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エピローグ

 騒ぎ声がうるさかった。

 僕はそれで目を覚ます。また、違う景色だ。見たことのない天井、見たことのない壁。もうこれで三日連続だぞ。ため息をつく。


「お、ようやく目を覚ましたか」


 椅子に座っていた夏目が顔をあげる。

 ここはどこだ。たしか、収容所を襲撃して、あの少年を逃がしてしまって――そうだ、そこで僕は意識を失ったんだった。

 だとすると、ここは収容所の施設内だろう。


「もう宴が始まってるぞ。隣の部屋でやっているから、もし大丈夫そうだったら来てくれ。江洲くん、君は僕たちの『英雄』だからな」


 夏目は持っていた本を閉じ、立ち上がって部屋を出る。

 英雄か。

 そんな大層なものではない。あの少年も取り逃がしてしまった。

 結局、彼は誰だったのだろう。

 なぜだか分からないが、初対面ではないような気がしていた。

 僕はベッドから立ち上がって宴会場へ向かう。

 ドアを開き、僕が中に入った瞬間に部屋全体が沸いた。


「やっと来たか! さあ今回の主役がやって来ましたよ!」


 人が集まってくる。当然だが、知らない顔ばかりだ。若者から中年までの幅広い年齢層。性別も男と女がちょうど半々ぐらいだ。

 握手を求められ、僕はそれに応じる。


「ありがとうございました」

「あなたが助けてくれないと、私はずっとあそこで」

「江洲さんは救世主だ!」

「サインください!」


 なんだこれは。芸能人じゃないんだぞ。しかも、時折酒臭い。

 僕は作り笑いで適当に流して、人ごみを捌いていく。

 ようやく波がおさまり、皆が元いた場所に戻っていった頃に、僕の見知った顔が目の前に現れた。

 僕の前にいるのは、四人。


「江洲くん、お疲れ。もし君がいなかったら作戦終了が遅れて、市内組も全滅していたかもしれない」

「いえ、全て夏目さんが立てて下さった作戦のおかげです。援軍が来ていたらこっちだってどうなっていたか」

「ありがとう、本当に感謝している」


 夏目と握手を交わす。

 彼はひらひらと手を振ると、新しい酒を取りに行った。


「薫くん、一時はどうなることかと思ったよ。ともかく、無事でなによりだ」

「レオさん。襲撃の際にはお世話になりました」

「はは。お世話になったのはこっちのほうさ。変装能力がなければ、最初の取っ掛かりがなかったからな。お疲れ」


 海堂は握った拳をこちらに向ける。僕はそれに自分の拳をぶつけた。

 彼は夏目を追うように、部屋の中央へと戻っていった。


「あんた、たまにはしっかりやるのね」

「そういえば、僕の名前呼んでくれたことなかったよね」

「あんたもそうでしょ」

「そうだったな。奈都美も、おつかれ」

「ちょっと、いきなり下の名前で馴れ馴れしく呼ばないでよ!」


 奈都美は顔を赤くしながら、僕の頬を平手打ちしてその場を去ってしまった。

 何か気に触るようなことを言ってしまっただろうか。痛い。


「ほほ、散々ですね」

「――松葉さん」

「ひとまず、お疲れ様でした。まさか江洲くんがあんな能力を手に入れるとは思いもしませんでした」

「驚きました?」

「ええ。心を読もうとしたときに、いつも見ている看守とは何か違う雰囲気がしましたからね。顔は変わっていましたが、あんなに強く念じられたら、すぐに江洲くんだって分かりましたよ」


 松葉は静かに笑う。

 だが、その細めた目はどこか悲しげな様子だった。


「そうだ」松葉は手を叩く。「あのときの私の言葉、覚えてますか? 私を助けてくれたときの」


 彼を助けたとき、彼は何か言っていただろうか。記憶がぼやける。

 あれは何日前のことだっただろう? それとも今日だっただろうか?

 混乱する僕を見て、松葉は静かに僕の肩を叩いた。


「覚えてないですか――お礼をする、と言ったんです。さあ、ついてきて下さい」


 松葉はそのまま僕の肩を抱いて外へ出るように促す。

 部屋の喧騒が遠くなっていく。なぜ皆はあんなに嬉しそうなんだろうか。

 松葉の後についていく。彼は廊下を少し歩いた先のドアの前で立ち止まった。

 中に入る。そこはキッチンだった。


「私なりのお礼です。とっておきのコーヒーを淹れましょう」


 コーヒーか。コーヒーはそんなに好きじゃない。それを伝えようとしたところで、松葉が言葉を続けた。


「ここにはドリップしかありませんが、ドリップコーヒーは奥が深いんですよ。前に淹れたときはエスプレッソでしたが、どたばたしてしまって、結局一口も飲まなかったでしょう?」


