全ての人に理解されなくては生きていけない世の中なのか
自身が作り上げた囚人の山を見て、サクは首を撫でた。
詰まらさそうな顔で、残った数人を見るが、誰一人、動こうとはしない。
「もう、終わり?」
サクの抑揚のない静かな声が響き、残った数人がそれぞれ思い思いの反応を示す。
若葉色の髪をした男はジャラジャラと手首の鎖を揺らしながらその手を振り、日本人らしき女は青ざめて首を横に振る。
「俺、女の子相手に暴力は振るわないんで」
「ウチも人とか殺したことないですし……」
比較的サクの近くにいた二人がそう答えれば、自然とサクの目は遠くにいる残った数人に向く。
壁際に座り込んでいる女と立っている男二人。
男の一人はサクを見て、ひらりと手を振った。
「君達は?」
サクが声を掛ければ、眼鏡を掛けた女がふいっと目を逸らし、顔を逸らす。
話を聞く気がないのか、サクの顔も見なければ、口を開こうともしない。
目を瞬いたサクだが、次の瞬間には「ねぇねぇ」と舌っ足らずな声が掛けられる。
「おねぇさん」
視線を向けた先には、ちょこん、と立っている少年。
小学校中高学年に見えるその少年は、色素の薄い金髪に海のような深い青の瞳でサクを見上げている。
目が合えば、にぱっ、と効果音の付きそうな笑顔を浮かべた。
しかし、その体は白地に黒いベルトの拘束衣で、その状態から見せ付けられる笑顔は異様だ。
「あれは僻んでるだけだから気にしないで。だから、僕と遊ぼう?おねぇさんと遊びたい」
拘束衣のまま、ふらふらと体を揺らしながら距離を詰めて来る少年。
どうにも危なげな足取りに身構えるサクだが、自分の足に足を引っ掛けた少年が倒れてきたので腕を出す。
看守長の呑気な「おやまあ」が酷く大きく響いた。
サクは首ごと頭を下げて、色素の薄い金髪の旋毛を見下ろしている。
胸元に収まった少年の顔は見えずに、辺りを見渡すサクは無表情だ。
壁に背を預けていた男が、その壁から離れると、少年を引き剥がそうと手を伸ばす。
「何してんの」
「おねぇさん、柔らかいね!」
もう一人の男――囚人番号0046の手によって引き剥がされた少年は、やはり、にぱっ、と笑う。
いつの間にか距離を詰めて近付いていたハジメが、サクを庇うように前に出ればその笑顔は消えてなくなる。
「邪魔しないでよ。僕はおねぇさんと遊びたい」
瞬きをするサクはハジメの顔を覗き込むが、眼鏡が光を反射して上手く表情が読み取れない。
ただ、制服の懐から取り出された短刀を見て、これは良くないな、と分かる。
看守長の方を見てみても、被り物で素顔は見えず、白い手袋をした手だけを、ひらりと揺らす。
「だっていつもあのオバサン見てるんだよ?僕だって男だから。と言うか他の奴らも言ってるよ。もっと若くて可愛くて色気のある子が看守ならーって」
「確かにあれは見た目詐欺だが」
「ちょっと、誰が見た目詐欺よ」
饒舌な様子の少年を、猫の子を持つようにしていた0046が手を離し、下ろす。
ハジメが短刀を構えたまま頷いたところで、背後からの叫び声に振り向くが、溜息を吐く。
叫んだのはエルバで、桃色の髪を大きく揺らし、看守長の腕の中から飛び出さんばかりにハジメと少年を睨み付けている。
遠目からでも見て分かる、ギラギラとした夕焼けのような瞳にサクが「あの」と声を上げた。
全く以て、サクを歓迎するような雰囲気ではない。
これって何だっけ、と疑問に思っても仕方がない。
「話が掴めないんですが」
はい、と片手を上げたサクに、看守長がかっぽかっぽと被り物を揺らしながら答える。
「言ってなかったみたいだけど、エルバはもう三十代だよ」と事もなさげに言えば、抱きかかえられていたエルバの手が、看守長の首に向かう。
首を両手で締めるように揺らしているが、看守長の被り物からはケタケタという笑い声しか聞こえない。
ただ一人、僅かに眉を潜めたサクに、少年が擦り寄って「ねっ?」と頭を擦り付ける。
「サクちゃん!私まだ二十九だからね!!」
叫ぶような声に「あ、はい」と頷くサクは、大して驚きも見せることはなかった。
非実在青少年、という呟きはあったが、それは近くにいた少年と女と0046とハジメ、四人にしか聞こえてはいない。
「おねぇさん、サクって言うんだね。サクおねぇさんって呼んでもいい?」
「え。まぁ、お好きにどうぞ」
「わぁい!じゃあじゃあ、あのオバサンと担当も変わって一緒に遊ぼうよ」
