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NIGHTMARE RAVENS  作者: 96500C/mol
Chapter 20. 旋慄 -Coda-
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#5 永遠

 トロイライト・カルミナリア・ベルーシュ。姓名、さらにミドルネームまでいずれも、育ての親、熾竜ルビー・ベルーシュからもらった名前である。

 ルビーはこの世界とは異なる理を持つ「魔界」に隠れ住むドラゴンの生き残りで、ずっと人間界に関わらないように生きてきたという。人智を超えた力を持ち、齢七〇〇にして未だ若さを保っている。そんな母親の存在が、ライラにとっては疑問であった。


 なぜ、ルビーは人を避けて「魔界」に暮らしているのか。

 なぜ、ルビーは普段から人間の姿に変化して暮らしているのか。

 なぜ、ルビーは自分を拾い、育てたのか。


 ルビーはライラの矢継ぎ早の質問に、多くを教えてはくれなかった。

 彼女はただ一言、決まって「『愛』故よ」とだけ言うのだが。ライラにはその言葉の言わんとするところが分からない。



 ライラが成長し、人間の学校に通うことになったとき。「魔界」への入口が隠されている、旧魔法都市エグツァフの鉄道駅までライラを見送りに来たルビーは言った。


 人間は恐ろしい生き物だ。決して心を許してはならない。

 人間は異物を許さない。人の姿をした、人でないものの存在を認めない。それを知られれば、人の中で生きていくことはできない。


「どうして?」


 ライラは問うた。

 ライラだって人間である。ルビーの言葉が真実なら、ルビーは自分に対して心を許したことがないとでもいうのだろうか。ルビーは人間が嫌いなのだろうか。


 ライラはルビーを愛していた。自分は人間、ルビーはドラゴン。それでも、ルビーが自分を拾い、立派に育ててくれたことに何の疑問も挟む余地はない。

 だがルビーはライラを、本当に愛してくれていたのだろうか。ルビーの答えは汽笛にかき消され、駅のホームを満たした煙の中に消えた。

 ロアノールにやってきた今でも、ライラはその答えを求めている。



   ☆   ☆   ☆



 安全な場所。

 黒き煌きの魔女シャリオによっても、ロアノール城において唯一不可侵な場所。それは図書館である。

 最深部に鎮座する究極の魔奏器『魔王』によって時空間が捻じ曲げられているこの施設は、たとえシャリオの規格外な魔力を持ってしても、暴力的な方法では外界から干渉できない。

 よって、最高のシェルターになる。


 シャリオの復活、そして校舎への深刻な被害を察知したロアノール教職員たちは、城内にいた生存者を素早く図書館へ収容した。

 その中には、負傷したサチ・ホシノも含まれている。保健医シェーヴォラの処置、ユーレン・ハルクススが提供した人工血液による輸血、そしてヴェルナ・ハンニネンによる懸命の投薬により、サチは意識こそ回復しないものの、一命を取り留めた。


 生存者全員の収容を確認した後、ライラは図書館の入口を破壊した。シャリオの侵入を防ぐには、誰かが外から入口を破壊して、図書館を閉じておくしかない。ライラはその役を買って出たのだ。

 皆に止められた。特にマハーレは最後まで自分がやるといって聞かなかった。正規の入口以外から図書館に出入りする方法を、マハーレは瓜花から教わっている。自分なら、入口を破壊した後でも中に戻ることもできるから、と。

 だがライラにはまだ、為すべきことがあった。

 図書館に収容された生存者の中には、瓜花がいなかったのだ。マハーレでは、シャリオに見つかれば絶対に生きては逃れられない。だが、ライラなら可能だ。それに、瓜花を見つければ、一緒に図書館に戻ることができる。そういって、ライラは皆を説き伏せた。


 人気のないロアノール城を進みながら、ライラは瓜花を探した。

 気配はある。瓜花のあの、甘ったるいスズシロの蕾のような匂いが、ほのかに城内の空気に漂っている。ほのかに血の匂いの混じった瓜花の気配はするのだが、どこにいるのかまでは分からない。