 前に淹れた? 彼にコーヒーを淹れてもらったことがあっただろうか。

 松葉はお湯を沸かしながら器材を探す。

 白いコーヒーカップ。透明なドリッパー。茶色のペーパーフィルター。コーヒーの粉。

 彼は粉の入っている袋を開き、香りを嗅ぐ動作をする。


「少し匂いは飛んでいますが、仕方ありません」


 彼は美しい手際でハンドドリップのための器材をセットしていく。

 湯が沸いた。

 彼は火を止め、少し待つ。

 少しの間だったか。長いこと待っていたかもしれない。時間の感覚も、曖昧になってきた。

 意識がふと遠くなりそうになったとき、香ばしい匂いが僕の鼻をつく。

 コーヒーの匂いだ。

 僕はこの匂いをつい最近嗅いだことがある。

 そう、彼の店で。なぜそれを今まで忘れかけていたんだろう。

 一気に記憶が戻ってきた。この数日間の記憶。そして、入院していた頃の記憶も。

 大石先生の顔が思い浮かぶ。

 僕は、この手で大石先生を。ちらっと僕の着ていた服の袖が赤に染まっているのが見えた。


「え? なんで、あれ」


 涙が目から溢れてくる。

 大石先生は、悪くなかったはずだ。

 彼は純粋に僕を助けるために全力を尽くしてくれた。彼のあのときの言葉に、嘘偽りはなかった。

 なのに、僕は。

 彼の言葉をろくに聞こうともせず。

 この手で。

 叫びだしそうになる。


「江洲くん、落ち着いて下さい」


 ことり、という心地よい音とともに目の前にコーヒーカップが置かれた。


「コーヒーには心を落ち着かせる作用もあるそうですよ」


 優しい香りが僕の鼻を通り、体に染み渡る。

 それを手に取り、一口飲んだ。やはり、苦い。


「そろそろいいでしょう」


 松葉のその言葉とともに、厨房に風が吹いた。

 ここは部屋の中のはずだぞ。

 まさか。

 松葉の右隣の空間に、昔のテレビの砂嵐のようなノイズが走る。

 そしてそれは人型に変わり、見覚えのある姿が現れた。

 あの少年だ。


「おや、その姿でいいんですか」

「構いません」


 少年からは敵対心を感じない。

 僕の心がコーヒーで麻痺してしまっていたから、そう感じてしまっただけなのかもしれない。


「薫、ようやく落ち着いて話ができそうだね」

「松葉さん、こいつと知り合いなんですか」

「ええ、この収容所で」

「こいつが誰だか知っていて、ですか?」


 下手をすれば、松葉が裏切り者ということになってしまう。

 そうとは思いたくなかった。

 お世話になった松葉を裏切り者だとは、思いたくない。これは僕の意思だ。


「もちろん知っています。全て、ね。ですが――いや――だからこそ。今は彼の言葉を聞いてやって欲しい。これは私からのお願いです」


 松葉が深々と頭を下げた。

 そこまで言われれば、と僕はしぶしぶ上げかけていた腰を下ろす。そうしたくなるのが人間の心情というものだ。


「松葉さん、何だか薫の症状が軽くなっているような」

「もしかしたらこれが効いたのかもしれません」


 松葉は僕の持っていたコーヒーカップを指差す。


「ですが、長くはもたないでしょう」

「そうですね」


 少年は僕に向き直る。

 見られるのが恥ずかしくなったので、僕は誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。残り半分になった。


「時間もない。単刀直入に言おう。薫、君は三つの能力を発現させてしまったせいで、感情を失いつつある」

「感情を失う?」


 笑い飛ばそうとして、僕は心当たりがあるのに気がついた。

 今日の出来事を思い出す。

 そういえば、今日一日の僕はどこかふわふわしていた気がする。

 自分が自分でないような、まるで夢を見ているような感覚。

 もしかしたら、本当に夢だったのだろうか。

 そんなはずがない。


「大石先生はその危険性を知っていた。だからそうならないように、君に監視をつけていた。でも、レジスタンスの方が一枚上手だったみたいだ。君は監視の目をくぐり抜けてしまった」


 監視。松葉の店にいた奴らのことだろう。


「レジスタンス側も知っていたのか、知らなかったのか。それは分からない。それについて追及するつもりもない。世の中には知らないほうがいい真実だって沢山ある」


 少年は唇を噛み締める。


「革命にはいつも犠牲がつきものだ。それが薫、君だったということだけなのかもしれない」


 情報を処理しきれない。突然そんな壮大な話をされても困る。

 僕が犠牲になる?

 意味は分かっていた。理解はしたくなかった。

 僕は落ち着こうとしてコーヒーを一口飲む。


「起きてしまったことは仕方ない。だが、過去は変えられるかもしれない」


 過去を変える。

 そんな馬鹿げた話、現実で聞いたことがない。

 しかし、少年があまりに真面目な表情だったので、僕はその言葉を笑い飛ばすことができなかった。


「マクロな世界では時間は不可逆的。でも、ミクロな世界なら時間は可逆的だって偉い人が言っていた」

「それは違うよ。ナンセンスだ。時間の向きは秩序から無秩序の方向にいつも流れている。コーヒーの中にミルクを入れると、いつかミルクとコーヒーは混ざり合う。そのとき、細かく見るとミルクが固まっているような場所もあるかもしれないけど、大きく見ると全体的には無秩序だ」


