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孤ノ影闘記 / Anti-Nexus  作者: 鰓鰐
第4章 禍殃―Childhood’s End―
51/58

〈13〉

 ―13―



 十条九がマンションに戻る頃、すでに時刻は日を跨いだ後だった。運転手に礼を言い、黒塗りの乗用車から降りた十条九は、肌にまとわりつくような湿度の高い空気を切りながら、エントランスへと向かう。


「お兄さん……!」


 十条九が足を踏み入れるのと同時に、一人の少女が腰のあたりへと飛びついてくる。それが、今の今までこの場所で待っていたオペレーターだと分かると、十条九はそっと、その頭に手を乗せた。


「わざわざ待っててくれたのか?」


 オペレーターは何も答えなかった。ただ、十条九の体に顔をうずめながら、喉の奥でくぐもった声を殺している。


「ありがとう。心配かけてごめんな」


 そう言葉をかけながら、オペレーターの頭をそっと撫でる。彼女は、十条九がエレベーターに乗り込んでも、彼から離れようとしなかった。


「……すみません。ボクが余計な事をしなければ、お兄さんが危ない目に遭う事もなかったのに」


 ようやく口を開いた彼女の声は、泣いているのか、ひどく震えていた。十条九は、ゆっくりと首を横に振る。


「お前のせいじゃないよ。形はどうであれ、もう一度母さんに会えたのは、お前のおかげだ。それに、お前が俺たちの事を探してくれたんだろ?本当にありがとう」


 オペレーターは十条九にしがみついたまま、小さく頷く。時折鼻をすするような音を立てながら、彼女は目をこすっていた。


「部屋に戻ったら、ホットミルクでもつくる。……けど、その前に少し寄り道させてくれ」


 オペレーターは不思議そうな表情を浮かべると、腫れた目で十条九を見上げる。ほどなくしてエレベーターの扉が開いたのは、彼らの部屋がある階ではなかった。


「……ここは……」


 その時点で薄々何かを感じ取ったのだろう、オペレーターは微かに、その表情へと緊張の色を浮かべた。十条九は何の説明もなく、オペレーターを伴って一つの部屋を目指す。彼らが足を止めたのは、このマンションの管理人の部屋だった。十条九がインターホンへと手をやると、それに少し遅れて、中からドタバタという慌ただしい音が聞こえてくる。


「あー、悪い、勝手に入ってきてくれ!」


 こんな時間でも彼女が起きている事は、伊達に呼び出されていない十条九がよく分かっていた。返答を受け取ると、彼は、当然のように施錠のされていないドアを開く。その瞬間、部屋の中へとぎゅうぎゅうに押し込まれていたゴミ袋が、マンションの共用スペースにまで溢れ出してくる。足元に転がってきた袋の一つ、その中で得体のしれない何かがゴソゴソと蠢くのを見て、オペレーターは小さく悲鳴を上げた。


「ユノ、ここで待ってていいぞ」


 気遣いから、そんな言葉をかける。しかし、逡巡したものの彼女は、十条九から離れようとしなかった。やむを得ず、彼はオペレーターの小さな体を抱え上げると、そのままゴミ屋敷に足を踏み入れる。


 文字通り足の踏み場もない廊下を、しかし十条九は慣れた足取りで進む。程なくしてリビングの扉まで辿り着いた彼はオペレーターを下ろすと、肩を押し当てながら、それを開いた。


「足元、気をつけろ」


 オペレーターのことを気にかけながら、十条九はその中に進む。二人がリビングに入ると、薄暗い部屋の中で、テレビ画面だけが光を放っているのが、嫌でも目に留まった。その前で胡坐をかいてコントローラーを握っている人物に近づくと、彼女は二人の方を振り返る。