 ライラは手当たり次第に瓜花を探し、ついに中庭でその小さな背中を見つけた。


 預けたライラの銀色のコートを被って中庭の隅にうずくまり、瓜花は何かをがじがじ、齧っている。側の地面には、シャリオに投げ捨てられた『剣の舞』が突き刺さっていた。

 フードがはだけて、三角形のケモノ耳がぴょこんと飛び出した。制服のスカートの下からは尻尾が見えている。人に化ける魔法が、解けかけていた。


「うーちゃん」


 びくっ、と瓜花の背中が震える。


「うーちゃん、何しとう」

「……ライラ」


 振り向く瓜花。その顔を見て、ライラは硬直した。

 口元にべったりとついた血。両手に抱えた肉―――ライラが覗き込んでみれば、それは人間の腕だった。

 シャリオに切り落とされた、サチの右腕だ。


「うーちゃん」

「うぅ」


 ぶわっ、と泣き出す瓜花。被っていたコートがずりおちる。

 震える瓜花の手が、ぽとりと持っていたサチの右腕を取り落す。骨が半分くらい露出して、既に生気のない腕は、流血も穏やかだった。


「……ライラ、約束だ。ボクを殺してくれ……っ!」


 地面に手をつき、うなだれる瓜花。それを見下ろしながら、ライラはゆっくりと背中に背負った大剣『万物劈開』を抜き放つ。



  ☆   ☆   ☆



 瓜花の正体をライラが知ったのは、昨年の夏休みに入る直前、決闘で昏睡したライラが回復し、退院したその日の夜のことだった。

 決闘の後で楽団の仲間になった瓜花が、突然ライラの部屋にルームメイトとして転がり込んできたのだ。

 瓜花は誰よりサチに懐いていたし、クローディアにも心を許しているように見えた。当時はその二人ともルームメイトが不在だったので、そっちに行けばいいと思ったのだが。なぜか瓜花はライラの部屋にやってきたのである。


「いいだろ、キミだってルームメイトがいないんだから」

「なんでウチの部屋なん?」

「嫌か」

「イヤではないけど」

「じゃあいいだろ。ボクにはキミでなければならない理由があるんだ」


 瓜花にとって、ルームメイトがライラでなければならない理由。それは、瓜花の正体にあった。

 妖狐―――ニッポンに古くから暮らしている、不可思議な術を使う妖怪の一種。瓜花はその血族だったのだ。そして妖狐は人を騙し、その生気や時には血肉をも喰らうという。


「ボクはまだ妖狐としては未熟者の部類だ。だから本能も抑えられている。

 だがいつか、ボクは一人前の妖狐になってしまうだろう。そうしたら、ボクは人を喰うバケモノになる」


 瓜花が身分を偽ってまでロアノールに潜入し、図書館に籠っていた理由。それは、自分の本能を抑え込む方法を見つけることにあった。古今東西のあらゆる知識が集積されたロアノールの図書館ならば、なんらかの解決策が見つかるかもしれないと考えたからだ。


「避ける方法はないんけ?」

「ない。ボクは図書館であらゆる文献を漁った。日本語で書かれたもの、海外の研究、世界中に伝わる妖怪化生の類の話。そのどこにも、妖怪の本能を抑える方法は、書かれてはいなかった。いずれボクが人喰いになることは避けられないだろう。

 そこでキミの出番だ。キミなら、きっとボクが本能を抑えられなくなったとき、妖怪として力を増したボクでも屠ってくれるだろう。

 誰よりも正義に忠実な、竜剣士のキミならね」


 瓜花はライラを選んだ理由を3つ挙げた。

 一つは楽団メンバーの中でも一番の実力者で、瓜花を殺す力を持っていること。

 二つ目に、瓜花の正体を明かしても、恐れることがないであろうこと。

 そして三つ目。いざというときには、一緒に生活する友人をも殺せる、人間の情に打ち勝つ行動原理を持っていること。


「残された時間がどれくらいあるかは分からない。でも、諦めてはいないよ。ボクはこれからも、自分の本能を抑える方法を研究するつもりだ。どこにもないのなら、ボク自身が自分で作り出してみせるさ。

 だが万が一、それが間に合わなかったら。キミにボクを殺してもらいたい」

「そんなこと……」

「キミにしか頼めないんだ。図書館で戦ったとき……キミの力は驚異的だった。まさか、ボクを正面から打ち負かすやつが現れるなんて思わなかった。キミしかいないんだ。こんなことを頼める相手は。

 約束してくれ。その時が来たら、躊躇せずボクを殺すと」


 そういって、瓜花は小さい小指を立ててライラに向けてきた。

 ライラにはそのジェスチャーの意味が分からなかった。ニッポンではお互いの小指を絡めて誓うことを、『約束』の証とするらしい。


 小指を交えたその日から、瓜花とライラの奇妙な共同生活は始まった。

 瓜花の言葉にはウソはなかった。瓜花が図書館で文献を漁り、研究に没頭する時間は、ライラにとっては退屈極まりなかったが。毎日必ず、暇さえあれば瓜花は図書館に籠って研究をつづけた。

 人は異物を認めない―――母の言葉だ。瓜花が自分の正体を、サチやクローディアに隠そうとする理由が、ライラには分かっていた。瓜花は人喰いの本性が、仲間たちに受け入れられるわけがないことを知っている。

 ならばなぜ、瓜花はそれを克服しようとしているのか。人喰いの本性を受け入れ、隠れて暮らすのではなぜいけないのか。ルビーがそうしているように、人間社会との繋がりを絶って生きることはできないのか。


