絶望
現代に蘇った悪魔、ラグナ=ディール。
彼はかつて自分を倒した剣士ラーミアへの復讐を望んでおり、アレスとリーザを殺すことでその復讐心が少しは満たせるのではないかと喜びを露わにしていた。
「どう殺してやろうか?2人重ねて刻んでいくのがいいか」
「リーザ……俺が何とか奴を引き付ける。その間に逃げろ」
薄汚い笑みを浮かべながらゆっくりと歩き出すラグナ=ディール。
何とかリーザだけでも逃がそうと、アレスは振り返ることなく剣を構えたままリーザにそう言った。
「俺がそれを許すとでも?」
しかしリーザを逃がして1人で戦う意思を見せたアレスに、ラグナ=ディールは退路を塞ごうと攻撃を仕掛けた。
ラグナ=ディールの右腕が振るわれると、不可視の斬撃が地面を抉りながらアレスに迫る。
ガキンッ!!
「ぐッ!」
「きゃあ!!」
その一撃はアレスとリーザを掠めるように襲い掛かる。
アレスはそれをかろうじて軌道を逸らすが、容易に人間の肉体など切り裂く鋭い攻撃が真横を通り過ぎる感覚に精神が大きく削られる。
「休んでいる暇はないぞ。次だ」
「ぐぅ!」
鞭のように不規則な軌道でアレスとリーザの周囲を飛び交う斬撃。
アレスは真後ろに居るリーザを庇うだけで精一杯で、とても逃げる隙を生み出すことが出来なかった。
(くそッ!!この野郎、遊んでやがる。わざと当たるか当たらないかの距離で攻撃を……それでも、防御で限界だ!)
「……ッ!」
すぐにアレスとリーザのいる小さな円の範囲を除いて、周囲の地面はラグナ=ディールの攻撃で無残にも抉られていった。
それはリーザが一歩でもアレスが守っている領域から出れば斬り刻まれることを意味している。
「どうしよう……アレス君が!」
「ギギギィ!!」
「ッ!!」
その様子を避難が進まない人の波の最後尾で見ていたソシアだったが、ついに逃げ遅れた観客たちの元にラグナ=ディールが生み出した分身が襲い掛かってきたのだ。
「ソシアさん!!」
鋭い爪を突き立てて襲い掛かる影人形に、ジョージは決死の覚悟で盾を構える。
「ギギィ!!」
「ぐッ!!」
(こ、小柄なのになんて力!)
だがその攻撃はジョージの予想よりもはるかに重く、完全に受けきることが出来ずにジョージは体勢を崩してしまった。
盾を構えながらよろめくジョージに、影人形は一瞬で回り込み攻撃を仕掛ける。
「ジョージ君!!」
「しまっ……」
「ギギギィ!!」
「紅蓮砕打!!」
「ギ!?」
ガラ空きとなった側面からの攻撃にジョージが死を覚悟した……その時、無防備となった影人形の背後から何者かが炎を纏った拳で攻撃を仕掛けたのだ。
攻撃に集中していた影人形は不意を突かれ、その人物に大きく殴り飛ばされる。
「あ、あなたは!」
「アレス君のお兄さん!」
「大丈夫か、君たち!」
それは王国軍銀将、ボレロ・ロズワルドだった。
「ボレロ様、ありがとうございます。ですが昨日の怪我は大丈夫なんですか?」
「問題ない。王を安全なところに避難させて戻ってきたら……これはどんな状況だ!?」
「あの悪魔が分身を召喚して、観客たちを襲わせてるんです!」
「ギギギ……」
ボレロに現在の状況を説明するソシアたち。
だがその時ボレロが殴り飛ばした影人形が、何事もなかったかのように立ち上がった。
「っ!倒せたと思ったが……丈夫な奴だ」
「気を付けてください!あの分身、小柄ですけどかなり厄介です!」
「っ!そうだ、ティナさんは!?」
不意打ちの一撃を加えたにもかかわらず大したダメージになっていないことを見て、敵の厄介さに気を引き締めるボレロ。
その影人形の手強さを目の当たりにしたソシアは、他の分身と戦っているティナの身を案じたのだった。
「くそッ!!」
「ギィ……」
「ギギッ」
ソシアが心配した通り、ティナも影人形に苦戦を強いられていた。
2体の影人形に押されて武舞台まで後退したティナは、息を切らせながら状況の悪さに焦りの色を見せていた。
(まずい……たった2体でこの有様。とても他の援護には行けない……)
周囲では他の兵士たちが必死に影人形の対処に当たっている。
だが状況は最悪と言える。
王国軍の精鋭と呼べる兵士ですら1体の影人形に歯が立たず、対応しきれない影人形が一般市民を襲い始めていた。
「ギギギィ!!」
「ぐぉおお!!」
ティナと離れていた所で3体の影人形と戦っていたレイザンも、その連携に劣勢に追い込まれていた。
攻撃の合間を掻い潜られ、レイザンは強烈な蹴りを土手っ腹に食らってしまい大きく吹き飛んだ。
(くそが。敵の強さに応じて複数で連携する知能がありやがる。こりゃ……ちとまずいかもな)
他の大会の出場者だった若者たちも、影人形に追い込まれつつある。
そして何よりそれら影人形を生み出した本体が未だ健在……
「はぁ……っ、はぁ……」
「やはり気に食わんな。その目……」
王族専用のVIP席から落ちて観客席の中ほどでリーザを背に剣を構えるアレス。
そんな2人にラグナ=ディールは無数の斬撃を浴びせかけ、2人は全身を激しく斬り刻まれてしまっていた。
「はぁ……はぁ……リーザ、すまねえ。俺の後ろにいるのにそんなにボロボロにさせちまって」
「その通りだな。お前が抵抗しなければその女も楽に死ねるのでは?」
ビュンッ!
「きゃぁ!!」
そう言いながらラグナ=ディールが腕を振るうと、空気を引き裂きながら斬撃がアレスとリーザを襲った。
地面が裂け、2人から血飛沫が舞う。
すでに2人の服は血に染まり、体中におびただしい傷が刻まれていた。
(好き勝手斬り刻みやがって……だけど、おかげで少しずつこの攻撃にも慣れてきた)
しかし絶望的な状況の中、アレスは希望を失わずラグナ=ディールの攻撃に適応しようとしていたのだ。
ビュンッ!!
「はぁああ!!」
ガギンッ!!
見えない軌道で打ち付ける斬撃を、ボロボロの剣で軌道を逸らして防御を行う。
(いける……奴が油断しているうちに一気に反撃を……)
「このまま何とかなると思ったか?」
「なッ……」
だがそんなアレスの考えを嘲笑うように、ラグナ=ディールは冷たい視線のままそう呟いた。
繰り出されたのはそれまでと同じ腕を振るって放つ不可視の斬撃……しかしその速度はアレスの想像を大きく上回るものだった。
キィイイイン!
澄んだ金属音と共にアレスの剣が中程から折れた。
それと同時にアレスの脳裏をよぎったのは明確な死のイメージ。
「ぐぁあああああ!!」
「アレス!?」
反射的に顔を逸らすも、その斬撃はアレスの頭部を掠めてしまう。
「反撃の希望などあるわけがない。お前は俺にいたぶられた末に殺されるのだ」
膝をついたアレスにラグナ=ディールは冷たく言い放つ。
微かに見えたかに思えた希望は、流れ出た血で覆い隠された左の視界のように失われてしまったのだ。




