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急がば回れなんて言葉もありまして

「あー……うん?んー……」


床も壁も天井もコンクリートで出来上がった通路で、サクは眉を寄せて唸る。

こてこてと左右に傾けられる首に、手元の冊子も揺れた。

巻末付録のように付けられている地図は、まるで嫌がらせのような見にくさだ。


「迷った」


溜息混じりにそう吐き出したサクは、首の後ろを撫でて顔を上げた。

まるでマウス実験のような通路の作りだ。

壁にはポツポツと等間隔で明かりが付けられていたが、どれだけ進んでも道が分かれても、違いが見えず、どこを歩いているのか分からなくなる。

いや、サクの場合は既に分かっていない。


サクは、契約書にサインをし、制服に着替えた後に、手に持っている冊子と、上着のポケットに突っ込まれたライトを受け取り、廊下に出た。

本来いた場所は、看守長室だ。

最初の廊下は、リノリウムの床だったが、エレベーターを使い、地下に降りた後は、全体的に灰色のコンクリートだった。

そりゃあ、どこにいるのか分からなくなる。


「全体的に造り方が凝ってるんだけど、方向音痴に対する親切味に欠ける」


不満げな声を漏らしたサクは、冊子を捲っていく。

足は止まり、薄明かりの中で目次を睨み付け、目当てのページを開いた。

章タイトルは『監獄島について』だ。


サクの目が細くなり、並ぶ文字を追う。

全て日本語で揃えられていた。


「『監獄島について』……世界各国の囚人を収容するために造られた人口島である。創設者及びに管理者は監獄島看守長である」


横書きなので、左から右へと目を動かし、文字を追い掛けて読み上げていく。

自然と眉間には小さなシワが生まれる。


「周囲には海しかない孤島。島に足を踏み入れたとしても、建物に向かうまでは補正されていない山道そのもの。四方八方を野山で囲まれた施設は、監獄で囚人が収容され、看守の仕事場」


サクの抑揚のない声ではない、別の、酷く楽しそうな笑いを含んだ声。

冊子から顔を上げ、声の方向へと体ごと振り向いたサクが確認した声の主は、仮面の男だった。

被り物の次は仮面である。


黒と赤を基調とした、サクとは微妙にデザインの異なる制服を着ているが、その仮面とシルクハットが異様だった。

しかし、サクの表情は変わらず、無表情で男を見ている。


「船着き場から建物までは、軽く三十分は掛かるな。建物に入ってから看守長室は十分もない。看守長室から地下までも十分ない。地下を全て回るのは二十四時間あっても足りない」


