第12話:距離
2025/10/13 加筆修正
カタンと音が鳴った。
「渡さん・・・・・・?」
菊香は繋がいる方を振り向く。テーブルに伏せている繋の姿が目に入り、彼女は急いで彼のところへ向かった。
「渡さん・・・・・・? 大丈夫ですか?」
呼びかけても反応がない。菊香は試しに繋の肩を揺らしてみる。
それでも反応しない繋に焦りを感じるが、ふと確認すると、彼の寝息が聞こえた。
菊香はホッと胸を撫で下ろした。
(寝てる・・・・・・良かった、ただ寝てるだけだ・・・・・・)
菊香は静かに寝息を立てている繋に何かかけてあげられるものはないかと、自分の荷物を探しに行く。
荷物の中から、少し汚れた薄い毛布を取り出し、繋の肩に羽織った。
彼女は繋の肩にかける際、今日一日色々と助けてくれた彼への感謝の気持ちを込めつつ、ゆっくり休んでほしいと思った。
菊香もそろそろ休もうと思い、その場から離れようとした時、テーブルの上にサンドイッチと飲み物が置かれていることに気づく。
サンドイッチが置かれた皿にはメモがあり、菊香はそのメモを取って確認した。
『菊香ちゃん。後で食べてね』
繋からのささやかな優しさを知り、彼女の心は温かくなる。菊香は感謝しながらサンドイッチをいただこうとした。
(でも、せっかくだし)
彼女は折角なので、サンドイッチが置かれた皿と水筒を持ち、海が見えるバルコニーへ歩いて行く。
バルコニーに出ると、夏の夜と海の匂いが漂ってきた。
潮風が菊香の頬を撫で、彼女は大きく息を吸い込んで吐いた。
月明かりと波の音が心地よい。菊香はこんなに静かで穏やかな時間は久しぶりだと感じ、もう夏が来ていたことを思い出す。
生き延びることに必死だったため、季節を感じることさえ忘れていたのだ。平穏な時間は、かつて普通だった時の思い出を呼び起こし、菊香の心を沈ませる。
(夏休みとか・・・・・・懐かしいなあ・・・・・・)
気分が落ち込んでいると、腹の鳴る音が聞こえた。
(こんな状況でも、お腹って減るよね)
菊香は思わず笑い、近くに座れる場所を探して腰を下ろした後、持ってきたサンドイッチを一口頬張る。
(あ、美味しい)
シャキシャキのレタス、しょっぱいハムとチーズ、マヨネーズの酸味、少しのアクセントの辛子、シンプルながらもおいしかった。
一口、また一口と菊香は食べ進め、あっと言う間にサンドイッチを2つ平らげた。
◇
目を覚ました瞬間、ヒカルの視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。
「・・・・・・ここは、どこだ?」
状況が掴めず、思わずつぶやく。
豪打ヒカル(ごうだ ひかる)は、上体を起こして辺りを見渡した。どうやら、テントの中にいるらしい。重い身体を引きずって扉を開けると、簡易な作りの食堂のような空間が広がっていた
そこには、彼がいたテントを含めて三つのテントが並んでいた。そのうちの一つは、仲間の菊香のものだろうとヒカルは予想する。
しかし、彼は自身が気を失った後、どのような経緯でここにいるのか疑問を抱く。
(・・・・・・でも、どうして俺はここにいる?)
気を失った後の記憶がなく、疑念が浮かぶ。そしてすぐに、もっとも大事なことを思い出した。
(菊香は無事か?)
