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彼の香り

アランイメージのオリジナルフレグランスが届いて浮かんだ妄想をそのまま書きました。アランとセレスがいっちゃいっちゃしてるだけの話です。

毎朝目が覚めると香ってくる優しい香り。婚約者からの「愛情」という真っ赤な薔薇。花瓶に活けられた薔薇の本数は何本あるのだろう。


「おはようございます、お嬢様」

「おはようティナ」


毎朝起こしに来る侍女。彼女の手に握られている真っ赤な薔薇と、彼からのメッセージが記された小さなメッセージカード。今日も美しく開いた花とカードを手渡され、セレスは嬉しそうに微笑んだ。


—会えるのが嬉しい


今日の午後は婚約者と会う予定だ。数日前からソワソワと落ち着きなく今日という日を指折り数えていた。そんな主の姿を見て呆れていたティナだったが、それだけ婚約者に会える事を楽しみにしている主を見るのは嬉しかった。


婚約するまで知らなかったのだが、アランという男は兎角多忙だ。

騎士団所属というだけでも忙しい。騎士とは街の警備や見回りだけでなく王城の警備も行う。鍛錬もかなり厳しいものだし、貴賓客の警備も行うのだからと、見た目にも気を使わなければならない等々、ただ「騎士である」というだけで目が回る程忙しい。


それだけでなく、アランは辺境伯家出身。普段当主である父と次期当主である兄は領地に住んでいる為、領地から王都宛の連絡を受け取りあれこれ手を回すのもアランの役目。


更に言えば、王都での集まりに参加する所謂「王都での社交」に参加するのもアランの役目の一つである。これはアランの妻を探すというのも目的の一つだったのだが、此方に関してはセレスと婚約したため「もう面倒だから良いんじゃないかな」とまで言い出している。流石に王都で生活するのだからそれは駄目だと止めてはいるが、未だに令嬢たちに群がられるのが何だか嫌だと不満げだった。


「本日の外出には、先日お作りしたドレスをお召しになりますか?」

「そうね!そうするわ!」


アランと一緒に選んだ生地で作った新しいドレス。出来上がった事は伝えているが、まだドレスそのものは見せていない。きっと彼のことだから、目一杯、持てる言葉の全てをもって褒めてくれるだろう。


恥ずかしいだとか、照れ臭い気分にはなるのだが、嬉しそうに蕩け切った顔で「可愛い」と言ってくれるアランが好きだ。きっと彼なら喜んでくれる、褒めてくれる。そう思えるから、ここ最近のセレスは着飾る事が好きになっていた。

勿論無駄に高価な宝石を身に付けたりするわけでも、不必要な程の量のドレスを作るような事はない。以前よりも少しだけ、ドレスを作ったり宝飾品に目を向けるようになっただけ。

褒めてくれる相手がいるというだけで、こんなにも楽しい気持ちになるなんて知らなかった。ニコニコと口元を緩めながら、セレスはいそいそとドレッサーの前に座る。そんなセレスを鏡越しに見ながら、ティナもゆったりと微笑んだ。


◆◆◆


「ああマズい!時間が無い!」


セレスがうきうきと支度をしている頃、ゴールドスタイン邸は騒がしい声が響いていた。結婚後もこの屋敷で生活する予定の若き主の慌てふためきように、使用人たちは苦笑いを浮かべている。


「落ち着いてくださいませ…」

「ああクソ!まさかこんなに時間が掛かるなんて!」


午前中はゆっくりセレスを迎える為の準備をして過ごそうと思っていたのに、朝一番に部下が屋敷に飛び込んできた事から騒ぎは始まった。

明日提出予定の書類が埋もれていたのを夜中に発見したと涙目で訴えてくる部下は、「期限を破れば団長がお怒りに!」と震えていた。流石に上司である鴉を怒らせては面倒な事になる。仕方なく大急ぎで支度を済ませ、騎士団の詰所で仕事を済ませた。そこで話は終わる筈だったのだ。少々計画は狂っても、セレスを迎える準備をするには充分な時間がある筈だった。


それなのに、たまたま居合わせた第一部隊の隊長に絡まれ、「稽古をつけてやろう!」なんて言い出されるのは想定外。何度も「今日は非番で婚約者と約束がある」と訴えても、少々人の話を聞かない彼は無理矢理稽古場にアランを引き摺って行ったのだ。