「……」


「特に君みたいな方向音痴は一週間あっても、目的地に辿り着けないな」


実に不名誉な言葉を投げ付けられたが、サクは冊子を閉じただけだ。

言われた本人としても、否定の言葉を持ち合わせていないので、口を開く様子がない。


「島全部が監獄。地下が迷路になってるのも仕方ない。周りが野山なのも、猛獣がいるのも、抜けた先が海なのも、全部仕方ないさ」


「猛獣とか初めて聞いたんですけど」


言葉の節々に笑いを含めており、猛獣の単語も出してくるので、サクが口を挟む。

島に到着するまでは長い船旅だ。

その後、船着き場から歩いて建物まで向かったことは、サク自身も覚えている。

数時間前の話だ。


獣道ではなかったが、歩き慣れた補正された道路でもなかった。

履き慣れたスニーカーを履いていて良かった、と思ったのは言うまでもない。

しかし、歩いていた三十分の中で、動物の鳴き声などは聞かず、そんな姿も見れなかった。


「トラとかクマとか、ヘビなんかもいるな」


肩を揺らし、笑う男は、指折り数えるように猛獣を上げていく。

その顔は仮面で隠されているので分からないが、声だけで判断すれば酷く楽しそうである。

子供が新しいオモチャを自慢するようなものだ。


「……それは、人を食べますか」


「えっ」


考え込むように下唇を撫でていたサクが、瞬きをしながら問い掛ける。

男の楽しそうな声が消え、訝しむような間の抜けた声が漏れ出た。

仮面は目も口も弧を描いたデザインなので、その声とはそぐわない。


「放し飼いで島そのものが監獄。つまり、人を襲う可能性がある、高い。そういうことだと判断しました。これは暇があれば散歩の価値ありです」


深く頷くサクは早口だ。

抑揚自体はないが、その早さで感情が分かる。

自分が納得するためだけの独り言だが、目の前の男にはしっかりと聞こえており、困ったような唸り声が漏れた。


「楽しそうなところ悪いけど、君、このままだと地上に出られないし、目的地にも到着しないから」


未だに首を動かしているサクを見て、男が問答無用で肩を掴む。

動きを止められた後は、溜息が聞こえてくる。


「あの看守長が気に入るわけだ」


溜息と共に落ちてきた言葉に、サクの首が傾げられ、瞬きの回数が増える。

睫毛が揺れ、前髪も揺れたが、男の手が離れることはなかった。

肩を掴まれている本人は大して気にした様子もなく、あの看守長という言葉で、兎の被り物を思い出す。


建物に入って一番に向かうべき場所は看守長室で、当然兎の被り物をした人物が看守長であることは、サク自身も分かっていた。

理解はしていたつもりだが、実感はなかったのだ。

だって、被り物だよ、独りごちたような呟きに男が首を捻ったが、サクは気にしていない。


「取り敢えず、君の目的地はもう少し下。後、地図は回しながら見るものじゃない」


首が横に振られたが、現在地と目的地が分からないから回すんだ、とサクが思ったのは言うまでもない。

そうして、その考えそのものが間違いであることも、言うまでもないだろう。




***




「改めて、俺は看守長番号2のツヴァイ」


わざわざ案内を買って出た男は、自身をツヴァイと名乗った。

仮面を付けた状態で、サクがはぐれないように腕を掴んで歩いている。

歩幅はサクに合わせているのか、歩みは遅い。


掴まれた腕から視線を上げたサクが見たのは、ツヴァイの腕に巻き付けられた腕章だ。

確かに、数字で『2』と印字されている。


「はぁ、ツヴァイ先輩は日本人じゃないんですね」


サクはツヴァイを見上げて言う。

シルクハットと仮面の間から見える茶髪は、日本人でも染めればそうなる色味だ。

しかし、その仮面の奥から聞こえてくる声は、言葉は、日本語ではなかった。

サク自身が、ツヴァイ相手に向ける言葉もまた、日本語ではない。


「出身は違うけど行ったことはある。……そんなことはどうでもいいけど、名前は?」


僅かに首だけでサクの方を振り返るツヴァイ。

あぁ、と全く気にした様子もない頷きを一つ見せたサクは、自身の腕章を一瞥した後「看守番号39のサク」と答えた。


「サクチャン」


「……好きに呼んで下さい」


わざとらしい『チャン』付けに、軽く頭を振ったサクは、足元を見た。

足元は変わらずにコンクリートだ。

カツカツ、コツコツ、二人分の足音が響いている。


「初日は地図の所有を許されてるけど、明日からは地図なしなんだよな。……サクチャンの場合は、あってもなくて変わらないだろうけど」


最短距離らしい道程で、頑丈そうな扉の前に辿り着く二人。

失礼な物言いも、目の前の扉を見たサクには、右から左へ流れるBGMだ。


「手癖の悪い奴なんて山ほどいる。気を付けてな」


聞き流されているのを承知で忠告するツヴァイは、扉を前にしてサクから手を離す。

当の本人は、扉を見ながらも「手癖」と繰り返しているので、全てを流しているわけでもないらしい。


「物の一つ二つ盗まれることもある。新人なら特にな。後は、男と女の差は理解した方がいいな」


忠告らしく、真面目さを帯びた声だが、聞いている方は緩く頷くだけだ。

無表情でしっかりと聞いているようにも見えるが、どうでも良さそうに見える。

実際どちらなのかツヴァイには分からず、扉に掛かった錠前を外す。

ダイヤル式の錠前らしいが、その桁数は十桁で、数字と記号が入り混じっている。


錠前を外した後は、扉に掛けられた閂を外す。

どちらも外した後は、ツヴァイが持っている。

両手が塞がったところで振り返り、サクを見て、扉を示す。

そこには、液晶パネルと数字のみの文字盤と何かを読み取るような小さな機械が取り付けられていた。


「地下に降りてくる時、エレベーター使っただろう?そもそもエレベーター以外で、地下に降りられることはないけど」


「使いましたけど」


階段は作らなかったんですね、というのは言うだけ無駄なので、いちいち言うことはない。

階段がないのは、やはり囚人が使えないようにするためであり、監獄としての機能を高めることに繋がるのだ。


「エレベーターは、看守の指紋認証が必要だからな。静脈認証もあるし」


わざわざ、指紋認証と静脈認証を付けたエレベーターは、それら全てをクリアしなくては使えない。

登録も、看守長手ずから行う。

島に到着後、契約書にサインや拇印などをしていたサクだが、そちらもすることになり、細かいと眉を寄せていた。


「機械で認証後、暗証番号の入力」


言われた通り、サクが歩み出て、機械に指を通す。

指紋も静脈も左手から取るので、右手で暗証番号を押していく。

暗証番号も、看守長室で打ち込んだ。

指紋と静脈が読み取られ、液晶パネルにはクリアの文字が浮かび、暗証番号でもまた、クリアの文字が浮かび、次にはオープンの文字が浮かぶ。


オープンの文字が浮かんだ際には、某有名RPGで聞く、レベルアップ時に鳴る音楽が鳴った。

サクにも親しみのある音楽だが、何でこれを選んだ、という疑問の方が強い。


「サクチャンが会いに行く奴は、今の地下よりももっと奥の地下だから、この扉の奥にある階段を降りるんだ」


サクが扉を押し開ければ、言われた通りに、階下への階段が続いている。

先程まで歩いて来た通路とは違い、まともな明かりがないので、出番がなかったライトを使うことになるのだろう。


サクがライトを取り出したのを見て、ツヴァイが溜息混じりに言葉を吐く。

「こっちの階にも囚人はいるけど、その下にはこっちよりも刑期が長くて重い奴がいる」と、僅かに顔を伏せて言うのだ。

仮面で顔が見えないため、声だけでその感情を読み取るサクは、真っ直ぐにツヴァイを見た。


「……サクチャン」


「何ですか」


「ここから先は一本道だから迷うことはないと思うけど、迷わないでくれよ」


伏せた顔を上げたツヴァイは、相変わらずの仮面だ。

目も口も弧を描いた仮面でそんなことを言うので、煽られているのだと直ぐに分かる。

ライトを点け、向かう先を照らしたサクはただ一言、面倒臭そうに漏らす。


「馬鹿にしてるんですか」

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