死んだら皆同じで同じ場所に還るのでしょう
ブワリ、強く吹いた風がサクの頬を撫で、髪を大きく揺らした。
癖のある髪が広がるのを見て、後方に立つエルバが愛おしげに目を細めたが、サクは気付いていない。
拓けたそこは、監獄島内でも標高のある場所に位置しており、その先は崖とも言える。
そんな良く言えば見晴らしが良く、悪く言えば安全性の薄い場所に白い墓標が幾つも並んでいた。
のっぺりとした平たい石が、地面に突き立てられたように並んでいるのは圧巻だ。
特に、サクは日本生まれの日本育ちで、西洋の墓石には馴染みがない。
それぞれに彫られているのは、ファーストネームらしきものと番号のみ。
酷く簡素な墓標だった。
しかし、その墓石とされ墓標とされる白い石は綺麗に磨かれ汚れ一つない。
大切にされている割には、殺風景で寒々しさを感じるそれに、サクは反射的に取った受け身の状態から動けずにいる。
「みんな、死んじゃった」
「……皆、と言う割には番号が飛び飛びです」
背後から掛けられた声に反応したサクは、僅かな間を挟み、眉を寄せた。
揺れる横髪を耳に引っ掛けながら立ち上がった華奢な背中を見やり、エルバは間延びする声音で「そうだねぇ」と答えたきり黙ってしまう。
エルバが称した『みんな』は言わずもがな、元看守達だろう。
人工的な監獄島で、最も見晴らしの良いであろう場所に、均等に並べられた墓標を見て、サクはそう結論付けた。
実際、囚人達を番号順に照らし合わせても、たった一人の番号も欠けていないのだ。
気持ちの悪い事実である。
疑問に思わないことなどなく、しかし、それでも、その疑問を口にするのは憚られた。
寧ろ聞きたいと思えないだろう――これがサクの本音である。
実情、犯罪者を収容しているだけなのだ。
例えば正式な裁判で争えば、長くなったとしても確かに死を持って償うことになり、そうでなくとも骨になるで日の目を見ないことになるような輩ばかりである。
それをそうせず、あまつさえ、真実を闇の中へ葬り去るような報道規制に隠蔽工作。
少なからず、本質はどうであれ、サクの目にはそう映ってならない。
「……手入れは誰が?」
「?」
「此処の手入れは誰が?」
立ち上がり、振り返ったサクの問い掛けに、エルバは瞬きをして首を傾けた。
二つに結い上げた桃色の毛先が、まるで生き物のように動く。
「ノルがしてるよ」
「……看守長が、ですか」
抑揚のないサクの声に、軽く振りかけたスパイスのような棘が現れる。
それを見逃すほど、見た目通りの精神をしていないエルバはゆっくりと歩き出し、サクの真横に立つ。
「そう。ノルが、手ずから」
「そうですか」
サクを見上げる朝焼けにも似た瞳は、多くの光を取り込み輝く。
対する墓標に向けた視線を動かさないサクの黒目は、光を取り込むどころか映そうともしない純粋な黒だ。
その目を見上げ、同じ出身国だと話していたハジメとは、随分毛色が違うな、とエルバは考える。
ねぇ、と呼び掛けのために伸ばした手を、一度止めたエルバ。
一瞬の迷いの後には、強くサクの上着の袖を掴み、引き、勢い余ってエルバの体が後方へと倒れていく。
目玉を取り出せそうなくらいにギョッと目を剥いたサクは、持ち前の反射神経でエルバの頭部に細腕を差し込み、逆の手を地面に打ち付ける。
上着と地面の擦れる音がし、エルバが自分を抱え込んでいるサクを見た。
深く長く息を吐き出すサクの眉間には、数本のシワが刻まれている。
その顔も、やはりと言うか、ハジメとは似ても似つかないものだった。
そうして、可愛い後輩だと思うのだ。
――可哀い後輩だと。
「どうして、ノルのことを名前で呼ばないの?ここでは、番号が名前になるのに」
ノル、それはスウェーデン語で数字の0を意味する。
自身の出身国を明かさない看守長は、看守達に母国語の0を意味する名で呼ばせていた。
サクと同じ日本人のハジメもまた、例に漏れずにレイ、と看守長を呼ぶ。
地面に腕を付き、エルバを抱きかかえた状態で、見下ろすサク。
表情筋が死んでしまったような無表情だ。
伏せられた黒目は僅かに揺れ、長い睫毛が小さな影を落としている。
「だって、看守長じゃないですか」
朝焼け色の瞳がパチパチと姿を消したり現したりした。