汗と埃に塗れ、どうやって逃げようか思案しながら剣を振るった。なかなか戻って来ない事を心配した第一部隊の隊員が無理矢理自分の隊長を引きずって行った事で漸く開放された頃には、準備をする時間は殆ど残っていなかった。


「お湯…いいや水で良い。汗を拭いて着替えを…」

「ですが…御髪まで汗と埃で汚れていらっしゃいます」

「ああもう…何でこんな大事な時に…」


がしがしと髪を掻き回すアランの眉間には、深々と皺が刻み込まれている。

主の帰りが遅い事で何か察していたのか、優秀な使用人たちは既に湯浴みの支度と、客人を迎える為の支度を済ませてくれていたらしい。


「手早く支度を致しましょう」


苦笑しながらそう告げる使用人に、アランは心から感謝した。

風呂場に駆け込み、煩わしいながらも丁寧にボタンを一つずつ外して服を脱ぐ。湯を張った浴槽に体を沈め、さっさと汗と埃を流した。本当ならばもっと丁寧に身体を磨くのだが、生憎そんな時間は無い。石鹸を泡立て背中を流す等、世話をしてくれる使用人が濡れてしまうのは申し訳ないが、今のアランに余裕などない。


婚約者の前ではいつだって格好良くいたいのだ。少し年下の彼女に頼ってもらえるような、美しく強い騎士として見られたい。この世で一番素晴らしい男だと思ってもらえたらどんなに良いだろう。

自分が見栄っ張りだという自覚はある。もっと隙を見せても良いんじゃないかと言われる事もあるが、それは何となく嫌だった。


「アラン様、御召し物は如何致しましょう」

「任せる」

「では既にご用意させていただいた物を」

「流石だな」


がしがしとタオルで髪を拭きながら、アランはさっさと浴槽から出る。パタパタと体から落ちる水滴が床を濡らしているが、どうせこれも後で使用人が綺麗にしてくれるのだ。濡れた体をささっと拭き、バスローブを着せてくれる使用人はすまし顔だ。


「お茶と菓子の準備は?」

「万全です。ダルトン嬢のお好きなフィナンシェもご用意しております」

「きっと喜ぶ」


すたすたと足早に自室へ向かいながら、アランはセレスの為に用意されているものを細かく確認していく。

今日は寒いから暖炉のある談話室に支度をしているか、石炭は切らしていないか。セレスお気に入りのひざ掛けは、柔らかいクッションは用意してあるのか。

茶葉はセレスお気に入りのものか、それともこの間見つけたハーブティーか。茶菓子の量は充分か。

あれもこれもと細かく確認するアランに、使用人は丁寧に返事をする。それを繰り返しながら、二人はアランの自室へ戻り、服を着替え、髪を拭く。


「一瞬で髪を乾かせる魔法があれば良いのに」

「まずは魔法使いを見つけるところからでしょうか」


この世界に魔法使いなんていない。子供の頃から知っている事実だが、今はまだ湿っている髪を乾かしてくれる魔法使いがいてほしい。もっと言えば、剣の稽古から逃げるのを手助けしてくれたり、屋敷と職場を一瞬で行き来出来たらもっと良い。


「うーん…何だかまだ汗臭い気がする」

「気のせいではないでしょうか」


使用人はしっかりと石鹸を泡立ててアランの体を洗ってくれた。汗の匂いは既にしない筈なのに、何故だか気になって仕方がない。万が一セレスに「汗臭い」なんて思われたら困る。


—コンコン


ノックの音が響く。セレスが来たと告げに来たメイドが、風呂上りのアランを見てほんのりと頬を染めた。そんな反応をするという事は、このメイドはまだ新人なのだろう。この屋敷での女性使用人は、初めの頃はアランの姿を見ると頬を赤らめる。慣れてくるとそれも無くなっていくし、最近の使用人たちはセレスの前で蕩け切った顔をしているアランに苦笑するばかりだ。


「今行く」


棚に飾られた小さな小瓶。それを掴むと、アランは蓋を抑えながら二、三度上下に傾ける。蓋を開いて、蓋に取り付けられた軸をちょんちょんと手首と首筋に当て、蓋を閉じて元に戻した。


