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HONEY BEAT  作者: 黒乃きぃ
8/8

mission of love

 プレゼントされたワンピースと、お揃いの指輪。それに合わせて新しく数日前買いに走ったパンプスにカーディガン。心なしかキラキラとして見えるそれを用意して、長岡は鏡に向かっていた。髪を巻きながら、長岡はちらりと壁掛け時計に目線をやる。待ち合わせは午後五時。あとは髪を整えてしまえば出かける準備も終わってしまうのだが、時計の針はまだ三時を指している。どれだけ浮かれているのだろうと嘆息するが、その口元には緩やかな笑みが浮かんでいた。

 事の起こりはだいぶ前、長岡がまだ原稿と睨み合っている時だ。出張から帰ってきた坂井が衝動買いしたというワンピースを長岡に持ってきた。特に記念日やイベントでも何でもないタイミングではあったが、残るものをプレゼントした記憶があまりないという坂井がワンピースを手に思わず頬を緩める自分を見る優しい眼差しに、胸が一杯になったのを長岡は強く覚えている。ちょうど長岡が長期の仕事を抱えていたため、折角だからとお互いの仕事明けにレストランを予約し、デートの予定を立てた。今回は珍しく体調も崩し、締め切り間近は胃がかなりキリキリと痛むような日を過ごしたのだが、そんな時の心の支えとなったのが今日の約束だった。ともなれば、浮かれすぎてしまうのも道理だろうと長岡は自分に言い聞かせる。

 昨晩の風呂上がりに塗ったマニキュアにヨレがないことを確認したりと、時間をたっぷりかけて支度をし、結局四時過ぎにはもうそろそろ良いだろうと家を飛び出した。待ち合わせ場所近くの公園でも散歩していれば、早く会いたいと急く気持ちも落ち着くだろうと自分に言い聞かせ、長岡は新しいパンプスのヒールを鳴らした。カバンの他に、手にはささやかな坂井へのプレゼントの紙袋を抱えている。紙袋を持つ自分の指に光るお揃いの指輪、それにやはり頬が緩んでしまう。

「ルイちゃん!」

 近くの公園をゆるゆると歩いたものの、結局散歩もそこそこに長岡は待ち合わせより十五分ほど早く待ち合わせ場所に行くことを選んだ。自分以外にも待ち合わせだろう人に埋もれつつ、目印になるモニュメントの脇でぼんやりとする。ぼうっとしているところに、聞き覚えのある声が慌てたように自分を呼ぶ。それにハッとして顔をあげれば、坂井が腕時計をちらりと確認しつつ駆け寄ってきた。どうやら坂井の想像以上に早く着きすぎてしまっていたらしい。

「ごめんね、待たせちゃったね。」

「いえ、まだ時間前ですよ?」

「だとしても。まさか俺より早いなんて…。」

「ふふ、確かに。初めてかもしれませんね。」

 坂井は基本的に十分前に行動する。長岡もけして遅刻はしないタイプだが、きっちり十分前に確実に動く坂井が先に待ち合わせについているのが常だった。短くはない付き合いの中、初めてであれば慌てもするかと長岡は、ほう、と納得する。どこか得意げな表情を浮かべる長岡とは対照的に、坂井は少しばかり拗ねたように唇を尖らせている。

「たまには良いじゃないですか。」

「うーん…そうなんだろうけど。」

「けど?」

「俺を見つけて笑顔になって、それで小走りになるルイちゃんを見るのが好きだから…やっぱり俺が待ってたいな。」

「…。」

 ぽん、と頭に手を乗せて語られたのは、長岡自身も自覚していなかった行動だった。愛しげに長岡を見下ろす坂井は、気づいてなかったでしょ?と笑うが、長岡は言葉も出せない。まさか自覚していなかった行動を、今と同じような眼差しで見守られていたとしたら、照れるなんてものではない。柄にもなく頬が染まって行くのを感じて、慌てて長岡は俯いた。

「予約まで時間あるし、少し歩こっか。」

「…はい。」

 予約したレストランまでの道を、敢えて遠回りして進む。人通りも少なからずあったため、坂井はそっと長岡の手を取った。緩く指先を絡めれば、驚いたように長岡は坂井を見上げる。

