はじめての再会
上げて落とすという魔王の鑑のようなことをしでかした勇者を語るために、彼が占いでデビューするXデーの数日前から見て行こう。
「なんだって? あァーン? 聞こえないぜ。おうとも。まったくと言っていいほど聞こえない。……聞きたくないっつってんだろォォッ! だーッ、トリスてめーこのヤロウ! 何をどうやったらそうなるんだァァアッ!」
……あぁ、もう少し遡った方が良かったか。
これでは訳が分からないままだ。
説明になってない。
今度こそ、ちゃんと分かる所から辿って行こう。
具体的にはXデーの十数日前、まだ何も知らぬ少女の数奇な出会いによって、世界の歯車が決定的にズレ出した、その辺りのことからだ。
――初夏の早朝。
爽やかな風が一陣、新緑の葉を撫でて通り、林を開いた細い道に流れ込んだ。
轍と馬蹄の跡が残るそこは、二つの都市を繋ぐ基幹道を横に逸れて更に5キロ進んだ、程よい田舎へと向かう脇道。
野盗の類は規模が小さく、攻撃的な動物や魔物も駆逐されて久しい。
そんなのどかな村へ、今まさに到着しようという少女が一人。
身にまとう黒に近い紺の僧衣は所々に装飾がなされ、目を凝らせば時折、聖印が陽を反射するのさえ窺えた。
高位の僧なのはまず間違いない。
肩まで伸ばしたブロンドの髪は三本の銀製のピンで分けられて、つるっと丸いおでこを晒している。
輪郭も丸いが、卵型なだけで顔自体は小さい。
透明感のあるモチモチの白い肌、綺麗に整ったナチュラルな眉、アイラインで少し垂れた目、クリッとした青い瞳、低い位置にある小さい鼻……童顔だ。
ただ顔の作り自体は幼いものの、表情はなぜだか疲れ果てた三十代にも見えるものだった。
「今日はここで……最後、ですね………」
巡礼の際に僧侶が使う木製の杖を支えに肩で息をして進むのは、大陸中に広がるカラーロ教の信徒の一人――キーセラ=サリマンデ。
16の少女に相応な背丈には不相応に大きい鉄箱が背負われて、歩く度にガチャガチャと音をかき鳴らしている。
中にあるのは神興都市にのみ灯る低温かつ白い炎、聖火……を清めた藁に移した種火。
キーセラは各地を回り、都市を離れて二年ほどで消えるその火を、たった一人で教会に灯して回っていた。
「あの男、次会ったらどうしてくれましょう…………」
頭によぎるのは法王の姿。
神興都市でふんぞり返る男とのやり取りを思い出すと、今度は少し怒りがわいてきた。
自らに意見する者を恐れ、その一員であるキーセラにこんな追放まがいの仕事を押し付けた法王の、ハゲ散らかった頭をぺちぺちと叩く妄想で気を紛らわしながら、田舎道をずんずん進んでいく。
しかし、その妄想は不敬すぎて現実味がない上、問題を消してはくれない。
法王の乱心。
巷でまことしやかに囁かれるこの噂は、あろうことか概ね事実だった。
「みんな……まだ無事だと良いのですが……………………」
一人、また一人と無実の罪で捕縛されているだろう仲間たちを思う度に湧く焦燥が、鉄箱の中で燻る火と共に少女の背をじりじりと焦がすようだ。
それに加え、キーセラは生まれてからこっち、16年もの間、常にひどい飢餓感に襲われていた。
何か致命的な物が欠けてしまったみたいで、それを求めて心が喘いでいる……そういう精神的な飢餓。
ここ最近は特にそれが顕著だ。
求めて止まないものが、あと少しで自分の手に収まる。
そんな意味不明な使命感に急かされるように、キーセラは足を進めた。
夜の間中、どころか一日半近くも歩き続けた甲斐あって、視界の先では森が開けて家がポツポツと見えてきている。
もうそろそろ村が近い。
普通の旅程なら、もう五日後にたどり着くはずだった村だ。
この調子で進み続ければ30日後には任された場所全域に聖火を届け終わり、神興都市に戻れるだろう。
魔王が明日にも攻め入って来るかもしれないこの状況下での法王の乱心は人類種の結束、存亡に関わる一大事。
これ以上好きにはさせない、させてはいけない。
改めてそう決意し、小さく拳を握りしめたキーセラの決意は―――
――ズッッッッバァァァァァアン!!