「もう談話室?」

「はい、いつもの席でお待ちいただいております」

「わかった」


軸を当てた手首と首筋をこすり合わせながら、アランは急ぎ足で歩く。愛しい婚約者が待っている談話室が、やけに遠く感じた。


◆◆◆


ドキドキと落ち着かないのは何故だろう。もう何度もゴールドスタイン邸には訪れているというのに、今日のセレスは普段よりも落ち着かない。

新しいドレスを着ているからだろうか。それとも、久しぶりに会えるのが嬉しくて約束の時間よりも少し早く到着してしまったからだろうか。


今日の外は少し寒かった。馬車の中で冷えてしまった体を、暖炉の火は優しく温めてくれる。談話室でアランと過ごす時のセレスの定位置。暖炉に一番近い位置に置かれた二人掛けのソファー。此処が一番暖炉に近くて温かいのだ。


体の右側にはアランが座る。そんなに狭いソファーでは無い筈なのに、いつだってアランはセレスの肩を抱きたがる。普段仕事で忙しく、なかなか会えないから寂しいのだと笑う彼の顔が好きだ。


優しそうに垂れた目が、笑う事で更に嬉しそうに垂れる。この顔を知っているのは自分だけだと思うと、何だか嬉しかった。


「セレス、待たせてごめんね」


嬉しそうな顔をしながら部屋に入ってくるアランを見ながら、セレスはそっと立ち上がる。にこにこと微笑むアランは、セレスの両手を優しく握る。その手の温かさをこそばゆく思いながら、セレスもにっこりと微笑んだ。

まるで世界に二人きりとでもいった様子に、アランの後について来た使用人は目を伏せる。


私は空気、何も思っていません、今更照れません。そんな顔で、腕に下げていたアランのベストをそっとソファーの背凭れに掛けた。


「約束の時間よりも早く来てしまって申し訳ありません」

「その分セレスと過ごす時間が増えるから良いんだよ。今日のドレス…この間一緒に選んだ生地だね。よく似合ってる」


蕩けるような甘い顔で笑うアランに、使用人はぐっと唇を引き結び、小さく頭を下げて部屋を出る。きっと廊下に出てすぐに大きな溜息を吐く事だろう。


それを知らないアランは、そっとセレスの肩に手を伸ばす。

今王都で流行しているストライプ生地をスカート部分に使ったドレス。夜会には向かないが、ちょっとしたお洒落をするのに良いと年頃の令嬢に人気なのだ。

ティールブルーをメインに、アイボリーのストライプ。アランのお気に入りの生地となったそれは、セレスの細い体を品良く飾ってくれている。


「やっぱりこの青はセレスによく合うね。今度この色で夜会用のドレスも作ろうか。俺からプレゼントさせて」

「素敵なドレスになりそうですわね。でも…いつも贈り物をいただいてばかりで申し訳ないですわ」

「そんな事言わないで。俺がセレスに贈りたくて贈ってるんだから」


困ったような顔をするセレスを宥めながら、アランはそっとソファーに座るよう誘う。大人しくそれに従うと、アランはいつものようにセレスの肩を抱いた。


「耳飾りも普段使い出来る物をって話したのにまだ贈れていないし…婚約指輪もまだ。もう少し暑い時期になったら帽子とか日傘も…セレスに似合いそうな物を探すのが好きなんだ」


にこにこと微笑みながら、あれもこれもと楽しそうに話すアランの機嫌は良さそうだ。これは気が済むまで妄想させて、適当な所で「要らない」と断るしかないだろう。


婚約指輪はそのうちで良い。それ以外のものは、あまりにも婚約者に貢ぎすぎだと思ってしまうのだ。自分にそこまで沢山の贈り物をされるような価値は無い。たとえそれがアランの楽しみだとか、望みだとしても申し訳なく思ってしまう。


友人は「それくらい好きに贈らせておけば良いのよ」なんて言うのだが、彼女は次期侯爵の婚約者だ。婚約者にちょっとした贈り物をこまめに贈る程度で懐が寒くなるような家ではないだろう。勿論ゴールドスタイン家もそれは同じだろうと思うのだが、何度考えても申し訳ないが先行してしまう。


