人は誰しも得意不得意を持ち合わせている
「それなら、ボクを殺せた人が勝ちで良いですよ。ボクが生きてればボクの勝ち。闘技場みたいな場所には、ピッタリ」
口元に手を当てたまま言うサクに対し、驚きやら困惑やらで口を開けない看守に囚人。
唯一何の反応も示さなかった看守長が、一度二度、と被り物を揺らし、サクの肩に手を置いた。
「流石にリアルなバトルロワイヤルは見過ごせないから、一人一発かな」
なっ、と諭すような声音に、サクが首を傾けた。
そのまま口を開こうとした時、逸早く我に返ったハジメが二人との距離を一足飛びに詰め、二人の肩を掴む。
無意識か何なのか、サクの肩に置いてあった看守長の手が弾かれる。
体の薄く軽いサクは、勢いに押され、後退った。
看守長の腕に収まったエルバの方は、ハッとしたように目を見開いた後に、困ったような笑顔を浮かべて肩を竦める。
「お前達は!何を考えている!!特にレイだ!」
肩を掴まれている看守長は、名前を呼ばれ、ライオンの被り物を傾ける。
無機質な黒目がハジメに向けられた。
「初日から新人を殺す気か!!」
囚人達の笑う気配に、サクが視線を向けていた。
罪状の違う囚人達だが、当然人殺しをしたこともない人物だっている。
それでも、全員が意識的、無意識的に関わらず、笑っているのだ。
殺せると思っているのか、サクの光のない目が全員の顔を見渡した。
ハジメの良く通る声がこの場に響く。
鼓膜を揺らし、キンキンと脳髄にまで響いている。
何を言っているのか理解するよりも先にサクが、ゆるりと自身の手でハジメの手を掴む。
手荒れのしていない、柔らかな肌に、ハジメが眉を寄せた。
眉間にシワが刻まれるのを確認したサクは、掴んだはずの手を撫でる。
皮膚感を確かめるような撫で方だ。
「……無差別に一人一発。囚人番号を名乗って」
柔らかな撫で方に戸惑うハジメを見ながら、サクの唇はゆっくりと動いていた。
喉を震わせ、舌の上から落とされていく声。
言い切った後、看守長は、ハジメの腕を落とすように後方へ飛ぶ。
それと同時に、サクの手がハジメを突き放す。
その細い腕にそれだけの力があったのか、と思うほどに、強く。
「START」
被り物の奥から聞こえた声に、囚人達が動き出す。
「囚人番号0003」「シュージンバンゴー0014デス」「囚人番号0007だったかな?あれ?0006?」「囚人番号は0028です」「囚人番号0030だな」と五つの声が重なり、上から、下から、横から、五方から襲い掛かる囚人。
目を伏せたサクは、その声を聞き分けながら、ゲームの勝敗に景品は付くのだろうかと考える。
「いやぁ、ははっ。強硬手段か」
「巫山戯るなよレイ!!サク!止めろ!!」
カラカラと笑い、被り物をカッポカッポと揺らす看守長に、怒鳴るハジメ。
最初から距離を取っていたツヴァイは、まぁまぁ、と笑っていた。
その中で、エルバだけは不安そうに顔を顰めている。
飛び掛った五人の囚人以外も、状況を見ては飛び込むつもりでいるのか、体が前のめりの者が多い。
「どういうつもりだ!」と怒鳴るハジメの声が聞こえないのか、意図的に無視しているのか、看守達の方を振り向く囚人はいなかった。
「問題なんて一欠片もないし、あのゲームならサクちゃんは負けない。あの子は、死なないし、死ねないんだから」
カッポカッポ、煩い被り物を揺らしながらも答えに、ツヴァイも反応した。
サクの方を見ていたエルバも、腕の中から被り物を見上げる。
「……それ、どういう意味?」
短い眉が寄せられ、首が捻られる。
大きく丸い、オレンジと茶の混ざった瞳は、咎めるように細くなっていた。
幼い子供のようだった顔が、一気に大人びて見える。
しかし、看守長の顔は被り物で隠れ、見えない上に、何を考えているのか分らない笑い声だけを響かせた。
ついで、指を差すのはサクのいる場所。
「ほら。ちゃーんと、生きてる」
くつり、と喉の奥で笑うような声が聞こえ、看守達が指差した方向を見る。
看守、囚人、立場関係なく、その場にいる全員の視線が向かう先。
囚人五人が積み上がった山を背に立つサクは、無傷で無表情で、胸の下で腕を組みながら残りの囚人達を見た。
「お……おい、レイ」
「何だい?ハジメ」
誰も、動けなかった。
その中で、サクと看守長だけが変わらずにいて、仮面で顔の隠れたツヴァイからも、動揺は見える。
僅かに体を揺らした後、硬直して、サクを凝視していた。
エルバもまた、目を見開き、口を開ける。
「アレは、何だ」
レンズ奥の瞳が揺れる。
アレと称されたサクは、変わらずにそこにいて、唇を動かし「もう終わり?」と瞬きをした。
無意識に煽っているので、当然、囚人達もその煽りに乗っかり、叫ぶように囚人番号と共に駆け出す。