今まさに見えてきた家の一つが破裂したことで霧散した。
爆破でも倒壊でもなく、破裂と言うのが最適な壊れよう。
そしてその粉塵の中から木片をかき分けて飛んでくる、いや射出される影が一つ。
「――どぉぉぅぅぅううおあぁぁぁぁぁ!!!! しぃぬぅぅぅぅうぅぅぅぅぅッ!!!」
そいつはなんともマヌケな声の尾を引きながら超速で吹っ飛んでいる。
しかも明らかに制御を失っていて――というかもうキーセラの方に向かって、すぐそこまで迫ってきていた。
「そこのぉおめえぇぇぇッ! どぉーきやがれぇぇぇええええええ!!」
「へ? …………きゃあっ!」
破裂に気を取られていたキーセラはその声でようやく人間が飛んできていると気づき、ほとんど反射だけで手を構え目をつぶったが……。
来ると思った衝撃は来ず、代わりとばかりに落下音と思しき爆音と「へぶらァっ!」というこれまた情けない声が耳に届いた。
……数秒後、彼女が恐る遅る目を開けば、足元の小道はめくれ上って軽くクレーターになり、更にはその中心からさっきの人間らしきものが頭から埋まって、下半身をじたばたさせているではないか。
「え、えー……」
突然の出来事に心臓がバクバクと鳴らして、思わずその場に座り込むキーセラだったが……しばらくして我に返った。
「はっ、いけない! だ、大丈夫ですか!?」
「らひほーふなよほにみえふっふぇほか?」
……何を言ってるのかは分からないが、とにかくキーセラはその少年(?)の足を両脇に抱え、ずいっと引きずり出そうと試みる。
「いっ、ひだだ!」
「ええっ! 痛いですか? ご、ごめんなさいっ」
「やふぁひくだ、やさひく。…………んお、ほーいや……もひやほめぇ、きーへらだぁあねーふぁ?」
そいつがまたもごもご言ったが、やはり聞き取れないのでキーセラは構わず半身を引っこ抜いた。
それからキーセラはまだ残っている腕も掘り出してやろうとして前に回り……そこで、改めて見たその少年がえらく細いことに気が付いた。
スリム、よりまず心配が勝つが、今すぐ死にそうかと言われればそうでもない。
栄養失調……よりも摂食障害に多い体つき。
引っ張られただけで痛がるのも納得だ。
頬はコケているし、腕もひょろい。
なまじ身長があるだけに、より病的に見える。
じっと見ていると、その少年がおもむろに口を開いた。
「おーい、あんた。もしもーし。こんな昼間から天下の往来でぼーっとしてるあんたのことさ」
このウスノロ、とでも言い出しそうなえらく挑発的な喋り。
それを耳にした時、なぜだかキーセラの心が疼いて、例の飢餓感が最高潮を迎えた。
「そうおめーだ。ここにいるのは俺とあんただけ、お分かり? そこで、だ。もし仮に、あんたにちょいとでも良心があるのなら、それが痛む前に俺を助けた方があんたの為になるたぁ思わねーか?」
どうやら助けがいるらしい。
到底そんな態度には見えないが……。
何にせよ、怪我がなさそうで何より。
キーセラは疼きを心の奥にしまい込んで、ひとまずその少年を助けることにした。
そうして、腕を土の中から引きずり出そうとして、偶々その少年の顔……細かく言えば黒髪の下で妖しく輝く、物珍しい黒目を見た、その瞬間。
――今しがた隠した心の穴に、何かが埋まった。
それはぴたりと穴に嵌るようなものではなかったが、互いに溶け合って、石鹼がくっつくようにして繋がる……。
クラ、と眩暈がして、そのせいで焦点がズレてぼやけた視界。
そこに、予め失われていた記憶がコマ送りで駆け巡る。
今ある記憶をどたどたと踏み均して、キーセラの魂が過去に経験したことを上書きしていく。
笑って逃げて戦って。
呆れて、時には怒って、それからまた笑って。
かつてありし未来の出来事。
かけがえのない冒険の日々が流れて行く。
……。
……。
……。
数年を追想する数秒が過ぎ、
「あ……」
その記憶は魔王が手を振り上げたところで唐突に幕を下ろし、キーセラを現在にほっぽり出した。
蕩けて間延びした風景が元に戻りゆく中で、記憶を取り戻したキーセラの目がまず焦点を合わせたのは、
「ちゃあんと思い出せたみたいだな? この時をずぅっと待ってたぜ、キーセラさんよォ!」
腕を地面に埋まらせたまま不敵に笑う勇者――カサギの姿だった。
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