「よぉー、十条。遅いぞお前。見ろよ、お前がチンタラしてる間に、こんなとこまで進んで……」


 廿樂の上げた視線が十条九のものと交錯した瞬間、彼女は何かに気づいたように、コントローラーを操作する手を止めた。


「……何だ?何かあったのか?」


 十条九の異変を察知した廿樂は、そう尋ねた。何も言わずとも見抜いてくるあたり、彼女の観察眼は侮れないのだろう。


「……誰か、死んだか」


 わずかに腫れた目を見ただけで、彼女はほとんど全てを把握していた。


「その分だと、近しい奴でも殺されたか?悪いが、あたしは人のこと慰めたりできねえぞ。そこにいるチビにでも、励ましてもらえ」


 そう言いながら、彼女は興味もなさそうな表情のまま、テレビ画面に目を戻す。あまりにぞんざいな態度に、オペレーターは口を出そうとしたが、十条九が片手でそれを遮った。


「概ね、ツヅラさんの言った通りです。それで、それを踏まえた上で、頼みたいことがあるんです」


 十条九は唐突に、その場へと膝をつく。何事かとオペレーターがそれを見守る中、十条九は口にした。



「俺に、戦い方を教えてください」



 両手を床につけ、頭を下げる。その瞬間、変わらずテレビ画面を眺めていた廿樂と対照的に、オペレーターは驚愕に目を見開いていた。


「な、何を言ってるんですか!?お兄さん、この人がどういう人か、知ってるでしょう!?」


 オペレーターは慌てた様子で十条九の肩を揺する。しかし、彼は意思の固さを示すように口を引き結び、顔を下げていた。


「この人は、自分が戦いを楽しむためなら、平気で味方を殺すような人なんですよ!?その上飲んだくれで、片づけができなくて、だらしなくて……そんな人に、教えを請うなんて……!」


「……おい、それ私にも聞こえてんだけど」


 小さくため息を吐くと、十条九へと視線を寄越す。


「お前、あたしにそれを頼む意味、分かって言ってんだろうな?」


 気温が下がったかと錯覚する程に冷たい声色で、そう問い掛ける。それは、殺気というものを知らないオペレーターが、思わず恐怖の表情を浮かべる程だった。


「覚悟の上です」


 動じた様子も見せず、十条九は答える。それで調子が狂わされたように、廿樂はボリボリと頭を掻きながら、頭を下げた十条九の様子を窺った。


「やだよ、めんどくせぇ。あたしがお前を鍛えて、何の得になる?メリットは……」


「廿樂さん、『暴れたりない』って、言ってましたよね」


 十条九の言葉が、廿樂のそれを遮る。彼は顔を上げると、鋭い目線を廿樂へと返した。


「強い奴と、戦いたいんですよね?だったらその『強い相手』を、作ればいい」


 十条九が、自らの胸を叩く。そこに爪を立てながら、彼は続けた。


「あなたが俺を鍛えた分だけ、あなたが俺に仕込んだ分だけ、俺は戦えるようになる。俺は、あなたが戦う相手として、値するだけの……いや」


 きっと、それだけでは足りない。廿樂が、戦闘に狂喜を見出す者が、自身に匹敵するだけの相手で、満ち足りるはずはない。そして何より──その程度では、十条九自身が納得出来なかったのだ。


「──あなたを殺せるだけの力を持つ、相手になってみせる」


 言い切った後で、十条九は拳を固く握りしめる。今まで何度も、何も出来ぬまま振り下ろすだけだった手に力を込めて、彼は決意と共に、廿樂へと視線を返した。


「……くっ、はははっ!」


 瞬間、堪えかねたように、廿樂が笑いだす。自らの顔を片手で覆い、さも可笑しそうに、彼女は笑い声を上げていた。状況を理解出来ず、オペレーターは困惑の表情を浮かべて、十条九の服にしがみ付いていた。


「いいねぇ、一端の口きくようになったじゃねぇか、お前。初めてここに来た時の、ガキ臭かったお前とは、別人だ」


 廿樂はゲームのコントローラーを投げ捨てると、立ち上がった。そのまま、未だに膝をついている十条九の目の前に歩み寄ると、彼女は腰を曲げ、その顔を覗き込む。


「なるほど。命懸け……いや、この場合文字通り、『命を賭ける』ってところか。けど、それには一つ問題がある。お前が、教えた分だけ強くなるっていう保証がない」


 上から見下すような姿勢のまま、彼女は口にする。


「でも、ま、いいよ。興が乗った。お前に唆されてやる。そろそろ仮想ゲームじゃ物足りなくなってきたところだしな。リアルでの育成ゲーム、ってのも一興だろ。お前に、殺しの方法を仕込んでやる」


 彼女は、以前見せたのと同じ残忍な冷笑を浮かべる。右手で十条九の頭を掴むと、彼女は無理に自身を見上げさせながら言った。


「死ぬ気で覚えろ。私も、殺す気で教えてやる」




 第4章 禍殃―Childhood’s End― 〈了〉





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