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コンサート会場ダンジョン化事件の裏で

――それは、ティナがルークたちに襲撃された日の正午のこと。

コンサート会場がユガリ帝国の襲撃者によってダンジョンと化していたなどとは露ほども知らず、ソシアはコクーン・オブ・ブレインの一室にいた。

白い作業台の上には、いくつもの薬瓶と乾燥させた薬草、精製途中の液体が整然と並べられている。


「良いじゃないかソシア君。やはり君は筋がいいよ」


そんな本格的な研究室で作業をするソシアに声をかけたのは、コクーン・オブ・ブレイン所長――フリーダ・マギステルだった。

ソシアはフリーダの指導のもと、基本的な薬品の調合を行っていた。


「ありがとうございます。母と父から、いろんな薬草の扱い方を教わっていたので少し慣れているんです」


そう言いながら少し顔を上げた彼女は、すぐに手元の薬品に視線を戻し作業に戻る。

秤を使用して慎重に粉末を取り、液体を垂らし、慎重に混ぜ合わせていく。

フリーダは、その様子を興味深そうに眺めていた。


彼女のスキルは【精密秤】。

誤差を一切許さない正確無比な計量を可能とする彼女のスキルは、薬学においては極めて有用な能力。

彼女が薬品を調合するときはそのスキルのおかげで秤を使用せずにてきぱきと作業を進めて行くのだ。


だが一方で、ソシアは違う。

両親から教わった経験。

薬草に触れてきた年月。

そして――嗅覚を強化する、彼女のスキル。


(……強化嗅覚のレベルは高くないと聞いていたが……こと、薬品に関しては異様なほど感度がいい)


ソシアの作業を見ていたフリーダは僅かに目を細めた。

香りのわずかな変化を見逃さず、経験と勘を生かし調合の分量を微細に調節していく。


ボンッ!!

「きゃッ!?」

「ふふ、初めのうちはそう上手くはいかないよ。だが、やはり目を見張るものがある」

「あ、ありがとうございます……びっくりした」

「前に私が大爆発を引き起こしたようなレシピじゃないとはいえ、これも繊細な作業が求められることには変わりない。これが出来ないうちはより高威力な薬品は作れないよ」

「はい」


慎重に作業を進めていたソシアだったが、調合した液体同士を掛け合わしたところ、目の前で炎が上がる小爆発を起こしてしまったのだ。

まだ自在に調合を扱えるようになるまでは遠い。

それでもソシアはフリーダに目をかけてもらい、着実にその技術を磨いていったのだ。


「所長、失礼します」


ソシアが調合の区切りを迎え部屋の緊張が途切れたその時、不意に研究室の扉がノックされたのだった。

入ってきたのは、コクーン・オブ・ブレインの職員のビリーヴ。


「所長、地上の総合研究所にお客様がいらしています」

「私にか?そんな話は聞いてないが」

「はい。ですが軍括の方が、急ぎでフリーダ様と話がしたいと」


予定にない王国軍の訪問にフリーダは顔をしかめながらも、不満を飲み込むように肩を落としソシアに向き直った。


「ソシア君、いったん休憩にしよう。少し早いが昼食を取っておきなさい」

「はい」

「もしよければ食堂に行くといい。私の名前を言ってくれればお代は取らないよ」

「あ、いえ。今日はお弁当を持ってきているので」

「そうか。それなら、この部屋を使って構わないよ。私は客人の対応に行ってくる」


フリーダとビリーヴが部屋を出ていくと、研究室は静けさを取り戻した。

ソシアは作業台の端に腰を下ろし、鞄から包みを取り出す。


(……ふぅ)


蓋を開けると、質素だが栄養の考えられた弁当が姿を現した。

この弁当は今朝早起きしたソシアが自身で作った手作りのもの。


(午後も、もっと頑張ろう)


そんな小さな決意を胸に、ソシアは一口箸を運ぶ。

フリーダは本来自分が一生関わることすらないような立場の人間。

そんな人物に時間を作ってもらっていることをソシアは重く受け止め、より努力しないといけないと気を引き締め直すのだった。


だがそうしてソシアが昼食を食べ始めてから20分後。

突如、静かだった研究室に異変が訪れるのだった。


ウゥゥゥゥン!!ウゥゥゥゥン!!

「ッ!?な、なに!?」


突如耳をつんざくような非常ベルの音が建物全体に鳴り響いたのだ。

ソシアは思わず箸を落とし、椅子から立ち上がる。


(1人の時にそんな!とりあえず外に……)


