第6話:アラサートリオ
埼玉の拠点は、十二月の雪にすっぽり埋もれていた。
繋が作った城の白い壁の脇、駐車場には新雪がこんもり積もり、その横には冬吾の大型SUVがどっしりと停まっている。灰色の空は低く垂れこめ、吐く息は白い。しんと冷えた空気の中、三人は車のそばに立っていた。
そこには狼がいた。
いや、狼神煌夜ではあるのだが、名前のほうではない。煌夜の異能である黒い炎が、なぜか剣や別の武器として出力されているわけでもなく――黒い炎で形作られた狼のような耳と尻尾が生えていた。
しかも、その耳はぺたりと伏せられ、尻尾もしょんぼりと垂れている。
全体的に、ものすごく怒られた大型犬みたいだった。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が落ちる。
繋と冬吾の視線を一身に浴びながら、煌夜は居心地悪そうに肩を縮める。耳がぴくりと震え、尻尾の先が頼りなく揺れた。
「……どうしたんだい、その、ずいぶん立派なものを生やして」
繋が慎重に尋ねると、煌夜はうう、と喉の奥で情けない声を漏らした。
「その……繋くんに言われた通り、黒炎の異能の練習してたんだよ」
冬吾と繋は顔を見合わせ、それから改めて煌夜のほうを向く。
「武器として出すだけじゃなくて、もっと感覚を掴めって言ってくれただろ。だから、精神集中して……こう、炎のイメージを深めるみたいな感じで」
「うん、うん」
繋は素直に頷く。
その横で冬吾はすでに口元を押さえていた。笑いを堪えている顔だった。
「それで、最初はちゃんと剣とか短剣とかをイメージしてたんだ。でも途中で、ちょっと意識が逸れて」
「何を考えたんじゃ」
冬吾が訊く。
煌夜は視線を逸らした。黒炎の耳がしゅんと寝る。
「……そういや俺の苗字って、狼神だなって」
「うん」
「狼ってことは、狼っぽい何かもありなんじゃないかって……一瞬……ほんの一瞬……」
「ほう」
「思ったらこうなった」
しょん、と尻尾がさらに下がった。
冬吾はとうとう顔を背けた。肩が大きく震え笑い声を抑えたように声を大きくする。
「なんでそこで連想がそっち行くんじゃ……!」
「俺が一番聞きたいよ!!」
煌夜が半泣きで訴える。黒炎の耳もそれに合わせてぴょこっと跳ねた。
繋はその耳を見た。
次に、しゅんとした目元を見た。それから、項垂れた尻尾を見た。
「…………」
ふらり、と繋が一歩前へ出る。
「え、繋くん?」
嫌な予感がしたのか、煌夜は一歩後ろへ下がった。けれど繋は止まらない。雪を踏みしめてもう一歩、また一歩と近づき、そのまま煌夜の正面に立つ。
そして、背伸びをするように手を伸ばした。
「えっ」
「ううう……ベオウルフ元気にしてるかなあ……大丈夫かなあ……ちゃんと食べてるかなあ……」
「えっ、えっ」
わしゃわしゃわしゃ。
繋の両手が、なんのためらいもなく煌夜の頭へ伸びた。黒炎の耳ごと、髪ごと、頬まで包み込むように撫で回す。
わしわし、もしゃもしゃ。ついでに頬までむにむにと摘ままれる。
あまりにも慣れた手つきだった。まるで本当に、久しぶりに再会した懐かしい弟分を可愛がるみたいに撫でまわす。
「ベオウルフ、あんなに大きかったのに甘えん坊だったんだよなあ……あっ、でも煌夜くん、ちょっと顔つき似てるかも……うわあ、懐かしい……」
「け、繋くん……?」
煌夜は完全に硬直していた。
だが、繋の手は止まらない。懐かしさが増してきたのか、撫でる力が微妙にこもっていく。耳の付け根までわしわしされ、尻尾のほうへまで手が伸びかけた、その瞬間――
「ちょ、ちょっ繋くん、すと、すとっぷうううう!!」
