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怖れていた不安と、悲しみに散る羽根

 そして待っていた出立の日。


 その日は朝からそわそわとしてしまったし、皆は緊張感を持っててきぱきと動いていた。

 ずっと早く帰りたいと思っていたけれど、いざ帰る時になるとペルガニエスの宮殿も最後になるんだと感じて少し寂しい様な不思議な気持ちになり、部屋の調度品一つ一つをしっかりと探索してお別れを言う。大丈夫、大丈夫!引っ掻いたり傷つけたりなんてしないから!と不安そうな視線で訴えてくるリークに言い訳しながら、特に滞在中気に入っていた長椅子の背をしっかりと端から端まで辿ってから部屋を出た。

 その後準備が整ったカーディーンとリーク達と一緒に、これから出立するとは思えないほど着飾ったネヴィラとナディスを迎えに行ってから、二人と軽く挨拶をして二人の護衛をしつつ回廊を進み、ペルガニエスの王族が待つ大きな部屋へと皆で向かう。

 到着の時は王族としてネヴィラと一緒に王族へ挨拶したカーディーンは、体調の事もありペルガニエスの王族との別れの挨拶は辞退していた。私がナディス達と一緒に王族と挨拶を交わしている間、部屋の隣室で待機している。

 もともと将軍として来ているのだから、王族としての挨拶は別にしなくてもいいのでは?と私が聞けば、政治的な思惑や細やかな儀礼的な視点から見て、ネヴィラの婚約者となった時点で本来ならばきちんとペルガニエスの王族に挨拶するのが望ましいのだが、今回ペルガニエスの都合でアファルダート側はずいぶんと振り回された結果になった。そういうアファルダート側の不満と言うか、色々な事情から飲み込んだ部分に対するあてつけのような形で、ペルガニエスへの礼儀よりもカーディーンの体調を優先して無視するのだろうとリークが教えてくれた。どうもネヴィラが離宮や神殿を訪ねたり、観劇や文化交流といった華やかな社交を中心に親善を深めているその裏側で、ナディスはペルガニエスと貿易に関する事やら政治に関することなどで色々あったようだ。

 カーディーンが関わらない様に別行動していたので私も詳しくは知らないが、まぁクレイウスの事を中心に結構振り回されたことを笑顔の裏側で根に持っているようだ。そんな理由で挨拶を辞退したカーディーンが挨拶中に護衛として顔を出しているとややこしくなるので、今だけ別の人物が私達の護衛として佇んでいた。

 カーディーンが傍にいないのは寂しいが、辛くなるぐらいならば隣で休んでくれていた方がいいかと自分に言い聞かせながら私は守護鳥として王族の挨拶を受けた。

 長い長い廊下を渡って大きな広間を抜けて、ペルガニエスの大臣だとか貴族とかが立つ回廊で簡単に挨拶を受ける。一人一人はひと声かけるぐらいなのだが、何せそれなりに人数がいるのでその都度立ち止まって挨拶を受けると、遅々として前に進まない。ようやく挨拶が終わったとほっとしながら足を進めれば、今度は将軍とかがずらりと並んで待つ正門でまた挨拶を受ける。ちなみに挨拶は私も受けていた。ナディス、ネヴィラの次に私に声をかけられるので適当に一鳴きする。事前にカーディーンからは「挨拶中は守護鳥らしく威厳ある佇まいをしてほしい」とお願いされたので私は挨拶を受けている間、ずっとリークの持つクッションの上ですんとお澄まし顔をしていなければならなかったので辛かった。自由に飛んで先に行きたい……。

 最初はまかせてほしい、このご機嫌な尾羽を見てよ!身につけた鱗石の輝きにも曇りひとつないよ!と言っていたのだが、もう十人の挨拶が終わるころには私のやる気はなくなっていた。


