい、誰よりも。でも――)
菊香の脳裏に、過去の記憶がよみがえる。
無理をして魔力を使い果たし、青ざめた顔で倒れ込む繋の姿を、彼女は何度も見てきた。
(以前、話をしたとき、ある程度の敵なら倒せるって言っていた)
(けど、それは万全の状態ならの話……。今日一日だって、ほとんど繋さんの魔法に頼りっぱなしだった。きっと、もう魔力は残ってない。そんな状態でClass3と戦うなんて……)
きっと今回も、Class3を倒すために無理をしているに違いない。
――そしてまた、どこかで倒れているのではないか。
そんな不安が、菊香の胸の奥でじわじわと広がっていく。
(繋さん……お願い、無事でいて。早く――帰ってきて……!)
祈るように心の中で願っていた、そのとき――
夜空から、聞き慣れた声が届いた。
「ただいま~」
緩い声で、けれど疲労をにじませた帰宅の言葉が、上空から菊香たちのもとへ降ってくる。
「繋さん!!」
「おい!?」
ヒカルと菊香が一斉に走り出す。ふらふらと空から降り立ち、着地と同時によろけた繋のもとへ駆け寄った。
その後ろを少し遅れて、夏原と晴斗も追いかけてくる。
「遅くなっちゃった……ごめん」
「それは別にいい!! 無事か!?」
「うん、Class3は無事倒したから大丈夫だよ」
「そうじゃねえ!! お前が無事かってことだ!」
「おじさんの言う通りだよ! 繋さん自身は大丈夫なの?」
繋はてっきり、Class3を倒せたかどうかを確認されたのだと思っていたらしい。ヒカルと菊香に強く否定され、「へ……?」と力のない声を漏らして、間の抜けた顔をする。
「お二人は、渡さんの心配をずっとしてたんですよ」
夏原が二人のフォローに入る。繋は、そういう意味だったのかと気づいたように目を瞬かせ、それから少し嬉しそうに「ありがとう、大丈夫だよ」と答えた。
「みんなも無事でよかった」
ヒカルは大きくため息をつき、こちらは菊香の活躍で被害はなかったと説明する。
「おお、それはすごいね!」
「おかげで僕たちも無事でした」
晴斗が「菊香さん、すごくカッコよかったっす」と言うと、菊香は照れたように後頭部へ手をやった。
ようやく張り詰めていた空気が少し和らぐ。
それを見て安心したように、夏原が皆へ声をかけた。
「さ、立ちっぱなしもなんですし、そろそろ座りましょう。ヒカルさんから預かった食材で、大したものじゃないですが、ご飯も作ってあります」
その声に、皆がようやく肩の力を抜いたように焚き火のほうへ歩き出す。
(……本当によかった、みんな無事で……)
全員の無事を確認し、繋は最後に小さく息をついた。
皆の背中を見送りながら、ふとその場で足を止める。そして残った魔力を指先へ集中させた。
「さてと……これくらいは、しておかないと」
地面に静かに魔法陣が広がり、淡い光が瞬きながら周囲に結界を張っていく。
その瞬間、視界が一気にぐらついた。
「繋さん……?」
菊香の声が遠くから聞こえる。意識が深く沈んでいきそうになるのを、繋は必死に引き戻した。
「あ……ごめん。少し、ぼうっとしてただけ。すぐ行くね」
菊香に不審がられないよう、なんとかいつも通りを装う。だが、意識を保つだけで精一杯だった。
その晩、繋は何とか皆と夕食を囲み、テントで眠りについた。
しかし――翌朝。繋の目は開かないままだった。
どれだけ呼びかけても一切応じず、深い眠りに沈み込んでしまったかのように、繋は静かに胸を上下させるだけだった。
◇
「着いたな」
そこは伏見稲荷の近くにある大学のキャンパス。
四大拠点と呼ばれるうちの一つで、東京に次ぐ広さを持つ広大な拠点。それが京都の拠点だった。
キャンパス全体を覆うのは、マンション三階建てに近い高さのレンガブロックで作られた、厚みのある防壁だ。
一行は車をその校門前に停めると、夏原が一歩先に出て校内へ足を踏み入れた。
「俺が先に中に入って、話を通してきます」
そう言い残すと、夏原はそのまま校内へ向かって歩き出す。
「大丈夫かな……」
晴斗は夏原の背を見送りながら、ぽつりと呟いた。
ヒカルと菊香、そして晴斗は車から降り、夏原の帰りを待つことにする。晴斗はそわそわと落ち着かない様子で、不安げにあたりを見回していた。
