Chapter5_たかが高校受験程度の勉強で躓くかよ。
叢雨学園は、第二次世界大戦が終結して間もない1951年に設立された学校法人である。政治的・社会的な混迷の恩恵を存分に享受し、その後の高度成長期にかけて事業を拡大。学校数や学生数、収益や資産において極端な規模を誇る訳ではないが、優れた実績と堅実なブランドイメージを以て広く知られている。
東京都文京区の西端、目白通りと神田川に挟まれた広大な敷地に、叢雨学園の本部が置かれていた。大日本帝国時代の縁や曰くの付いた土地を含めて取得を成し遂げた背景にGHQ及び“八月革命政府”との癒着が存在することは、半ば公然の秘密である。
その中心に聳え立つのは、叢雨セントラルタワー。法人としての経営に関わる機能から、学園が有する資料館や子会社のオフィスまでが集約された施設である。タワーという名称に違わぬ地上21階建てのビルを、七川理吹は澄まし顔の内側に若干の警戒心を混ぜて見上げた。
彼が入学する叢雨学園東京高等学校もこのキャンパス内に存在する。しかし本日は4月6日、入学式より2日早い。
彼は入学式のために下見をするほど学校生活に対する熱意を備えた少年ではないし、ましてや法人本部棟など高校生にとっては基本的に用の無い施設。訪問の理由は、単に一般の学生とは異なる身の上にある。
「護国神威兵団魔道中尉、七川理吹です。今年度より東京高等学校特進科にてお世話になります」
叢雨セントラルタワーの8階、通常は学生が招かれることのない理事長室にて、理吹は学園の主に敬礼を行った。キャンパスを見渡せるよう広く設けられた窓を背にして立つ初老の男性が、静かに笑って応じる。
「そう畏まらなくていいよ」
彼の名は村雨剛彦。叢雨学園の創立者の孫にして、現理事長である。
高い知性と威厳以上に人当たりの良さを感じさせる、経営よりも小学校の校長あたりが似合う教育者――護神兵のような日本共和国の暗部と結び付いたフィクサーであるなど、普通の教職員や学生の立場からは想像もつかないだろう。
敬礼を解いた理吹に村雨は続ける。
「入学試験の成績を見たよ。英語は習得済みだろうから兎も角、他の教科も90点前後……席次は12位。仕事と並行してこれは見事なものだ。進学実績への貢献、期待しているよ」
「恐縮です。良問ばかりでした」
理吹は笑みを作って返した。たかが高校受験程度の勉強で躓くかよ、とその内心は冷め切っている。中学生の身で形式上は士官となり、国際政治から軍事技術のトレンドまでを否応無く吸収させられた理吹としては、義務教育の学習内容に大した困難など見出しようがない。試験の内容は忘却済みだ。
しかし政府とのコネクションに縁る学生であっても決して裏口入学を仕込まない点について、彼は叢雨学園の入学試験を高く評価している。
この理事長室に居るのは理吹と村雨剛彦のみ。護神兵の構成員が叢雨学園に入学する際、理事長と一対一の面談を行う慣例となっているのだ。護衛などを同席させないのは「学生を無用に疑うべきでない」という教育者としての矜持故だろうか。尤も、理吹が不審な動きを見せた瞬間に私兵が飛び込んでくる可能性は高い。
「知っての通り、叢雨学園と内務省は色々と深い関係にある。七川君のような子供が普通の学校教育を受けられるよう、可能な限りの配慮をさせてもらっているよ」
村雨は言った。その声音からは、孤児や被虐待児に向ける系統の慈愛を感じられた。
内務省経由で叢雨学園に入学する者は、経歴や家庭環境等の個人情報を誤魔化す必要が無い。学園の担当者が尤もらしい形に処理し、在籍中は確実に学生の身分を保証される。東原仙一曰く『職質一つがマジで面倒な身分』からすれば、それだけで市井における生き易さが格段に向上する。また結果的に、多少は政府の首輪と鎖から解放されることでもあった。
そして学力面における不正こそ許されないが、進級・卒業に関するサポートを受けることも可能であり、出席日数程度であれば融通が利くらしい。仕事による学校生活への影響は最小限に抑えられるということだ。その果てに詐称ではない本物の学歴が手に入るのだから、暗部の子供兵にとっては通常の市民社会から隔絶しない為の最後の一線であり、精神的な支えでもある。
「君が通う高校にも専門のスタッフが在籍している。サポートが必要な時は連絡するようにね」
「ありがとうございます」
村雨の言葉を受け、理吹は礼を言う。これは本心からのものだった。