「菊香!どこだ!!」
彼女が無事か確認するため、菊香の名前を大声で呼んだ。すると、背後から「おじさん!」と元気な返事が返ってきた。
振り返ると、そこには無事な様子の菊香と、食堂のテーブルに突っ伏して眠る男の姿があった。
ヒカルは反射的に菊香の元へ駆け寄り、その男から距離を取らせる。警戒心むき出しの目を向けながら訊ねた。
「・・・・・・こいつは誰だ?」
「お、おじさん・・・・・・」
戸惑い気味の菊香だったが、ヒカルの険しい態度をたしなめつつ答える。
「この人は、命の恩人だよ」
「命の恩人だあ・・・・・・?」
ヒカルは信じられないという顔をする。
「うん。海に飛び込もうとした私たちを助けてくれたの」
「だが・・・・・・あれだけのゾンビはどうした? class1とはいえ、あの数をひとりでどうにかできるとは思えねぇ」
ヒカルの疑問はもっともだった。
そう訊かれると、菊香は困った表情になる。彼女自身、それに対する答えは持っているが、言葉で説明しても信じてくれる事は難しいだろうと確信していた。
どう説明すればよいのか悩む菊香に、ヒカルが不思議そうな顔をしながら、さらに問い詰める。
「どうしたんだ?」
その時、ちょうど「おはよう――」という寝起きたばかりと同じような、気の抜けた声が響いた。突っ伏していた男が目をこすりながら起き上がり、こちらに顔を向ける。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ヒカルと男――繋は、無言のまま目を合わせた。
「えっと、初めまして・・・・・・?」
「初めましてじゃねぇよ!?」
ぼんやりとした口調でそう言った繋に、ヒカルは思わず叫んだ。
警戒を強めようとしたヒカルだったが、繋の間の抜けた挨拶に拍子抜けし、「ったく・・・・・・」と頭をガシガシとかく。
その横で、菊香は繋に昨夜の軽食へのお礼と、突然倒れてしまったことを心配して声をかけた。
「渡さん、昨日は大丈夫でしたか?」
「うん、大丈夫だよ」
繋はにこやかに答える。肩にかかっていた毛布に気づくと、「夜、冷えていたので掛けておいたんです」と教えてくれた。
「菊香ちゃん、ありがとうね」
「いえいえ、私の方こそです」
その様子に、ヒカルは目を見張る。
他人に自然と接する菊香を、彼は久しく見ていなかったからだ。ヒカルは繋の姿をじっと観察する。
(・・・・・・若いな。20代前半か。童顔で、しかも・・・・・・前髪、赤く染めてやがる。しかし、若造って雰囲気じゃあねぇな)
一瞬、今どきの若者かと思ったが、繋の纏う空気には場違いな落ち着きがあった。
毒気は抜かれたが、それだけで繋に気を許す理由にはならなかった。しかし、助けてもらったことは事実だった。
ヒカルはしぶしぶ頭を下げる。
「お前が何者かは知らねぇが、とりあえず・・・・・・助けてくれて感謝する」
「いえ、お二人を見つけたのは偶然でしたが、何とか助けられてよかったです」
繋は素直に微笑む。
だがヒカルは、すぐに本題に切り込む。
「class1といえど、どうやってあの大群を対処したんだ?」
彼の目には、見た目からは非力そうな20代の男がどのようにあの群れを捌いたのか信じ難い様子が浮かんでいた。
疑いと警戒を含んだ硬い声色に、繋はどうするべきか少し考えた後、返事を避けるように提案する。
「その前に、朝ごはんにしない? 血を失ってるなら、食べておかないと後がキツいよ」
質問をはぐらかされた事でヒカルは渋い表情をするが、ヒカルははっとする。
慌ててシャツをめくると、刺されていた腹部はきれいに塞がっていた。
「っな――! 傷が塞がってる?!」
驚いたヒカルに、菊香が説明する。
「渡さんが、治してくれたの」
(治した・・・? どういうことだ?)