「さあ、どうだろう……」
菊香も緊張した面持ちで答える。何が起こるか分からない状況に、自然と身体が強張っていた。
しばらくして、「おーい!」と手を振りながら、夏原が駆け戻ってくる。
「うちの拠点のリーダーが、このまま直接会いたいそうだ」
京都の拠点では、難民を受け入れる際、必ず事前にリーダーとの面会が必要らしい。あらかじめ人物を見極めてから選別し、受け入れを決めるのだという。
それを聞いたヒカルは口角を上げ、馬鹿にしたように鼻で笑った。その表情は、露骨なほど不機嫌だった。
「はっ、選別だと? まるで王様気取りだな」
ヒカルの皮肉に、夏原は困ったような表情を浮かべる。
「わかってます。ですが、こんな世界になってしまった以上、善良な人間を守るためにも、選別しないといけない場合が多くあるんです」
夏原は言い淀みながらも、目を伏せることなくヒカルを見つめた。
「実際、うちのキャンプではかなり特殊な方法で選別を行っています。その代わり、拠点内での安全は保たれている。拠点ができてから三年近く経ちますが、今のところ大きな騒動や問題も起きてないんです……」
そこで一度言葉を切り、彼は静かに続けた。
「……理解できない気持ちは、よくわかります。俺も最初は、選別という行為に納得できなかった。でも……リーダーのやり方で、本当に助けを求めていた人たちが守られているのも事実なんです」
ヒカルは目を細めて夏原を見つめ返した。何かを言いかけて、しかし言葉にならないまま口を閉ざす。
そんなヒカルの袖を、菊香がそっと引っ張った。
「おじさん。気持ちはわかるけど、今は争うときじゃないよ。あくまで私たちの目的は、情報収集でしょ」
ヒカルはしばらく黙ったまま、深く息を吐いた。
「……そう、だな」
視線を落とし、やや気まずそうに「……悪かった」とだけ呟く。
夏原はその言葉に首を横に振り、それから小さく頷いた。責めるような色はなく、どこか安堵したような静かな笑みだった。
「ありがとうございます。でも、豪打さんの気持ちも、わかるつもりです」
夏原はそう言って、ふっと目を伏せた。少しの間を置いてから、振り返りざまに声をかける。
「では、自分の後ろについてきてください」
ヒカルは、意識を失ったまま眠る繋の身体をしっかりと背負い直した。菊香と晴斗も、それぞれ無言のまま、不安と緊張をまとって夏原の後ろに続く。
一行は学校の門をくぐり、中へと足を踏み入れた。
校門をくぐれば、そこはまるで終末が世界のどこか遠くで起きているだけだと錯覚してしまうほど、静謐で整いきった別世界だった。
舗装された並木道にはひび一つなく、街路樹の葉が青々と揺れている。花壇には季節の花々が色鮮やかに咲いていた。風に運ばれてくるのは腐臭でも血の匂いでもなく、土と草の青い匂い、そしてどこか懐かしい校舎の乾いた匂いだ。
視線を上げれば、講義棟も体育館も図書館も、どれ一つとして損傷していない。窓ガラスは綺麗に光を弾き、外壁に崩れや焼け焦げも見当たらない。まるで学生たちが昨日まで当たり前に通っていた大学そのものの姿が、時間だけを切り取られたようにそこに残されていた。
それでいて、ただ平和なだけの場所ではない。
通路の要所要所には見張り台が組まれ、校舎の屋上や渡り廊下には監視の人影が見える。生活感のある清潔さと、隙なく張り巡らされた防衛体制に、晴斗は思わず息を呑んだ。
「……すげぇ」
かすれた声で漏れた感嘆には、驚きと困惑が半々に滲んでいた。
まるで戦場の中に、大学だけが丸ごと切り取られて保存されているようだった。菊香もまた、目の前の景色に小さく目を見開いていた。
「……綺麗。びっくりするくらい、普通の大学のまま……」
周囲を見渡すと、拠点民とは別に、警備服や自衛隊のような装備を身にまとった屈強な男女が黙々と巡回している。
彼らの視線は新たな訪問者に向けられ、鋭く、油断のない警戒心が漂っていた。
「ったく、落ち着きやしねえな」
ヒカルがうんざりしたようにぼやくと、菊香が眉を下げながら「仕方ないよね」と苦笑する。
