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隣の二階堂さん  作者: 阪上克利


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普通を疑うのは大事なのか否か

 特に何の予定もない土曜日。

 土曜日はけっこうな高確率でなんらかの予定が入ったりするのだが、今週は何もなさそうだ。

 我が社のロミオとジュリエットは喧嘩中だから、飲み会はないだろうし、姉からの電話には注意が必要だが、うっかりでないように注意さえしておけば何の問題もない。


 よしよし。

 今日は一人を楽しめそうだ。

 さっさと家事を済ませて、早々に図書館に行こう。

 戸塚図書館の周りにはご飯を食べられるところも多い。

 ランチも外食して、夜も食べて帰ってこようか。

 図書館は19時までやっているからエアコンの効いた涼しい場所でゆっくり読書ができる。そうだ、鞄も忘れないようにしないと。帰りに何冊か借りてくる予定だ。


 あたしは意気揚々と家を出た。


 学生時代から暇があれば図書館に行っていた。

 長い夏休みは何もすることがない日が必ずあるから、そういう日は必ず図書館を利用していた。家にいると何かと手伝わされるし、それがなくとも、『勉強はしたのか』とか……『暑いからと言ってダラダラするな』とか言われるので、図書館にいつも逃げていた。

 図書館なら勉強しに行っているという口実も使えるし……。


 暑い夏の土曜日はそんな学生時代の思い出が頭の中を駆け巡る。

 何もなかったのに楽しい思い出だ。今の方がよっぽどなんでも手に入るにもかかわらず、あの頃の方が幸せだったような気がする。

 確かに……たくさんお金を稼いで、いい物を持つことは幸せだというのが『普通』の考え方だ。

 でも……幸せは持っているものには依存しない。何も持っていなかった学生時代が今より楽しかったのが何よりの証拠だ。


 それにしても学生時代は何がそんなに楽しかったのだろうか。

 思い出してみても楽しかった記憶が言葉になって出てこない。その記憶は感覚でしかない。


 夏休みの暑い昼下がり……アスファルトからの熱気に当てられて、気が付けば下ばかり見て歩いていた。……ふと顔を上げた時に見えた青い空と黄色く大きな向日葵が印象的で、あの時の様子は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。


 何もせずに図書館で本ばかり読んで、家に帰ってくる毎日があんなにも楽しかったのはなぜだろう。

 若かったからだろうか……。

 同じことをやって……今も楽しいには楽しいのだけど、あの頃のような眩しいぐらいの何かは感じない。

 十代の感性は本当に鋭いのだろう。

 その感性こそ……ものすごい価値のあるものなのかもしれない。

 そして、あの時間はもう二度と戻ってこない。


 いつだったか忘れたが、夏の特別暑い日に、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を読んだのを思い出した。二人の紳士が山で迷い、『西洋料理店』に入るのだが、靴の泥を落とし、身体にクリームを塗るように言われる。注文の多い店だなあと思いながら二人が奥に進んでいくと、出てくるのは料理ではなく、自分たちが料理であり食べられる方だったという少し怖い話だ。


 固定観念に固まった考え方をするのは恐ろしい。

 料理店と言えば自分に料理を出してくれるものだという固定観念があったからこそ、二人の紳士は食べられそうになってしまうのだ。


 うん。


 恐ろしい話だ。

『普通』を疑わないなら、あたしもいつか『普通』という得体のしれない怪物に食われてしまうかもしれない。当時はそんなことを考えながら図書館から帰った。夕方の少し薄暗い道がとても怖かったのを覚えている。


 でもそんな怖さも今では懐かしい。


 こんなことを考えていると今日もあの頃を思い出して宮沢賢治が読みたくなってきた。

 一日だけだけど……あの不思議な世界に出かけようと思う。

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