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3/12

聖剣は、勇者が自分で質に入れていた


セシルが一歩前に出た。


「昨夜、レオンが外出しませんでしたか」


馬車番は気まずそうに目を逸らした。


レオンの胃が沈んだ。


「……したのか」


「ええと、その」


馬車番は帽子を両手で握った。


「夜半過ぎに、お一人で」


ガルドがレオンを見た。


「一人で」


セシルも見た。


「一人で」


レオンは小さく言った。


「散歩かもしれない」


「聖剣を持って?」


馬車番が言った。


レオンは馬車番を見た。


馬車番は言ってから、まずいと思った顔になった。


もう遅い。


ガルドが笑わない顔で言った。


「聖剣持って一人で散歩」


セシルが静かに続けた。


「そして朝には質札」


レオンは両手を膝につけた。


「続けてください」


馬車番は怯えた顔で頷いた。


「聖剣を布で包んでおられました。顔は……その、かなり上機嫌で」


「上機嫌」


「はい。『ちょっとだけ王都の夜を見てくる』と」


ガルドが天を仰いだ。


「絶対ろくでもねぇやつだ」


「行き先は?」


セシルが聞いた。


馬車番は声を落とした。


「南鐘楼裏の通りです」


セシルの眉が動いた。


「裏カジノの一帯ですね」


「私は何も知りません。ただ、お戻りになった時は、聖剣を持っておられませんでした」


レオンの顔から血の気が引いた。


「戻ったのか」


「はい。一度」


「一度?」


「はい。その後、皆様と一緒に、また出ていかれました」


三人が黙った。


昨夜の四人は、一度そこで合流している。


その時点では、まだ取り返せる可能性があった。


たぶん。


いや、そう思いたい。


「その時の俺たちは、何か言っていたか」


馬車番は困ったように頬をかいた。


「戦士様が、『殴れば返してもらえるだろ』と」


ガルドが目を逸らした。


「記憶にない」


「僧侶様が、『まず話し合いです』と」


セシルが目を閉じた。


「それは言いそうです」


「魔法使い様が、『お前ら全員、黙って俺に従え』と」


レオンは息を吐いた。


「それも言いそうだ」


「レオンは何と言っていましたか」


セシルが聞いた。


馬車番は少し迷った。


そして、気の毒そうに言った。


「『今度こそ取り返す』と」


レオンは頭のシーツを押さえた。


今度こそ。


つまり、その前に失敗している。


ガルドが肩を叩いた。


力は弱かった。


美少女の手だった。


「元気出せ」


「お前に慰められると逆に沈む」


「失礼だな」


「では、南鐘楼裏へ行きます」


セシルが言った。


「待て」


レオンは自分の姿を見下ろした。


「このまま裏カジノへ行くのか」


「顔を隠せているので都合はいいです」


「勇者がシーツ頭で裏カジノに入るのは都合がいいのか」


「勇者が坊主で入るよりは」


「その比較をやめよう」


南鐘楼裏の通りは、王都の祝祭から少し外れていた。


表通りでは花が飾られ、楽師が朝から笛を鳴らしている。


だが裏通りに入ると、空気が変わった。


湿った石壁。


酒と香油の匂い。


まだ閉まっている店の隙間から漏れる、眠っていない街の気配。


ガルドが鼻を鳴らす。


「ここ、来た気がする」


「思い出したか?」


「いや、嫌な汗が出る」


「それは思い出しかけているのでは」


セシルは赤い札片を見ながら、路地の奥へ進んだ。


やがて、真鍮の扉が見えた。


看板はない。


扉の上に、小さな赤い鳥の紋章だけがある。


質札と同じ紋章だった。


入口には大男が二人立っていた。


片方がレオンの頭を見る。


もう片方がガルドを見る。


二人とも、最後にセシルを見る。


「営業は夜からだ」


大男が言った。


セシルは質札の半券を見せた。


「昨夜の件で支配人に話があります」


大男の表情が変わった。


「昨夜の?」


「はい」


大男はレオンを見た。


シーツ頭。


次にガルドを見た。


美少女。


何かに気づきかけた顔になった。


レオンは低く言った。


「通してくれ」


「その声……」


大男の目が細くなる。


セシルが何か言う前に、奥から女の声がした。


「通して差し上げなさい」


扉が開く。


赤い絨毯の奥に、ひとりの女が立っていた。


派手な紫のドレス。


宝石だらけの指。


美しいが、目は笑っていない。


マダム・ヴェルダ。


裏カジノの支配人。


彼女はレオンたちを見るなり、扇で口元を隠した。


「まあ」


声が弾んでいた。


「昨夜のお客様方。ずいぶんお早いお戻りですこと」


レオンの胃が、さらに沈んだ。


ヴェルダはレオンの頭のシーツを見た。


ガルドを見た。


セシルを見た。


そして、心底楽しそうに笑った。


「昨夜より、さらに面白い格好になっていらっしゃるわ」


「昨夜のことを聞きたい」


レオンが言った。


「その前に」


ヴェルダは手を差し出した。


「入場料を」


ガルドが一歩出た。


「おい」


セシルが止めた。


「待ってください」


ヴェルダは微笑む。


「冗談ですわ。昨夜、十分にいただきましたもの」


「何を」


レオンが聞いた。


ヴェルダは、ゆっくり扇を閉じた。


「聖剣を」


沈黙。


カジノの奥では、夜通し遊んでいたらしい客たちが数人、まだ卓に突っ伏している。


カードの散らばった卓。


銀貨の山。


空の杯。


セシルは無言で質札を出した。


ヴェルダはちらりと見て、微笑んだ。


