魔大陸という狂気に触れた者たち
トリスタリアに強襲をしかけられた夜が明け、早朝。
カサギとキーセラの二人は毎日していた配膳の手伝いをせず、なんなら誰とも会わずに街へと繰り出した。
理由は勿論この男。
「トリスのヤロウ、このカサギを試そうっつーのかァ、えぇ? いい度胸だ、やってやろうじゃあねーか! 見返りがヤツの協力っつーのは気に食わないが、上位魔族の一匹や二匹や三匹や四匹、俺の前とあっちゃあないも同然の障壁なのよーォオ!」
トリスタリアの提示にまんまと焚きつけられたカサギである。
この男、どんな挑発にも「あえて乗ってやった」と言う体で乗ってしまうのだ。
「まぁ確かにいい機会だろーぜ。プエリーシアに頼んでエピソードてんこ盛りのお涙ちょちょぎれ勇者誕生秘話を放映するだけ、なんつーのはこの俺のデビューにゃあちぃっとばかし弱いと思っていたところだ。上位魔族の首を持って実力を証明してやろうじゃあねーか」
気絶から目覚め、キーセラから情報を聞いてからこっちずっとこんな調子で気炎を上げている。
一刻も早い魔族の打破のため、王領都市でするつもりだった最低限の用意を急ピッチで進めて、出来れば今日中にでも討伐に出ようと言うのだ。
彼を運ぶキーセラもほぼ同意見。
九本ある基幹道は現在、パニックに片足の親指まで突っ込んでいる状態だ。
トリスタリアが封鎖させた王領都市ー神興都市間から溢れた行商が別のルートを取ろうにも、残る八つのうちの二つ――
水流の変化の影響で一部の水路を規制している神興都市ー魄滝都市間。
落石と魔物の出現でトンネルを一つ閉じている産業都市ー王領都市間。
――もまた、平常通り機能しているとはいいがたい。
もし今どこかの基幹道でイレギュラーが起きたなら、大陸の物流、ひいては経済が麻痺してしまう。
だからこそ朝から姿の見当たらないシスターを探すこともせず、窓の破壊を詫びる書置きだけ残して都市を走り回っているわけだが……。
「何かあったんでしょうか、用事があるとは聞いてませんでしたけど……」
「なーに、近所で怪我人でも出たんだろーぜ」
トリスタリアとの攻防(?)で酷使した体を背負われたカサギが、キーセラの髪に埋もれた口でモゴモゴとそんなことを返すが、どうにも彼女の不安は晴れないらしい。
「うーん」
と、彼女の注意が逸れた瞬間に。
「おいキーセラ、前」
「え」
カサギの声は文字通り一歩遅かった。
横から来た大男が振る腕――正確には肘――が顔を上げたキーセラの横っ面を手酷く打ち抜いた。
「い、ったぁ……」
考え事での不注意はいただけないものの、お互い走っていたことで威力が増した巨漢の肘鉄にふらつきもしないのは流石の胆力だと言える。
だがそんな歴戦の少女をもってしても、男に続くように次々と溢れてくる人数のいやに多い事には目を剥いた。
どいつもこいつも人相が最悪だし、おまけに全員が怒鳴り散らしている。
「どけどけぇ!」
「道を開けろ!」
「H&A協会だ!」
「脇に避けろ!」
「邪魔をするな!」
全員が全員、取るものも取りあえずと言った具合で走りながら武装していることから見ても、どうやら本当に緊急事態らしい。
「おいそこのデカブツ、なんだってそう急いでる」
カサギが雑に呼び止めると、最後尾に居る鈍足の男がコチラを見もせずに――おそらくここまでの道中あちこちで同じ質問をされたのだろう――ハルバード片手にスケイルメイルを着込みながら一言でこう返した。
「派遣隊が帰還した!」
「……なに?」
眉を潜めたカサギと違い、端に避けて会員たちが過ぎ去るのを待っていた都市民たちはその言葉に歓喜の声を上げた。
「おお、なんと! もう帰っていたのか!」
「久々の明るいニュースねぇ」
「魔大陸も大したことなかったりして」
「なぁあんた、今日は祝いだ。酒でも買っとくれよ」
「最近は女房がうるさくってうるさくって」
「派遣隊ですって。見に行きましょうよ」
派遣隊の帰還、それが意味するところは「魔大陸の情報を持ち帰った英雄たちの凱旋」だ。
魔王が現界してからの一年、人類種はただ魔大陸の対岸――不帰の浜を眺めていたわけではない。
戻った際には莫大な報酬と永き栄誉を与えること。
戻らなかった際にも親類縁者に保険金を出すこと。
それらを固く約束した上でストレリチア全土から選出したエリート揃いの派遣隊を送り込んでいた。
浜を出港する時点で船4隻に約400人。
内訳は次の通りだ。
忠誠で成り立つ軍組織・王属特別警護団から
――軍人が150人。
魔物に精通した風来坊集団・H&A協会から
――会員が150人。
世界一有名な諜報機関・浮世木隠しの里から