混乱するヒカルをよそに、菊香は「とにかく座って食べよう」とテーブルへ押していく。
繋は目配せで菊香に「ナイス」と伝え、それに彼女も笑顔で応じた。
テーブルに座らせられたヒカルは、眉間に皺を寄せ、不満げに腕を組む。
もともと強面の顔がさらに凶悪になるが、そんなヒカルを横目に、繋はテーブルにトランクを置き、次々と中からおにぎりや飲み物を取り出していく。
最初は黙ってその姿を見ていたヒカルだったが、次々と出される食べ物にちょっと待てと、とうとう声を上げた。
「まて。いや、なんだその量・・・・・・トランクから何でそんなに出てくるのはおかしいだろ」
「うーん、やっぱり見せた方が早いよね」
困惑するヒカルに、繋は今度は杖を取り出し、くるりと振る。
トランクケースから3人分のお皿とコップが宙を舞いながら、菊香とヒカルの前に整然と配置されていった。このように、繋は口で説明するよりも見せた方が早いと思い、魔法を使ってみせた。
「あー・・・えっと、こんな感じで僕、魔法使いです」
そう言って困ったように笑う繋を、ヒカルは信じられない顔で見つめたのだった。
◇
朝食を囲む中、3人は互いのことや地球の現状について話を交わす。
ゾンビの進化について聞いた繋は、頭を抱えた。
「class1ね・・・・・・」
繋は、地球のゾンビが、既に知能を持つまで進化していることに、繋は驚愕する。
現状、ヒカル達が知っている情報として、ゾンビのclassは3段階あると確認していた。
まだ、class3には鉢合わせした事が無いと言うが情報を教えて貰う。
まず、
class1は何の知能もない人型のゾンビ。
class2は動物型のゾンビ。
そして、Class3になると、
3歳児程度の知能を持つ人型のゾンビになるという。
だが、それだけでは終わらなかった。
Class3は、自分と同じ人型のゾンビを捕食することで、さらに同種をClass4へと進化させる特異性を持っているというのだ
つまり、ただの知能を持つ化け物ではない。仲間を喰らい、その仲間を「進化させる」。
常識外れの成長法。それがClass3だった。
人間を襲うだけでなく、ゾンビ同士で選別と強化を繰り返す。知性と本能を兼ね備え、戦力を増やしながら群れを作る。
まるで、知能ある“種族”のように。
繋はゾッとした。
「・・・・・・まるで、社会性を持つ蟻や蜂のようだ」
魔物の事をフリッグがそう言っていたのを思い出す。
(異世界の”魔物”達がそうであったように。この地球のゾンビも似たような進化を辿っている・・・・・・)
だが、その中心にあるのは捕食と進化。ゾンビ同士が喰い合い、知恵を持ちはじめ、群れとなって進化する。
ただの化け物ではない。これはもう、“新たな人類”のような存在かもしれない 。
(知能まで持ち始める上に進化するって、色々とヤバいよね・・・・・・)
自分が思っていた以上に人類の危機を再認識し、繋の胸に何かが灯る。
(これは僕も、何かしら動かないといけないかもしれないな)
顎に手を当てて思案していると、ヒカルが問う。
「で、お前はこれからどうするつもりだ?」
その言葉に、菊香がぴくりと反応した。
「・・・・・・祖父の家が近くにあって、そこを拠点にしようかなと思ってる」
「ほら、さっきも説明した通り魔法が使えると言っても、魔力量はまだまだ少ないし、落ち着いて休める場所がほしいんだ」
(でも、どうしようか・・・・・・。彼らが良ければ一緒に来て欲しい気持ちもあるんだけど・・・・・・)
ヒカルはその言葉に頷き、しばし黙り込んだ。
彼らの目的地は京都の難民キャンプ。進む方向は真逆だった。
ヒカルは内心、繋が着いて来てくれないかと淡い期待を抱く。
一方、繋はこのまま魔力回復もせずに、彼らと共に付いていくべきか迷っていた。
そんな彼に、菊香がためらいながら口を開く。
「あの・・・・・・渡さん。もし・・・、もし渡さんが大丈夫なら一緒に来てくれませんか?」
「おい、菊香・・・・・・」
ヒカルが驚いたように制止する。
(・・・・・・いや、俺も正直コイツには力になって欲しいと思ってる。だが・・・・・)
繋は顎に手を当てて考える。そして一拍だけ間を置いてから、静かに答えた。
「OK」