 長い……なんでこんなに長いの。

「来た時は宴で皆と挨拶をしたけれど、帰る時は宴を開かないからな。ペルガニエスの威信にかけて盛大に送り出しているんだよ」


 長い長い挨拶に、すでに尾羽は不機嫌になりつつある。それでもきちんとリークの持つクッションに座って大人しくしながらぼやくと、リークがこそっと教えてくれた。

 なるほど、そういえば守護鳥の私はある意味一番偉い身分だった。だから私はカーディーンの肩に乗ってちゃだめだったのか。ついでにネヴィラ達がものすごく着飾っている理由もなんとなく理解した。きっとアファルダートの王族代理として着飾る必要があったのだろう。

 だから本当の旅装に着替える為にマスイール邸へ向かうのだなと納得した。

 ふと気付いたのだがクレイウスの姿は見なかったように思う。クレイウスの事は好きではないが大貴族だったはずで、こういう挨拶には顔を出さなくちゃならないのではと不思議に思っていたのだが、あとから確認したところだと今回の見送りは一応、表向きだけでもポリオノンテ派閥だといえる人達を中心に集まっていたそうだ。王族が挨拶を交わす部屋には王族なのでアイオヌーン家はいたが、アイオヌーン派閥の貴族達は見送りに出さないと決めたようだ。ちなみにアイオヌーン派閥の貴族が集まると、おそらく挨拶がこの倍以上に長くなるとリークから言われていなくてよかったと心から思ってしまった。

 そんなことを考えながら挨拶を受け、私達はようやく角馬の馬車に乗り込んで宮殿を出た。



 私はカーディーンが乗る角馬の立派な角に足をかけて揺られている。

 ちらちらとカーディーンを見るが、平然とした顔で角馬を操っていた。朝、部屋から出るまで水をたくさん飲んで体を冷やしたりしていたとは思えないほど汗のひとつもかかずに普段通りにみえる。どちらかといえばリークの方がそろそろ疲労を隠しきれなくなってきたようで、ちょっと辛そうにしている。リークも心配だ。


 カーディーン大丈夫?

「……あぁ」


 大丈夫って言わないので、大丈夫ではなさそうだ。倒れたら私の魔力の壁で馬から落ちないように支えなければいけない!

 そんなことを考えながらも問題なくラジーフの待つマスイール邸へ到着した。

 なにかあるかと身構えていたけれど、人の多い大通りを抜けてきたおかげもあってか、するするとペルガニエスの宮殿が小さくなっていき、予定通りにマスイール邸へと行くことが出来た。カーディーンも倒れることなく馬を操っていた。

 しかし、ほっと安心したのもつかの間、問題はマスイール邸で発覚した。


「カーディーン殿下は流行病に罹っております。ただ、通常よりもずっと熱が高く、通常の流行病では起こらない様な症状も見受けられます。お一人で馬に乗っていらっしゃったのが不思議なほど、非常に危険な状態でございます」


 マスイール邸で部下の人達がせっせと角馬から角豚と鼠犀そさいの曳く馬車へ荷物を詰め替えて出国の準備を進めている最中、ラジーフの用意していた医師がカーディーンを診た結果、そう判断した。

 現在、カーディーンは医師から処方された熱を下げる薬と眠って体力を回復させる薬等を飲んでから、看病のための従者をつけて部屋で眠らせてある。私はリークと一緒に、宮殿で挨拶を受ける為に着ていた豪奢な服を旅装に着替えて休憩していたナディスやネヴィラ、屋敷の主として采配を揮っていたラジーフと客間に集まって医師の話を聞いていた。

 カーディーンの不調を知らされていなかったネヴィラはものすごく動揺して、まるで自分が倒れてしまいそうな表情をしていた為、落ち着いてほしくて私がネヴィラの手の平に乗っている。ネヴィラは不安そうな表情で、自分の心を宥める様に私を一生懸命撫でていた。


「ではカーディーン殿下の不調は王家の試練だけではなかったのか!?それとも……流行病すらも試練だと言うのか」

「畏れながら私はアファルダート王家の方々の試練につきましては、伝え聞くおとぎ話の様な文献程度の知識しかございません。

 ペルガニエスの医師として私が知る限りでは、現在カーディーン殿下には高い熱、嘔吐、関節の麻痺と痛み、頭痛や意識の混濁、腹痛などの症状があり、複数の病の可能性が見られます。そしてその症状のうちひとつですが、手の指先が氷のように白く冷たくなり、反対に足先は腫れあがり燃えるように熱くなるという特徴的な症状、これはペルガニエスの風土病の症状で間違いないでしょう。少々時期外れなのが気になりますが……」


