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「お話というのは何でしょう?」

「単刀直入ですね」


 アリスが扉を閉ざしたのを確認してから、ベンジャミンは話を切り出す。



「エリシア先生、貴女はエストランテのご出身だったのですね」


 ピクリとエリシアの肩が揺れ、碧眼が途端に鋭くベンジャミンを見据えた。



「…………お調べになられたのですか」

「大切な弟の恋人ですから」

「…大切…」


 どこか嫌味のようにエリシアは反芻する。



「ですがまずは、謝罪をさせていただきたい。

我が王家が不条理に貴女を巻き込んでしまったこと、本当に申し訳ない」


 まだか弱い少女が魔力暴走を起こす少年を暗殺する役目を負わされ、暗殺に失敗すると今度は王家に処分されそうになった。それを逃れても知らない地で一人、ここまで生き抜いて教師になられるまで、多くの苦労があったことだろう。

 ベンジャミンは心からそう思い、頭を下げた。



「…謝罪は受け入れます。ですが殿下のせいではありませんし…過ぎたことです」


 “弟”という言葉が相当頭に来ていたのか、エリシアはぶっきらぼうに言い放った。



「実は、今回私がバルティーナに来た理由も、弟にあります」


 しかしその言葉にはエリシアもじっと耳を傾けていた。



「父は弟に出征命令を下し…ご存知かもしれませんが、弟はそれを受け入れませんでした。

父は弟を従わせようと弱点を探るため私をバルティーナに送ったのです」


 七年前の神の咆哮。


 あの日、王都や王宮が半壊してから、国の財政は逼迫した。

 商人がみるみる流出して国内の経済状況は悪くなり、王都と王宮の復旧にもかなりの時間を要した。

 更にはそんな状況を好機だと捉えた北の国がエストランテ奪還を狙ってきた。


 それなのに被害に遭った多数が騎士だったこともあり、名誉高い騎士の志願者が減り、国の軍事力は以前の半分以下と言っても過言ではなかった。



 だから父上は今更ながら弟を呼び戻してでも、対抗させたいのだろう。



「そして弱点はきっと、貴女でしょう」


 デリックが暴走するほど愛している人。


 校内で見かけるといつも無愛想で、どんな女子生徒に迫られても顔色一つ変えない弟が、エリシア先生を見つけると微笑んで駆け付ける。



「…国王陛下にご報告なさるのですか」

「もしそうならば、どうしますか」


 無様に震える手を握りしめて、エリシアは平静を努めていた。しかし顔色は真っ青で、海のような色味の瞳の行方も忙しない。



「私がどうこうできる問題ではない事は確かです。

…ですが、きっとデリックが黙ってはいませんよ」


 あんなに怯えているのに、脅しに掛かるとは…。

 ベンジャミンはふっと吐息で笑った。


「そのつもりがないからこのように話しているのですよ」




 デリックの交友関係はエストランテにいるうちに把握していた。


 ギルバート・ティンダル。

 デリックが入学した当初隣の席だった人物。


 ターナー・サンフォード。

 学園の寮でデリックと同部屋の人物。



 校内でデリックの姿を見掛けることは少ないということから、彼らと親しくなって近付いていけば良いと思っていた。

 …入学式の日までは。



 その目をつけていた二人が、仲良さげに話していたのは一人の教師だった。


 華奢な肩に細い手足をした、ハニーブロンドの波打つ髪が眩く、青い瞳が輝かしい女性。王宮にいても違和感のないほど気品に溢れ、年も自分と近いように見えた。

 あの人は、新任教師で紹介のあった……。



 三人の会話にデリックという言葉が聞こえて、ベンジャミンは一歩踏み出していた。



『誰だ。エリシアに触ろうとしたやつは』


 そして魔法で弾かれた際にデリックが現れたのを見て、確信した。



 本当に近付くべきはエリシア・リンデンなのだと。


 

「貴女は弟の恋人として学園では有名人です。そしてエストランテより送られた何人もの諜報員が確認し、既にその情報は王家に送られている事でしょう」


 父上は私だけでなく、諜報員までバルティーナに送り込んできた。

 私を信用していないのか、弟に対する警戒心が強いのか。

 


「貴女がエストランテの国民だったと知られるのはまだ先になると思います。ですがいずれ、それを知った国王が貴女に何らかのアクションを起こしてくるはずです」


 デリックには心から想う人がいて、その人はエストランテの国民だった。

 今は死亡したことになっているが、生きていたと分かれば狡猾な父上はそれを利用しないはずがない。


「エストランテの使者には十分注意してください」



 身の毛がよだつ話を聞いて、エリシアは腕をさすっていた。

 彼女もある程度は予測していたのかもしれない。

 生唾を呑んだエリシアは緊張した面持ちだったが、

取り乱すことはなかった。


「ご自身が狙われているという危機感だけは忘れないでいただきたい。

貴女がいなくなっては弟も悲しむことでしょう」



 “弟”という言葉を使っても、エリシアはもう不快そうな顔をすることはなかった。


「それから…。弟をよろしくお願いします」

「……はい…。ご忠告ありがとうございます…」


 ただ受け入れられず困惑したように力無い返事をして、今度こそ部屋を出て行った。




♢♢♢





「王家に送れば“あれ”の味方をする大臣も黙らせることができるのに、内々に処理なさるのですか?」

「父上が憤慨なさったら八つ当たりされる大臣たちが可哀想だろ?」


 

