第11話:初めまして
警戒を強めようとしたヒカルだったが、繋の間の抜けた挨拶に拍子抜けし、「ったく……」と頭をガシガシとかく。
その横で、菊香は繋に昨夜の軽食への礼と、突然倒れてしまったことを気遣う言葉をかけた。
「渡さん、昨日は大丈夫でしたか?」
「ごめんね……いつの間にか寝ちゃってたみたいだ……」
繋は申し訳なさそうに答え、肩にかかっていた毛布に気づく。菊香は手を後ろで組み、少し照れたように言った。
「夜、冷えていたので掛けておいたんです」
「ふふ……そっかあ。菊香ちゃん、ありがとうね」
「いえいえ、私の方こそです」
そんなふうに穏やかに言葉を交わす二人を見て、ヒカルは目を見張った。
菊香が、こんなにも自然に他人と話している姿を、彼は久しく見ていなかったからだ。
だからこそ、余計に気になる。
ヒカルは繋の姿をじっと観察する。
(……若いな。二十代前半か。それともただの童顔か? 前髪が赤い……染めてるのか、いや地毛か)
一瞬、今どきの軽い若者かと思った。だが、繋のまとう空気には妙な落ち着きがあった。
(どう見ても、ただの若造じゃない)
穏やかで、力が抜けるほどふわふわしている。
警戒を保とうとしても、どうにも調子が狂う。
だが、それで信用するほど甘くはない。助けられたのは事実だが、それと素性は別だ。
ヒカルはしぶしぶ頭を下げた。
「お前が何者かは知らねぇが、とりあえず……助けてくれて感謝する」
「いえ、お二人を見つけたのは偶然でしたが、何とか助けられてよかったです」
繋はそう言って、こてんと首を傾けながら微笑んだ。
その気の抜ける仕草に、ヒカルはかえって眉をひそめる。
「…………class1といえど、どうやってあの大群を対処したんだ?」
礼は言った。だが、それで終わる話ではない。
あの数を前にして生き残るだけでも難しい。まして、自分たちまで助けるなど普通ではありえなかった。
疑いを隠さないヒカルの声に、繋は少し視線を泳がせたあと、困ったように笑う。
「そ、その前に、朝ごはんにしない? 大量出血してるし、食べておかないと後がキツいよ?」
はぐらかされたことにヒカルは露骨に顔をしかめた。だが、次の瞬間、その言葉に引っかかる。大量出血――その一言に背筋が冷えた。慌ててシャツをめくると、刺されていた腹部はきれいに塞がっていた。
「っな――! 傷が塞がってる?!」
驚くヒカルに、菊香がすぐに答える。
「渡さんが、治してくれたんだよ」
「治した……? どういうことだ?」
混乱するヒカルをよそに、菊香は「とにかく座って食べようよ」とテーブルへ押していく。
その様子に、繋は目配せで「助かった」と伝え、菊香も小さく笑って応じた。
テーブルに座らされたヒカルは、腕を組んで不満げに黙り込む。
眉間の皺は深いままだった。
だが、繋はそんな視線を気にする様子もなく、テーブルにトランクを置いて、中からおにぎりや飲み物を次々に取り出していく。
最初は黙って見ていたヒカルだったが、その量が明らかにおかしいと気づいた瞬間、とうとう口を開いた。
「おい、待て。なんだその量……トランクからそんなに出てくるのおかしいだろ」
「うーん、やっぱりこう見せた方が早いよね」
繋は困ったように眉を下げると、今度は杖を取り出し、くるりと円を描くように振った。
すると、トランクケースから三人分の皿とコップが宙を舞い、菊香とヒカルの前に整然と並んでいく。
目の前で起きたことに、空気が止まった。
「えーと、その……信じられないかもだけど、こんな感じで僕、魔法使いです」
そう言って笑う繋を、ヒカルはまじまじと見つめるが、冗談を言っている顔ではなかった。
◇
朝食を囲みながら、三人は互いのことや、今の地球の状況を話し合った。
ゾンビの進化について聞くうちに、繋の表情は次第に険しくなっていく。
「class1、かあ……」
