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アレキという人物

アレキが立ち去ったあとも、僕らはしばらく野球場の外野席になる木漏れ日が優しいあのベンチのとろこにいた。

僕がシリアスな展開から急にコミカルな雰囲気に変えてしまったのもあって、なんだかすぐに移動しようとは誰も感じなかったようだ。

さらに、僕もだがアレキの登場が有美ちゃんにも、タケシにも少なからず何かしらの傷跡を残したのは確かだったから、状況を飲み込むためにも、しばらくその場を動けなかったというのも正解であった。

そして、僕はあまりにも気が動転していたので、有美ちゃんを不意にも包容してしまったり、犯人の可能性がある男に連絡先を聞いてしまったりしてしまったものだから、可南子を連れ去った犯人をみすみす逃してしまったことに、かなりの罪悪感を感じていた。

時間にしては、5分ほどであったかと思うが、永遠の時間のようにも感じられた。

僕らは午後に講義があることもすっかり忘れ、その場に居座った。

そして、最初に言葉を口にしたのは、彼女だった。

「巻き込んでごめんね」

錆びて青い塗装が剥げた鉄のベンチの上で、眉毛をハの字にしながら、彼女は柔らかく言った。

目元や口元は、笑っていなかった。

僕にはそれが強がりだとすぐわかった。

「そんなことないよ。頼ってくれて嬉しかった。…なにもできなくてごめん」

僕はいつの間にか拳にすごい力を入れてふるふると震えていた。

(情けないな…)

19年も生きてきたのに、好きな女性を体を張って守ることもできない。

「ううん、嬉しかったよ。ありがとう」

優しく、また言葉を放った。







「ヨージくんは、アレキのこと、知ってるんだよね」

ボサノバ風のBGMが静かに響くカフェで、アイスティーにレモンの輪切りを加えながら、吉岡有美は僕に尋ねた。

「え、なんでそう思うの?」

「だって、言葉を探してるようだったんだもん。なにか隠したいことがあったんでしょう?」

「いや、そんなことないよ。初めて会ったんだ」

「ふーん」

彼女はいたずらっ子のような好奇心旺盛な顔をしながら、白い指先でストローをレモンティーの中で混ぜた。

「いっぱい泣いたら、喉乾いちゃったんだ。付き合ってくれてありがとう」

ちゅーちゅーと子供のようにアイスティーをすする彼女が微笑ましくてたまらなかった。

夢にまで見た憧れの彼女とのデートが実現するなんて、全国の片想いの男子大学生ならもう興奮と妄想が止まないシチュエーションだろう。

しかし、いま目の前で嬉しそうにレモンティーを楽しむ彼女には、行方不明とされる実姉がいる。

カフェにいる誰もがそんなことを想像できないような、僕を魅了したあの魅力的な彼女が目の前にいる。

「ここ、よくくるの?」

「うん、そうだよ。空きコマのときにね、美味しい紅茶が飲みたいときにくるんだ」

「おしゃれだね、有美ちゃんによく似合ってる」

「お世辞でも嬉しいよ、ありがとう」

店内はブリティッシュパブを意識したようなバーカウンターがあって、イギリスの国旗を模した小物が窓際にたくさんあり、壁はあえて乱雑に塗られたクリーム色の土壁だった。

カウンターの奥にはアイリッシュウイスキーがたくさん並んであって、夜はウィスキーバーになりそうだった。

「大学の近くにこんなところあるの知らなかった」

「でしょ?穴場なの。ナポリタンとサンドウィッチもおいしいんだから」

野球場の奥を抜けて五分ほどのところにある、住宅街のど真ん中にひとつだけ背が低い建物がここだった。

「カフェめぐりとか好きなんだね。いい趣味だ。インドアの僕は羨ましいよ」

「わたしそんなにインテリアじゃないのよ。それに」

「それに?」

「このお店はお姉ちゃんが教えてくれたの」

「ごめん」

咄嗟に出た言葉がそれだった。

本当であれば、もっと大人の男であればきっと気がいた言葉を掛けるにちがいない。

だが幼い僕には、この三文字が限界だった。

(小学生でももっといい言葉言うのに…)