 ライラは瓜花に問うたことがある。どうしてそうも、自分の本性を嫌っているのかと。


「……人間が好きなんだ。どうしようもないほどにね」


 理屈なんかじゃない、と瓜花は言った。人でないものが、人が大好きなんて変だろ、という瓜花の言葉を、ライラは強く否定した。

 人でないものが、人を愛してはいけないなんて法律はどこにもない。だって、ルビーだってライラを愛していたはずなのだから。

 それはライラの希望的観測だったのかもしれない。本当は、ルビーはライラのことなんて愛していなかったのかもしれない。

 だが、ライラにもそんな少女の無垢な願望に縋りたい理由があったのだ。



  ☆   ☆   ☆



「……さあ、やってくれ。竜剣士トロイライト・カルミナリア・ベルーシュ。

 人に仇なす妖怪を、キミの手で討つんだ」


 時は戻って中庭。ライラは、瓜花を見下ろして『万物劈開』を振り上げている。

 このまま振り下ろせば、瓜花の頭を潰せる。妖狐というのは、頭を潰されれば死ぬのか―――それは分からないが、完全に妖怪に覚醒しきっていない今の瓜花ならば、殺すことは可能だろう。


「うーちゃん」

「ボクは人の血の味を知ってしまった。それも、ボクを信頼し、愛してくれたサチの……。もう後戻りはできない」

「うーちゃん」

「感じるんだ。ボクの中で、沸々と本能が湧き上がってくるのを。もうこれ以上抑えることは難しいだろう。偽装も維持できなくなってきているし」

「うーちゃん……」

「人の味を知った獣は、人とは生きられないんだ。もうボクは死ぬしかない」

「……望月瓜花ッ!」


 ライラに仇名ではない名前を呼ばれ、瓜花はハッと顔を見上げる。


「答えろ、望月瓜花! お前は、人間が好きなのか!」

「ボクは妖狐だ。人を喰らうバケモノだ」

「そんなことは知っている! お前は人間が好きなのかと聞いている!」

「当たり前だろ! だから殺してくれって言ってるんだ!

 ボクが大切な人を傷つける前に、キミの手で止めてくれって、約束したんじゃないかっ!」

「だったら……!」


 ライラは大剣を放り投げた。

 瓜花と目線を合わせてしゃがみ、その肩を抱く。ライラの突飛な行動に、瓜花は空を見上げて固まった。


「だったら、ええよ! 生きたら! うーちゃんを殺す必要なんかない!」

「ライラ……ダメだ。早くボクを殺せ。ボクは人の中では生きられない。

 見てきただろう、学院の惨状を。セレブラントの真実を知れば、排除しようとする人間もいる。同じ人間でもそうなんだ。ボクみたいなバケモノが、受け入れられるわけがない」

「そんな人ばっかりやない! 受け入れてくれる人だっておる!

 ウチの話だって、みんな聞いてくれた! みんないい人ばっかりじゃ!」

「その『いい人たち』を、食い殺してしまうかもしれないのがボクなんだ。

 ボクみたいな異物は、人の輪に入るべきじゃない……」

「どうして?」

「どうして、って……決まってるだろ。人喰いのバケモノと一緒に暮らしたい人間なんか、いるわけないじゃないか!」

「ここにいるよ」

「……へ?」

「ウチはうーちゃんと一緒に生きたいよ」

「そんな……そんなのダメだ! ボクはキミを喰うかもしれないんだぞ!」

「うーちゃんはウチのこと食べたいんけ?」

「イヤだ。そんなのイヤに決まってるじゃないか。

 キミはいいやつだ。こんなバケモノのボクのことも、ずっと友だちだって言ってくれる。人喰いのバケモノになったボクと、それでも一緒にいたいって言ってくれる。

 だからボクは死ななきゃいけないんだ。ボクはライラ、キミを失いたくない。ボクがキミを傷つけることなんか、耐えられない……!」


 弱弱しい腕で、瓜花はライラの体をぎゅっと抱きしめた。

 妖狐である瓜花の細腕は、人の子のそれよりも強靭だったかもしれない。それでも、魔界で鍛えられたライラの体には、人外も人も大差はなかった。


「うーちゃん。ウチと魔界に行こう」

「……は?」

「魔界なら、人間はウチしかおらん。うーちゃんは誰も傷つけなくて済む」

「ボクは人喰いだぞ、人間のキミが人喰いと生きられるわけないだろ」

「いざとなったらお母ちゃんもいるし。それにウチは今よりもっともっと強くなる。うーちゃんがどうしようもなくなっても、ウチが止めてあげられるようになる!」

「バカだな、キミは……。

 しかし、何故だろう。キミに任せておけば大丈夫、そんな気がしてくる」


 ライラが瓜花を離すと、瓜花は頬を赤らめてされるがまま、潤んだ瞳でライラを見つめていた。


「うーちゃん、約束しんせ。ウチと生きる未来を、絶対に諦めんって」

「……いいだろう。じゃあボクもキミに呪いをかけてやる。

 竜剣士トロイライト・カルミナリア・ベルーシュ。ずっとボクの側にいてくれ。人喰いで人好きの、どうしようもないこのボクと」


 ライラと瓜花は、お互いに小指を結び合わせて改めて約束をした。

 決して解けることのない、永遠の約束を。


 愛ゆえに。今ではライラにも、母の言ったその言葉の意味が、何となく分かった気がした。

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