Chapter3_行こうか。
唯鶴が起床したのは13時過ぎだった。
この4月4日は日付が変わりたての深夜から響理会の任務を遂行し、日が昇った早朝に漸く就寝したのだから、決して彼の自堕落に因るものではない。
肩まで届く程度に伸びた後ろ髪をヘアゴムで纏め、唯鶴は朝食の用意を済ませた。キッチンを真横に引き延ばす形で設けられたカウンターに着席し、テレビとタブレット端末の画面を同時に点ける。前者は唯鶴の担当とは異なる『作戦』の現場である山下埠頭物流ターミナルに関わる報道を映すためであり、後者はその内部にて行われた戦闘の記録――ディートリヒ・パウル・シュタイナー特務司教のレポートなどを閲覧するものである。
唯鶴が受動と能動の双方にて情報を摂取し始めたところで、3割ほど同居人と化している依珠葉も起床した。
「ユイ様おはよー」
任務の事後処理に追われて主より短い睡眠となった彼女だが、疲労の発露は控えめな欠伸と寝間着のはだけ程度に留め、平常通りの声音で言った。
「おはよ。朝ご飯できてるよ」
唯鶴は返しつつ、そんな従者への労りも合わせて紅茶を注ぐ。ラベンダーの香気がささやかに広がった。
ツイルシャツのボタンを留めて胸元を閉じ、依珠葉は唯鶴の向かいに着席した。生地に散りばめられたストロベリーは、大人びた雰囲気との間に若干のギャップを生んでいる。
彼女は唯鶴から受け取ったマグカップで両手を温めつつ、テレビの画面を見て言う。
「横浜……オーウェル隊とシュタイナー司教が担当してた方?」
「そ。どうせ“ムーンフェイズ”の討伐は俺の担当になるから、色々見とこうと思って。今夜は会合もあるしね」
微かに湯気を立たせるバゲットを一口齧り、唯鶴が返した。その会合には原則として全ての使徒が出席する。専用の回線を用いてオンライン上で行う簡単なものとはいえ、響理会の高官らしい知見などが求められる。命じられるままに脅威を排除する他ない状況であろうと、彼としては要所における軌道修正が出来る程度には用意をしておきたい。
対ムーンフェイズ戦の先行きを案じている依珠葉だが、態度には出さず押し留めた。従者らしく本日の予定に関して述べる。
「取り敢えず18時くらいには出よっか」
件の会合だが、参加する上で響理会――第9教団の拠点に赴く必要があった。東京都港区、表参道と称されるエリアに存在する大聖堂。日本共和国における最大の拠点であり、第9教団の日本支部と言って差し支えない。なお、『本部』はフィリピン共和国のマニラ市に置かれている。
依珠葉の発言を受け、唯鶴は不満げな表情を見せた。
「なんで家からじゃ駄目なんだろうね。設備もセキュリティもしっかりしてるのに」
そう言ってリビングの壁――厳密にはその奥にある隣室を指差す。彼は分譲マンションの隣り合った2戸をまとめて調達し、一方を住居と定め、もう一方を使徒としての活動などに用いていた。後者では壁紙から洗濯機までをそういう用途に合わせて揃え、インターネット回線も考慮の例外ではなかったのだが、在宅ワークの許可は下りないままだった。
携帯電話やタブレット端末による通信を日常的に行っておきながら、会合の類では拠点の回線を使用せねばならない。唯鶴としては腑に落ちないものだ。
「響理会って、儀礼めいた事になると頑固だからねー」
依珠葉が苦笑を隠さずに言った。
響理会は世界史の裏側で暗躍を続けてきた秘密結社である。半端に世俗の技術や手法を取り入れた結果、保守的な拘りと実務上の合理性が歪に併存する、中途半端な状態に陥りがちなのだ。
会合については一先ず置いておき、唯鶴はマグカップを片手にテレビへ視線を向ける。その画面では、ライブ放送という形で現在の山下埠頭物流ターミナルが映されていた。魔道組織ムーンフェイズが受領した新型魔装を巡る暗闘の現場である。