自責を感じている僕を余所目に、彼女はいきなりテーブルに体を乗り上げて言った。

「ヨージくん。わたしの一生のお願い、聞いてくれる?」

「一生のお願いをここで発動するなんて、もったいないよ、それに僕なんかじゃ申し訳ない」

「ううん、ヨージくんだからなの。それにね、家族はわたしの全てだから、いまここで使わないと逆に一生後悔するの」

「分かったよ。一生のお願いじゃなくても、なんでも聞くよ」

「やったあ!ほんとに!ありがとう!」

彼女は思わず勢いよく立ち上がった。

立ち上がったと同時に、その両膝を年期が入ったヒノキの丸いテーブルの角に勢いよくぶつけた。

「っ痛…」

そして次の瞬間、僕は柔らかい肌触りと花の匂いに包まれていた。

「…ひゃ…っ!」

篭ったような声が上の方で聞こえる。

その声のする方に顔を向けると、そこにはなんと、三センチ先に彼女の顔があった。

キスできそうな距離だと思った。

「わっ!ごめんね、ごめんね。わたしってば、子供っぽいね、やだね、へへ…」

「いや、僕こそごめん。わざとじゃないから…」

両膝をぶつけた拍子にからだのバランスを崩した彼女は、僕に寄りかかるように雪崩れてきたのだった。

そして僕は彼女のちょうど胸の間でバランスを取った。

少年漫画のようなシチュエーション過ぎて、なんだか笑ってしまった。

思春期の少年には刺激が強すぎる。

相手が僕でなかったらきっと彼女はまさに少年漫画のようになっていただろう。

「あ」

彼女がぽかんと口を開け、僕を指差した。

「え?なに?どうしたの?」

「ヨージくん、笑うんだ」

「え、なにそれ、どういうこと?」

「ヨージくんの笑った顔初めて見たよ」

「ま、まぁ僕も一応人間だから、笑うこともあるよ」

「ね!笑った方がいいよ!似合うよ。優しく笑うんだね。まるで花みたいだね」

「花みたいか…」

彼女はにこにこしていた。

「そうだね、最高の誉め言葉だ」









「さっきは取り乱してごめんね。それでね、わたしのお願い事なんだけど」

レモンティを半分くらいまでの飲んで、氷を裸にした彼女は真面目なトーンで言い直した。

「分かってるよ。言わなくても、大丈夫だよ。もちろん協力するから」

「ほんとに!」

また彼女は勢いよく立ち上がった。

「おっと気を付けて!」

「あ、ごめんね、またやっちゃうところだった」

彼女はまた危うく膝をまたテーブルにぶつけて僕にダイブしかけていた。

ゆっくりと礼儀正しい人形のようにすとんと椅子に座り直した。

「お姉ちゃん、探すよ。僕がきっと探して見せるよ」

「ありがとう」

ひとにこんなにありがとうと言われて心が暖まったことはなかったと思う。

「じゃあ、さっそくなんだけど、わたしが知ってる情報から伝えないとね」

「うん、よろしく」

「まずね、アレキのことから話さないとね」

ごくりと、自然に僕は唾を飲み込んだ。

「ヨージくんが何を知ってるかわたしは知らないけど、たぶんヨージくんもアレキを疑ってるのはなんとなく分かるの。そしてわたしもアレキがお姉ちゃんがいなくなったことに何らかの関係があること思ってるの」

「うん、僕もそう思ってる」

「アレキはね、荒木渉っていうのが本名なの」

「日本人だったんだ」

「そうだよ、外国人に見えた?年はお姉ちゃんより年上の29歳。仕事は不明。いつもあのボサボサ頭で何故か白衣を着ているの。そしてあの三角形の眼鏡ね。昔はね、もっとかっこよかったんだよね」

「昔?」

「そう昔。わたしはね荒木のことは、3年前くらいから知ってるの」

「近所の人?」

「ううん、違う。もっと近い人」

「親戚?」

「うーん、ちょっと違うかな」

「分からないな、答え教えてよ」

「荒木はね、お姉ちゃんの先生だったの」

「先生?」

「そう、先生。実際はちゃんとした先生じゃなくてね、講師だったの、そのときは」

「そのときっていうのは?」

「お姉ちゃんが高校3年生のときの教育実習生が荒木だったの」

「そんなまさか」

「当時はね、教育実習で来ていてたのもあって、髪もちゃんと切ってたし、清潔感があってイケメン教育実習生って噂だったの」

「だから、君も知ってるんだ」

「それもあるの」

「わたしがもっと知ってるのは、みんなとは違うところ」

「つまりどういうことなの?」

「荒木とお姉ちゃんは恋人同士だったの」

「?!」

「けれどね、夏の文化祭を境に荒木は人が変わったようになったの。そして教育実習が終わるとすぐに姿を消した。そして、去年からわたしたちの前に再び姿を現したの。そしてわたしたちに何かを執拗に聞くようになったの」

「何を聞くようになったの?」

「…」

彼女が急に黙った。

「ごめん、嫌なこと聞いたよね、もう大丈夫だよ、言ってくれてありがとう」

ふるふると彼女はなにも言わずに首を横に降った。

「言わせて、ヨージくん」

すっと、目に力がこもり、深い黒の瞳を僕に向けた。

「君たちの母さんは、世界を滅ぼそうとしている」

「世界を…?」

「そして」

ごくりと、また唾を僕は飲み込まざるを得なくなった。

「君たちの母さんは、優しい母さんなんかじゃない。人殺しなんだって」

カラン、とレモンティのグラスの中にある氷が冷たい音を響かせた。

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