「…迷惑?」

「いいえそんな!嬉しいです、とても」


捨てられた子犬のような目をするアランに、セレスは慌てて首を振る。その顔は卑怯だと思いながら、セレスは言葉を続けた。


「毎朝の贈り物だけでも充分なのです。アラン様からの愛情なのでしょう?」

「気に入ってもらえてるみたいで良かった。でもそれだけじゃ足りないんだよ」

「私には充分です」


そう言ったセレスに、アランは小さく溜息を吐く。

あまりしつこく断ったせいで気分を害しただろうか。そう心配するセレスの頭に頬を寄せながら、アランは不満げな声を漏らす。


「俺の婚約者は本当に無欲だね。もっと我儘を言ってくれて良いのに」


そう言ったアランにどう返事をするべきか考えながら、セレスはちろりとアランに視線を向けてふと気付いた。

普段よりも随分ラフな格好。ジャケットかベストを着ているのが普段のアランなのに、今日はシャツだけだ。それも首元のボタンは留められていない。真っ白なシャツから覗く首筋の色香に、セレスは慌てて目を逸らした。


「お、お風呂にでも入られていたのですか?」

「ああ…ちょっと色々あって汗をかいたから…」


まだ汗の匂いがするだろうかと自分の腕を嗅ぎながら距離を取ろうとするアランに、セレスは小さく笑う。


「まだ髪が濡れていますわ」

「一瞬で髪を乾かす魔法があったら素敵だと思わない?」

「そうですね…私も毎晩同じ事を思っております」


短い髪のアランでも大変なのに、セレスの髪は腰まで届く長さだ。手入れの行き届いた髪はティナの努力の賜物だが、本当に手間と時間が掛かっている。


「服も普段より…その、軽装と申しましょか」

「ごめん、ちょっとまだ暑かったから」


見苦しくてごめんと詫びながら、アランはソファーの背凭れに掛られていたベストに手を伸ばす。格好悪いと眉尻を下げるアランだったが、何となく服を整えられてしまうのが勿体ないような気がしたセレスは、アランの手からベストを取り上げた。


「セレス?」

「まだお暑いのでしょう?」


にこにこと微笑むセレスに、アランは困惑顔だ。楽しそうに微笑むセレスの手からベストを取り返そうと手を伸ばすが、セレスはその手を避ける。


「落ち着くまでそのままで宜しいではありませんか」

「ええ…?でもほら、ちょっとだらしないだろ?」


返してともう一度手を伸ばすアランから、セレスはベストを奪われまいと体を捻る。何がしたいのか分からないと言いたげなアランだったが、珍しくセレスが楽しそうに悪戯をしているのが面白いらしい。


「悪い子がいるみたいだ」


にたりと笑うと、けらけらと楽しそうに笑っているセレスを腕の中に閉じ込める。

ぐいぐいと体重をかけ、「返しなさい」と優しく言葉を落とせば、セレスは楽しそうに笑いながら、しかし恥ずかしそうに頬を染めながら大人しくベストをアランに差し出した。


「もう降参?」

「だってこのまま潰されてしまいそうなんですもの」


そう笑ってはいるが、本音は違う。ふいに鼻を擽った香りで正気に戻った気がした。アランの腕の中でいつも感じる香り。それが普段よりも強く香ったのだ。

きっと何か香水を付けているのだろうとは思っていた。風呂に入っていたのなら、香水も付け直したばかりだろう。この香りは知っている。毎朝一輪ずつ贈られる薔薇の香りに似ているのだ。


服を正されてしまうのは勿体ないが、シャツ一枚越しの体温や、普段あまり目にする事のない首筋や鎖骨が見えるのがあまりにも刺激が強かった。悪戯っぽく小首を傾げて微笑む婚約者が、誰もが憧れる麗しの騎士様だという事を思い出す。


アランの事は大きな子犬のように思っているが、社交界では高嶺の華なのだ。そんな彼の色気の破壊力というものを舐めていた。ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、セレスは乱れた髪を片手で直す。


