#1 監禁
サチとムツミが足を踏み出した先は、真っ暗になったユリ棟の廊下だった。
二人が見せられていた夢の世界の入口は、二人の背後で閉じる。窓の外に広がる厳かな空には、てらてら光る月が浮かんでいる――――どうやら、ここは現実のようだ。
「急いでるの。だから手短に話すわ。サチ・ホシノ。それからムツミ。二人には『笛吹き』の討伐に協力してもらいます」
「『笛吹き』?」
「ええ。貴女に悪夢を見せた魔奏士よ。アイツは今、私の妹を狙ってる」
「妹?」ムツミが首を傾げる。「生徒会長には、妹さんがいたのですか?」
「話せば長くなる。その件については移動しながら話すわ。今はとにかく、『笛吹き』をうちの妹に接触させてはならない、とだけ言っておく」
すたすたと廊下を歩き始めたヘレナの背中は、サチには何か焦っているように見えた。
サチとムツミはお互いを見合わせ、ヘレナの後に続いて歩き始める。
「会長、質問してもいいですか」
「答えるかどうかはこっちが決めるわ」
「えぇ……」
「時間がないの。聞きたいことがあるならさっさと聞いて」
「その『笛吹き』って何者なんですか?」
「名前はパトリック・ピアース。学院の五年生男子よ」
「え、ロアノールに男子っていたんですか⁉」
「いるわよ。当たり前でしょう」
ロアノールにも確かに男子生徒は存在している。
ただし、現在のロアノールに在籍する生徒は大半が女子であり、コミュニティの中心も女子である。男子は肩身が狭くその姿を見せないことも多いので、サチにとって、「ロアノールの男子生徒」はドラゴン同じくらいの「伝説上の存在」であった。
「会長、随分詳しいですね」ムツミが指摘する。「先ほどサチと私が遭遇したときは、覆面だけの姿でした。素性を探れるような情報は、何も得られていません」
「パトリックは生徒会の評議員なのよ」
「評議員?」
「ロアノールでは多額の寄付をしてくれたスポンサーに、特別な学籍を用意しているの。
学院の授業以外のあらゆる活動に介入できる、その活動を決定しているのが生徒評議会よ。特別な学籍っていうのは、その評議員の椅子ってわけ」
「うっわぁ……」
「パトリックは今年の春に下級魔奏士試験に合格して、生徒会評議委員会は魔奏器『GutenNacht』を彼に与えたわ。
奏でる魔奏を聞いた者を眠りへと誘う、特殊な力を持った魔奏器。でも彼が『GutenNacht』を受領してから、ロアノールの生徒に不眠症を訴える者が現れ始めた」
そういえば、ヴェルナの作っていた『眠り薬』は会長の依頼だったな、とサチは思い出していた。
「ヤツはその力を使って、私の妹、リリアに接触しようとしている」
「会長に妹さんがいたなんて。知りませんでした」
「おかしいですね」学院のデータベースにアクセスし終えたムツミが首を傾げる。「今調べてみましたが、『リリア・ロアノール』という名前は学院の名簿には確認できません」
「そうよ。だってあの子は学院の生徒じゃないもの。
生まれつき、ずっとベッドから出られないの。『予言の魔法』のせいでね」
三人は寮を抜け、ロアノールの校舎に入った。
照明の類は一切点いていない。真っ暗な廊下は方向も分かりにくかったが、ヘレナは迷うこともなく、まっすぐ道を進んでいく。
「『予言の魔法』は、術者が夢の中で未来予知を神託として受けられる魔法よ。ただしリリアの場合はその魔法が暴走していて、半睡眠半覚醒の状態を16年も続けてる」
「16年⁉」
ヘレナは理事長室に入った。普段は生徒が立ち入れない部屋だが、ヘレナは内装の何もかもを知っているらしい。初めて入った部屋の豪華な内装にきょろきょろ見回すサチを無視して、ヘレナは執務机の引き出しを一段、一切迷うこともなく外し、その奥にあるレバーを引いた。
ごうん、と執務机がずれて、床下に隠された扉が露になった。
扉の中は、地下に続く階段である。
「さ、急ぐわよ」
階段を下りていくヘレナ。サチとムツミもそれに続いた。
学院の地下には、大きな部屋と小さな部屋があった。
小さな部屋には扉がなく、横を通ると中が見える。小さなキッチンがあり、簡単な料理ができそうな部屋だった。
大きな部屋には頑丈な木製扉が、鎖で固く守られている。鎖には無数のベルがぶら下がっており、耳を澄ませば、ベルが微かな音を発しているのが分かる。どうやらこのベルも、一種の魔奏器であるようだ。
レイピアを鞘から抜き、扉の前で指揮棒のように振るうヘレナ。すると微かに響いていたベルの音が無くなり、鎖が次々とばちん、ばちんと音を立てて外れていった。
扉が開かれると、中はドーム型の天井を持った円形の大きな部屋だった。
部屋全体が淡い青色のランプの灯りに照らされていて、壁紙も床もすべて青色で統一されている。円の中心を挟んで扉の反対側には、十人か二十人は寝転がれそうな、巨大な天蓋付きのベッドが安置されている。人の体よりも大きなクッションを枕に、布団に埋もれるように、少女が眠っているのが見えた。
「あの子がリリアよ」
ヘレナに続いて、サチもリリアに近づく。
髪色や顔つきはヘレナによく似ている。だが、髪は伸び放題のぼさぼさ、頬はこけており血色も良くない。固く瞼を閉ざし寝息を立てるリリアの額には、汗粒が浮いていた。
「苦しそう……」
「時々、寝言のように呟くのよ。リリアが受けた、予言をね」
身を乗り出し、ベッドに膝をついたヘレナは妹リリアの額に優しくキスをした。
髪を撫でてやり、頬を撫でてやり。だがリリアはすやすやと眠ったまま、返事どころか反応もしない。
「以前は幸せな予言が多かった。『たくさんの卒業生が活躍し、魔女の血球は退けられる』とか、『魔力融合の使い手が入学してくる』とか。
でもここ半年ほど、リリアは悪い予言しか見なくなっているみたい」
「例えば、どのような?」
「……『魔女の復活は近い』、とか」
魔女の復活――――その単語に背筋にひんやりとしたものを感じるのは、今の世サチだけではないはずだ。
黒き煌きの魔女シャリオの討伐から七〇年。脅威を体験していないサチでも、その痕跡を見ただけでも、その存在がいかに人類を脅かしていたかは分かっている。
死んだはずの魔女が蘇る。そんなことはありえない――――そう、断言できればいいのだが。人類はまだ、魔法のすべてを解き明かしてはいない。
当時の魔法の最先端を行っていた魔女シャリオは、自分の命が失われた後でも復活できる手段を用意していたのではないか。そう考える人間も少なくないのだ。近年出現が増えている『血球』や『臓物』が、魔女復活の兆しだという者もいる。
「……うぅ」
「リリア、眠りなさい。夢を見てはいけない」
ヘレナは唸るリリアを優しく諭し、ベッド脇のテーブルに置いてある小瓶を取った。
サチはその瓶に見覚えがあった。ヴェルナの作った「眠り薬」である。
ヘレナは眠り薬の瓶に指を入れて濡らすと、それをリリアの唇の上に翳し水滴をぽたりと垂らした。舌を伝ってリリアの口の中へ薬が入っていくと、リリアは大きく息を吐き、唸るのを止めた。
ヘレナの依頼した「眠り薬」は、「笛吹き」のもたらす不眠症対策などではない。
リリアを深く、夢を見られないほど深く眠らせるためのものだったのだ。