内務省のチームによる初動捜査が終了し、今後の対応は専守防衛軍に引き継がれるらしい。深夜に事件が発生してから施設の周辺に展開していた警察と消防の人員に混ざり、軍人らしき人影が見える。
そして画面の下側、『死傷者0名』というテロップに唯鶴は安堵する。実際は響理会親衛隊とムーンフェイズの双方から多くの死者を出してしまっているが兎も角、謂れ無き巻き添え被害は避けられたということだ。
響理会の要請に従って日本共和国の内務省が仕組んだ隠蔽工作――山下埠頭物流ターミナルにおける爆弾テロという演出。これは響理会側の作戦終了を待って行われる予定であったが、オーウェル隊が施設に潜入する直前に爆弾が起爆された。それにより警報システムが作動、物流ターミナルの職員達は退避し、口封じを逃れた形である。少なくとも、不当な殺戮を看過できぬ唯鶴や依珠葉のような者からすれば僥倖と言えた。
戦闘の真っ最中に警察と消防が現地に駆け付けるという事態には陥ったものの、結果的に敵方のムーンフェイズも含めて存在は露呈しなかったのだから、響理会としても良しとすべきだろう。
「爆弾の件、ムーンフェイズの仕業って本当かな?」
唯鶴が言った。戦場に警察や消防、民衆の注目を集めることで、響理会側に対する妨害を図った――現時点ではそのような推測がなされている。そして本件に関してはこれ以上の調べようがないため、このまま『結論』として処理される見込みだ。
彼の考えを理解した依珠葉が応じる。
「ムーンフェイズみたいな組織だって、自分達の存在を晒したくはない筈……」
隠匿に躍起なのは響理会だけではない。軍閥じみた組織か小規模な徒党かを問わず、魔術士もまた自らの存在を可能な限り隠し通さんとする。大多数の人間が知り得ない力であるという魔力・魔術の優位性は維持すべきものであるし、響理会に加えて警察や軍隊といった正規の暴力装置までを明確な形で敵に回す訳にはいかない。
物流ターミナル内でムーンフェイズの構成員が爆弾を発見したとして、響理会の計画にイレギュラーを齎すためだけに起爆を早めるだろうか?自分達の存在が晒されるリスクを負ってまで――という話である。
「日本の内務省に、無関係の人まで殺したくないって人がいたのかもね」
唯鶴はそんな推測を呟いた。日本側の人員であれば、爆弾の起爆後も警察と消防の動きをある程度コントロールし、施設の内部で繰り広げられている戦闘の露呈を防ぐことも可能ではあるだろう。響理会や魔道組織から国民を守るべく行動した者がいたとすれば、唯鶴としても少し気が楽になるところだ。
これは殆ど正解であるが、確かめる術は無い。
テレビの画面がCMに切り替わる。さて、と唯鶴はタブレット端末に視線を移した。依珠葉が受領していたファイルの中から、ディートリヒ・パウル・シュタイナー特務司教のレポートと、彼の戦闘を記録したボディカメラの映像を選択。画面を2つに分割して同時に表示する。
「エースウィザード……やっぱ魔力が濃くて外見は判んないか」
そう言う唯鶴だが、魔力の作用によって魔術士の容姿が記録され難いことは今更の話である。映像における彼の関心もそこには無く、魔術士が使用した魔装の機能こそが重要だった。レポートも合わせ、起こった現象を読み解いていく。
映像全体をワインレッドの砂嵐に塗り潰す程の魔力量。
出力任せに実現される自由自在な飛行。
その魔装を得た魔術士は、無制限に供給される魔力を意のままに使用できる――魔女の簡易量産という端的な評価。
「コレが量産されてるなら、相当マズいかもね」
それが唯鶴の感想だった。この魔装1つが使徒に相当する戦力であるならば、数を揃えるだけで真っ当で稚拙な世界征服すら現実味を帯びるだろう。社会の裏側に潜んで暗躍を続ける必要すら無い。
しかし同時に、欠点とは言わずとも不完全な点も見受けられる。今回の戦闘で示された機能は魔力の供給と噴出のみ。その使用は魔術士の側に委ねられているようだった。