その後は理事長から直々に、護神兵構成員特有の重要事項を改めて解説される時間が取られた。しかし単に警告や確認を進めるだけでなく理吹の為人を知ろうと双方向の対話を図る辺り、この時間が『面談』であることに偽りは無いようである。理吹の生い立ちから護神兵における役回りまで、村雨剛彦という教育者は興味深そうに、また時折共感や義憤を滲ませて聞き入っていた。
理吹もまた、上層部から許されている範囲を弁えつつも、誤魔化しや取り繕いはしなかった。この場に限っては余計な深慮や駆け引きは不要であると知っているためである。但し、彼はとある別の観点から叢雨学園に対する疑念を抱いているのだが。
なお、特に強調された事項は2点。
学園の敷地内への武器――銃器や刀剣の持ち込みは任務の都合があったとしても厳禁とのこと。規則として常識的なものであるし、理吹も周囲に露呈するリスクを冒してまで武器を隠し持って登校するつもりはない。しかし魔術士最大の武器たる魔力を封じることは出来ないし、魔力を前提とする魔道兵装、“アマルガムソード”のような装備もまた規制を潜り抜けられるだろう。
そして、学園のサーバー等に対して不自然なアクセスを行えば処分の対象となる。こちらも一般学生に対する規則と比して特別ではない。しかし敢えて穿った見方をするならば、そもそも学園にとって最も深い『機密』であろう護神兵構成員にすら把握されたくない、更なる機密が存在するのだと推測できる。これは理吹の疑念を多少強めるものだった。
「そろそろ時間か……ここまでにしよう。改めて、まずは3年間よろしく」
壁に掛けられた時計を見て、村雨が言った。「まずは」という表現は、高校卒業後に同学園の大学へ進学する可能性を意識したものである。
「はい。よろしくお願いします」
頭を下げて返した理吹だが、僅かな思案の後に言葉を続ける。
「他にも面談が?」
これは、彼が叢雨学園に対して抱く疑念から生じた問いだった。
――事情を踏まえて学生として受け入れる対象は、日本共和国の暗部に属する者に限られるのか?
日本政府との深く特殊な関係性は自明として、設立当初はGHQ――連合国側との癒着も確かに存在した。そのコネクションが綺麗に消滅しているなど非現実的である。むしろ日本政府と結んだそれと似通った協定の下、外国から派遣された工作員の類に学籍を与える事業を行っていてもおかしくはない。それ自体が根拠となる訳ではないが、外国人留学生が多い学園だ。
あるいは理吹の立場でも知り得ない、日本共和国の深淵に関わる人員を受け入れているか。
「いや、今年は君だけだよ」
問いに含まれた淡い牽制を、村雨剛彦は察した否か。彼は端的に応じ、柔和な笑みを保ったまま理吹に退室を促した。
再度一礼し、回れ右をする理吹。扉の横に飾られた巨大な日本地図が視界に入る。これは叢雨学園のキャンパスが存在する座標に星マークが印されたものだ。
7つのキャンパス、6つの高等学校、5つの専門学校、4つの中学校、3つの小学校、2つの大学、1つの学園――地図の上部に掲げられているのは、何処ぞの連邦共和国をオマージュしたようなキャッチコピー。
法人としては独立したものを含めた場合、地図上の星マークは北東北と四国地方、そして沖縄県にも点在することとなる。
大日本帝国においては国際協調を説く私塾に過ぎなかった“叢雨”が、日本有数と言って差し支えない規模の組織へと躍進した裏側。今のところ、理吹はその全容を把握する術を持たなかった。
「ああ、最後に一つ。学園では魔力を使わないようにしてくれよ。体育でも部活でも、ズルをしちゃあ駄目だ」
理事長から最後に投げかけられた指導。重厚な扉が閉じたところで、理吹は小さく鼻で笑う。
お前がそれを言うか――こと『ズル』に関してはその一言に尽きた。
†
「理吹ー!」
面談を終えた理吹をキャンパスの正門にて出迎えたのは、見慣れたオランジェットの頭髪。護神兵少尉の夏凜明であった。
渋谷ベースや任務の現場で見かける際より華やかな私服姿で手を振る彼女の傍らには、2日前に護神兵が強奪した魔装――DIVAモジュールことリーゼリア・ヴァレンハルトが立っている。
護神兵に准尉の位で迎えられた彼女だが、生活に関するサポートは使用者かつ直属の上官である理吹に一任されていた。朝咲翠蓮を通じて理吹が住まうマンションの隣室を住居とした上で、本日は生活用品等を見繕うべく繰り出した形だ。
堂々と市井に姿を晒したDIVAモジュールを魔女“メルト”の組織が発見すれば相応の対処を図るだろうが、護神兵としては構わない。むしろ彼女の回収なり処分なりの為に派遣された手先を確保し、情報源としたいところである。要は囮として丁度良いため、理吹の監督下で半ば自由な外出が許されていた。