だって、という響きは、存外、子供のようで、幼げだ。
まるで、嫌々と首を振る幼児を思わせる言い分に、エルバの口が開いた。
ぽかん、という効果音の良く似合う状態だが、エルバは確かに理解している。
どんなに容姿が幼げであっても、その実、既に三十路近いのだ。
――どんなに本人が認めたくない歳の壁があったとしても、である。
「そっか。やっぱり、サクちゃんは敵にもならないのに、味方にもならないんだ」
「……敵とか味方とか、何をどう区別して判断して分けるのかは知りませんけど、ずっと此処には居られないので」
やっぱり、などと言う含みには一切触れることなく、サクは体を起こした。
癖のある黒髪は、相変わらず空に浮かぶ雲のようにふわふわとしている。
残念なことに髪質のように、本人は柔らかくなく、確固たる意志を持ち、揺るがそうとはしていない。
ディチャンノーヴェに対し、エルバはサクを可愛い後輩と称したことがあるが、それは決して間違いではない。
勿論、今更それを覆すつもりもなかった。
しかし、可愛いが可哀いでもある。
サクの手で体を起こされるエルバは、されるがままに、怪我が悪化していないかを確認された。
白い包帯は汚れこそ作ってしまったものの、生命の色たる赤は見られない。
そのことに、安堵するように吐き出されたサクの吐息に、エルバが愛らしい顔を歪める。
サクの『ずっと此処には居られないので』という言葉は、この監獄島を去ることを言っているのではないと、知っているからだ。
死ぬことを意味し、そもそもの監獄島での生活全てが、死ぬことただそれだけのためだと言っている。
生き汚く足掻くことはしない。
ある意味非常に芯の通った理念ではあるが、死に急ぎ野郎とも称すことが出来た。
「ねぇ、サクちゃん」
「何ですか」
「世の中、大抵のことが二つに分けられるよね。好きか嫌いか、イエスかノーか」
一度長く目を閉じたエルバは、決心したように喉を鳴らし、乾いた唇を舌で湿らせながら言葉を紡いだ。
それを一言一句聞き違えないように、とサクの神経全てがエルバへ向かう。
真摯な姿だと思うのと同時に、続けるべき言葉に迷いが生じる。
大抵のこと、とは言うものの、大雑把に言えば極論でもあった。
好きじゃない、は嫌いに近しく、嫌いじゃないは、好きに近しいような、ぼんやりとした曖昧なものは存外、世の中多いのだ。
事ルールなどであれば、線引きは多ければ多いほど良い。
しかし、人間の感情になれば、また、話は別問題になる。
それでも、迷ったところでサクの視線が逸らされることはなく、エルバ自身もまた、語ることを止めようとは思えなかった。
緩い風が二人の頬を撫で、沈黙を隠すように木々を揺らしていく。
二人を見詰めるのは、均一に並べられ、丁寧に磨き抜かれた墓標のみである。
***
少女は愛らしかった。
美しさよりも純真無垢とも呼べる愛らしさがあり、それ故に両親に限らず周り全てから受ける愛を手に、すくすくと健やかに育っていく。
目を引くような赤味の強い桃色の髪と、朝焼けを埋め込んだ瞳。
白磁の肌は、感情のままに薔薇色に染まる。
小さな体で大きく動き、リスのように頬を膨らませて食事を摂る姿に、皆が笑んだ。
兎にも角にも、愛らしく、愛を一心に受けて育っていく少女は、ある日を境に、ピタリとその成長を止めてしまう。
一番最初にそのことに気付いたのは、少女が通っていた学校の担任教師である。
身長や体重を測り、健康状態を確認するための行事の際、少女に出された数値を見て、あれ、と思ったのが始まりだ。
去年と何ら変わらない数字がそこにはあった。
はて、と思いながらも、再計測をと少女を呼び出したものの、数値は依然として変わらない。
成長期だと言うのに、そんな風に言いたげな担任教師は、眉を顰めたものの、少女の白磁の肌にはそれこそシミ一つ怪我一つ、何ならホクロ一つ見当たらない。
しかも、目の前の少女は快活に笑う。
幼少期には見られなかった八重歯がチャームポイントになり、大きく笑う時にはその歯が白く見えていた。
そんな風に笑う子が、いや、まさか、と嫌な考えに首を振る担任教師は、恐らくどれだけ年数が経ったとしても、どう行動するのが正解だったのか知らないし、分からないだろう。