地球のゾンビは、ただ人を襲うだけの存在ではない。
すでに知能を持つ段階にまで進化しうる――その事実に、繋は息をのんだ。
ヒカルたちが把握している情報では、ゾンビのclassは三段階ある。
まず、class1は知能を持たない人型のゾンビ。
class2は動物型のゾンビ。
そしてclass3になると、三歳児程度の知能を持つ異形の人型になるという。
だが、脅威は知能だけではない。
class3はclass1を大量に捕食する。
共食いを重ね、その先に至る存在なのだという。
「……まるで、進化の途中にある生物みたいだね……」
人間を襲い、ゾンビ同士で喰らい合い、強くなり、群れを作る。
その在り方は、もはや災害というより“種”に近い。
繋の背筋に、ぞわりと悪寒が走った。
(異世界の“魔物”たちに似ている……)
知性を持ち、数を増やし、力を蓄え、やがて勢力になる。
かつて見てきた脅威の形と重なるからこそ、その危うさがよくわかった。
(このまま放っておいたら、きっと取り返しがつかなくなる)
それは、人類の危機だった。
そして同時に、自分が見過ごしていいものでもなかった。
胸の奥で、かつて勇者一行として旅をした頃の感覚が静かに熱を帯びる。
困っている誰かがいて、救える力が自分にあるなら動くべきだ――その思いは、世界が変わっても消えていない。
(僕も、動かなきゃいけない)
顎に手を当てて考え込んでいると、ヒカルが口を開いた。
「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」
その問いに、菊香の肩が小さく揺れる。
彼女もまた、その答えを聞きたかった。
「……祖父の家が近くにあって、そこを拠点にしようかなと思ってるんだ」
繋は二人の顔を見てから、続ける。
「魔法が使えるって言っても、今は魔力量が少ないし、ちゃんと休める場所がほしくて」
それは事実だった。
今の自分は、できることが多いようでいて、無制限に戦えるわけではない。
だから本来なら、まずは拠点を確保するべきだ。
けれど――
(できれば、この二人も放っておきたくないんだよね……)
彼らの目的地は京都の難民キャンプ。進む方向は真逆だ。
だからこそ、口には出せない。
逆にヒカルの胸には、繋がついて来てくれたらという期待が確かにあった。
一方で、その願いを抱くこと自体が癪でもある。
助けられた上に、さらに頼る。
そんな構図を、彼は簡単にはプライドが許せなかった。飲み込めなかった。
沈黙が落ちる。
その重さに耐えきれなくなったように、菊香が小さく息を吸った。
「あの……渡さん。もし……もし渡さんが大丈夫なら、一緒に来てくれませんか?」
「おい、菊香……」
ヒカルが驚いたように制止する。
だが、その声に本気の否定はなかった。
繋は顎に手を当てて考える。
短い沈黙のあと、静かに答えた。
「うん、わかった」
「……えっ!?」
「はああ!?」
あまりにもあっさりした返事に、菊香もヒカルも目を見開く。
断られるか、少なくとも迷われると思っていたのだ。
「ほ、本当にいいんですか?」
「ふふ、うん」
繋は穏やかに頷く。
その迷いのなさが、今度は菊香の胸を締めつけた。
頼ってしまった。
しかも、自分はきっと彼の魔法を当てにしていた。
そう思った瞬間、安堵より先に罪悪感が押し寄せてくる。
「ま、待ってください! どうして、どうしてそんなにあっさり承諾できるんですか?」
「私、渡さんの魔法が目当てでお願いしたのかもしれないのに……!」
声が震える。
言葉にしてしまったことで、胸の奥に押し込めていた後ろめたさまであふれ出した。
自分は結局、繋の優しさに甘えようとしているだけではないのか。
そんな思いが、菊香を苦しめていた。
そんな彼女に、繋はやわらかく笑った。