 医師の見立てでは流行病をきっかけに、弱った体へ他の病が一緒になって入り込み、カーディーンを苦しめているのではないかと言うことだった。

 ナディスが医師に詳しい説明を求め、医師がその風土病について詳しく教えてくれた。

 ペルガニエスでは単純に流行病と呼ばれるもので、その病に侵されると高熱で倒れてしまうのだと言う。ただし大人と子供で症状が大きく異なり、普通の病と違って体の未熟な子供だと少し熱を出して数日寝込むだけだが、大人が患うと体が燃える様に熱くなり、熱が下がらずにそのまま死に至るほどの恐ろしい病気なのだと言う。そして子供のころに一度罹っておけば大人になってからは罹らないと言う。だからペルガニエスでは子供の内に罹っておく為、一人子供がその病にかかれば周辺の決められた年齢の子供達が皆、その病にかかる為に家へと集まってその病気をうつしてもらうのだと言う。なんとも変な特徴の病気なのだそうだ。

 ただ今はその流行病の時期ではないらしく、自分の知る限りではその流行病を患ったと言う子供がでた場所はなかったはずだと言う。基本的に最初は子供から発症するものなので、移されでもしない限り大人が何の原因もなくいきなり流行病に罹ることはまずないそうだ。と医師は説明をそう締めくくった。

 その説明を受けて、ナディスが口を開いた。


「……おそらく感染元はポリオノンテの御子だろう。可能性のある子供はあの御子しかいないはずだ。ポリオノンテ家で時期外れの流行病に罹った子がでたと言っていたがあの赤子だったのか……!道理で慌てふためくはずだ!!」


 苦い果実を噛んだかのように言うナディスに、私はカーディーンと一緒に挨拶をした王族の赤子を思い出した。

 あの子が原因だったの……!?


「その時点では病がまだ体の表面に出てきていないはずでしょうから、宮殿の医師も気付かなかったのでしょう。ですが表に出ていなくても病は体の内側に確かにあるのです。その時点で接触があったのならば殿下が感染する可能性は十分ございます」


 ナディスの説明を受けて医師からの補足があり、カーディーンが病に罹った経緯は大体分かった。ひとつ気になった事があるので私はひと声鳴いてから聞いてみた。


 ねぇ、その話だとカーディーンと一緒に挨拶したネヴィラやナディスも流行病に罹ってるんじゃないの?二人とも大丈夫?


 私の言葉に返事をしたのはネヴィラだ。


「私共は大丈夫です、カティア様。私もお兄様も子供の頃に一度、この流行病に罹っておりますので……。ここにいる者も皆、一度は罹った者ばかりですので再びあの病にかかることはないでしょう。心配なのは護衛の者達でしょうか」


 心配なのは一度も罹ったことのないアファルダート出身者のカーディーンと、その部下の人達だとネヴィラが頬に手を当てて困った様に医師を見れば、医師から『この流行病は子供が罹ると症状は軽いが広がりやすく、大人が罹ると症状は重いが広がりにくい』との補足説明があった。つまりカーディーンから広がる可能性は体の未熟な子供くらいだろうとのことらしい。そして罹る可能性のあるラジーフの子供達は既に一度この病に罹っている為、うつる心配はない。念のためにアファルダートの護衛達はカーディーンと距離をとって、カーディーンの看病はマスイール邸の流行病に罹ったことのある感染しない者達で行っていた。


 それなら私は?私はカーディーンの傍にいてもうつらない?大丈夫?

