お母さんは魔女なのか否か
なんか怪しいなあと思いつつ、昨晩はベッドに潜ったのだが、やっぱり風邪だった。
身体はそんなに弱くはないのだがたまに風邪を引く。
たまに風邪を引くということはあたしが思うよりもあたしの身体は強くないのかもしれない。身体中の関節が痛くなり、喉の痛みもひどい。声も出せないし、水でも飲もうと思ってコップに水を入れて飲んでみると冷たい水がやたらに痛くて喉を通らない。
もしかしたらけっこうな重症なのかもしれない。
こんな時に一人暮らしというのは困る。
病院に行きたいがどうにも身体を動かせそうにもない。
なんだか蒸し暑い陽気で窓から空を見上げると灰色の雲が出ている。蒸し暑いと感じるのに、身体は冷たい。手足などの身体の末端がとても冷たい。
そして……悪寒がする。
数分に一回……景色がぐるぐると回る。
気持ち悪くて仕方ない。
このままだと本当に死んでしまうかもしれない。
誰かに来てもらいたいけど、さすがにそれはちょっと大仰ではないか……と思う自分がいてなかなかスマートフォンをダイヤルできない。こうなったら誰でもいいから電話してきてくれないかと思うのだが、こういう日に限ってあの狂ったような姉からでさえ電話はない。
一応、会社には電話した。
電話に出たのは主任の山本杏奈さんだった。
誰かが様子を見に来てくれることを期待したのだが……。
『あらま、大変そうね。病院に行って早く治すのよ』
『はい……』
どうにも誰かが来てくれるような感じではない。
こちらの窮状がうまく伝わった感じが今ひとつしない。
サバサバした杏奈さんらしい受け答えだったが、はっきり言って、病院に行けるならとっくにそうしている。もう身体を動かすことすらしんどいのだ。関節が痛くて身体の置き所がないぐらいに辛い。かと言って動くと息切れがするし、眩暈がして転びそうになる。
熱もきっとあるのだろう。
てゆうか……
これ本当に風邪なんだろうか。
あたしが自分で風邪だと思っているだけで、実は重大な病気なんじゃないだろうか。
死ぬのは嫌だなあ。
そんなことを漠然と思っていたら玄関がばーーんと開いた。
なんだ?こんな時に。泥棒か?
もう好きなだけ持って行ってくれ。
なんだったら一思いに殺してくれ……。
『よ。破天荒ガール、元気か?』
『元気じゃない……』
調子が悪い時にこのハイテンションはかなりきつい。
てゆうか……どこかで聞いたようなハスキーボイスだなあ……と思ったら、大分で父と農業をやっているはずの母だった。
いつも思うのだけど、破天荒なのはあんたに似たんだよ、母ちゃん。
あたしはチラリと母のいる方を見る。
ぼやけた視線に推定175㎝、55㎏のモデルのような体型の母が目に映る。
母の行動はいつも突然である。
今日だってそうだ。
あたしがたまたま具合が悪くて仕事を休んで寝込んでいたからいいようなものの、通常だったら留守だったはずだ。留守だったらどうするつもりだったのだろうか。
まあ……母なら玄関の前で一泊してでもあたしの帰りを待っているかもしれない。
てゆうか……確かにこういう時を想定して実家の母にアパートの合鍵を渡したのだが……だからと言っていきなり玄関を開けるのはやめて欲しい。
『なんだ。風邪引いてるの……』
急にテンションが下がって、つまらなさそうにする母。
いや、ちょっとでいいから心配して。
『病院……』蚊の鳴くような声であたしは呟いた。
『病院?ああ、病院ね。行ったの?』
あたしは話すのがしんどくて首を横に振った。
『大丈夫でしょ。寝てりゃ治るって』
治るわけないじゃん!
死にそうなんだって。こっちは。
『死なないから大丈夫。おかゆでも作ってあげるよ』
あたしの気持ちを先読みしたのか、母はへらへら笑いながら言った。
顔を近くで見てもしわがあまりない。この人は魔女かなんかなんだろうか……。
『食欲……ない……』
『食べないと治らんよ』
日本語が通じない。まあ、考えてみれば母は車の免許も持っていないし、病院に連れて行ってもらうわけにもいかないか……。
母は冷蔵庫を覗き込んでなにやら作業していた。
ほんの10分ほどでいい匂いがする……
『あんた、酒ばかり飲んでるから身体壊すんだよ』
『……母ちゃんに言われたくない……』
『何言ってるのよ。あたしは身体壊さないからいいんだよ』
自分も酒ばかり飲んでいることを否定しないのは母らしい。
『ほれ。自分で食べられるだろ』
『うん』
小さなお椀を覗き込むと、素麺をだし汁で煮込んだものが入っていた。
煮麺だ。夏は身体が冷えるのでこういったものを食べると聞いたことがある。喉が痛いし食欲もないのだけど、出汁から香ってくる梅干と鰹節の香りがなんともいい感じだ。
これならなんとか食べられそうな気がするから不思議だ。
魔女の秘薬かなんか入っているのかもしれない。
母が作ってくれた煮麺を食べて、常備している市販薬を飲むと急に眠たくなってきた。
ベッドのリクライニングを下げて天井を眺める。
景色がぐるぐると回って気持ちがあまり良くないが、同時に意識も遠のいていく。
もしかしたら死ぬ時というのは、こうやってあっけないものなのかもしれない。




