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香りの魔女と王宮の冷徹参謀  作者: 佐倉穂波


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エピローグ

 香術局の一角。

 窓を開けると、柔らかな風が流れ込んできた。乾燥させた花弁と、蒸留した精油。幾重にも重なった香りが、室内に静かに満ちている。

 ミアは調合台の前で小さく息を整えた。指先に神経を集中させる。ほんの一滴——それだけで、香りは変わる。慎重に、けれど迷いなく、滴を落とす。

 次の瞬間、ふわりと空気がほどけた。

「……いい香り」

 思わず声が漏れた。

 やわらかく、あたたかく、どこか懐かしいような香りだった。

 あの日、母が胸に抱いていた想い。

 母が守ろうとした未来。

 言葉にはできないものが、確かにここにある気がした。ミアは、そっと目を閉じた。


 ❊❊❊❊❊


 夕刻の庭園には、長い影が落ちていた。白い石畳の小径に立つその影は、もう見慣れたものだった。

「レオン様」

 名を呼ぶと、彼はわずかに視線を上げる。

「遅かったな」

「調合が、少しだけ長引いてしまって」

 言葉を交わしながら、自然と隣に並んだ。

 それがいつの間にか、当たり前になっていた。

「今日はどんな香りを作った」

「少し、試してみたいものがあって……」

 説明しながら、ミアは小さく笑う。レオンは黙って聞いていた。時折、短く言葉を挟むだけだったが、それでも不思議と会話は途切れなかった。

 風が吹き、花々の香りが二人の間をすり抜ける。ふと、指先が触れそうな距離になる。けれど、触れない。その距離が、今は心地よかった。

「……順調そうだな」

「はい。まだ未熟ですが、少しずつ……前に進めている気がします」

 レオンは何も言わなかった。ただ、わずかに目を細める。

「そうか」

 それだけだった。けれど、その一言に込められた温度に、ミアは嬉しくなった。


 ❊❊❊❊❊


 ある日、ふらりと訪れる影があった。

「忙しそうだね、ミア」

 柔らかな声に振り向けば、アレックスが立っていた。国王としてではなく、ただの"兄"として訪れるときの、あの穏やかな表情で。

「アレックス様……!」

「お兄様でも、いいんだよ」

 アレックスは、からかうように笑う。

 周りに人目がないときは、こうやって気さくな態度で接してくれる。

「無理はしていないかい?」

「はい、大丈夫です」

 自然に言葉が返った。短い会話だったが、その時間はやさしくてあたたかかった。

「何かあったら、いつでも頼ってくれ」

「……はい」

 もう、その言葉を遠慮なく受け取れる自分がいた。それが、少し嬉しかった。


 ❊❊❊❊❊


 離宮から届く手紙は、決して多くはなかった。けれど、途切れることもなかった。端正な筆跡に、簡潔な言葉。それでも、そこに込められたものは確かに伝わってくる。今日の体調のこと、庭の花の様子、ほんの些細な日常のこと。


 ミアはその一通を、しばらく胸に抱いていた。


 それから筆をとり、返事を書く。

 香術のこと、庭園のこと、自分が見た景色のこと。少しずつ言葉を重ねていく。離れていても繋がっていると分かる——その距離は、穏やかで、確かなものだった。


 ❊❊❊❊❊


 夕暮れの庭園に立ち、ミアは目を閉じた。風が、香りを運んでくる。花の香り、土の匂い、遠くで焚かれる香の残り香。そして——自分が生み出した香り。いくつもの層が重なり合い、ひとつの世界を形作っていた。

 人の心も、きっと同じなのだろうとミアは思った。迷いも、痛みも、選択も——すべてが重なって、今がある。


 胸の奥に、あたたかなものが広がる。もう、迷わないわけではない。それでも、自分で選び、自分で歩いていく。その先にどんな未来が待っていたとしても。

 ふと気配を感じて、ミアは目を開けた。振り向かなくても分かる。すぐそばに、同じ方向を見ている人がいることを。

 ミアは、小さく微笑んだ。

 夕陽が沈み、夜が訪れる。それでも、香りは消えない。やさしく、あたたかく、寄り添うように——まるで、幸せをそっと包み込むように。

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