「まあ、私たちは外部の人間だからね。晴斗くんも緊張するでしょ?」
「正直、緊張よりか……怖いって感情のほうが強いっす」
周囲から突き刺さるような視線を向けられ、居心地が悪い以上に恐ろしさを感じてしまう。見慣れない環境と物々しい雰囲気も相まって、晴斗はますます萎縮していた。
キャンパスの奥。
リーダーや各部隊の隊長たちが集まる本部――大学の事務局長室や理事室、そして大会議室が集まる建物へと足を運び、一行はその中へ入っていく。
そのとき、夏原がふと足を止めた。
彼らの目の前には「理事室」と書かれたプレートが掲げられている。夏原はヒカルたちのほうへ身体を向けた。
「ここです」
夏原がドアに手をかけた瞬間、ヒカルが鋭く制止した。
「──待て」
戸惑う夏原に、ヒカルは低く問いかける。
「……お前、本当に何も知らないんだな?」
「え? どうしたんですか?」
その質問の意味がつかめず、夏原は不思議そうに眉をひそめた。隣の菊香と晴斗も、ヒカルから放たれる威圧感にただただ戸惑うばかりだ。
「どけ」
夏原は戸惑いながらも、ヒカルに場所を譲る。ヒカルは繋の身体を背負い直すと、次の瞬間、バンッと音を立てて扉を蹴り開けた。
「なっ……!?」
予想もしていなかった行動に、三人は驚きのあまり息を呑む。
「なんだ? 面会ってのは、殺気まで込めてやるもんなのか?」
いつもより攻撃的で、粗野な言葉が飛ぶ。
ヒカルの視線が、室内の空気を射抜くような殺気を放つ存在へ向かった。
その発生源は、格式ある机の向こうに立つ一人の女性だった。
その左右には、銃を構えた男女が鋭い視線をこちらへ向けている。
その光景を目にした夏原は、青ざめた顔で部屋へ飛び込んだ。
「待ってください! これはどういうつもりですか!」
彼の怒声が、理事室に響き渡る。
「落ち着いてください、夏原さん」
夏原の狼狽とは対照的に、冷静で凛とした声が返ってきた。
リーダーと呼ばれる女性は毅然とした態度で夏原をなだめ、両脇に控えていた護衛たちへ手を振って合図を送る。二人は無言のまま銃を下ろし、部屋の外へ退いた。
「どうぞ、中へ」
攻撃態勢が解かれ、中へ招かれてもなお、ヒカルは警戒を解かないまま足を踏み入れる。菊香と晴斗も、戸惑いながらその後に続いた。
ヒカルたちが中へ入るのを確認すると、女性もまた同じように彼らの前へ進み出る。ヒールのカツン、カツンという音が部屋に響いた。
女性はヒカルたちの前に立つと、深く頭を下げた。
「まずは謝罪を。無礼な対応をしてしまい、申し訳ありません」
先ほどの冷たい態度とは一変した丁寧な姿勢に、ヒカルの表情がわずかに揺らぐ。
「夏原さんにも、すみませんでした」
「い、いえ……。でも、どうしてあんなことを?」
「わたくしが住んでいた世界で、我々と敵対していた魂と同じ気配を感じましたので」
神妙な顔でそう答えた女性は、そこで表情を切り替え、柔らかな笑みを浮かべながら続けた。
「けれど、どうやら誤解だったようです」
窓から差し込む光に照らされ、女性の姿がはっきりと浮かび上がる。
物珍しい緑色の瞳。アッシュグレーの髪を肩まで伸ばし、ポニーテールでひとまとめにした美しい女性だった。
華奢な見た目にもかかわらず、どこか威圧感を感じさせる。
そして、何より目を引くのが彼女の耳だった。
特徴的な長い耳が、ヒカルたちの目に映る。
戸惑う三人をよそに、女性の透き通るような声が、その場の存在感をさらに強めた。
「――初めまして。この拠点のリーダーを務めております、シグルと申します」
そして彼女は、ヒカルが背負う存在へ視線を向ける。
その瞬間、一瞬だけ目を大きく見開いた。
次いで、まるで懐かしい存在との再会を心から喜び、慈しむような笑みを浮かべる。
そして、彼の名を呼んだ。
「――お久しぶりですね、ケイ様」
京都の拠点がどんな場所かの補強だったり、ヒカルとシグルのセリフを主に変更してます。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
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