――忍者が15人。
カラーロ教徒にとっての聖地・神興都市から
――聖徒が30人。
深遠なる魔法の神髄に挑む塔・魔導都市から
――術師が50人。
流転するすべての魂の通り道・魄滝都市から
――巫女が1人。
トリスタリアが自らを通報したあと、単独でH&A協会の追手を撒いていられたのも、二級――解決難度を示す協会独自の指標、"モンスター階級"で言う所の二等星級を扱える者――以上の会員が軒並み派遣されていたからのこと。
残る会員たちは今生の別れを覚悟して送り出したのだから、彼らが正装――完全武装を以って迎えるのも頷ける。
だが、どういう訳か門へと走る会員たちの顔に喜びの色が見えない。
それに魔大陸から帰ったのなら不帰の浜に常駐する兵士たちが先に一報入れているはず。
よしんば浜を通らなかったとしても、都市までの道中には発信できるサイズ――人間大の共鳴石を持つ村なんていくらでもあるのだから、H&A協会の者たちに知らされていないのはおかしな話だ。
更に言うと、カサギの知るかつての未来では派遣隊は勇者がカサギだと公表される直前――今から約半年ほど後に大手を振って帰ってきた。
トリスタリアも言っていた魔王の采配が以前と大きく違う事と関係があるかもしれない。
「…おし、予定変更だ」
「えぇ、行きましょう」
そう言ってカサギを背負い直すと、キーセラはH&A協会の者たちが開いた人の波が戻らぬうちにその後を追って駆け出した。
王領都市を取り囲む五つの壁のうちの一つ、フタヒラの壁に着いた時、門の周りには既に人だかりが出来ていた。
ほとんどが面白半分の通行人で占める外縁を除き、中心部には多くの関係者が揃っている。
先を走っていた狩人と漁師たちはもちろん、兵士や記者、シスターの姿も見える。
「ここに居やがったようだぜ、シスターのヤツら。教会にいねーワケだ」
「けが人が居るのでしょうか」
辺りを取り巻くただならぬ雰囲気を感じ取ったキーセラが、つま先立ちで群衆の隙間からその惨状を見て……
「あでっ」
まるで背負ったカサギの存在を忘れたかのように腿を支える両腕から一切の力を抜き、そいつの体を地面に落とした。
すぐに文句を言おうとしたカサギでさえも、
「ぁったく、こればっかりはこの俺をしても止められねーぜ」
既に魔力を高めながら人ごみをかき分けているキーセラの姿を見てはただ嘆息することしか出来ない。
キーセラが最も自我を発揮する時、それは助けられる命が目の前にある時。
「どいてください」
「おい押すなねーちゃ……お、っと。失礼した。おい司祭さまが来たぞ! おめぇら道を開けてやれ!」
見物人の不平を無言で付き出した司祭級を示す聖印で黙らせて、ズンズンと突き進んでいくと、三秒もする頃には人をかき分ける必要が無くなった。
人が犇めいていた空間に道が出来ていくからだ。
それはきっと掛け声が原因ではない。
彼女が心のうちで祈りを捧げるにつれ、段々と、段々と周囲の空気が歪んでいるのだ。
法術は「統一神カラーロの力を顕現する技法」。
術者の精神性で効力の良し悪しが左右されるのが特徴だが、その振れ幅には事実上、上限が無い。
いくら2000年前の大洪水で力の大半を使い尽くしたとはいえ、カラーロは神。
限界があるとすれば、それは術を行使する者の方だ。
その限界――人類種の祈りが為す最高到達点、神の御業をより多く引き出せる乙女、その者を人は"聖女"と、そう呼ぶ。
かつての未来では魔王討伐に身を入れていたためにその地位を手にしてこそ居ないが、実力で言えば躍起になって彼女を追い落とそうとしていた他二人の聖女候補の妨害など歯牙にもかけないほどだった。
そして今、その少女が少しばかり本気で法術を使おうとしている。
肩ごしの風景が少々霞む程度だった歪みは、今や溶岩から立ち上る陽炎もかくやと明々白々なものとなり、曲げられて折り重なった光がキーセラの周りに幾重にも白い輪郭を浮かび上がらせている。
それはまさしく、後光。
「お、おぉ……」
門に集まっていた野次馬たちが道を開けたのはきっと、キーセラのその姿に「舞台上の人間」の雰囲気を見出し、客としての分をわきまえたからだろう。
彼女が纏う気迫はそれほどの物であった。
まぁそのせいでこの世で一番「舞台上の人間」たるべき"勇者"がキーセラの通り道を作るために後ずさりした群衆に踏みつけられ、道の端の方で「ぐぇ」と潰されたカエルのような悲鳴を上げているのだが……。
「ご協力感謝します」
そんなことに気づけるはずもないキーセラが、その先にあるそれに向けて掌を向けて、一音一音噛みしめるように解呪の祝詞を口にした。
