7-6
ようやく唇が離れると、エリシアはぜえはあと肩で息をした。
「…初めてなのか?」
浮き足だったような声に苛立ちを覚える。
こっちはこんなに疲れてるのに、何で余裕そうなの…!?
「そう、です、けど…!」
その返答に満足したように、デリックはふっと口元を緩めてエリシアをきつく抱きしめた。
「好きだ、エリシア」
僅かに沸いた怒りも、そんな事をされれば消え去っていった。
ピクリと指先の動いたベンジャミンが唐突に咳き込む。
「ベンジャミン様!」
悲痛なアリスの叫び声にハッとした。
こんなことしてる場合じゃない…!
「デリック!氷を元に戻して!」
「分かった」
機嫌の良くなったデリックは素直に指先を動かす。
一瞬にして氷が溶けていくと、氷漬けにされていた王立学院の生徒たちが椅子から倒れ落ちた。
「医者を呼んできてくれ!」
「分かりました!」
そんな言葉が聞こえてきて、エリシアも椅子から降りようとすると、腰に腕が回る。
見上げるとデリックがにこりと微笑んでいた。
「エリシア」
「…はい」
「もっかい」
「え?」
「キス──」
その口を手で覆ったが、もう遅い。
「エリシアちゃん大胆〜」
「道理で静かだと思いました」
やってきたギルバートとターナーに茶化されてしまった。
「っ下ろして!」
「嫌だ」
「嫌いになるよ!」
ピタッと動きを止めたデリックがエリシアを解放する。
その間も壁際にいた客や従業員から視線を浴びていて、正直今すぐに立ち去りたいほどの居心地の悪さだった。
「もうっ…」
「そこまで言わなくても…」
「デリックには致命傷ですよ」
「言う事を聞かないからです」
振り返るとデリックは随分と沈んでいたが、今はそれどころではない。
倒れたベンジャミンには駆け寄ったアリスがすぐに聖力で回復させていたから、命に別状はなさそうだった。従業員が震える生徒たちに毛布を掛けていると待機していたのか医者が駆け付ける。
エリシアが生徒たちの前に立っても、憔悴しきった生徒たちは何かを言い返す気力もないようだった。
「皆さん。この度は皆さんを巻き込んでしまい本当に申し訳ございませんでした」
いつもは張り合う女子生徒たちも、この日ばかりは青ざめた唇を震わせて黙り込んでいる。
そのうち医者の指示で外へと連れ出されていった。
人的被害はもちろん、器物破損も良いところだった。
穴の開いた天井からは太陽の光が差し込み、壁や床は傷だらけ、テーブルや椅子は壊れ、食事や食器類は床に散乱していた。
「他の皆さんに温かいスープをお出ししてくれ。手が空いている者たちは床に注意しながら片付けを!」
乱れた服を正して遠くで指示を出していた人物は、ここに入った時にデリックを歓迎していた支配人だった。
「支配人の方でしょうか」
「はい。私が支配人のブルーノでございます」
エリシアは令嬢の気品を欠かさない程度に深々と頭を下げた。
「この度は大切なお店をこのようにしてしまい申し訳ございませんでした」
ブルーノは目を瞬かせると大きく首を振った。
「いえ、とんでもない」
「修繕の費用は全て私が持ちます。ですのでどうか、今回の事をお許しいただけないでしょうか」
きょとんとしたブルーノはしばらくしてから穏やかに微笑んだ。
「魔塔の後継者はとても良い方を伴侶に選ばれましたね」
………伴侶……。
こんな時なのに嬉しさが込み上げエリシアは照れ笑いをした。
「修繕費は私に請求してください」
医師に肩を支えられ連れられようとしていたベンジャミンは戻ってくると小切手を手渡した。
「今はウェイスターホテルに宿泊しています。
何かあればご連絡ください」
「ベンジャミン殿下…!」
今回の被害者と言っても過言ではないベンジャミンが、何故そこまでするのか。
「王家の失態ですから。それに…」
ベンジャミンはターナーたちと話し込むデリックを見つめた。
「……では、私はこれで。実はもう立っているのも限界で」
「っそうですよね。引き留めてしまい申し訳ございません…。後日お礼に伺います」
こんな時でもにこりと微笑んで、ベンジャミンは医師に支えられて去っていった。
「早とちりし過ぎなんだよ」
「うるせー」
「外には雷雲が来てた。危なかったようだな」
「デリック」
顔を上げたデリックは途端に微笑んでご機嫌だった。尻尾でもついていたらぶんぶん振っていたことだろう。
こんなにお店をめちゃめちゃにした張本人のくせして……。
「手出して」
不思議そうにデリックが差し出した右手を取り、エリシアは懐から出したハンカチを巻いていく。白いハンカチはすぐに血を吸収して赤く染まった。
「こんなになるほど握ったりしないで」