「この流行病は人間しかかかりませんので、守護鳥様がこの病気になることはございません」

 じゃあ私はカーディーンの傍にいても大丈夫だね。よかった……。


 ネヴィラが視線で促しての医師からの言葉に私がほっとしながらそう言えば、ナディスがふと気付いたようにリークを見た。


「そなたはカティア様の通訳士として御子の傍にいたな?体の具合はどうだ」


 突然ナディスに言葉をかけられたリークに周囲の視線が集まって、突然注目の的になったリークがびくりと肩を震わせた。

 そして言葉の意味を理解して、さっと顔を青くする。


「隠さずとも良い。正直に話しなさい」

「お、畏れながら……少し体全体が重いと感じていました。異国の地で疲労を感じているのだと……」

「医師よ!すぐに通訳士殿を診なさい」


 ナディスの言葉にリークが言葉を選びつつそう言えば、ラジーフが医師に命じて医師がささっとリークを診る。

 指先は冷たく、体は熱があり、足は腫れあがっていた。


「通訳士殿も流行病でしょう。殿下よりも症状は軽い様ですが、安心はできません」


 医師がリークに簡単な触診や問診をしつつ出した結果は、流行病に罹っているとの診断だった。


 そんな!リークまで!!


 私がくぴーと悲鳴を上げると、ネヴィラが私をなだめる様にそっと撫でる。

 リークはナディスに命じられて、体調を回復させるために医師の部下と別室へ移動することになった。

 唯一の鳥司であるリークがいなくなってしまったので、私は話が出来なくなってしまったが仕方がない。


 リークが医師とその部下が退室してから少しして、ネヴィラやナディスが喉を潤す為にお茶を一口飲んで深く息を吐いていると、すぐに扉の向こうで指示だけ出してきたらしい医師が一人で戻ってきた。医師が二人まとめて診る為に近くである方が都合がいいのと、広がる病気の人間は固めておいた方がいいとの判断で、カーディーンの為に用意されていた部屋の小さな一室に寝台を入れてリークを寝かせてることにしたようだ。

 あとから戻ってきた部下の報告によれば、リークもカーディーンほどではないが熱が高くて疲労していたので、横になってすぐに眠ったらしい。

 流行病に罹っているものの、カーディーンと比べてリークの方が若いので、子供と比べると症状は重いが死にいたるほどではないと医師は言った。むしろ一見リークよりもちょっとしんどそうかな?ぐらいにしか見えないカーディーンの方がおかしいとも、かなり遠まわしに言葉を選んで言っていた。


 医師の診断を一通り聞いた後、改めて始まった話し合いは出国の事へ移る。

 医師が戻ってくるまで眉間に深い皺を刻んでいたナディスが口を開く。


「元々カーディーン殿下は不調を押してでも帰国することを望まれていた。だから御自身が寝込んだ状態でもそのまま旅が出来る様に命じていらしたが、王家の試練ならばともかくとしてペルガニエスの風土病である流行病ならば、アファルダートの医師では治すことが出来ないやもしれないので、ペルガニエスで治しておかねばならない。しかも大人が罹ると死に至る病だ。子供と違って寝ているだけでは治らない。薬が必要だ」

「ラジーフおじ様、流行病の薬はございますか?カーディーン様と、それにリョンド殿も薬は必要でしょう」

「それが……今は薬となる植物の時期ではないので、手に入れることが出来ないのです。時期であればいくらでも手に入るのですが……」


 そもそも流行病の為に生まれてきたような特殊な植物で、流行病の時期になると勝手に増えて溢れかえり、市井の者でも簡単に手に入るので、特別に栽培したり保存するための技術が確立していないのだと言う。

 だから、子供の頃に罹って耐性をつけておくと言う方法が確立する前、昔は時期外れの流行病に罹った大人は薬がなくて死を待つのみだったのだと言うラジーフの言葉に、ネヴィラが小さな悲鳴を両手で塞ぐように飲み込んだ。


 どうすればいいの!このままじゃカーディーンが!カーディーンがっ!!


 誰にも聞こえないけれど私がそう叫びながらもだもだしていると、何かに気がついたらしいナディスが口を開いた。


「ひとつだけ、薬を手に入れる方法がある。数年前からわが国以外との船による交易を開拓したクレイウスならば……他国の技術で保存された薬の植物を大量に所持していると伝え聞いたな」


 そっか!そういえばポリオノンテはクレイウスに薬をもらおうとしてたって言ってた!早くそれをカーディーンにっ!!