羞恥と動揺の入り混じった悲鳴が、雪に包まれた駐車場へ響き渡った。
繋の手がぴたりと止まる。
「……あ」
我に返ったらしい。繋はぱっと手を離し、目を瞬かせたあと、みるみるうちに申し訳なさそうな顔になった。
「ご、ごめん! 異世界の仲間に狼獣人の子がいて、弟みたいに接してたから……つい懐かしくなって」
てへへ、と困ったように頬を掻く。
「ほんとごめんね、煌夜くん」
煌夜は耳まで真っ赤になっていた。黒炎の耳まで、うっすら熱を持ったみたいに揺れている。
「いや……その……別に……嫌ってわけじゃ……いやそうじゃなくて……心の準備が……!」
「何の準備なんじゃ」
「知らないよ!!」
冬吾が横でとうとう吹き出した。
「ははっ、狼神、お前ほんまに犬みたいになっとるぞ!」
「笑わないでくれ白熊!!」
「ぬははは、無理じゃろこんなん!」
腹を抱えて笑う冬吾に、煌夜はますます不貞腐れる。尻尾が雪の上を掃くみたいに、ふにゃりと揺れた。
「てか、お前も苗字に熊がついてるんだから、できるんじゃないのかよ」
「そんな器用なことはできん!」
冬吾に堂々と言い切られ、煌夜はますますむくれる。
「……いや、待て」
ひとしきり笑ったあと、冬吾がふと笑いを引っ込めた。
その一言で、三人の空気が少しだけ切り替わる。
「てか繋。今あれだけ撫で回しとって、熱うなかったんか?」
「え」
「……あ」
繋と煌夜が同時に顔を見合わせる。
言われてみれば、確かにそうだ。黒炎でできた耳と尻尾なら、本来は触れた時点で火傷していてもおかしくない。けれど、繋の手は赤くもなっていないし、痛がる様子もない。
繋は自分の手のひらを見下ろし、それから煌夜の耳を見る。
「……ほんとだ。全然熱くなかった」
「俺も、触られてる感触はあったけど……燃やしてる感じはしなかった」
「じゃあ、無意識に燃える対象を選択してるのかも」
繋が呟くと、冬吾の目がぱっと輝いた。
「ほいなら、敵だけ燃やして味方には影響せん、みたいな制御ができる可能性があるっちゅうことか!」
「あっ」
煌夜の目が丸くなる。
繋もはっとしたように冬吾を見る。
「それって、冬吾の氷も――」
「おう、ワシの氷もじゃ!」
冬吾の声が弾む。
今までは広範囲をまとめて凍らせる使い方が中心だった。けれど対象を選べるなら、味方を巻き込まずに済む。足場だけ固めたり、敵の武器だけ凍らせたり、そういう小回りも利くかもしれない。
冬吾はもともと強すぎる氷の異能を抑え込みながら戦っている。だからこそ、その制御の幅が広がる可能性は大きかった。
煌夜は自分の手を見下ろし、黒炎をうっすら揺らす。
「繋くんが触ろうとした時、火傷させたくないって思ったんだ。……なら、俺のこれは、失敗じゃなくて新しい可能性ってことか!」
「そうだと思う! 憑依型っていうのかな。それとも異能と武装で、異装って言葉になるのかも」
「おお……!」
「なんか、かっこいいな!!」
そこで冬吾が、足元の雪をざくっとブーツで寄せた。
「よし、せっかくじゃけえ、会議場所作るか!」
冬吾はそう言って、車の横に積もった雪山へ両手を突っ込んだ。ぐいっと抱えるようにして雪を運び、どさりと一箇所へ積む。
突然の提案に、繋と煌夜はきょとんとした。けれど、それもほんの数秒のことだった。すぐに二人の顔つきは、少年のようにぱっと明るくなる。
「いいね!」
「やろう!」
二人は笑い合い、そのまま会話を続けながら雪に手を伸ばした。
三人が手袋越しに雪を寄せ、押し固めていくうちに、白い塊は少しずつ丸みを帯びた小山になっていった。積み上がった雪の表面をぺたぺたと整える。魔法を使えば一瞬だが、こうして一緒に作業するのはやっぱり楽しい。