「はぐれないように、ね。」

「…はい。」

 繋がれた手に、きゅ、と力が込められる。照れたように視線をそらす長岡に、坂井は隠すこともなく微笑んだ。

 通りに面したアクセサリーショップや、きらびやかなショーケースのマカロンなどを眺めながら歩けば、あっという間に予約の時間は迫っていた。行こうか、と坂井が長岡の手を引く。大通りから一本脇に逸れた場所に、その店はあった。夕間暮れの中、看板と飾り出窓に灯されたオレンジ色の照明が柔らかな情景を作り出している。外観からして素敵な店だという評判はもちろん長岡も聞いていたが、予想以上だったらしく、目をキラキラとさせている。

「ルイちゃん、」

 きゅ、と手を取って。まるで傅くナイトのような仕草で坂井は長岡を店内へエスコートした。普段と違う少しばかりキザめいた行動に、長岡も思わず照れ笑いを浮かべる。通されたのは店の一番奥、グランドピアノがよく見える、窓際のテーブルだった。テーブルは、淡い色味の薔薇が飾られており、他のテーブルと明らかに様相が異なっていた。

 テーブルに飾られていた薔薇の花に、長岡は目を瞬かせる。そんな長岡を満足そうに、愛おしそうに見つめる坂井の様子から、これは坂井が手配したものらしいことを長岡は察した。だが、何故。疑問はある。確かに久しぶりのデートではある。とはいえ、特に何か記念日というわけでもないし、と長岡は小首を傾げた。それを笑顔で諌めて、坂井は長岡に席を勧める。

「綺麗だね。」

「とっても。でも、どうして?」

「んー…それは後で、ね。食べよ、俺お腹減っちゃった。」

「…ちゃんと、教えてくださいね。」

「もちろん。」

 にっこりと笑う坂井に、これは何を言っても自分のタイミングでしか話出さないだろう。そう気づいて長岡は一つ溜め息を吐く。けれどその頬は緩んでおり、振り回される現状も愛おしいと、そう言いたげな表情だった。

「美味しい…!」

「ルイちゃん、これも美味しい。」

「食べます。」

 好きなものを好きなだけ食べようと、二人は敢えてコース料理を避けた。前菜を二種、肉料理はシェアすることに決めて一種、軽めのピザを一枚に、パスタを一種。もちろんデザート付きで。二人して頼みすぎだろうかと若干不安になりつつ、それでも出てくる料理は見るからに美味しそうで、これは軽く食べられてしまいそうだと、根拠のない自信が湧いてくる。前菜を口に運んだ瞬間、目を見開いてキラキラと表情を輝かせた長岡に、坂井は自分が先にフォークを伸ばしていた皿を差し出した。美味しいと勧められたこの時ばかりは長岡にも遠慮はない。差し出されるままに一口食べ、そしてまた表情を蕩けさせる。

「これは当たりとかそういうレベルじゃないね。」

「ですね。予約とれて本当に良かった。」

 ピザを片手にメインディッシュの肉料理を食べ進める。ほろりと口の中で融ける牛頬肉の赤ワイン煮に、長岡はまさしく至福といった表情を浮かべて舌鼓を打った。一ヶ月以上前から予約を取った甲斐がある。お互いの仕事が曜日に縛られないため、予約を入れたのが平日の夜というのも良かったのかもしれない。

「そういえば坂井さん、今日は飲まないんですか?」

「うん、今日はね。ルイちゃんは飲んでもいいんだよ?」

「…一人で飲んでも、あんまり美味しくないので、いいです。」

 最後にパスタをシェアしながら、そういえば、と問いかけた長岡に、坂井はどこか意味深に微笑む。パスタは海老とバジルの冷製パスタだ。ここまでだいぶのボリュームを胃に納めてきたというのに、さっぱりとしていて、ぺろりと食べられてしまいそうだった。坂井の返答に長岡はパスタをクルクルとフォークに巻きつけながら、なら、とぽつりと返した。その言葉に、坂井の頬が微かに上気したことに、長岡は気づかない。

「…え、わあ…!」

 パスタを食べきって、珈琲を頼んで。さてデザートが出てくるというタイミングで、フロアの照明が一瞬仄暗く落とされる。フロアスタッフたちがパチパチと品のいい拍手を響かせる中、これまたテーブルセットと同じく薔薇が飾られた華やかなデザートプレートが、二人の元に運ばれてきた。確かに頼んだチョコレートケーキもプレートに乗っているが、こんなにも大掛かりに注文をした覚えは長岡にはない。まさか、と驚きながらも坂井を見やれば、はにかんだ笑みが返される。どうやらこれも仕組まれていたらしい。