 私が興奮のあまり、飛び上がるように羽を広げてくぴーと鳴いたのにネヴィラ達が反応したが、「如何なさいましたか?」と首をかしげるだけで話が進まないので、私はなんでもないから続けてと話を進めるために大人しくネヴィラの手に座り直した。


「薬を手に入れる為にも交渉には私が出る。帰国は取り止めだ。私が一人で戻る。宮殿へと使いを出せ!」


 ナディスの指示で、従者たちが一斉に動き出す。

 まずナディスは宮殿に戻ってカーディーンの症状を伝える。そこから薬を渡すように交渉するという。必ず薬を手に入れて戻ってきますとナディスは私にそう言って、準備を整えてから宮殿へと出発した。



 ナディスが宮殿に戻って夜と朝を迎え、私やネヴィラはマスイール邸にカーディーンと一緒に待機している。ネヴィラが宮殿に戻るとせっかく解決した問題がまたぶり返すかもしれないと言う懸念と、少ない護衛を分けたくないと言うことがあって、動かすことのできないカーディーンと一緒に私と過ごすことになっていた。

 一度宮殿から王族付きの医師がナディスの手紙と一緒にやって来て、眠ったままのカーディーンの症状を診に来た。

 ナディスの手紙曰く、本当に流行病なのかの確認と、必要であれば治療のために残りますと言うペルガニエス側の誠意の姿勢らしいが、必要な確認の診断だけさせて追い返せと書いてあったので、ネヴィラとラジーフで医師はこちらで用意しているから不要だと言っていた。

 宮殿から来た医師が帰って数日して、宮殿のナディスから薬が届いた。

 これで助かる!と喜んだのだけれど、どうやら薬は一度ではだめらしい。


「今回の薬で一番危ない状況は抜けるでしょう。ただ本当にぎりぎりのところでこれ以上の悪化を阻止しただけで、まだ安心することは出来ません」


 医師が言うにはカーディーンほどひどい状態だと薬は何度も何度も治るまで与えなくてはならない物で、今回送られてきた薬の量では到底足りないらしい。

 私は毎日カーディーンにひっついて様子をみている。

 ナディスはまだ宮殿から帰ってこない。どうやら交渉が難航しているようだ。ナディスはペルガニエス側の責任を追及して、ポリオノンテ家が赤子の為に手に入れた薬を分けてもらったらしい。ただし赤子もまだ薬が必要で、これ以上は分けられないと言う。赤子なら子供だから薬がなくてもすぐに治るのではと私が聞けば、ネヴィラから赤子の場合はあまりにも幼すぎて命の危険があるのだと教えてもらった。


「現在ペルガニエスに置いて力があるのはアイオヌーン家です。友好を結んでいるポリオノンテ家と我らが決裂してしまっては、ペルガニエスの決定的な内部分裂が起こるでしょう。アファルダートの為にもこちら側が仲違いすることは出来ません。だからポリオノンテはこれ以上アイオヌーンの要求を聞くことは出来ないし、赤子を見捨てて私達に薬を全て渡すことも出来ないのだそうです。向こうもそのことを理解しているので、カーディーン様の命を盾に、こちらに一方的な要求を突き付けているようですね……」


 その為ナディスはクレイウスから直接薬を手に入れなければならないのだが、そこにアイオヌーン王家がクレイウスを庇う様に横やりを入れてきて話を突っぱねているのだと言う。向こうの勝手な意見としては、ネヴィラが求婚を無理やりな形で強引に拒否したことをあてこすって薬を渡すのを渋っているらしい。

 ネヴィラを通じてアファルダートとの交易の権利を手に入れば、アイオヌーンは名実ともにポリオノンテより優位に立てる。その機会を潰されたのが相当面白くなかったようだ。

 なのでナディスは本当に色々な交渉をしながら、薬を渡せと迫っているようだ。

 カーディーンは一度眠りについてからほとんど起きなくなってしまった。今まで気力だけで動いていたから緊張の糸が切れて、その反動でひたすら失った体力を回復するために眠り続けているのだと、医師がネヴィラやラジーフに説明しているのを一緒に聞いた。