「まずは先に、耳と尻尾を意図的に出したり引っ込めたりできるようにしないとなあ」
煌夜は雪の形を整えながら、悲哀に満ちた声で言う。
「え~、似合ってるのに。あっ、それだけじゃなくて、炎の鉤爪とか作れそうだよね!」
煌夜は恥ずかしさを隠すようにうぅぅと唸りながらも、両手で雪を抱えて運んでは削っていく。しかし、先ほどしょぼくれていたのが嘘みたいに、黒炎の耳はぴんと立ち、尻尾まで嬉しそうに揺れている。
「ほんとかっこいいよ。煌夜くんの無造作なウルフカットの髪に、百八十センチ以上の高身長でしょ? それにガタイも良いんだ。いやあ、全部ぴったりだねぇ」
あ、幼馴染の褒め癖が始まったと冬吾は隣で止めに入る。
「繋、それ以上はいかん。狼神を褒め殺すつもりか」
「えぇぇ……ほんとのことなんだけどなあ、あっ煌夜くん……」
確かに煌夜は、怒涛の褒め殺しの前に成すすべもなく、真っ赤になった顔を雪に埋めていた。
しかし、繋は口をへの字に曲げる。
まだ足りない。誰かの良いところを見つけると、つい口にしてしまいたくなる。
そういう性分なのだ。
ぬぬぬ、と喉を鳴らしていると、困ったように笑っている幼馴染をその青い虹彩が捉えた。
そうだ、ここにいるじゃないか。逸材が。
確かに小学校の時は自分より小さかった彼が、ある時から見る見る身長を伸ばし、今では百九十センチ近い男前になっている。渋めの二枚目俳優さながらの色気まで出てきているじゃないか。その、もさもさと目元を隠した髪をオールバックにするだけでも、さらに格好よくなるはずだ。
冬吾は、自分が繋の褒め癖の標的になったことに気づき、肩を大きく揺らした。
「け、けいさん?」
なぜか敬語で、後ろずされば、しゃりっと雪を踏む音がやけに響く。
「冬吾さ───ほんっとカッコよくなったよね!!」
マシンガンの如く褒めちぎられ、案の定冬吾も雪の山に顔を埋める事になるのだった。
◇
「あー満足した!」
繋は出来上がった鎌倉の中で、のびのびと背伸びをする。
中では、冬吾が持っていたキャンプ用の折り畳み机を広げ、三人でそれを囲うように座った。その中で、誰よりも満足げなのは繋一人のみ。残り二人は、三十歳になってからというもの容姿について褒められることがなかった男二人だったため、致死量の褒めちぎりを受けて机に突っ伏していた。
(同じ年齢ってのもあって、なんか楽しいなあ)
そんな二人を眺めながら満足そうに微笑むと、繋は三人分のお茶と水筒を空間収納から取り出して置いていく。
しばらくして落ち着いた二人が顔を上げ、お茶を飲みながら話を再開した。
「でね、その異装なんだけどね。試しにさ、その状態のまま、この間作ってた炎の剣って出せる?」
「こうか?」
「よしよし。んじゃ、そのまま、僕の花の魔法剣みたいに浮かすよう念じてみて」
煌夜は未だに耳と尻尾を生やしたまま、繋の言われた通りやってみる。すでにこの間の鍛錬でコツは掴んだ。今の煌夜なら問題なくできる。
「流石! これをあと数本出した上で、その形態のままで近接戦を意識してみて」
近接戦は打撃中心で戦うこと。それも人間だということを意識せず、自分が狼人間だと思うようにして戦ってみて、と繋は説明した。
「狼人間?」
「例えばゲームとかアニメとかで、その鋭い鉤爪で相手を切り裂いたり、その脚力で超跳躍したり、鋭い蹴りをかましたりするでしょ? 接近戦に慣れたら、こんどはその背後の剣を使って投擲できれば遠距離にも強くなるしね」
なるほど、と煌夜は耳をぴこぴこさせながら、繋の言葉を必死に聞き漏らすまいとしている。その姿は健気で、繋は癒やされていた。
「ワシは武器を作る器用さはないけんのう」