エリシアがじっとデリックを見つめると、デリックは意外そうに目を見開いていた。
そんなに驚くことかと思っていると、ターナーとギルバートも同様の反応だった。
「…エリシアちゃん、その程度の傷なら、俺だって治せるよ?」
「え…」
遅れてから、しまった、と思う。
デリックも回復魔法使えるんじゃん…。
「じゃあこれはいらな───」
ハンカチを解こうとすると、デリックが手を引いてしまう。
「いい」
「え?治せるんでしょ?」
「…このままにする」
せっかく治せるのにそんな選択肢があるのか。
「痛いでしょ?」
「痛くない」
何故そんな嘘を吐くのか。
突っ込み所は満載だったが、疲れきっていたエリシアは深く問うことはしなかった。
♢♢♢
幸いブルーノのお店側は事を荒立てることはなく、学園ではクラウザー教頭先生から注意が入っただけで済んだ。
魔塔の方でも大きく取り上げられることはなかったと、エリシアはカーライルづてに聞いた。
「この度は本当に申し訳ございませんでした」
首都の一流ホテル、ウェイスターホテルの一室に集まっていたのは、今回の被害者である王立学院の生徒たちだった。
「エリシア先生のせいではないだろ…」
「そうですよ。顔を上げてください」
アルベルトとミカエルに励まされたが、女子生徒たちから声はない。
これで恨まれでもして、またあの時のようなことが起こったら嫌だな…。
そう思いながら、エリシアは言葉を待っていた。
「……正直他国で死んでしまうかと思いました。家族に挨拶もできないのかと」
オフィーリアが沈んだ声でそう呟くと、他の令嬢たちも続いた。
「命が助かったのは奇跡だと思いました」
「…私たちを助けるために粘り強く訴えていた声は、凍らされている時も聞こえておりましたわ」
また罵倒されるのかと思いきや、こちらもどちらかといえばエリシアに肯定的だった。
「助けていただきありがとうございました」
カトラリーの件でエリシアを避けていたカシアも、その日は笑顔を見せた。
仲違いせずに済んだことに安堵したエリシアは、次に休養中のベンジャミンの部屋に案内された。
「エリシア先生」
顔を上げたベンジャミンはいつもの微笑みを浮かべた。そのそばの椅子には仏頂面のアリスの姿もあった。
「王国の王太子殿下にご挨拶申し上げます。
お加減はいかがですか」
学園の外ということもあり、エリシアは恭しく帝国式のカーテシーで挨拶をした。
「来週には学園に戻れそうです」
「それは良かったです」
首には包帯が巻かれていたけれど、顔色はあの時に比べたら大分良くなってる…。
「アリス嬢が聖力を使ってくれたお陰で免疫力も高まって回復が早いと言われました」
「ありがとうございます、アリスさん」
「先生のためにしたわけじゃないですけどね」
ムッとした顔で返してきたアリスは、相変わらずエリシアには愛想がない。
「それから、修繕費に関しても。何とお礼を申し上げたら良いのか…」
「あのくらい構いませんよ」
爽やかに微笑んでるけど、あれだけで私の今年の給与が消えていたかもしれない。本当に感謝だ。
「まだお身体が優れないと聞きましたので、長居は遠慮しておきますね」
「お待ちください」
挨拶だけして帰ろうとしたエリシアを、ベンジャミンが引き留めた。
「二人きりで話したいことがあるのですが」
え………。
アリスを見やると眉根を寄せていかにも嫌そうな顔をしている。
「殿下、さすがに適齢の男女が部屋に二人きりというのは…」
「アリス嬢とは先ほどまで二人きりでしたよ。
それに、私が何かするとお思いでしたらご安心ください。今は本当に体が重くて、ベッドからは自力で起き上がれませんので」
ベンジャミンを疑ったわけではないのだが、そのように取られてしまったらしい。
あんたなんかが何かされるわけないてしょ、とアリスの目が訴えかけている。
「あまり時間は取らせませんから」
「…分かりました」
アリスはすっくと立ち上がるとエリシアの真横を通り過ぎていく。
「言っておくけど、絶対に惚れないでよね」
「はいはい…」
あそこまで大っぴらにつっけんどんだとこっちも楽ではある。アリスがいた先に腰掛けるとベンジャミンがニコリと微笑み掛けてきた。
人物紹介
◆アリス・ラトランティス
ラトランティス男爵家養女。
王立学院一年生の17歳。
【肩書き】男爵令嬢、聖女
【人物】元々は平民だったが聖女の力が覚醒したことにより男爵家に引き取られ、王立学院に通うことになったという設定。しかし、アリス自身はエリシアと同じ転生者で、乙女ゲームに嵌りその中でもベンジャミンを本気で愛していた。そのため他の女が近付くのを極端に嫌がる。ゲームの設定とは異なり勝気な性格。
【好き】ベンジャミン