「正式な質入れですわ」


ヴェルダは近くの卓を指で叩いた。


すぐに黒服の男が帳簿を持ってくる。


分厚い帳簿。


赤い革表紙。


ヴェルダは慣れた手つきでページをめくった。


「昨夜、第三刻。お客様はお一人で来店」


「俺が?」


「ええ」


「一人で?」


「ええ。とても堂々と」


ガルドがぼそりと言った。


「最悪だな」


「所持金をお使いになり、次に宝石付きの短剣をお賭けになり、それも失い」


レオンは眉を寄せた。


「短剣?」


セシルが冷静に言った。


「国王からの記念品です」


「それも?」


「それもです」


ヴェルダは続けた。


「その後、外套の留め具、王国勲章の予備章、旅用の銀杯」


「俺は荷物を売りに来たのか?」


「賭けに来たのですわ」


ヴェルダはにっこりした。


「そして最後に、聖剣を担保に」


レオンは頭のシーツをつかんだ。


「俺は何を考えていた」


「おっしゃっていましたわ」


ヴェルダは帳簿を閉じる。


「『少し取り返すだけだ』と」


ガルドが天を仰いだ。


セシルが目を閉じた。


レオンは床を見た。


逃げ場がない。


完全に自分の声で言いそうだった。


「それで」


セシルが静かに聞いた。


「聖剣は今どこに?」


「保管しております」


「返してください」


「返済金と本券をお持ちなら」


セシルは半券を見せた。


「これは?」


「半券ですわね」


「本券は?」


「お客様にお渡ししました」


三人の視線がレオンに集まる。


レオンは両手を上げた。


「覚えていない」


「でしょうね」


ヴェルダは楽しそうだった。


「昨夜の時点でも、だいぶ覚束ないご様子でしたもの」


ガルドが卓に手を置いた。


細い手だったが、音は重かった。


「金だけじゃ駄目なのか」


「駄目ですわ」


「本人が来てるだろ」


「裏の商売ほど、書類は大事ですの」


「殴ったら?」


セシルがガルドの足を踏んだ。


ガルドが呻いた。


「今、変なことを考えましたね」


「考えただけだろ」


「顔に出ています」


「この顔、俺のじゃねぇし」


「中身はあなたです」


ヴェルダは、レオンの頭に巻かれたシーツを見て、楽しそうに目を細めた。


「それにしても、昨夜はずいぶん堂々としていらしたのに、今朝はずいぶん慎重ですこと」


「昨夜の俺は、どう見えていた」


「破滅する客に見えましたわ」


ガルドが低く笑った。


「当たってるじゃねぇか」


「笑うな」


「そして、その後にいらしたお仲間の方々は」


ヴェルダは扇を開いた。


「破滅を止めに来た方々に見えました。最初は、ですけれど」


「最初は?」


セシルの声が低くなった。


「ええ。途中からは、皆様そろって同じ穴に落ちていかれましたわ」


セシルが頷いた。


「本券を探します。昨夜、レオンは一度宿へ戻っています。その時に落とした可能性もある」


「いいえ」


ヴェルダが言った。


「本券は、あなた方が再来店された時には、まだお持ちでしたわ」


「再来店」


レオンが呟く。


「俺たち四人で」


「ええ」


ヴェルダは扇を開いた。


「勇者様が宿へ戻り、お仲間を連れて再びいらっしゃった」


「その時、俺たちは何を」


「最初は聖剣を取り戻すために」


「最初は?」


嫌な言い方だった。


ヴェルダの笑みが深くなる。


「そこで、そちらの魔法使い様が大変なことをなさいまして」


レオンの胸が跳ねた。


「ユージンが?」


「ええ。あの方、昨夜は本当に見事でしたわ」


セシルが一歩前に出る。


「ユージンさんは今どこにいるか知っていますか」


「知りません」


ヴェルダはあっさり言った。


「ただ、昨夜のあの方は、少なくとも逃げるようなお客様ではありませんでした」


「どういう意味だ」


レオンが聞いた。


ヴェルダは卓の上に指を滑らせる。


そこには、まだ消されていない賭け目の跡が残っていた。


「勝ったのです」


「誰が」


「魔法使い様が」


「どのくらい」


ヴェルダは、楽しそうに目を細めた。


「本来なら、聖剣を買い戻して、宿に帰って、正午まで眠れるくらい」


三人は黙った。


レオンは、息を止めた。


そこで帰っていれば。


その一言が、喉の奥に引っかかった。


「では、なぜ聖剣は戻っていない」


セシルの声が低くなる。


ヴェルダは笑った。


「それは、皆様が帰らなかったからですわ」


ガルドが小さく言った。


「帰らなかった?」


「ええ」


ヴェルダは扇で、カジノのさらに奥を指した。


赤い扉。


金の縁取り。


今は閉ざされている。


「勝ったお金を、あの“特別競売”に突っ込んだんですもの」


レオンは、ゆっくりと窓のない天井を見上げた。


セシルが深く息を吸った。


ガルドが、なぜか少しだけ目を輝かせた。


「特別競売って」


セシルが、ガルドを見た。


「今、少し興味を持ちましたね」


「持ってねぇ」


「目が輝きました」


「戦士の本能だ」


「今それを誇らないでください」


ヴェルダが口元を扇で隠した。


「目は正直ですこと」


ガルドの顔から血の気が引いた。


レオンの頭に、中庭の黒いドラゴンが浮かんだ。


そこで帰っていれば、あれはいなかった。


たぶん。


いや、絶対に。


「次にお話ししましょうか。あなた方が、なぜS級ドラゴンを買うことになったのか」


ヴェルダは、楽しそうに告げた。


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