「いや、冬吾は本当はできるくせに、やりたがらないだけでしょ」
「け、けい~……!!」
もう互いの溝がなくなったからか、昔のような遠慮のない対応をする繋。
冬吾は、すぱんと言い切られて、手心を加えてくれと悲しんでいた。
「冬吾の場合は奈良の拠点の時にアドバイスした通り、氷の異能の応用はできてたけど、もっと大雑把というかダイナミックでいいかも」
「武術に長けてるし、無理に投擲用の武器を作るより、武術を活かした異能の使い方がいいね」
「むう、想像がつかんのう。この間みたいに、せいぜい氷を纏わせた拳で相手も凍らしたり、雪作ったり、そこら辺を凍らすしか想像できんわ」
「でも、ほら、僕の傷を抑えるために冬吾、傷を凍らせてくれたじゃない? あれを、例えば自分の身体の周囲だけ摩擦を極端に減らす薄氷の膜を張って、最小限の抵抗で走れるようにすれば」
「──なるほどな。高速で動けるようになるのか」
「うん!」
それなら冬吾の得意とする武術で、高速打撃を繰り出すことができる。
特に相手の内部破壊を得意とする冬吾の武術は、氷の異能との噛み合わせもいいはずだ。
「派手めな氷結もできるし、一撃一撃が必殺になりうる打撃もできるようになる。それだけじゃないよ。空気中の水分を瞬時に凍らせて、見えない薄い足場を作って跳んだり、滑走したりすることもできるはず!」
「おお! それはカッコいいな!」
煌夜がそう言うと、冬吾もぱあっと顔を明るくする。
互いに自分の力についての会議が盛り上がる中で、ふと冬吾は気になったことがあった。
「そういや、繋の魔法は炎とか水とか、それこそワシみたいな氷を出す魔法はないんじゃの?」
「あ……えっと、実はね」
繋は説明した。適性というものがあって使える魔法が限られていること。攻撃魔法は初級魔法しか使えない代わりに、自分にはオリジナル魔法があることを。
「この、概念抽出魔法を使って主に戦ってるんだ」
繋は掌の上に、一枚の花の栞をひらりと出現させた。
真っ赤な花弁のグラジオラスが挟まれたその栞を、冬吾と煌夜は不思議そうに眺めた。
「自分だけの固有魔法で、花の意味や花言葉、イメージを抽出して魔法にして戦ってるんだ」
今、自分が実用レベルで魔法にできているのは、
剣のグラジオラス。
槍のリアトリス。
それのみ。
奥義も強化しないといけないが、技も増やさないとな――そう思っていると、冬吾と煌夜が互いの顔を見合わせ、頷いたあと、何かを決心したかのような目になった。
二人の中で何か参考になったのだろうと思い、繋は満足そうに微笑んだ。
もっとも、二人が別のことを考えていると知るのは、この旅の最後になる。
どんな武器を今度は作ろうかと考えていると、ふと繋が「あ」と声を上げる。
「どうしたんじゃ?」
「明日出発する前に、皐月さんに挨拶しなきゃ」
「あの昼行燈なら、城の王の間で酒飲みながら書類見てたぞ」
煌夜の言葉の端に棘があるのは気のせいだろうか。
しかし、いかにもありそうな光景に、繋は呆れたように笑った。
「想像できるなあ……。よし、後で刀をプレゼントしにいこっと!」
「「刀!?」」
物騒なワードが出てきて、二人は狼狽える。
「ほら。皐月さん、刀で戦うんだけど、身体強化の異能が強すぎて刀の耐久が追いつかないことがあるんだ。ずっと気になってて」
相変わらず、よく人のことを見ているというか、考えているなと、冬吾と煌夜は呆れつつも感心するのだった。
大人になる過程で失ったもの、零してしまったもの、取り戻すのに年齢は関係ない。
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