「払…宵……」
人だかりの中心に煌めく光の粒子が降り注ぐと、その小さな粉がそれ――鳴動する幾つかの黒い塊――の形をグネリグネリと変えさせて、元ある通りに、呪いをかけられる前のように戻していく。
「うっ…おぇっ」
それは誰が漏らしたえずきだろうか。
少なくとも全員の反応を代表したものに違いなかった。
あえて形容するなら「所々に人間の形を持った黒い岩」と言うのが相応しかったそれらに、人肌の色味と弾力が付き、かと思えば隙間を埋めていたのだろう粘液が溶け出して地面に広がる。
残るは積み重なった人型の――ズチャリ。とその肉、派遣隊だったものが重力に従い石畳へと落ちた……。
一秒、二秒と経ち、
「きゃーーーーー!!」
「うげぇーっ!」
「な、なんだ? 見えねぇよ。何が起きたんだ?」
「息をしてる人が居るわ!」
「担架! 担架持ってこい!」
「皆さん、落ち着いて! 決してパニックにはならないで!」
「門の脇に仮設の治療院を作ろう!」
「その前に布で囲むぞ! カタギに見せちゃいかん!」
「何とおぞましい……」
「一部の魔族は死人の肉に宿ると聞いたが……まさかな」
「なんだって!!? おい、そのキモいのを外に出せ!」
「何を言う! 彼らは職に殉じた英雄だぞ!!」
「なによ! あなた達と違って戦えないのよ!?」
「落ち着いて! 走らないで!」
悲鳴が不安を呼び、不安が緊張を煽り、緊張が怒号となって口からまろび出る。
数秒もする頃には外縁で事態を掴めずにいる者たちにすら恐怖が伝播しきり、いよいよ恐慌へと陥ろうとした、その時。
♪ヒャラリーヒラリーピロヒャラリー
♪ヒャラリーヒラリーピロヒャラリー
♪ヒャラリーヒラリーピロヒャラリー
門の方から微かな笛の音が三節流れた。
それは大した音量でも無かったが、なぜだかその旋律は人のどよめきの中にあってもハッキリと聞こえ、そのうえ聞いている内に、
「……」
「……」
「……」
「……」
魂へと働きかけて、ほとんどの者を騒ぐことなど出来なくしてしまう。
すぐに法術を使ったのは早計だったか、だがあの状態で生きている人たちの苦痛を思えば正しかったはず、と思案していたキーセラが急に訪れた沈黙を不思議に思って辺りを見回すと、
「……これは?」
あれだけ興奮していたはずの群衆たちは目をトロンとさせてその場に立ち尽くすばかりになっていた。
まるで天から釣られたマリオネットかの様である。
僅かに残った強靭な魂を持つ者も、キーセラと同様に何事かと様子を探っている。
と、そこに、
「結構結構! 想定よりも意識を保っている者が多いようですねぇ。私、感心してしまいます」
静かになった群衆の間を縫って現れた、長身痩躯の男がそう言って……、
「ほらっ、あなたも起きませんとっ」
意識を保てなかったらしい会員の一人を手に持った木製の笛で殴り付けた。
「いっ! ……あ、あれ、俺はいま何を?」
「目が醒めたのなら、やることをやりなさい」
「うん? ……ふ、副会長!?」
会員の叫び声に、起きている者すべての注目がその男、薄紫のクラゲを被ったような髪と大きな前合わせの白い外套が特徴のそいつに集まった。
「副会長? H&A協会の副会長か?」
「モンスター階級で超一等星級を誇る名誉会員じゃないか……」
H&A協会の副会長と言えば、三十数個もの魔窟踏破の記録を残し、かつて大陸中に名を馳せた伝説の狩人パーティ・竜爪虎刃の一人。
現役を退いてからも、人里へ出没する魔物の対策法などを発信していたが、数年前に、会長ーーならず者集団でしかなかった協会を、持ち前のバランス感覚で世間に認めさせた男ーーたっての願いで今の職に就いたと聞く。
「アハッ、それほどでもありますがね!」
満更でもなさそうにデヘっと鼻の下を伸ばす姿はとても立場ある人物には見えないが……この場でただ1人、まったく違う反応を示す者が居た。
「ふ、副会長だと? ちぃっ、マズい! か、隠れねぇと……あいつだけはマジにダメだっつーのに!」
そう、ご存知カサギである。
副会長をよく知るその男だけは、動かなくなった人の足元の地面を這いずって逃げ出していた。
「トリスのヤロウが来なければ逃げるくらいの力はあったろうに……。くっ、このままじゃあヤバい! ば、バレちまう! このカサギの秘密がよォォオオオ!」
秒速にして三センチもないような速度で、惨めに、だが必死に逃げていた!
男性でもある程度まで修められますが、法術は女性の方が向いており、上に行けば行くほど女性の方が多くなります。
ここで言う性別は肉体ではなく心の方です。