「・・・えっ?」
「はああ!?!?」
あまりにも即答で軽い声だった。それに、菊香もヒカルも、断られるとばかり思っていたため、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ほ、本当にいいんですか?」
「うん」
菊香が信じられないといった様子で問いかける。繋は穏やかに微笑みながら頷いてみせる。
その姿に、菊香は胸が苦しくなる。
繋の魔法を必要として声をかけたことに、今さらながら罪悪感が押し寄せてきた。
「ま、待ってください! どうして、どうしてそんなにあっさり承諾できるんですか?」
「私、渡さんの魔法が目当てでお願いしたかもしれないのに・・・・・・!」
言いながら、菊香は様々な思いが胸に込み上がり、彼女の目には涙が浮かんでいた。
そんな菊香に、繋は柔らかく笑いながら答えた。
「僕も、この世界で何かすべきだと思ってたんだ。それに僕なら、僕の力なら2人だけじゃなくて、色んな人を救えるかもしれない」
(こいつ・・・・・・)
そう強く言う繋の姿にヒカルは何処か危なっかしい雰囲気を感じ取る。
しかし、彼の発する言葉は優しくて明るく、希望を感じさせるには十分だった。
「何より、僕自身が君たちの力になりたいと思ったからね」
そう言って繋は、気を張る彼女を和ませるように、片目をつむってウィンクしてみせた。
その言動に、ヒカルの胸にふと引っかかるものがあった。
(・・・・・・どこかで、聞いたようなセリフだ)
(いや・・・・・・待て。昨日から俺に何が起きている)
胸の奥に広がる違和感を振り払うように、ヒカルが思考を巡らせていると──
「ヒカルさんはどうかな?」
優しく穏やかな声で自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。
顔を上げると、繋と目が合った。
その眼差しに、ヒカルは内心の迷いを見透かされたような気がして、わずかに息を呑む。
ヒカルも菊香と同じ事を思っていた。
確かに、繋の魔法があればどれだけ助かるかは分かっていた。
だが、その優しさに甘えることが、自分のプライドに反するようで、心がざわついた。
けれど──
自分がまた何かあった時、菊香をひとりにしてしまうかもしれない。その可能性を考えたとき、彼は口を開いた。
「何度も確認するが・・・・・・本当に、いいのか?」
「う〜ん・・・・・・それなら、一つだけ条件があるんだけど。いいかな?」
やはり無償で手を差し伸べると不信がってしまうよね。と思った繋は試しに条件を出してみる。勿論、条件という条件の内容ではない。寧ろ繋のお願いだったりする。
「お前が来てくれるなら、条件でも何でも言ってくれ」
ヒカルは繋が条件を出してくれたことで、安心する。しかし、何をしたところで対価には見合わないかもしれない。だから、どんな条件でも受け入れるつもりだった。
菊香も目尻に溜まった涙を拭いながら、「何でも言ってください」と強く頷いた。
そんな二人に繋は少し面食らったように目を丸くし、慌てて手を振る。
「そ、そんなに構えないでよ! たいしたことじゃないんだ。ただ・・・・・・」
繋は一呼吸置き、少し照れくさそうに続ける。
「僕の魔力の回復がどうしても必要だから・・・・・・よかったら、二人とも一か月くらい、僕の祖父の家で一緒に暮らさない?」
案の定、2人は固まる。信じられないものを見るような目で見てくるのだから、繋は内心困ってしまう。繋は「ならば」と思って、場の空気を和ませようと、普段の自分らしくもない冗談を口にした。
「ほらほら、そんなに目を大きく見開くように驚いた顔をしてたら、目玉が落ちてしまうよ?」
繋は、おどけた風に言って見せるが、直ぐにらしくないと感じ始め、頭後ろに手を当てながらえへへと誤魔化す様に笑う。
しかし、顔がほんのり赤くなっている事に2人は気付き、菊香は思わず涙をにじませながら笑い出し、ヒカルも呆れたように鼻を鳴らしつつ、心の奥でほっとしたように口元を緩めた。
そしてこの出会いが、世界の命運を動かす大きな動きの、第一歩になる。
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