「どうぞ、ごゆっくり。」

 プレートをテーブルに置き、スタッフが下がっていく。会釈でそれを見送って、長岡は改めてプレートを見た。どうやら乗っている薔薇は一部は生花だがすべてでではなく、半分以上はチョコレート製のようだった。それにしても、色とりどりの花がこれでもかと飾られている。その中に、それぞれが注文したチョコレートケーキとフルーツタルトがフルーツとジェラートを添えられて飾られていた。最早皿に乗っているというのは語弊がありそうだと長岡はしげしげとプレートを眺めた。

「…気に入った?」

「すごく、綺麗で…なんだか食べるのが勿体無いくらいです。綺麗…薔薇、すごいですね。」

「ね、綺麗だよね。ここのウエディングプランでケーキ頼むと、一面こういう薔薇が飾られたのが出てくるみたいだよ。」

「あ、そっか。結婚式とか…ならこういう細工はお手の物ですね。すごい…。」

 キラキラとした目でまたお菓子の薔薇を見つめる長岡の様子は、いつになくはしゃいで見えた。その姿に、こうした細やかなサプライズを仕込んだ側である坂井はホッと胸をなでおろした。これから長岡に告げようと思っている言葉の前置きとして全て仕込んでいたのだが、それが少なからず成功したようで緊張が和らいだ。

 坂井がアルコールを頼まなかった理由。キラキラとまだプレートを眺め続ける長岡を見つめながら、坂井はそっとポケットからあるものを取り出す。坂井自身ベタかとも思ったが、致し方ない。

「ルイちゃん。」

 テーブルの上に、そっとあるものを乗せる。深い赤色のリングケース。ハッと長岡が息を飲む音がする。

「これから、ずっと。俺と一緒にいて欲しい。ルイちゃんの脆い部分も不器用なところも含めて、全部、俺が傍で支えたい。俺の情けないところも含めて、ルイちゃんに傍で見ていて欲しい。」

 決定的な言葉が喉の奥で引っかかってうまく出てこない。ならばと、思いの丈を坂井は言葉にした。口元に手をやって、潤ませた目を見開いている長岡と、目が合う。緊張で少しばかり強張っていた表情が緩むのが坂井自身も分かった。ゆるりといつも通り、柔らかく微笑んで。リングケースを開けて、中の指輪を取り出し坂井は立ち上がった。長岡の側に片膝をつき、そっと左手を取る。

「結婚しよう。俺と、幸せになってください。」

「…坂井、さん…!」

 とうとう長岡の両目からぽろりと大粒の涙が溢れる。リングを長岡の薬指にはめてやって、こぼれた長岡の涙を拭ってやる。お揃いで着けているリングと一緒につけていても、違和感のないデザイン。それに気付いて長岡の目から涙が止め処なく溢れる。

「…ルイちゃん、返事、聞かせて?」

「…わた、私で、いい…っんですか…?」

「ルイちゃんがいい。ルイちゃんじゃなきゃダメ。知ってるでしょ?」

「…好き、です。好き…!」

 ポロポロと涙をこぼしながら、長岡は傍らに膝をつく坂井に抱き着く。それを笑いながら、坂井は軽々と抱きとめてやった。

「俺も。ルイちゃんが大好きだよ。」

 耳元で優しく声を落とせば、背中に回る長岡の腕の力が強くなる。ぎゅ、と目一杯の力で抱きしめられて、坂井はまた一つ笑みをこぼした。

「ほら、デザート食べよう。折角お願いして可愛いプレートにしてもらったんだから、ね?」

「っ、はい…!」

 坂井も一度、ぎゅっと腕に力を込めてから、ぽんと背中を軽く叩いてやる。促されてゆるゆると顔を上げた長岡の頬はいく筋もの涙に濡れていたが、デザートをと冗談めかして誘われた長岡は、ふにゃりと微笑んだ。メイクは確かに涙で崩れているが、だとしても今まで見た中で今夜の長岡が坂井にとっては、一番綺麗で、一番愛おしく見えた。