 カーディーンには毎日医師が熱を冷ます薬を中心に様々な薬を処方したりしているが、やはり十分な量の流行病の薬がなければ根本的に治療することが出来ず、流れ続ける汗を丁寧に拭いたり、意識のないカーディーンに少しずつ薬湯を飲ませたり、少しでも楽なようにと足を冷やしたり手を温めたりと、皆で懸命に看病をしているのに熱も下がらず他の症状も回復の兆しは見られなかった。ごくたまに起きても意識が朦朧としていて、喋ることもままならない苦しそうなカーディーンの姿は見ていて辛かった。


 そんな不安な中でリークが目を覚ました時は嬉しくて、報告を受けた私は汗でぐっしょりのリークの首元に張り付いて鳴いて喜んだ。

 カーディーンと同じように寝込んでいたリークは、熱を下げたりする処方でかなりよくなってきている。まだ熱もあるし体が重くて動かないようだけれど、目を覚まして意識のある中で水分や食事をとれるくらいにはなった。なのでリークは起きている時に、とにかく体に負担のかからない栄養のある食事をとることで、回復する力を促している状態だ。流行病の薬は命の危険があるカーディーンに全て使った為まだリークには与えられていないが、意識がある状態でならば他に与えることが出来る薬の選択肢が増えるので、現状維持のままでも今よりはもっと楽になるだろうと医師が言っていた。


 リーク!!

「カティア……カーディーン様は……?」

 まだ良くなってない……ずっと辛そうに眠ってるの……。


 私がそう言うと、リークは「そうか……」と呟いた。


「……そうだ、カティアは不自由なく過ごしているか?今なら俺が伝えることが出来るから、何か困っている事があったら教えてくれ。ごめんな、俺が唯一の世話係なのに……こんな状態で」

 私は平気だよ!ネヴィラと一緒に自由に好き勝手しているから大丈夫。ネヴィラに美味しい果物をたくさんもらって食べているんだよ。リークが元気になったら一緒に食べよう?だから早く良くなってね!


 私が努めて明るくそう言えば、リークはちょっと笑ってくれた。そして、医師から処方された薬を色々飲んで水分をとってからまた眠る。私は数日前よりずっと穏やかに眠るリークを見て、ちょっとだけほっとした。


 リークが疲れているように見えたのも、一人で仕事を背負いこんでいるからだけじゃなかったんだ……。私、リークにもいっぱい無理させていたのかもしれない。

 カーディーンもリークも辛そうで、一人の私は色々と塞ぎこんだ考えばかりしがちになってしまっている自覚がある。カーディーンやリークの前では明るくふるまっていなくちゃ。

 私はリークが早く良くなるようにと祈る様に一度すりすりと頬ずりしてから、リークの眠る部屋を出た。


 リークにも語った通り、現在私は基本的にカーディーンの部屋で看病する人の邪魔にならない場所でずっとカーディーンを見つめているが、それ以外の時はネヴィラと一緒にいたりする。

 というのも、私の従者として身の回りの世話をしてくれていたリークが倒れてから、私のお世話をどうするのかものすごく困ったようで、かなり断片的にだが守護鳥の生態を身近で見る機会の多かったネヴィラとその従者の人達が、私の普段の行動に詳しいカーディーンの部下の人の意見を聞きつつ、お世話してくれることになった。

 お世話と言っても言葉が通じないので、ネヴィラがご飯を食べる時に一緒に花を食べたり、ネヴィラが医師からカーディーンの容体を聞いている時に一緒にいるだけだ。それ以外は遠くから私を見守る従者が一人付いてくるけれど、基本自由に行動している。私としてはネヴィラが「守護鳥は毎日海砂か水を浴びている」ということを覚えていてくれて、私用にと言って、器になみなみと汲んだ綺麗な水を用意してくれただけで十分だ。ご飯は以前の宴で私が食べた物と、以前ネヴィラが私のおねだりによってペルガニエスの市場で大量に買って、マスイール邸に送られていた果物がふるまわれた。存在を忘れていたけれどかなり日持ちする物も多かったらしく、瑞々しい喉越しの物や、熟成されて味がぐっと深みを増している物などがあった。改めて食べてもやっぱり美味しくて、カーディーンやリークと一緒ならばもっと楽しく食べられたはずなのにとしょんぼりした。