 僕は訂正する。少年はそれに反論してきた。


「だけど膨大な時間をかければ、もう一度秩序の保たれた状態に戻る可能性だってある」

「ううん、そうかもしれないけど。それもありえない話だと思うよ」

「今、僕たちが持っている再構成の能力。これだって可逆性を無視した能力だよ」


 少年の言う通りであった。

 理論的には全く理解できないが、再構成の能力は一度カオスな状態になってから、それを秩序だった状態に戻すという過程を経ているのだ。


「そうか、それなら」

「でもなぜかできないんだ。昔に戻ろうとしても戻れない。というかその時間を戻るという感覚がわからないんだ」


 そんなことが分かれば、ノーベル賞級の発見だろう。

 僕は考える。


「もしかすると、マクロな世界には影響を与えられないのかもしれない」

「どうしようもないのかな。時間は戻せないの?」

「難しい話はよく分かりませんが、神の目を欺くということでしょうか。それはとても骨が折れそうです」


 松葉が口を挟んだ。


「神の目を欺く、か」


 僕は松葉の言葉に唸る。

 頭をリセットしよう。コーヒーを再び口に含む。あと一口になってしまった。

 そこで、はっと気付いた。


「現実に影響がでなければいいんだ」

「それなら、何もできないのと一緒じゃないの?」

「遺伝子はジャンクな部分と機能を持った部分の二つから構成されている。進化の過程で多様性を獲得させるために、ジャンクな部分も必要みたいだけど、そのジャンク領域は基本的に人間の機能に影響を与えないんだ」


 僕は一旦息を吸う。そして、吐く。


「そこに、メッセージを入れればいいんじゃないか?」

「遺伝子から、再構築するってこと?」

「そう。メッセージに気付かない可能性もあるけど」

「でも、昔に戻すのはどうするの?」

「タイムトラベルの原理がアメリカの方で研究されているはずですよ」


 松葉はスマートフォンで百科事典のページを表示する。


「ほら、データのようなものであれば過去に送ることが出来るかもしれません。ただ、どの研究も失敗に終わっていますが」

「データは直接的すぎるんだ。マクロな世界を変えている――さっきの松葉さんの言葉を借りると、神の目を欺けていない」

「DNAは神の構造物のようなものですからね。もしかしたら、灯台下暗しということがあるかもしれません」

「しかも、DNAはずっと前からデータの記録媒体としても注目されていたんだ。スプーン一杯の量で莫大な情報が記憶できるとか」


 僕は早速DNAを構成する四つの記号を使って、メッセージを書き起こしていく。

 今日このときまでに起きたこと。そして僕はあのときどうするべきだったのか。

 もちろん今の状況が必ずしも失敗だとは言い切れない。だが、より良いと僕が思えるような、そんな未来があったのだとしたら。

 それを追い求めようとするのは悪いことではないはずだ。

 僕がメッセージを書いている間に、松葉と少年はタイムトラベルの方法を探ってくれていた。

 時間がない。早くしないと。

 最後のコーヒーを口に含む。

 あと、少し。

 そのとき、スマートフォンが鳴った。メールだ。ポップアップでkoujiという単語を含んだアドレスが表示される。

 今はそんなものを確認している場合ではない。

 できた。

 僕は記号の羅列を確認する。

 確認している最中に、あることに気付いた。

 ――待て。

 僕は、この羅列に見覚えがある。AGAAAGAAから始まる、この記号の羅列に。

 僕はメールを確認する。昨日のメール。件名も、本文もない、添付ファイルだけのメール。

 添付ファイルには記号の羅列。コウジが人工的な配列だといっていたものだ。


「ははっ」


 乾いた笑いが出た。

 なんだ、僕は知っていたんじゃないか。「前」の僕はこれに気付いていた。

 僕のメッセージとその添付ファイルの記号は完全に一致していた。


「薫、どうしたの」


 少年は僕を心配そうに見る。

 僕は経緯を彼に話す。


「そうか。そうだったのか」

「つまり『今回』の僕は駄目だったってことだ」


 コーヒーの効果が薄れてくる。ちくしょう。

 次を飲もうとしても、もうカップの中は空だ。

 意識がもうろうとしてきた。


「次こそは、うまくいくかな」


 感情が無くなるって一体どんな気持ちなんだろう。

 その気持ちを想像できるはずがない。感情がないのだから、当たり前だ。

 目の前の景色が、段々とカラフルなドットの集まりのように見え始める。


「江洲くんもしかして」

「松葉さん、ごめんなさい。あとはお願いします」

「くそっ」


 少年が机を叩いた。


「コーヒー美味しかったです。最後に飲めて本当に良かった」


 僕は松葉に頭を下げる。心から、彼には感謝していた。

 もうこんな感情を抱くことも許されないのだろう。

 そして、目に涙を浮かべていた少年の頭をなでる。


「君も、もう逃げたほうがいい。この後僕がどうするか、僕にもわからないから」

「うん――さようなら、お兄さん」


 少年は涙を拭い、霧散していく。風が吹いた。

 その風は優しく僕を包む。

 心地よい。たしかに、間違いなく、そう感じた。

 ありがとう、皆。

 そして、さようなら。

 僕の意識はそこで、幕を閉じた。

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