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「十条くんってさ、普段何してるの?」
唐突に投げ掛けられた、漠然とした問いの意味がよく分からず、食事を運ぶスプーンを咥えたままで、顔を上げる。向かい側の席に視線をやれば、不思議そうに首を傾ける少女と目が合った。
「……普段、って……?」
「空いた時間に何してるの、って話かな。趣味、っていうかさ。そういう事」
たどたどしく返した質問に、少女は迷う事なく答える。一方で十条九は、返答に窮して視線を逸らしていた。
「……本、読んでる」
短い思考の後、ボソボソと回答する。それを聞くと、少女は納得したような、それでいて呆れたような表情で「だよね」と苦笑した。どこか、テンポの悪い会話。偏にそれが、社交下手な人間である十条九を起因としている事は明白だった。それでも少女は、急かす事をしない。口を挟む事をしない。ただ、十条九が自身の言葉を選ぶのを、微笑みながら待っていた。
大勢の人間を巻き込み、膨大な量の死傷者を出した件の飛行機墜落事故から、すでに三日。それはそのまま、十条九がこの少女の家で厄介になっている時間とイコールで結ぶ事が出来た。他人との関わりが希薄な彼にとって、それまでただのクラスメイト、学級委員長でしかなかった少女、渡瀬紅葉。彼女とその父との奇縁、そして厚意により、十条九は今の時間を過ごしていた。
「でもさ、十条くん」
渡瀬は、カレーの中に沈むニンジンをスプーンでつつきながら続ける。
「この家、あんまり本ないでしょ?」
「……それは……」
即答が出来なかったのは、彼女の言葉が事実だったためだ。書斎こそあるものの、収められているのは大概がビジネス本か、自己啓発本の類のみ。読めない事もなければ、実際に手をつけてみた物もあるのだが、どうにも積極的に食指が動く物はなかったというのが、彼の印象ではあった。
「いいんだよ、本当の事だから。うち、本を読む人がいないんだよね」
そう言って、渡瀬は苦い顔をする。
「どんな本読むの?」
「太宰治とか、江戸川乱歩とか、芥川龍之介とか……海外だと、ディックとか、アシモフとか……」
ボードレールを付け加えようとして、それは些か気取り過ぎだろうかと、口を閉じる。代わりに、最近の作家の名前をいくつか挙げて、それを誤魔化した。だが、そんな機微が悟られる事もなかったらしく、列挙された作家に「なんか難しそう」と苦笑するだけだった。
「十条くんが国語得意なの、納得。私はあんまりだからさ」
「……そんな事ないと思うけど」
「そんな事あるのです。現に、小説問題で点数落とす事多いし。『登場人物の心情は?』みたいなやつ」
難しそうな顔で眉を寄せながら、渡瀬はカレーを口に運ぶ。それを飲み込んでから、彼女はさらに続けた。
「難しくない?筆者の考えを読む、っていうか」
「あれは、筆者っていうより、出題者の問題だと思うけど。出題者がその小説を読んで、自分なりの解釈をしたものを問題にしてるわけだから。結局、筆者が何を考えながらその文章を書いたかなんて、筆者にしか分からないし」
答えてみてから、身も蓋もない回答だっただろうかと、慌てて渡瀬の表情を盗み見る。しかし渡瀬は気にした様子もなく、「そうだよね」と相槌を打った。
「締め切り間際の作家さんなんて、締め切りの事以外考えてないよね!きっと!」
「……そこまで極端かは知らないけど」
十条九が真面目に答えるのを聞いて、渡瀬はクスクスと笑う。彼女のそんな表情を見る度、安心感にも似た感情を抱きつつある自分へと気付き、十条九はこそばゆさから、顔を逸らしていた。
「あ、もうこんな時間。そろそろかな」
不意に、壁掛け時計を見上げながら渡瀬が呟く。彼女は席を立つと、その足でキッチンへと向かい、カレーの入った鍋を温めなおし始めた。
「でもさ、私も一時期、携帯小説とか読んでた頃はあったよ。携帯からも読んでたし、友達から何冊か、出版されたのを借りて読んでたなぁ」
鍋の中をかき混ぜる片手間、渡瀬は声を掛けてくる。遠目に彼女の仕草を眺めながら、十条九は「そういえば」と相槌を打った。
「確かに、やたらと流行ってた時期はあったな」
「ああいうのは論外?やっぱり、アクタガワとかじゃないとダメなの?」
そう尋ねながらも、渡瀬はテキパキと器に料理を盛り付ける。十条九は、彼女の問いに首を横へと振った。
「いや。俺は別に、特別こだわりがあるわけじゃないから。文豪が書いたから必ず面白いものだ、とは思わないし、俺だって夢中になった携帯小説がいくつもある。それに、あれはあれで、一つのカテゴリーとして大成してるし。読みやすさとか、取っ付きやすさっていう点では、現代人向けで……」
言いかけた言葉を、途中で切る。それは十条九が、自分を見てクスクスと笑う渡瀬の姿に、気付いたためだった。
「十条くん、本の話してる時、活き活きしてるね」
「……そうかな」
確かに、常時より口数が多くなっていたという自覚は彼にもあった。しかし「活き活き」という表現が恐ろしい程に自分と不釣り合いのように思えて、どうにも十条九は納得出来ず、銀色のスプーンに映る、自身の歪んだ顔を眺めていた。
「うん。誰かに言われた事無い?」
十条九は、首を横に振る。そもそもの前提として、彼は誰かと、自身の趣味について語らい合う機会がなかった。自分の事を話そうと思える相手も、それに耳を傾けてくれる相手も、これまでに誰一人としていなかったのだ。そう気付いてしまうと、渡瀬という存在をうっかりと意識してしまって、落ち着かない気分になった。それを誤魔化すように、彼はカレーを自らの口へと運ぶ。
渡瀬が食事をテーブルの上に置くのと、玄関の施錠が解かれる音が響くのは、ほとんど同時だった。示し合わせたかのようなタイミングの良さに、思わず彼女の顔を見上げれば、得意げな表情をしている渡瀬と目が合った。
「ただいまー」
間延びした声と共に台所へと姿を現したのは、渡瀬の父親だった。部屋に入るなり、辺りを満たしていた料理の匂いに鼻を膨らませ、彼は「おお」と感嘆の声を漏らした。
「今夜はカレーかぁ。カレーの匂いって、どうしてこう、食欲を刺激するんだろうなぁ」
「はいはい。分かったから、早くスーツ脱いできてね。汚したり皺になったりした時、どうにかするの私なんだから」
渡瀬にグイグイと背を押され、彼は部屋から追い出される。それから数分後、部屋着になって戻って来た父親に、渡瀬は缶ビールを手渡した。
「お疲れ様。足は平気?」
「うん。移動の時は同僚に送ってもらってるしね。まあ、無理はしてないよ」
「順調、順調」と笑いながら、彼は渡瀬の隣の席へと腰を下ろす。缶のプルタブを起こし、その中身を呷ってから、その視線が十条九へと向けられた。
「十条くんは?体調、平気かい?」
「はい。一応明日、もう一度病院で診てもらうつもりです。それで……」
一端言葉を切り、渡瀬の顔を盗み見た後で、彼は続けた。
「その足で、家に帰ろうかと思ってます」




