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腹を割いても底は知れない

昼を回った後、仮眠室へ向かったサクに、当然のように着いていくディチャンノーヴェ。

その後ろ姿を見たエルバが顔を顰めていたのを知っている者は、恐らく誰もいないだろう。


そうして枕に頭を乗せ、しっかりとシーツに丸まったサクが完全に寝落ちるまで、ディチャンノーヴェはその傍らにいた。

ただただ、その寝顔を観察している。

穏やかな、しかし近距離で耳をすませねば聞こえない寝息に、ディチャンノーヴェの左手が白衣のポケットへ向かう。


ポケットの中に入れてある、自分で改造した折り畳み式のメス。

それに手を触れれば、彫刻のように固まっていた表情が僅かに崩れ、歪み、眉間に一本の小さなシワが刻まれる。


眠っていようとも、反応は変わらないだろう、という予想の元に軽くメスに触れただけだ。

反射というよりも、野生の勘か。

メスに触れた手を引っ込め、ディチャンノーヴェはサクの寝顔が変わるのを見た。

眉間のシワが消えていく。

また、彫刻のような、死んだような寝顔になり、それを見ると静かに立ち上がる。


音も立てずに仮眠室を出て行くディチャンノーヴェ。

ゆっくりと瞼を持ち上げたサクが、閉まる扉を見届け、背中を向ける。


「……やだやだ」


溜息と共に出した日本語は、酷く懐かしいもののように思えてならない。

神経質になっていたのか、米神辺りがツキリと痛み、強く強く目を閉じた。




***




踵が高くなっているブーツにも関わらず、ディチャンノーヴェの足音は聞こえない。

まるで数ミリ浮いているような、まるで気配を感じさせない歩き方だ。

扉の開閉音も、ほぼないと言って良い。


やはり、音もなく廊下を歩き、音もなく扉を開けたのだが、扉から見て真正面にあるデスクで作業をしていた看守長は気付く。

気付く、というよりは、気付いていた。

ディチャンノーヴェが扉を開けた時には、既にペンを置き、扉を見ていたのだから。


「随分、趣味が悪くなったな」


後ろ手で扉を閉めるディチャンノーヴェ。

回転椅子を左右に振るように揺らし、キィキィと小動物の鳴き声にも似た金属の軋みを響かせる看守長は、何のことやら、と首を捻る。

兎の被り物が揺れた。


今度はぼすりと音を立ててソファーに座り込むディチャンノーヴェは、白衣の裾を正し、看守長を見据える。

先程、サクを見ていた目と相違ない。

観察し、見極めるような目付きだ。


「あんな子供に目を掛けて……今度は何を考えているのか」


語尾に混ざった溜息を聞き、看守長が、ああ、と白い手袋に包まれた両手を叩く。

二度ほど、乾いた音を部屋に響かせ、被り物の奥から笑い声と共に「彼女のことか」と頷いた。


「サクちゃんは、後一年で成人だ。別段、子供という程でもないだろう?」


「……日本人は童顔過ぎるな」


フン、と鼻を鳴らすディチャンノーヴェ。

無表情で、感情の起伏に薄く、落ち着いた雰囲気のあるサクだが、その顔付きは日本人らしく童顔寄りだ。

特に、日本国外の人間から見れば、実年齢よりも幼く見える。


看守長の言葉を聞いて、僅かに目を見開いたディチャンノーヴェは、サクを中学生くらいに見ていた。

故に、迷子だと思ったのだ。


「ハジメだって、日本人だ。同じくらいだろう」


「1番は立ち振る舞いが39番よりも、しっかりしているだろう。オレからすれば、どちらも童顔だが」


「……エルバもだろう?」


書き掛けであろう書類をデスクの引き出しに入れた看守長が、エルバのその容姿を思い浮かべる。

ディチャンノーヴェも、自分自身を愛称で呼んでくる彼女は、印象強く、眉間にシワが生まれた。


「アレは不老の類じゃないのか」


「さぁ。私は、そういうことに興味が薄くてね。気になるなら、エルバに問えばいい」


看守というよりも研究者としての言動が多いディチャンノーヴェ。

医務室を与えられているだけあり、治療も得意だが、本来得意としているのは解剖や解体の分野だ。

生命体の不思議を、神秘を、自身の元にさらけ出し、理解を深めることを目的としている。


白衣のポケットに入った折り畳み式メスなども、その目的を果たすための道具だ。

当然、サクの採血のために使った注射器なども同じ。

ディチャンノーヴェの目には、自分以外の生物が全てモルモット(研究材料)に映っているのだろう。


「採血を嫌がって話にならない」と言っているディチャンノーヴェ。

それを見ている看守長は、その異質さ――サクでいうところの反射神経と同じもの――は、重々理解し、理解しているからこそ、看守として傍に置いているのだ。