「…あ、溶けちゃってた。まあこれはこれで思い出だね。」

「あ…ふふ、そうですね。」

 再度席につき直せば、デザートプレートの上に乗せられていたジェラートだけは溶けてどろりとしていた。だがそれすらもいいハプニングだと、二人は声を上げて笑う。さて食べようと二人がフォークを持ったタイミングで、不意にフロアスタッフが二人、席に近づいてきた。きょとんと坂井と長岡がスタッフの顔を見上げれば、満面の笑顔でクラッカーが鳴らされた。

「おめでとうございます!」

「どうぞ、素敵な一夜を!」

 レストランからの祝福だと、もう一つ追加でクラッカーを鳴らしたスタッフたちがデザートをテーブルに置いていく。カクテルグラスに似た皿に、色とりどりのマカロンが載せられているそれは、目にも鮮やかだった。

「…まさか、だね。」

「本当に。これは坂井さんにもサプライズですか?」

「うん。これは俺知らない。」

 お店が一番サプライズ上手だねえ、などと笑いあって、二人はようやくそれぞれのケーキにフォークを伸ばした。途中、やっぱりアルコールも飲もうとグラスのシャンパンも一杯ずつ追加し、たっぷりとデザートまで満喫した。

「緊張してたから回りそう…。」

「そんなに?」

「うん、だから頼まなかったんだよ。飲んだらダメになるなーこれって思ったから。」

「なるほど。」

 最初にアルコールを断った坂井のそんなこぼれ話に、長岡はクスクスと笑いを零す。泣いた後で少しばかり目元は赤くなっているが、それでもその表情はこれまでになく柔らかく、それに坂井は胸が満たされて行くのを感じた。じわりとアルコールが体内を巡って行くのとは、また別の熱が胸の内で生まれる。柔らかなその熱はおそらくは愛情と呼ぶべきもので、坂井の頬は今までになく穏やかに緩んでいた。

「美味しい?」

「とっても!」

 マカロンを頬張って目を煌めかせている長岡の表情を見れば、美味しいかどうかはすぐにわかる。けれども敢えて聞きたくて、坂井は分かりきった質問をした。ふにゃりと表情を崩して感想を端的に述べる長岡に、坂井も笑みをこぼしてマカロンに手を伸ばす。

「…今日は最高の一日かもしれない。」

「はい?」

「ううん、なんでもないよ。」

 ぽつりと呟いた言葉に反応する長岡にゆるく首を振って、何でもないのだと伝える。それからデザートを満喫した二人は、そのままタクシーで長岡の家に向かった。坂井としては長岡を送るだけのつもりだったのだが、何となく別れがたく、結局慣れたソファーにリラックスして腰を下ろしている。

「…坂井、さん。」

「ん?」

 坂井の肩に頭を預けもたれかかっていた長岡が、不意に声を漏らす。片手で軽く髪を梳いてやりながら言葉の先を促せば、坂井は自分が覚えているだけでも数年ぶりに、泣きそうになる羽目になった。

「あの、これ…今日渡そうと思ってたんです。貰ってください。」

「青い、薔薇?」

「はい。プリザーブドフラワーです。花言葉ね、奇跡とか、神の祝福とか、素敵なんです。…坂井さんに出逢えたことが、私にとっては奇跡だから、って。」

「…ルイちゃん、」

 はにかんで微笑む長岡の表情があまりに柔らかくて、坂井は目頭がぐっと熱くなるのを感じた。何度はにかむけれどどこか寂しげな表情を見ただろう。淡々としている癖に寂しいと口にするのが下手な長岡を泣かせたのは一度や二度ではない。けれどその度に抱き寄せる小さな背中が、自分に全てを預けてくれる感覚に坂井は救われてきた。一人で泣かせたくないと愛を注いでいた女性が、自分との出逢いを奇跡だと言って笑う。これは夢じゃないかと坂井は半分泣きそうになりながら、そっと長岡を抱き寄せた。

「俺にとっても、奇跡だよ。…キザな台詞だけどさ、ちょっと今時が止まったらいいのになーなんて、思った。そのくらい、幸せ。」

「…私も、です。」

 受け取った青い薔薇はそっと端によけて、二人はしばらく抱き合っていた。そっと胸に預けられた長岡の体重に、坂井は満ち足りて頬を緩める。静かにお互いの体温を感じて愛情を共有する二人の未来を祝福するように、窓の外では一筋の流星が密やかに流れていった。

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