「僕もね、ヒカルさんの話を聞いて、この世界で何かすべきだと思ってたんだ」
一度言葉を切り、まっすぐに二人を見る。
「それに僕なら、二人だけじゃなくて、もっと色んな人を救えるかもしれない」
それは気休めでも、善人ぶった台詞でもない。
繋にとっては、ごく自然な実感だった。
助ける力がある。
それなら使うべきだ。使わない理由の方が見つからない。
「────何より、僕自身が君たちの力になりたいと思ったからね!」
そう言って、繋は気を張る彼女を和ませるように片目をつむる。
その言葉に、ヒカルは目を細めた。
(…………こいつ)
まっすぐすぎる。
迷いなくそんなことを言える人間を、ヒカルは簡単には信用できない。
優しい人間ほど、壊れる時は脆く崩れる。
綺麗事を言う人間ほど、現実に踏みつぶされた時の反動が大きいことも知っている。
だから胸のどこかで、危ういと思った。
救うことを当たり前のように背負うその在り方が、少し怖かった。
(……にしても、どこかで聞いたようなセリフだな……)
引っかかる。
昨日からずっと、何かが胸の奥に刺さっている。
(いや……待て。昨日から俺に何が起きてる)
その違和感を振り払うように思考を巡らせていると、
「ヒカルさんはどうかな?」
優しく穏やかな声が、自分の名を呼んだ。
顔を上げると、繋と目が合う。
その眼差しに、ヒカルは一瞬息をのんだ。
見透かされた気がした。
自分が頼りたいと思っていることも、だが素直にそれを認めたくないことも。
ヒカルは奥歯を噛む。
繋がいれば助かる。それは間違いない。
だが、その優しさに甘えることは、自分の弱さを認めることでもあった。
それでも――
もしまた自分が倒れたら。
その時、菊香を一人にしてしまうかもしれない。
その想像が、最後の抵抗を砕いた。
「何度も確認するが……本当に、いいのか?」
「うーん……それなら、一つだけ条件があるんだけど。いいかな?」
その言葉に、ヒカルの肩からわずかに力が抜ける。
見返りがある方が、まだ受け取りやすい。無償の善意は、どうしても居心地が悪い。
「お前が来てくれるなら、条件でも何でも言ってくれ」
ヒカルは即答した。
どんな条件でも、今さら惜しむつもりはなかった。
菊香も涙を拭い、「何でも言ってください」と頷く。
そんな二人に、繋は少し面食らったように目を丸くした。
「そ、そんなに構えないでよ! たいしたことじゃないんだ。ただ……」
一呼吸置いて、少し照れたように続ける。
「僕の魔力をちゃんと回復させたいから……よかったら、二人とも一か月くらい、僕の祖父の家で一緒に暮らさない?」
二人はそろって固まった。
繋としては、かなり現実的な提案のつもりだった。
移動を続けながらでは魔力の回復効率も悪いし、治療や結界を安定して使うにも拠点がいる。
だが、その説明をする前に二人の反応が止まってしまったので、繋は少し困る。
なんとか空気を和らげようとして、彼はらしくない冗談を口にした。
「そんなに目を見開いてたら、目玉が落ちてしまうよ?」
おどけたつもりだった。
だが、言ったそばから自分でも妙に気恥ずかしくなり、頭の後ろに手をやって「えへへ」とごまかすように笑う。
その頬がほんのり赤いのを見て、菊香は思わず吹き出した。
涙のにじむ目のまま、それでも今度はちゃんと笑う。
ヒカルも呆れたように鼻を鳴らした。
だが、その胸の奥にあった張りつめたものは、少しだけほどけていた。
警戒はまだ消えない。
罪悪感も、それぞれ簡単には片づかない。
それでも今この場で、三人の気持ちは確かに同じ方向を向き始めていた。
そしてこの出会いが、世界の命運を動かす大きなうねりの、最初の一歩となる。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションのどれかを押して頂けると更新が頑張れます!