 体が回復したベンジャミンは早くも公務に戻り、ブルーノの店の請求書を処理していた。


「それにしても、魔力を持つ人間というのは皆ああなのですかね。唐突に殿下を睨み付けてきたと思ったら逃げる暇もなく…」

「あはは。氷漬けが効いたようだね」

「あれだけは二度と御免です」


 珍しくミカエルがげんなりとした姿にはベンジャミンも笑いが込み上げた。



「それにいくら“あれ”が王子とはいえ、名ばかりの立場です。殿下が罰する理由はいくらでもあるのに、何もされないつもりですか?」


 王族を殺害しようとすればそれが同族であっても許されることはない。

 だが…。



「余計な荒波を立てたくないんだ」

「…そういうお優しさはいつか殿下の首を絞めることになりますよ」

「肝に銘じておくよ」


 デリックの過去は悲惨なものだった。

 生まれてすぐに魔法で母親を殺してしまったために、誰も恐れて寄り付かず、そのうち何人もの死者を出した。


 常に乳母や護衛が着いていた私は、会いたいと訴えても周囲に反対されていた。そして一度も会いに行くことが叶わないまま、デリックは3歳を迎える前に魔獣の住む魔窟の森に捨てられた。



『殿下。どうかこの子を守ってやってください』


 

 その願いを聞き届けられず、しばらくは後悔の念に駆られた。

 デリックに関する話題は王宮では徹底的に禁じられ、少しでも噂をすれば容赦なく処刑された。

 

 父上は悪魔の子と忌み嫌い、それは王宮に勤める騎士や侍女たちも同様だったが、一時は世間から忘れ去られていた。

 状況が変わったのは初めて神の咆哮が起こり復旧に手一杯だった頃。隣国バルティーナにある魔塔の代表者、魔塔主がエストランテを訪問したことがきっかけだった。



『デリック王子殿下を我が魔塔の後継者として迎えたい』


 父は暗殺者を送り込んでも死なないデリックが居なくなることを厄介払いができたと大いに喜んだ。

 当時は世間でも話題になり、母親を殺した上、魔物のいる森で七年も生き延びたデリックのことを、人は化け物、怪物と呼び、恐れ嫌うようになった。


 そして後に私は、魔窟の森にいたデリックに何百人もの暗殺者が送られたことを知った。



 幼かった私には何も出来なかった。

 それでも。


 当時同じように幼かった弟に何もしてやれなかったことに、罪悪感を覚えた。





♢♢♢





「ベンジャミン様」


 駆け寄ってきたアリスは、夜の庭園だというのに薄い羽織り一枚しか着ていなかった。



「アリス嬢。どうなさいましたか」

「バルコニーからベンジャミン様の姿が見えたので」


 心底嬉しそうに頬を緩めるアリスを見ていると、心を痛めていたベンジャミンも気持ちが安らいだ。



「女性がこんな時間に一人で外に出ては危険ですよ」

「すみません。でもっ…殿下もまだ、本調子ではないですよね…?」


 聖女だからなのか、何なのか。

 彼女は私の具合まで見抜いているようだった。


「どうしてお分かりになったのですか」

「分かりますよ」


 アリスはベンジャミンに両手をかざして祈りを込める。

 首の痺れるような痛みが消え、心も軽くなった気がした。



「ベンジャミン様のことですから」


 アリスが笑う度、ベンジャミンは心の安寧を感じていた。


 彼女はいつも私の予想を超えていた。

 突拍子のない行動をすることもあるが、それさえも彼女の持ち前の明るさの前では楽しみに変わった。貴族らしくない彼女の温かな振る舞いに、日々癒しを感じていた。




「………あの時、どうしてエリシア先生を貶めるような真似をなさったのですか」


 だからあの日、アリス嬢があんなことをしたことに驚愕した。

 

 表情が固くなったアリスは目を潤ませて俯く。横を向かれると淡いピンク色の髪が風で浮かんで表情を隠した。


「……急用ができたと言ったあの日。

ベンジャミン様は私ではなく、エリシア先生を送りましたよね」


 ベンジャミンは数週間前のディナーの夜を思い出した。


「ベンジャミン様に誘われた時、すごく嬉しかったんです。でも肝心のベンジャミン様は会話はどこか上の空で、ずっと個室の外を気にしてました。

それで気付いたんです。私はエリシア先生と会うために誘われただけだったんだって」


 いつもは明るいアリスの声が、か細く震えていた。

 今になって、自分の軽率さに後悔が押し寄せる。全ては私が招いたことだったのか…。



「身勝手だったことは分かってます。もうしません。

でも…私を利用して他の女性と会われるくらいなら、いっそ………」


 その先を言うことなく、アリスは唇を噛んだ。



「……アリス嬢」


 ベンジャミンが伸ばした手を待つことなく、アリスは背を向けてしまう。

 止まる間も無くホテルに戻っていく後ろ姿を、ベンジャミンは見送ることしかできなかった。

 


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