6-6
扉を開くなり書類を確認していた男が立ち上がる。
「何か掴めましたか」
「エストランテの出身だそうだ」
「まさか…。バルティーナの人間ではなかったのですか」
「魔法も使えないらしい」
広げた地図のうち首都から離れた森の中を指差しすと、潔癖なミカエルは嫌悪感を露わにした。
「随分田舎に住んでいるのですね。虫が多そうな…」
「いつからバルティーナに住んでいるのか、周辺の聞き込みも頼んだ」
「エストランテの礼儀作法も習得しているのなら、貴族の令嬢かもしれませんね」
あの気品に溢れた優雅な立ち振る舞いは一朝一夕のことではない。
子どもの頃から染み付いたように、自然なものだった。
「生徒たちの証言によりますと、“あの者”が変わり始めたのは新学期からで、それまでは授業にも出席していなかったそうです」
「出会ったのは最近か…」
ミカエルは報告書をめくり話を続けた。
「それから、リンデンという姓は男爵家や平民にもある姓でしたが、“あの者”の身近では一人だけでした」
「誰だ」
「デボラ・フィンドレー。魔塔主であり学園長であるカーライル・フィンドレーの妻です。
旧姓がリンデンだったそうです」
「二人に関わりがあったかどうか、引き続き調査を続けてくれ」
「仰せの通りに」
後見人である学園長が後見人の恋人に協力するのは何らおかしいことではない。
何の後ろ盾もないとはいえ、中立機構の魔塔には彼女のような何の派閥にも属していない人の方が扱いやすいんだろう。
「それにしても、取り寄せたワインが役に立ったようで何よりです」
ミカエルは誇らしげに笑う。
「一緒にいた教師は無事に帰れたか?」
「はい。この目で確認いたしました」
二人のワインに睡眠剤と自白剤を混ぜておいたのは正解だった。
お陰でガードが堅く、常に警戒してきていたエリシア先生からようやく情報が引き出せた。
「国王陛下から書簡が届いておりましたので、そちらに置いてあります」
「ありがとう。今日はもう休んでくれ」
首都を代表するウェイスターホテルの壮観な夜景には目もくれず椅子に腰掛けたベンジャミンは、銀の受け皿に乗った真っ黒な手紙を手に取った。
再び挨拶をして出て行ったミカエルを確認してから、長い足を組み手紙をペーパーナイフで開けていく。
挨拶もそこそこに本題が端的に描かれていた。
お前が留学に出てから暫く経つ。
そろそろ“あの悪魔”の弱点が掴めた頃だろう。
一刻も早い報告を待っている。
ベンジャミンはうんざりしながら手紙をテーブルに放った。
背凭れに寄り掛かり天を仰ぎ、肩でゆっくりと息をする。
分かってはいたが、神の咆哮がいつ起こるか分からない地にいる息子を気遣うような言葉は一言たりとも出てこない。
こういう時、使いやすい駒の一つでしかないのだと、改めて思い知らされる。
疲れていたのか、現実から目を背けるように目を閉じていたベンジャミンは、いつしか夢を見ていた。
♢♢♢
『ゔっ、…っ、ぅっ…』
『あの下賤な女に会うなと何度言ったら分かるの!』
ズボンの裾を捲り上げたそこに、何度も何度も細い鞭が打ちつけられる。その度に叫び出しそうなのを、ベンジャミンは歯を食いしばって堪えた。
騒がしいのを母親が嫌うためであった。
『っごめんなさい、ごめんなさい…』
どんなに心が痛くて涙を流しても、どんなに体が辛くて震えても、母親は鞭を振るう手を止めなかった。
『貴方はこの国の王になるのよ!それなのに、あんな穢らわしい女の所へ自ら赴くなんて何を考えてるの!』
『っ…!』
一際強い鞭が打ち付けられ、ベンジャミンは息を止めて痛みを堪えた。
『っは、はぁっ、…ごめんなさい…。許してください…お母様…』
『皇后陛下とお呼び!』
再び足に打ち付けられる。それでも、まだ三歳のベンジャミンにとっては母親は自分の世界に欠かせない人で、鞭を打たれることよりも捨てられることの方が怖かった。