「……それで、39番のことだが。アレは、被害者だろう」


顎を突き出すように顔を上げた看守長は、被り物の奥からディチャンノーヴェを見据える。

赤い無機質な兎の瞳が、蛍光灯に当てられ、鋭く光った。

答えない看守長に対し、ディチャンノーヴェは更に言葉を重ねていく。


「確かにあの反射神経は異質かつ異常と言える。それでも、今まで被害者を引き込んだことはなかっただろう。アレは紛れもなく被害者で、加害者がいるんだ」


どうする、という問い掛けだと分かっている看守長が、デスクの上に両手を投げ出し、指を組む。

背凭れに寄り掛かれば、ギシリと音を立てる。


「珍しいな。調べたのかい?」


「27番がな」


「あぁ。成程、まだ帰って来てないから報告が流れてきてないだけか」


未だ監獄島に戻って来ていない看守が一人。

恐らくそろそろ戻って来るだろう、と看守長自身も考えているが、監獄島にいる間は殆ど連絡が取れない。

不可能ではないが、監獄島から出た出張に関しては、看守に一任しているので、戻って来てからやっと報告を聞く。


そこまで思い出し、看守長は、はて、と眉根を寄せた。

「ディチャンノーヴェ。そんな報告しなかったな」と、一段下げられた声が、被り物の奥から響く。

くぐもったその声に、大きく首を竦めたディチャンノーヴェは「聞かれていないからな」と答える。

数秒の沈黙が、お互いの腹の探り合いになり、下がったのは看守長だ。


天井目掛けて立った耳が僅かに左右に振られる。

看守を選ぶのは看守長の仕事だと告げる看守長だが、それはディチャンノーヴェの求めている答えではなかった。

足を組み、目の前のテーブルにその足を投げ出したディチャンノーヴェは、不満を顕にしている。


「悪趣味と言われても、サクちゃんだって私の部下だよ。勿論、ディチャンノーヴェ、君も」


な、と同意を求めるような問い掛けに、ディチャンノーヴェは反応を示さない。

ただ、紫の瞳を細くし、看守長の被り物を見据える。


「君がサクちゃんに興味があって、尚且つ、研究したいというのも、本人の同意があれば良いと思っているよ。閉鎖空間である監獄島だ、やりたいことの一つ二つ、制限するつもりはないよ」


サクが死にたいために監獄島へやって来たことと同じで、それぞれの看守が望むものがある。

自分はそれすらも見極めて、看守として受け入れているのだと看守長は言う。

ディチャンノーヴェは、ゆったりと腕を組み、その言葉を聞き入れた。


「反射神経を強化したいと思うなら、サクちゃんの同意を得て一緒にやれば良い。ただ、その話だけはするな。それは許さない」


無機質なはずの赤い瞳が、ギラリと、殺気混じりに光ったのを、ディチャンノーヴェは見逃さなかった。

暫く無言で睨み合った二人だが、腰を上げたのはディチャンノーヴェだ。


長い髪を揺らし、エメラルドグリーンの粒子を撒き散らした後、立ち上がったまま、その深い紫の瞳で看守長を見下ろす。

空調管理が行き届いた室内で、看守長の威圧感だけがやけに鋭く肌に刺さる。

その割に、その頭部はふざけた被り物が乗っており、気味の悪い感覚もあった。


「……あの反射神経、突破口があるのは知ってるのに教えないのは同じ理由か」


こてん、と愛らしく傾く兎の顔。

残念なことに、看守長そのものの雰囲気は全くもって愛らしくはない。

下手な誤魔化しが通じるはずもないが、ディチャンノーヴェは、溜息を吐いて部屋を出ていく。


音もなく隙間なく扉が閉まったのを見届ける看守長は、被り物を左右に振った。

右手の手袋を外せば、小さなガラスの欠片のような爪が並んだ指が現れる。

一番下の引き出しは、指紋認証をしなければ開かないもので、剥き出しになった指で指紋認証を突破し、引き出しを開けた。


ファイルが数冊だけ入った、スペースが余っている引き出しだが、そのファイルには全て、番号が振られている。

1、2、11、19、27、39――丁寧にラベルが張られ、妙に達筆な数字。


「うーん。どうしたものかね」




***




「何だ、起きていたか」


看守長室から仮眠室へ戻ったディチャンノーヴェが、ベッドに座ったままのサクを見て言う。

僅かに跳ねた前髪を押さえ付けていたサクが、その姿を確認すると、ゆっくりと立ち上がる。

ベッドのスプリングが軋む音共に「それじゃあ、行きましょうか」と促すサク。


今度の扉は音を立てて閉じられた。

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