昨日の渋谷ベースで、理吹はリーゼリアを殺さなかった。
「ちょ……何やッてんのさ!」
両者を追ってロッカールームに入った凜明の声が、遣り取りを制止した。
「俺の記憶を見られた。他の奴が入って来ないか見張ってくれ」
彼女の気配を認識していた理吹は端的に告げ、事の次第を理解させる。困惑しつつも背後に注意を向ける凜明に次いで、リーゼリアが叫んだ。
「オレもそッち側だッ」
苦し紛れの方便――と断定する程、理吹は性急を良しとはしなかった。拘束は継続しつつも、アマルガムソードの切っ先をリーゼリアの首筋から離して言う。
「声を抑えろ」
図らずも魔女メルトの手から逃れた彼女が衣食住を提供してくれる護神兵への媚売りを選び、自身の内心を密告するのではないかという危惧から、理吹はこのような行動に至った。邂逅こそ鮮烈なものであったが、結局は僅かに言葉を交わしただけの関係。信用に足る相手ではないだろう。
しかし『こちら側』であるという宣言には相応の価値があった。所属は違えど、この世界で受けた仕打ちには共通するところがある者同士。手を組めるならばそれに越したことはない。
そもそも密告を行うのであれば、当の理吹にあのような問い掛けをするものか――。
これまで関わってきた様々な敵味方、あらゆる駆け引きの記録を脳裏に並べ、理吹は判断を下す。
「悪かった」
謝罪の上、リーゼリアに施した拘束を解く理吹。信用には至らないが、保留には値するといったところだ。僅かな時間で極端な翻意を見せたことは当然に気恥ずかしいものだが、意地の為に人を害する必要は無い。
リーゼリアが大きく息を吐く。安堵したのは凜明も同様で、溜め息と共に緊張を溶かして言った。
「やめてよ、もう……」
理吹の同志となって久しい彼女だが、こういった状況には未だ慣れていないし、今後慣れてしまうこともないだろう。
その夜、理吹はオーソン時信に約束の通り寿司を奢った。
時信の自宅兼事務所から程近い住宅街に位置する店にて、防音結界を張った理吹は護神兵外部の相棒に先刻の出来事を話した。
「初手から好感度ダダ下がりだなぁ」
折角可愛い子と知り合ったのに、と続けて笑う時信。多少は自分の行動を省みていた理吹は「狙ってねーからいいんだよ」と返してバツの悪さを誤魔化した。
「それでトキ、お前はどう思う?東原はひと月様子見しろってさ」
続けて理吹は問う。日本共和国に保護されたばかりの身でその体制の転覆を志す自分に接近したリーゼリアを、取り込んでいくべきか否か。
「いいんじゃねえの?仲間に入れちゃってさ。突拍子もない縁だけど、こういうのは今までもあったろ」
時信の認識は楽観的であった。中トロに山葵を載せつつ、彼は思い出したように「一応そのうち紹介してな」と付け足した。
理吹は評議会に参加している護神兵構成員の中で最も高い階級にある。そのため護神兵周りの事柄に関しては、決定権の半分程度を握っていた。護神兵内部では東原、外部では翠蓮や時信に助言を求めることは多いものの、原則として理吹自身が決断を下すのである。
どうしたものか――。
斯くして不完全で不健全な信頼関係を継続したまま、ショッピングが始まる。
昨晩は監視を兼ねてリーゼリアの宿泊先に滞在し、本日も間に入ってくれる凜明に、理吹は感謝するばかりだった。尤も、彼女としては偽り無く好きでやっていることである。
「仙一も来れば良かったのに」
歩き出しつつ、凜明はこの場にいない仲間を惜しんだ。
「アイツは来ないだろ、こういうの」
彼との付き合いが長い理吹は相応の理解と洞察を得ていたが、それらを殊更説くつもりは無い。言葉を切り上げた理吹はスマートフォンでマップを表示する。交通網を確認し、改めて口を開いた。
「池袋……でいいよな?」
凜明が頷く。東京の土地勘が備わっている筈もないリーゼリアは「任せる」とだけ言って、興味深げに周囲の街並みを眺めている。流暢な日本語故に目立たないが、彼女は海外の出身。日本の都市を歩くこと自体がそれなりのイベントとなるのだ。
凜明はそんな新人から視線を外し、耳打ちするように理吹の顔へ口元を近付けて言う。
「昨日やらかしたんだから、何か奢ってあげなよ」
「分かってるよ」
平然と返す理吹だが、相応に弁える所存であった。
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日常パートって難しい…