『同じことを何度も言わせないで頂戴。貴方はあの女とは生きる世界が違うの。
…しばらくここで反省しなさい』
母親は乱暴にベンジャミンをクローゼットに押し込めると、鍵を掛けて行ってしまう。
『っ嫌!皇后陛下!ごめんなさい!許してください…!』
言葉を覚えたてだったベンジャミンは同じような言葉を繰り返しながら、必死に母親を求めた。
『っ……お母様……っ……』
やがて声が枯れ果てたベンジャミンは、蹲り膝を抱えて啜り泣いた。
けれど、ベンジャミンの寂しさなど気にも留めなかった母親は、きまって三日はベンジャミンをクローゼットに押し込めた。
♢♢♢
──コンコン
ノックが聞こえて目が覚める。渋面になっていた顔の冷や汗をハンカチで拭き、のろのろと立ち上がった。
…昔の夢を見るとは、疲れてるな…。今は誰かと会うような気分じゃないんだが…。
「どなたですか」
ベンジャミンはそんな気分とは裏腹に爽やかな声を掛ける。
「あ…アリスです」
しかしその名を聞いて、反射的に体が動いてドアを開けていた。
寝巻き姿の彼女はどこか戸惑ったようにもじもじとしている。
「こんな時間にどうかなさいましたか?」
「……今日のディナーの御礼が言えてなかったので…」
彼女は知らないのだろうか。
寝巻きは恋人同士しか見せない事を。
「明日でも良かったのですが」
「今日、お伝えしたくて…」
通りかかったホテルの客がちらりとアリスを振り返る。ベンジャミンは羽織っていた外套を掛けてやった。
「女性が夜中にそのような格好で出歩いてはいけませんよ。
送ります」
交換留学生の生徒たちは皆首都で一番大きなここ、ウェイスターホテルに宿泊している。
ベンジャミンとアリスはそれぞれフロアの違う部屋だった。
「急用の方は大丈夫でしたか?」
急用…?
そうか、ディナーでエリシア先生の連れが酔い潰れたのをボーイに確認させて、急用を言い訳に直ぐに出てきたんだったな…。
「はい。アリス嬢を放置するようになり申し訳ない」
「いいえ。また誘ってくださると嬉しいです」
話をしているとあっという間にアリスの部屋まで辿り着く。
「では、これで」
「っ待ってください!」
部屋にバタバタと足音を立てて入って行ったアリスは何かを手に戻ってくる。
「あの、これ…!」
それは滅多に見かけない高級な菓子だった。
「今話題のチョコレートですね」
「カシアたちと街に出た時に買ったんです。
とても甘くて、癒しの効果もあるそうですよ」
「美味しそうだ」
渡された包みを受け取ると、アリスはパァッと花が咲いたような表情をした。
「…引き留めてしまいすみません。
疲れているように見えたので…」
いつ何時誰にどこでこの身を狙われるか分からない身の上。感情を表情に出すなと母上にあれほど怒鳴られてきたのに、また出ていたのか…?
「…ありがとう」
いや、それならばミカエルが気付いてカモミールティーでも淹れそうなものだ。
そうしなかったということは、気付かなかったということだ。
頬を染めたアリスは「はい」と静かに言うと照れたように微笑んだ。
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
彼女だから、気付いたのかもしれない。
♢♢♢
「あっ、あのっ…」
それを聞いてしまったのは偶然だった。講義のない空き時間だったため、一度受けた校舎見学の記憶をもとに奥地まで来ていた。
「好きです!ずっとデリックくんの事が…好きでした」
その名が聞こえ、体が固まった。廊下の先を覗くと、男女の生徒が向き合っていた。
女子生徒よりも頭二つ分背が高く、すらりとした手足に、背後からも伝わる年齢以上の威圧感、誰も寄せ付けないような孤高の空気。
一目でデリック本人だと分かった。
「…魔法暗号を使って来るくらいだ、刺客かと思ったら…」
“刺客”?
バルティーナでも命を狙われていたのか…?
