世界
水槽に入れられたあられもない姿をした妹を目の当たりにして、どこか後ろの方で爆発音が響き、犯人と思われる人物の登場で、いよいよ僕ら三人の運命は大きく動こうとしていた。
きっと加南子はもう助からない。
そう考えただけで、地上にいる父さんや母さんにもちろん顔向けはできないし、僕が生きる目的として掲げてきた「大切な人の大切な人を守る」こともなし得ず、僕自信存在理由を一気に否定され、絶望感すらない空っぽな、虚無感でいっぱいだった。
「お前は誰だ?」
荒木さんの怒りの声が天井高の空間に響く。
「不法侵入者に教える名前はない」
「お前がこの町で起こった誘拐事件の犯人なのか?」
「…誘拐?ククク…そうかお前たちのサイドではそうなっているのか、全くこれだから低能な猿どもは好かんのだ」
僕はがっくりと首をうなだれ、膝をべたりと床につき、ぼんやりとした視線でどこともなく見ていた。
「あなたが、お姉ちゃんを…」
有美ちゃんの声も耳に届いた。
憎しみと悔しさに溢れた声だった。
僕はまだ顔をあげもできずにいる。
この19年間の人生はなんだったのだ。
ただ生かされ、世の中に、身近な人にすら貢献できない無能な僕にこれから何ができるのだろうか。
せめて犯人の顔を見て、この目で焼き付けて復讐を、とも一瞬頭をよぎったが、それどころではなく僕は永遠の虚無に満ち溢れてしまっていた。
「まぁ、どうしてここに来られたのかは分からないが、よく来れたものだな、それだけは死ぬ前のはなむけに誉めてやろう。最後に言うことはないか?」
「それはお前の言葉だ。姿くらい出したらどうだ?おおよその検討はついているがな」
「ほう、それは面白い。お前は、荒木の息子だな。大分世話になったな、いや世話をしてやったな、感謝するんだな」
荒木の息子?どういうことだ?
「ご名答。お見知りおきを、と言いたいところだが、ここがお前の墓場でもうすぐお前は死ぬんだ、組織と一緒にな」
「あらあら、せっかくプレゼントも送ってここに来ないようにサプライズしてあげたのに、欲しがり屋な猿ですね。口ぶりからして、ようやく僕らのことを突き止めたのでしょう。もう15年も時間かかっちゃいましたがね」
言葉の節々に滲み出るこの余裕さと高慢さは何なんだ。
ぽこぽこと、加南子がいる水槽から音がする。
でもそれは加奈子が生きているという呼吸音ではなく、むしろもう息耐えているという証拠だ。
「もうサンタクロースからプレゼントを貰う年頃じゃあないんでね。それにもらったものは返さないと」
「はは、あんなに小さかった荒木の坊やもこんなに立派に。マザーよ、これは喜ばしいことです。どうかご加護を」
「プレゼントって何?荒木さん、実は全部分かっていたの…?」
有美ちゃんの声が近づいてくる。
恐らくお姉さんのところから一旦離れ、僕らがいる水槽の場所に来たのだろう。
「実はちょっと僕の家を爆破でやられてな、それがプレゼントだったわけ。あとは、この事件のことだよな、そうだよ、実は分かっていた、分かっていたけれどもそれはあくまでも俺の中の仮説でしかなかった。こいつらの正体事態が雲をつかむようなものだったからな。だが、どうやら俺の予想は当たっているらしい。15年の成果が出たわけだよ」
荒木さんがやや興奮気味に息を漏らしながら話した。
ただ、有美ちゃんは黙っていなかった。
「なんで言ってくれなかったんですか?」
震える声が聞こえた。
「なんでって…言えるわけないじゃないか」
そうだ、そうだった。
全て、吉岡家に関わること、有美ちゃんにとってネガティブな面は全て伏せてきたのだ。
それを隠すために荒木さんが敢えて悪者になっていたことを僕は思い出した。
「ククク…そうだよなぁ、そうなんだよなぁ。親子揃って本当によくやるものだ」
やけにねっとりとした粘りけのある言い方だった。
姿形は見えないが、きっと口許を吊り上げ、目尻は緩み、にやにやしながら僕らを見ているに違いない、そんな言い方だ。
肌が逆撫でられる。
「荒木さん、教えてください。じゃないとここまで来た意味がない。それに、あの水槽の女の子は何?分かるなら教えてください」
「その声は、ユミヨシオカだな」
「わたしを知っている…?」
「あぁ、もちろんさ。もちろんだよ、忘れるはずもない。忘れるわけがない。僕たちの運命を狂わせた悪魔のような存在だからな」
「わたしはあなたのこと知らないわ。一体誰なの?」
ドンッ
地面が揺れるほどの爆発音がした。
今度はさっきの爆発音よりも大きかった、つまり距離が近いのだ。
「なるほど、お前たちは上の施設の抜け道を降りてきたわけだな。それはさっき爆破で退路を断ってやった。それにいまは入り口を完全に塞いだ。もうお前たちはこの巣穴から出られないって訳だ。もしもこの神聖な教会の中から出れたとしても、元の道からでは帰られない。つまり穴を掘ってまた地上に戻るか、それか」
「それか…?」
「ここで飢え死にするかだ」
さらにねっとりと僕らの死を待ち望むかのように吐息を漏らしながら言った。
「ハッ。なら最後に答え合わせしないか?なぁ、“サルヴェ・レジーナ”」
聞きなれないカタカナの単語が出てきた。
犯人の名前だろうか?
「ククク…まだまだ詰めが甘かったようだな。いいだろう、どのみち残り1時間ほどでお前たちら死ぬのだ。どうもがき、苦しんだとしても死ぬ運命しかない。最後にひとつ昔話でもしてやろう」
「オーケー、よろしく頼むぜ」
「あ、その前にひとつ」
“サルヴェ・レジーナ”の声が一瞬小さくなる。
「隙があれば俺を殺そうなんて、甘い考えはもうよした方がいい。考えるだけ脳みそが可哀想だ。それよりも、もっと世界の平和を考えた方がいい。まぁ、お前たちレベルの知能であれば考えるだけ無駄ではあるがな」
言葉を発せれば発するほど、感情の嫌な部分をちくちくと刺激してくる。
「さぁ、始めよう。マザーへ捧げる神聖な儀式を」
“サルヴェ・レジーナ”はそう高々と教会中に響くように言った。
「ククク、まずは荒木の息子の話を聞こうか」
僕はぼんやりとする意識の中でなんとか話についていこうとしていた。
“サルヴェ・レジーナ”は、もう僕たちが生き残る手段はないと言った。
だが、僕のこの命を捧げれば、そういう機会があればせめてふたりだけで生き残る可能性を高くすることができるのではないかと考え始めた。
何度も何度も加南子のあの姿が頭をよぎってうまく思考を進められなかった。
終いには、加南子が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼び掛ける声までしてきたので、さらに僕の思考は前進しなくなっていった。
でも、“そのとき”が来たら、僕は迷わずーーー。
「オーケイ。まずは俺の答えだ。」
「さぁ、始めたまえ」
「お前たちは」
荒木さんは息を大きく吸った。
「世界を自分たちのものにしようとしている。たくさんの犠牲を生んでな。そうだ、世界征服だ」




