005話:恋ヶ淵さんは人気者
ただのクラスメイトとして、という前提ではあるのだが、昨日の会話から恋ヶ淵さんは隣の席である俺が一度も声をかけてこないことを、少し気にしていたらしいことが分かった。
話しかけづらかったというのは否定できない。恋ヶ淵さんとは住む世界が違うような気がして、俺みたいな凡人が気軽に話しかけていい相手なのだろうか……なんて考えてしまっていたのは事実だ。
昨日、声をかけることができたのも、本当に気まぐれというか、奇跡というか。なんで声をかけることができたのか、自分でもよく分からない。
ただ初めて会話をしたことで、恋ヶ淵さんも俺と普通のクラスメイトとして接しようとしてくれていることが分かった。
それなら俺だって変に意識する必要はない。クラスメイトとして接すればいいだけだ。とりあえず、今日は普通に挨拶でもしてみよう。
そう思って登校したのだが――教室に入ると恋ヶ淵さんの席を囲むように、何人ものクラスメイトが集まっていた。
恋ヶ淵さんは人気者だ。モデルや芸能人さえ顔負けするほどの美貌と透明感を持ち合わせ、否が応でも人目を惹く。そんな彼女が放っておかれるはずもない。
これでは声をかける隙もなさそうだ。仕方なく恋ヶ淵さんへの挨拶は諦め、そのまま自分の席へと腰を下ろす。
「おはよ」
右隣の席にいる照沢へ、いつも通り短く挨拶する。
「はよー」
照沢は俺をちらりと一瞥して挨拶を返すと、眠そうな顔を隠そうともせず、大きな欠伸をした。
それ以上、照沢と会話を交わすこともなく、俺はホームルームが始まるまでぼんやりと窓の外を眺める。
なんとなく視線を感じて目を向けると、人だかりの隙間からこちらを見る恋ヶ淵さんと目が合った。
彼女の形の良い唇が、小さく動く。
――お・は・よ。
口の動きがそう言っていた。まさか向こうから挨拶してくるとは思わず、俺は何も返せないまま固まってしまう。
すると、別のクラスメイトに声をかけられた恋ヶ淵さんは俺から視線を外し、再び周囲との会話へと戻っていった。
やがて、朝のホームルームが始まることを告げるチャイムが鳴り、恋ヶ淵さんを囲んでいたクラスメイトたちも、それぞれの席へと戻っていく。
左隣から、またもや視線を感じた。そちらを見ると恋ヶ淵さんが頬杖をつきながら、何か言いたげな顔でこちらを見つめていた。
「……なに?」
思わずそう尋ねると、恋ヶ淵さんは少しだけ唇を尖らせた。
「返してくれなかった」
「え?」
「さっきの挨拶」
「ああ……いや、タイミングが悪くて」
「今もタイミング悪いの?」
なんだ、その言い方。まるで、今ならちゃんと返してくれるよね、とでも言いたげじゃないか。
「……おはよう、恋ヶ淵さん」
少しだけ緊張しながら、俺はそう口にした。
「うん。おはよう、愛葉くん」
恋ヶ淵さんが、嬉しそうににこっと笑う。その笑顔を真正面から受けて、俺は何も言えなくなった。
なんだ、それ。ズルいだろ……。
「ほらー、席つけー。ホームルーム始めるぞー」
教室へ入ってきた担任の声とともに、ざわめきが少しずつ収まっていく。恋ヶ淵さんは頬杖をやめ、何事もなかったかのように前を向いた。俺も同じように黒板へと視線を向ける。
ただの挨拶だ。普通のクラスメイトなら、誰だってする。右隣の照沢にだって、さっき何の意識もせず挨拶したばかりじゃないか。
なのに――さっきの笑顔が、頭から離れない。
気になって左隣を見そうになり、慌ててその衝動を抑える。
今、恋ヶ淵さんの顔を見たら、また変に意識してしまいそうだ。
しばらくは見ない。絶対に見ない。そう心に決めて、俺はいつになく真剣な顔で担任の声に集中した。