「二度とその面を俺に見せるな」
地を這うようなドスの聞いた声に、小さな悲鳴を上げた女子生徒だけでなくベンジャミンまで戦慄が走った。
まとう空気も、声も、エリシア先生たちと話す時とまるで別人だ。
いや、これが本来の姿なのかもしれない。
エリシア先生に合わせた優しい姿ではなく、他者を一切寄せ付けない王者の貫禄を備えた姿が。
来た道を後戻りしようとしたが、輝き出した目の前にデリックが現れる。
「…え、今向こうに…」
いや、魔法で移動できるんだったな…。
「エリシアと俺の周りをコソコソと嗅ぎ回っているようだな」
デリックの射るような視線に、ベンジャミンはお手上げと言わんばかりに両手を上げた。
「そんなに睨まないでくれよ。…同じエストランテの名を背負う兄弟じゃないか」
「はっ。俺とお前が?笑わせるな」
同じ黄金の瞳からは、深い嫌悪が見てとれた。
「片や煌びやかな王宮でのうのうと育った正当な王子。
片や常に命を狙われながらぎりぎりのところで生き延びた私生児だ。
お前なんかと一緒にされてたまるか」
“のうのうと”、か…。
「デリックには私はそう見えているのか」
分かってほしいなど言うだけ無駄だ。デリックからしてみれば、野望の渦巻く王宮が安全なところのように思えるのか。
「俺はお前のような奴がエリシアに近付くのが鬱陶しくて堪らないんだよ。
小綺麗で安全に育った苦労知らずの野郎がな」
『愛しい我が子。早く母に顔を見せておくれ』
ふと、ロッキングチェアに揺られながら大きくなったお腹を大切そうに撫でる女性の姿が頭を過った。
…私が持っていないものを、お前は得ていたじゃあないか。
私が欲しくて欲しくて堪らなかったものを。
そう思った途端、普段は冷静沈着なはずのベンジャミンの中で激しい怒りが湧いた。
「…二度とエリシアに近付くな」
それ以上を話したくないというように、デリックはベンジャミンの横を過った。
「…相当エリシア先生に惚れ込んでいるようだね」
その言葉にデリックは足を止める。
「取られたくないなら大事に守っておくんだな」
振り返った二人は黄金の瞳で互いを睨み合っていた。
♢♢♢
今度こそその場を離れたベンジャミンはアルベルトらと合流して食堂へ向かった。
皆同じようなメニューを食べる食堂の一角には、エストランテから呼び寄せたシェフの豪華なランチを食する集団がいた。
「嫌ね、ふしだらで。
教師のくせにこれ見よがしに生徒といちゃいちゃするなんて」
「どうせ平民なのでしょう。
卑しい身分の者は教育者になっても卑しいままですよ」
「どうしてあんな娼婦まがいが教師になれたのかしら。不思議でしょうがないわ」
オフィーリアが罵倒したのを皮切りに王立学院の女子生徒たちが次々と侮辱を述べる。その視線は中庭でピクニックをするようにサンドイッチを食べているエリシアに向いていた。
もちろんその隣には隙間なくくっ付いているデリックと、ギルバートとターナーの姿もあった。
「バルティーナに来てまでエストランテの食事を摂っている方が不思議だけどね」
「郷に入っては郷に従えって言葉を知らないのかしら」
「身分身分って、身分がなくなったら何も残らないのにね」
「リンデン先生に怪我まで負わせて。エストランテでは人を傷付けるのが礼儀なのかしら」
それまで黙って聞いていた魔法学園の生徒たちが我慢しきれないように声を上げると、侮辱していた女子生徒たちが顔を怒りで真っ赤に染めていた。
「っコバエが飛んでいるようね」
「こんなうるさいところで食事なんてできませんわ」
「行きましょう!」
オフィーリアが食事にはほとんど手をつけずに立ち上がると、他の女子生徒たちを率いてゾロゾロといなくなってしまう。
アリスも黙って席を立ち、気まずそうなカシアも後に続いた。
「女がいるとゆっくり食事もできねえな」
「アルベルト、口を慎むように」
「でもよお…」
いつも無表情で誰しもがどこかに恐怖を抱くデリックも、エリシアといる時だけは表情が柔らかくなる。
隣のエリシアを見つめるデリックの同じ黄金の瞳からは、愛おしさが溢れていた。
「こう見ると殿下そっくりですね」
アルベルトがそう呟くほどには、二人は笑った表情がそっくりだった。
「…っいえ、あいつは存在が卑しい身で、勿論殿下には及ばない下賤な者ですが…」
「…いや、構わない」
半分しか血の繋がりがないのに自分でも似ていると思っていた。
肖像画をもらった時は何の感情も浮かばなかったのに、こうして動いて笑う顔を見ると……。
「…弟だからな」
ベンジャミン………。
人物紹介
◆ミカエル・スエード
スエード公爵家嫡男。
【肩書き】公爵令息、次期公爵、王太子の側近
【人物】幼い頃から古代語を覚えどんな文献も読みこなすなど頭角を表していた。冷静沈着かつ聡明で次期宰相とも名高く、王太子を支える為その側近を務める。
【好き】論理的思考のできる人、秩序の整ったもの、ベンジャミン
◆アルベルト・リシュリュー
リシュリュー伯爵家嫡男。
【肩書き】伯爵令息、王太子の護衛
【人物】騎士である父と兄二人の影響で自身も騎士を夢見て育つ。幼い頃から鍛え上げた体は同世代と比べても屈強で逞しい。その剣の腕前は国王にも轟き、同じ学年である王太子の護衛を務めることになった。
【好き】肉、筋肉、ベンジャミン