この研究所に詳しくない自分が1人で居る時に異変が起きた不幸を呪いつつ、ソシアは研究室を飛び出し廊下へ駆けだした。

そこには白衣姿の職員たちが、慌ただしく行き交う光景が目に飛び込んできた。


「ちょ、ちょっと……!」

「第二区画を封鎖して!」

「消火班はもう向かってる!」


飛び交う声に、胸が締めつけられる。

その時ソシアは自分の目の前を走り過ぎようとしたひとりの職員を呼び止めたのだ。


「すみません!あの、何があったんですか?」

「君はフリーダ様が連れてたハズヴァルド学園の!なんでも、第二倉庫で火災が発生したらしいんだ」

「か、火災!?」


職員のその言葉にソシアの顔が青ざめる。

ここは地下空間に作られた建造物。

危険な薬品なども多数保管しているこの建物での火災ということで、ソシアの頭に最悪の未来がよぎる。


「大丈夫です!この建物は当然火災対策も万全ですから。大事にはなりませんよ」

「そ、そうなんですか?」

「もちろんです。ですが状況がまだ把握できていませんので避難してください。私が案内します」

「は、はい……」


そう促されるままに、ソシアは他の職員と共に外へと連れ出された。

外に出ると、そこには多くの職員が集まっている。

だがソシアが想像したような最悪の事態には至ることはなかったのだ。

消火活動は迅速で、程なくして非常ベルも止まる。


「皆さん!火は完全に消えました。火災も第二倉庫の火元付近で食い止められました。ご安心ください」


職員の声が響き、場の緊張が少しずつ解けていく。

それを見たソシアも緊張の糸を緩めようとした……その時だった。


「いったい何があった!?」


建物の外に避難していた職員たちの元に、地上での会議を中断して駆けつけたフリーダが姿を現したのだ。

この騒ぎの説明を求めるフリーダに、複数の職員が事情を話す。


「どうやら燐魔液が漏れだしていたらしいです」

「それで雑紙に引火しただけだって」

「管理の不手際かと思われます」


現場を確認した職員がフリーダに発火の原因を説明する。

職員が言う燐魔液はとあるダンジョンで採取できる青白く濁った半透明の液体。

専用のガラス瓶に入れて保管すれば危険はないが、空気に触れると発熱、発火反応が見られる物質である。

発火元を確認したところ原因とみられるものはその燐魔液を保管していた棚であり、職員は事件ではなく事故だと考えていたのだ。


「……燐魔液。第二倉庫……」


だがそれを聞いたフリーダの視線が、鋭く細まる。


「ソシア君!ついて来なさい!!」

「え、ええ!?フリーダ様!?」


口元に指を当て考え込んでいたフリーダだったが、突然何かをひらめいたように駆け出し、同時に近くにいたソシアについてくるよう指示を出したのだ。

ソシアはその意図が分からず混乱するが、とにかく走り出したフリーダの背中を追いかけた。


「フリーダ様!一体どうしたんですか!?」

「この施設でそんな初歩的な管理ミスが起きると、本気で思っているのかね」

「えっ?皆さんを疑う訳じゃありませんが、誰にだってミスがあってもおかしくないのでは……」

「それはそうだろう。だが火事が発生したという第二倉庫、そこはフロアDから最も遠い倉庫だ」

「え、フロアDって……」


フリーダのその言葉にソシアは言葉を詰まらせる。

フリーダが言うフロアDというのは、このコクーン・オブ・ブレインで最も重要とされる危険度が高く機密性の高い物品を扱うエリアのこと。

確かにそこで何かを盗んだり工作を行うならフロアDから遠い第二倉庫で騒ぎを起こすというのは納得がいく話だろう。

だがそれは全て彼女の想像。

何の証拠もない状況でそんな仮説を話すフリーダに、ソシアは半信半疑でついていくことしかできなかった。


「黒祟の壺は無事か!?」


建物内に入り、フロアDの入り口のパスワードを手早く入力したフリーダは、現在この施設で1番危険で重要度の高い黒祟の壺の安否を確認しに向かった。

透明な防魔観察板から見える部屋の中央には、黒祟の壺が入れられた耐呪物特殊ケースがなんの変わりもなく鎮座している。


「よかったですね。ここは大丈夫みたいです」

「……いや、まだだ」


しかしフリーダはここで異変の有無を判断せず、なんと部屋のロックを解除し黒祟の壺が保管されている部屋に足を踏み入れたのだ。


「フリーダ様!?危ないですよ!」


以前耐呪物特殊ケース越しですら呪いの片鱗の影響を受けたソシアは、不用意に部屋の中に立ち入ったフリーダに焦りの表情を浮かべる。

だがフリーダはそんなソシアの言葉には一切耳を貸さず、黒祟の壺が入れられた耐呪物特殊ケースを持ち上げた……


「軽い。軽すぎる!」

「えっ!?」


そう呟いたフリーダは、なんとその場で黒祟の壺が入っている耐呪物特殊ケースの蓋を開け始めたのだ。

驚きを隠せないソシアを前に、フリーダは瞬く間にケースの蓋を開けてしまう。


「……やられた。すでにすり替えられていたか」

「すり替えられていたって……まさか、黒祟の壺は!?」

「すぐにこの施設を封鎖だ!!黒祟の壺が何者かによって盗み出された!!」


なんと特殊ケースの中に入れられていたのは安物の壺と重量を誤魔化すためのレンガであり、中に入っていたはずの黒祟の壺はどこかへ消えてしまっていたのだ。

かつて世界を破滅に導こうとしたとされる悪魔。

伝承で伝えられるその厄災が、何者かによってふたたびこの世界に解き放たれようとしているかもしれなかった。

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