胸に顔を埋めようとしたところで、ハジメの手によって強制終了を食らう少年。
短刀は鞘を付けたまま、少年の首元へむけられている。
レンズ越しの灰色の瞳が少年を射抜き、少年は薄く笑い、一歩だけ下がった。
それとほぼ同時に、0046が前へ出て、少年の首根っこを掴む。
ぷらり、とつまみ上げられた状態だが、懲りずにサクへと視線を送っている。
真っ青な瞳を見て、瞬きをするサクの脳裏には、何度か沈んでみた故郷の海が映る。
「この人、俺の担当だから」
0046の声にハッと顔を上げるサクは、0046の朝焼けのような瞳を見る。
勝ち誇ったように笑って、少年を見下ろす0046も、鎖が付いているが、少年よりも自由だ。
ハジメが眉を寄せているが、少年は一つ舌打ちをして、掴まれている部分を引き剥がすように体を捻る。
「僕、サクおねぇさんと遊べるの、楽しみ」
べぇ、と真っ赤な舌が0046へと突き出され、サクには愛らしい笑顔が向けられる。
僅かな間を開けて、首を撫でながら曖昧な返事を返したサクの目は、既にどこか別の方へと向けられていた。
***
「お前は、何を考えているんだ!!」
看守事務室に戻った途端、床の上で正座をさせられるサクは、小首を傾げて目を瞬く。
生きている人形のように、血の通った人間らしからぬ小さな動きに、ハジメは頭が痛くなる。
いつの間にか、ライオンから兎の被り物に変わった看守長は、どこからか人を駄目にするタイプのソファーを出し、一人腰掛けていた。
看守事務室も廊下と変わらずコンクリートの床で、本来なら座りたいとも思えない場所なのだが、サクは表情を変えない。
エルバは看守長の後ろからべったりとくっつき、サクとハジメを見比べては「ジャパニーズ土下座?」なんて言う。
「考えていることは、今日こそ死にたいなぁ、とか。後は首吊りと飛び降りどっちにしようかな、とか」
膝の上に両手を揃えて置いたサク。
身動ぎ一つしなかったが、横から伸びてきたツヴァイの手によって体が傾く。
つい、と指先で軽く押そうとしただけなのだが、上半身を丁寧に前へと押し倒して避けるサクに、楽しそうな笑い声が響いた。
笑い声を聞いて、ゆっくりと体を元に戻すサクだが、結い上げていない髪が顔を覆い隠す。
大きく髪を揺らして背中の方へと流した後には、長い前髪の隙間から、睨むようにツヴァイを見上げた。
仮面の奥の表情は見えないが、仮面に描かれた瞳も口も弧を描いているために、その奥でも笑っているように見える。
黒い革の手袋をまとう人差し指が、サクの目と鼻の前に突き出された。
ピッタリとしたサイズなのか、ごわつきが見られない。
「所謂死にたがりだな」
「ピーンポーン!ツヴァイくん、だぁいせぇかぁい」
乾いた拍手と大袈裟な声を上げる看守長は、兎の被り物を左右に揺らしながら続ける。
「サクちゃんは死にたがりでその超人的な反射神経から死ねない。勿論、物によっては怪我をしたりもした訳だけれど、そう考えると生命力や運も強いのかな。つまり、少し人より優れたが故に、望むべき死が簡単に手に入らないんだ」
声と同じく大袈裟に身振り手振りがされ、サクが小さく息を吐く。
伏せられた長い睫毛の隙間から見える黒目は、特別な感情は見られない。
そうして、事実なので否定もしなかった。
多少の誇張はある。
サク本人としては、特別反射神経が良いということも、生命力や運も気にしたことはない。
自殺未遂で得た傷の結果、病院送りになり、医者からは「悪運が強い」と言われたが、溜息で消し去った。
ただ、自分のやり方が間違っていると思っていただけなのだ。
「人の手を借りれば、死ねるかと思ったんです」
思ってるんです、と続いた声は、切実な思いが込められていた。
ハジメの眉間の皺が取れ、ツヴァイが動きを止める。
エルバは静かにサクの目を見て「そんな若いのに」と呟いたが、そうじゃないんだとサクは思う。
サクにとって、年齢というものは大した意味を持たないものだ。
年上だから尊敬出来るわけでも、年下だから可愛がれるわけでもない。
人間はいつ死んでもおかしくないのだ、そんな心持ちで、首を振る。
「今直ぐにでも死ねれば満足です。だから、死ねるまでは短い間になるとは思いますが、宜しくお願い致します」
三指を付いて、深々と頭を下げるサクに、困惑した目を向けるエルバ。
眉間に皺を寄せたまま動かないハジメ。
頭を掻くツヴァイ。
被り物の奥で見えないのを良いことに、ほくそ笑んでいたのは看守長だけである。