第10話 圧倒的な特異点
演習場に響く風の音は、もう切っ先ではなかった。
空を裂いていた風は、いまやただの乱れた空気にすぎない。
シノの呼吸は荒く、足はふらついていた。
だが目だけは、まだジークを見据えていた。
「……まだ立てるか」
ジークが言った。
(……あぁ、こいつは本当に容赦がない)
そう思いながらも、シノは無理に笑ってみせる。
「……当然だ」
肩が上下し、胸が焼けるように痛む。
だが、風の流れはまだ“応えて”くれていた。
「さっきまでの君は、魔力操作に頼りすぎていた」
ジークが淡々と告げる。
「風を制御すること自体が目的になっていた。攻撃が美しすぎる。――けど、それじゃ届かない」
シノは舌打ちをした。
「……言ってくれるな。そっちは力でねじ伏せるだけだろ」
「違う。君の魔力操作は“型”になりすぎてる。予測しやすいんだよ、グリモワール」
その呼び方に、シノの瞳がわずかに動いた。
(こいつ、ずっと“俺”を見てたんだ……)
ジークが一歩踏み出す。
その動作に、空気がたわんだ。
(まずい――!)
シノは反射的に風圧を足元に集中。
跳躍とともに回避を試みる。だが、
「二度目は通じない」
ジークの拳が、空中のシノの肋骨をかすめた。
(っぐ――!)
跳びながら受けた一撃は、体勢を崩し、反撃も許さない。
壁際まで飛ばされ、床に膝をつく。
「ここまでか」
ジークの声に、演習場の空気が静まる。
フレアが立ち上がりかけるも、レイが腕で制した。
「……まだ、あいつは諦めてない」
その言葉通り、シノは立ち上がった。
息も絶え絶えで、全身の魔力も底をつきかけている。
「もう無理だよ。おまえ、さっきの風も限界ギリギリだったろ」
ジークが言う。
「……だろうな。でも――」
シノはにやりと笑った。
「限界の向こうに踏み込むのが、魔力操作の面白いところだろ?」
瞬間、シノの全身から淡い風の膜が広がった。
(風を外から操作するんじゃない。内側に“通す”)
風の導管を、筋肉の線に沿わせ、神経の束に流し込む。
魔力の通り道を、指先まで制御する――超高精度の内部強化。
「“風穿・直線刃”!」
魔力を極限まで集中させた一撃。
一直線にジークの胸を狙う、鋭く放たれた風刃。
ジークはわずかに目を細めた。
「なるほど、これは……」
風が彼の頬をかすめ、耳元で音を立てる。
だが、ジークは直前で“頭を傾けただけ”でそれを回避した。
そしてそのまま、シノの懐へ飛び込んだ。
「それでも、届かないよ」
拳がシノの腹に深く突き刺さった。
音がなく、ただ重さと衝撃だけが広がる。
「――っぐぅ……!」
吹き飛ぶことすらできず、その場に崩れ落ちるシノ。
そのまま、動けなかった。
演習場に静寂が戻った。
しばらくして、ジルが手を挙げる。
「試合終了。勝者、ジーク=フリート」
静かに、だが確かに告げられた言葉。
それは圧倒的な現実だった。
◆ ◆ ◆
医務室のベッドで、シノは天井を見上げていた。
(……何も通じなかった)
思い出すのは、風を砕かれた音。
拳に断ち切られた風の感覚。
そして、全てを“見られていた”という敗北感。
そのとき、ノックもなく扉が開いた。
「……寝てた?」
ジークだった。
「……起きてる。……一応な」
「なら良かった。渡したいものがある」
彼が片手に持っていたのは――黒鞘に収められた、細身の剣だった。
「これは?」
「精度を上げるための道具。攻撃力はそれほどない。でも、君の操作には向いてるかもしれない」
シノは眉を上げた。
「剣なんて使ったことない」
「だからちょうどいい。素手で扱ってたなら、なおさら“操作のズレ”を感じるはず。そのズレを修正するのに役立つ」
ジークはテーブルに剣を置くと、振り返った。
「次に戦うときは、もう少し手加減しないといけなくなるといいな、グリモワール」
それだけ言って、部屋を出ていった。
残されたシノは、剣を見つめながら息を吐いた。
「……まだ終わってないよな、これ」
視線を剣から自分の手へと移す。
自分の“精度”。自分の“限界”。
「風は、応えてくれる。なら――俺も、応えないと」
拳を握る。
次は、負けない。そのために、また歩き始める。
剣はまだ、静かにそこにあった。




