古籠火
梅雨の寒い日々が嘘のように、茹だるような暑い夜だった。
豪雨のように鳴りやまない蛙の声を聴きながら、懐中電灯を片手に用水路を見ていく。
狭い集落のため、ポツポツと見える家の明かりと窓を開けている家があるのか蛙の声に紛れてテレビの音も聞こえてくる。
今日も変わりのない夜だ。少し離れた市内の光が、夜空に昇る煙に見えた。
家に帰って汗を流し、ビールでも飲みながらテレビを見よう。ぼんやりとそんなことを考えていると、視界の隅で小さな火が灯った。
玄関の自動照明かと思ったが、ゆらゆらと不規則に揺れている。
火だ。何かが燃えて、火が揺らめいているのだ。
あの家の庭先で、火が灯ることはあっただろうか。頭を過ったのは、ここ最近新聞を騒がせている事件だった。
もしかしたら、放火かもしれない。反射的に駆け出していた。
家へと近づくにつれ、火が庭に置かれた石灯籠に灯っているのがわかった。一昔前ならいざ知らず、庭に置かれた石灯籠に火を灯す人はいない。
「ボヤだっ!」
叫びは、蛙の鳴き声に搔き消された。何か火を消すものは無いかと、周囲を懐中電灯で照らし浮かび上がった白い影に息を飲んだ。
「な、なんだぁ、シンちゃんか……」
「……こ、こんばんは」
緑色のジョウロを重そうに抱えた少年は、身長がまたグンと伸びたらしく男よりも高くなっていた。しかし、相変わらず線が細く色白のためか女の子に見える。
「あ、火!!」
思い出したように二人で石灯籠へと駆け寄った。つるりとした石にぽっかりと空いた穴の中で赤い炎が燃えている。微かに灯油の臭いがした。
はみ出ていた布を手に取り、すかさずジョウロの中へと放り込んだ。ジュッと音を立てて火が消え、あたりに不快な臭いが立ち上る。火が消え、燃える気配が無くなってから詰めていた息を大きく吐いた。
「こりゃぁ、最近よくある放火かぁ?」
「……ぱって、火が点いたように見えた……」
「なんだ、妖怪みでぇだなぁ」
昔、本か何かで読んだのを思い出す。石灯籠の上にいる火の妖怪だ。
「警察さ連絡すっか……」
取り出そうとして携帯を持ってきていないことに気づく。こういう時に限って忘れる自分に呆れた。
「まぁ、明日の朝でもいいが……朝にまた来っから、これは残してでけろ」
「うん」
「……シンちゃん、こだな遅くまでおぎっだなが?」
「明日から夏休みだから……小屋から、星見てた……」
そう言ってちらりと視線を向けたのは、この家が農耕機械や精米機を入れている二階建ての納屋だった。二階に付いている木戸が開いて、ぽっかりと黒い口を開けているのが見える。
「鼠が入るって、じっちゃに怒られんねがぁ?」
「今、酔っぱらってるから……家ん中入らんに」
「んだなが……だったら、うぢさあいべ」
「いい……いがね。もう少ししたら、じっちゃも寝っから」
「……んだが。朝に来っからな、風邪ひがねようにな」
「うん……おやすみなさい」
薄い肩を軽く叩いて、家路を急いだ。
何とかボヤでおさまって良かった。
夜の見回りから戻り、朝に警察に電話することを考えてビールは飲まずに布団に入った。
どれくらい経っただろうか。
激しい鐘の音と妻の大声で叩き起こされ、飛びつくように窓の外を見れば隣家が激しい炎に包まれているのが見えた。
化け物のように大きく膨れ上がる炎を、田んぼに逃げ込んだらしく煤と泥で汚れた少年が唖然とした表情で見つめていた。