「もう少しじゃれていても楽しかったのに」

「いえ、悪戯が過ぎました」


久しぶりに会えたのが嬉しかったからといって、何故こんなに馬鹿げた真似をしてしまったのだろうと後悔しながら、セレスは小さく息を吐いた。


暫く会えていなかったが、毎朝贈られる贈り物のおかげで寂しさは紛れていた。いつでも愛されていると思えているし、いつもアランの面影を感じられる。

だが、セレスにとって一番安心できるのはアランの隣、腕の中なのだ。それを思い出してしまう薔薇の香りは、時折ほんの少しだけ寂しい思いをさせる。


「どうかした?」

「いえ…その、良い香りがしたものですから」

「香水かな。さっき付け直したばかりだから。いつも付けてるやつなんだけど」


いつの間にか大好きになった香り。大好きな婚約者の、安心する香り。

会えない間も薔薇を見て、時折鼻を近付けて寂しさを紛らわせていたが、薔薇とこの香りは違うのだ。


「お気に入りなんだ。あまり強い香りがするのは嫌だけど、これはそんなに強くない」

「私も、この香りが好きです」


甘えるように、アランの肩に頭を預けた。素直に甘える婚約者が可愛いのか、アランは嬉しそうにセレスの頭を撫でる。

顔の傍をアランの手が通る度に、ふわふわと香水の香りが漂った。


「どこの物ですか?」

「調香師に直接オーダーしてるんだ。隣町のピケットの店」


アランの婚約者だと言えば、アランの香水と同じ物を作ってくれるだろうか。ピケットの店というのは初めて聞いたが、恐らくティナかセバスチャンに頼めばすぐに注文してくれるだろう。


「…もしかして、ティナにお願いごとをする気かな?」


図星だ。何故分かるのだと目を見開いてアランを見ると、アランは不満げな顔をセレスに向けた。


「さっき言った筈だよ。もっと我儘を言ってくれて良いって」


そっとセレスの手を取りながらアランは言う。深緑の瞳がセレスを捕らえて離さない。


本当は分かっている。頼むべき相手が誰なのか。素直に「お願い」をしたらどんな顔をするのか。

申し訳ないという気持ちを伝えるよりも、可愛らしくおねだりをする事に慣れた方が良い。アランという男は、頼られる方が嬉しいのだから。


「…私も、アラン様と同じ香りが欲しいです」


目を伏せながら、セレスはぽつりと呟く。握られたままの手をぎゅっと握り返し、更にぽつぽつと言葉を続けた。


「お会い出来ないのが寂しくて…アラン様の香水があれば、離れていても腕の中に居られるような気がするのです」


寂しい。一緒にいたい。

そう伝えたら困らせてしまうと思っていた。仕事で忙しくても、何とか時間を作ってセレスと過ごす時間を捻出してくれている事は知っている。それを嬉しいと思っているのに、もっとを望んでしまうのも、寂しいと思ってしまうのも申し訳が無かった。


「結婚式、予定を早められたら良いのに」


優しくセレスを抱きしめながら、アランはぽつりと呟く。二人が一緒に生活出来るようになるのは、結婚式を終えてからになる。まだまだ式までは長い。それまでの間、離れている時間が寂しいと思うのは、セレスだけでなくアランも同じだった。


「香水で満足しないって約束して」

「満足してしまう前に、一緒に過ごせる時間を作ってくださいませ」

「うん、約束する」

「…でもご無理はなさらないでくださいね」

「分かってるよ」


慣れない事を言った。これくらいの我儘ならば許して貰えるのだろうか。ドキドキと高鳴る胸の音がアランに聞こえていない事を願いながら、セレスはそっとアランの体を抱き返す。


「もっと我儘を言わない?やっぱり仕事ばかりで寂しい思いをさせているのが気になって…」

「その方が、気が楽になりますか?」

「ほんの少しね」


何か無い?と小首を傾げるアランに、セレスは少し悩む。

香水をおねだりしたのだからそれで満足なのだが、もう一つくらいおねだりしておいた方が今は良いのだろう。


「では、素敵なフラコンボトルを。それに香水を入れていただきたいです」

「それなら王都の外れにガラス工房があるんだ。そこでオーダーしようかな。デザインのお好みは?」

「アラン様にお任せいたします」


婚約者への贈り物に悩む時間も、セレスにとっては嬉しいものだ。忙しいアランには少々大変かもしれないが、我儘を言ってほしいと言ったのはアランの方だ。


「出来上がったらすぐダルトン邸へ届けるよ」

「はい、楽しみにしております」


嬉しそうに微笑んだセレスの額に、アランはそっと唇を落とす。

途端に顔を真っ赤にするセレスに小さく笑って、アランは何か思いついたように微笑んだ。


「俺がお供出来ない外出の時は、必ず香水を付けると約束して」

「何故ですか?」

「虫避け」


その言葉の意味を理解出来ないセレスが小首を傾げ、アランは満足げに笑う。


「失礼致します」


お茶を運んできた使用人が部屋に入ってくるまで、セレスはアランの香りに包まれながら穏やかに笑う。

暫くしたら、彼と同じこの香りを纏わせる事が出来るのだと楽しみに思いながら。


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