一人一発ではなかなか殺せない。
例えば、一人一発だとしても複数人で叩けば、最後の一人で死ぬかもしれないが、単身一発ではそう簡単には死なないのだ。
ましてや、女と言えど成人間近の成長した体。
赤子のようにはいかない。
正面から鳩尾を目掛けて飛んでくる拳は、体を揺らして避け、背後から首を狙って落とされる手刀は、一歩前へ出て、まるで踊るように最小限の動きで躱していく。
紙一重とも言える躱し方だと言うのに、本人は顔色一つ変えていない。
と言うより、顔色を通り越し、視線すら攻撃してくる相手に向けられていなかった。
「……まぁ、そもそも普通の子が、この島に来れるはずがないんだよな」
ツヴァイの呟きに、看守長が頷く。
「サクちゃんとあった時も、あんな感じだったからね。自分に害ある攻撃は、全部避ける」
喋りながらも、視線はサクに向けられており、本人は囚人が動き制限のために付けている鉄球が振り下ろされても、顔色一つ変えていない。
鉄球を振り下ろせるならば、動き制限になっていないようにも見えるが、実際には、そのスピードは鉄球の有り無しで大分変わる。
「囚人達が普通じゃないように、看守だって普通じゃない。サクちゃんだって、私が自分で選んで来たんだ。普通なわけがないだろう」
「それ、褒めてる?貶してる?」
看守長の楽しそうな声にエルバが首を捻る。
褒めているらしいが、褒めているように聞こえないのだ。
その間にも、サクは、向けられた刃物を避ける。
動揺は見せずに、視線も合わせずに避ける。
動きは最小限に、軸足を決めて動いている姿は、武道に精通しているようにも見えた。
それについては、同じようなゲームで剣道を選んだハジメが一番分かっている。
向かってくる拳も武器も、素手で受けることも力を流すこともしない。
ただ向かってくるものを、直前で避ける。
「アレは……反射神経か」
ハジメの言葉に、看守長が指を鳴らす。
パチンッという音は良く響いた。
「正解。アレは、サクちゃんの意思関係なく、サクちゃんを生かそうとする身体能力。人よりも優れた反射神経が、サクちゃんの持つ特異特殊」
「反射神経って……熱いものに触ったら手を引っ込めちゃうとか、そういうのだよね」
看守の言葉に、エルバが首に抱き着きながら問いかける。
大きな瞳の中に、ライオンの被り物が映っていた。
看守長に抱き着く小さな手の平は、反射の感覚を掴みたいのか、弱く握ったり開いたりと動く。
「そうそう。静電気なんかでも同じ反応が起きるけれど、サクちゃんの場合には、自分に害をなすものしか避けられない」
残り半分以下になったところで、囚人達が動きを止め、サクを見る。
細く鋭くなった瞳は、警戒心を露わにしている。
どう攻める、どうする、と小さな声も聞こえてきた。
ぼんやりと相談している囚人達を見つめるサクの後ろには、攻撃権を既に失った囚人達が積み上げられている。
決してサクが積み上げたわけではなく、自然と避けていくうちに、囚人の山が幾つか出来上がったのだ。
「自分に害とはどういう意味だ」
「そのまんま。サクちゃんを殺そうとか傷付けようとか。サクちゃんの意思には、やっぱり関係ないんだよ。反射だから」
ほら、と指し示された方向では、攻撃権を保持している囚人がほぼ全員構えていた。
数人、背後に控えているが、構えてはいない。
サクがそれを見て、目を瞬く。
そして、口の端を引き上げる。
一人は拳を構え、一人はどこからともなく折りたたみナイフを取り出す。
腕の鎖と繋がった鉄球を持ち上げている囚人もいる。
深く腰を沈めている囚人もいれば、背筋を真っ直ぐに伸ばしている囚人もいた。
「囚人番号っ」
構えている全員の声が重なり、口々に別の番号と共に、揃ってサクに向かっていく。
ある囚人は正面から、ある囚人は横から、ある囚人は足元を目掛けて、ある囚人は飛び上がり頭上から。
サクの口元には、変わらず、笑み。
鉄球が髪に振れるが、頭蓋骨を割るに至らず、ナイフが腹に向かうが、制服すら切れない。
足払いには数センチ飛び上がって避け、顔を狙って放たれた拳は首を後ろに倒して避ける。
正面と背後の同時攻撃にも、屈んで互いをぶつけ合わせていた。
全ての攻撃をコンマ単位で避けて、自滅の道を歩ませている。
また、サクの背後には囚人の山が出来上がった。
首の後ろを撫でながら立つサクには、傷一つ、かすり傷すら残っていない。
乱れた髪を手櫛で整え、振り返る。
その顔には笑みが消えていた。
「どんなにサクちゃんが死にたくたって、あれだけ反射神経が避ければなかなか死ねないさ」
カッポカッポと被り物が揺れる。
楽しそうな看守長の笑い声に対し、サクの首を撫でる手は止まらず、溜息が落とされた。
「……あぁ、また、死ねなかった」
真っ黒な瞳が、一段と黒く見えた。