例えMPのみが無限になっても、覚えていない技は使えない。
より高威力の火器を調達したところで、重量と反動に耐え得る身体能力を備えていなければ運用できない。
即ち、この魔装を使用する魔術士は相応の技量や適性を求められる。要は元より才能を有するエース向けの高級品であり、作るだけでは持て余すばかりだろう。『使える者』を発掘するという目的もあって、強大な魔道組織であるムーンフェイズへの下賜に至ったとも考えられる。
何にせよ、響理会が行うべきことは定まっていた。魔装を受領したムーンフェイズを追撃し、魔装の機能を晒させた上でその使用者を打倒。そして開発者たる魔女“メルト”の動向や『他の取引』などを調べ上げるのだ。
†
唯鶴と依珠葉が表参道の大聖堂に到着したのは、18時半を回った頃。会合の開始までは多少の余裕があった。
駐車場にクーパーを停めた後、表向きとは異なる訪問者として専用のエントランスから入場する。宗教施設というよりはホテルやマンションのロビーに近い空間で、壮年の白人男性が彼らを出迎えた。
「お待ちしておりました。萩村特務司教」
そう言って唯鶴に恭しく十字敬礼を捧げた彼は、キンバリーⅠ等司祭。昨日の深夜から親衛隊のオーウェルⅢ等司教らに同行し、横浜の暗闘を見届けた人物である。
「既にご存知かもしれませんが、本日はテスマン大司教もお見えになります。
……お手数ですが、制服へのお召し替えを」
キンバリーは続けた。自身の半分にも満たない年齢の少年が1つ上の位階にあることへの気まずさなどは感じさせない口調と態度。着用するダークスーツも相まって、一流のホテルマンのような印象を与えてくる。
「ええ、分かりました。それでは一度失礼します」
唯鶴は和やかな表情で返し、依珠葉を伴ってそそくさと先に進む。大人から畏まった態度で接されることには未だ慣れない。
この大聖堂は居住施設ではないが、用件の多い高官などは専用の部屋が割り当てられている。使徒である唯鶴もその対象であり、制服といった儀礼用の物品を保管していた。
2人は建物の奥まった区画まで向かい、与えられた部屋に入る。窓は無く、執務室というよりは靴を脱いで入るタイプの楽屋に近い簡素な洋室。パーテーションで左右に区切られた空間は、今のところ着替えと待機以外の用途を想定していない。
――制服ねぇ……。
ハンガーラックにて保管している司教用の制服を見て、唯鶴は内心で零した。二昔から三昔前の腐女子が好みそうな、優美な外連味を存分に織り込んだ軍服紛いのコスチューム。唯鶴自身は十全に着熟しているが、多少の気恥ずかしさを感じていた。
彼はダークグレーのシャツを纏い、その襟に十字架を象った銀のブローチを取り付ける。続けて左肩にペリースを掛けたダブルブレストのジャケットと、それに合わせたスラックスを手に取った。純白の生地は着用に相応のストレスを伴うが、これが使徒に割り当てられたパターンなのだから仕方がない。第13独立教団のネイビーを懐かしむばかりだ。
「依珠葉、終わった?」
制服を着用した唯鶴は、パーテーション越しに従者へ声を掛ける。
「終わったよー」
依珠葉が返答と共に姿を見せた。その衣装は白と黒で構成された丈の長いエプロンドレス――所謂メイド服であった。
助祭の位階にもジャケットとスラックスによる制服は割り当てられている。しかし使徒である唯鶴専属の従者という立場により相応しいとして、こちらが彼女の正装となっていた。ミルクティーベージュの長髪は後頭部でシニヨンを形成し、より衣装に適った品性を漂わせている。
「行こうか」
唯鶴は土間に置かれたヒールブーツを履くと、そう言って依珠葉に右手を差し出す。彼女は微笑と併せてそれを取り、パンプスに足を下ろした。
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