「まぁ、カティア様どうなさいました?美味しくありませんでしたか?他の果実や花を持ってこさせましょうか」

 違うよ……。果物はとっても美味しいけれど、カーディーンやリークとも一緒に食べたかったの。

「気持ちが塞いで食が細くなっておいでなのでしょうか。カティア様もさぞ不安なことでしょうが、カティア様の元気がなくなってしまってはカーディーン様がきっと心配なさいます」


 ネヴィラが心配そうに私に問いかけるけれど、私の言葉は通じない。

 私は違う違うと頭を振って伝えぺたりと尾羽を下げ、体中の息を吐き出すようにくぴぃ……とか細く鳴いた。

 ネヴィラはその後も明るくふるまったり私をいたわったりとしてくれたけれど、どうしても元気になれなくてずっと尾羽はしょんぼりしたままだった。


 ネヴィラとの食事を終えると、またカーディーンの眠る部屋へ戻る。

 部屋の近くまではネヴィラが一緒について来てくれたが、いつもネヴィラは扉の近くで私を送り出す。

 心配な気持ちはネヴィラも同じだが、貴人のネヴィラにはお世話が出来ないし、耐性のあるネヴィラに流行病は移らないとは言われているけれど、それは絶対ではない。

 なので万が一ネヴィラまで倒れてしまっては大変だから、看病している者や医師へ細やかに容体を尋ね、不足している物がないかや経過を把握はしていても、ネヴィラは一度もカーディーンの部屋へは入らなかった。

 ネヴィラからの挨拶を受けてから、私はぱたぱたとカーディーンの元へと飛び立った。


 ネヴィラと別れて部屋へ入ると、寝台の中でカーディーンが眠りについている。

 周囲では看病のために従者の人達が動いていたけれど、カーディーンの容体に変化がなく、夜だということもあって静かなものだった。

 夜に私が来るときは皆私を優先してくれるので、カーディーンのお世話を一通り終えると、そっと部屋の隅に控えてくれる。

 私はカーディーンの首元に飛んでいってそっと頬にすりすりしてからくぴーと一鳴きした。やはり今日もカーディーンは目を開けてくれなかった。

 私は一つ大きく息を吸ってから、焦げ茶の尾羽をぶつんと抜いた。

 尾のじくじくとした痛みをくいしばるように、嘴に咥えた羽根に魔力をこめる。たくさん、たくさん魔力を込めて、光れ光れと強く念じた。この羽根でだめなら他の羽根はと、あちこちの砂色の羽根を抜いて魔力を通す。私の周りにたくさんの焦げ茶の尾羽や、体中の羽根が落ちている。だんだん疲れた様に体が重くなってきた。魔力を使いすぎているのだ。

 けれどどれほど魔力を込めても、焦げ茶の羽が光ることも、液体の様にとろりと零れたりもしない。


 守護鳥の口づけ。


 治癒の能力が、私にはない。それを今、こんな形で突き付けられる。

 私は自分のふがいなさに苛立って、周囲に散った羽根を力いっぱい踏みつけて暴れた。爪が寝台の布に引っかかって、ぴりりと嫌な音を立てて裂けた。けれどカーディーンは目覚めないし、今もずっと苦しんでいる。

 むしゃくしゃした気持ちは、より重くなって胸にずんと石を飲み込んだかのようだ。

 わかっている。私のこれは……八つ当たりだ。


 ねぇ、起きてカーディーン。皆心配しているの。起きて私をにぎにぎしてよ。


 私はカーディーンの手に乗って、力なく鳴いた。

 カーディーンの手は冷たくて、こみ上げる形のない不安に何度も何度も冷たい指にすりすりして私の熱を移す。

 外から静かにカーディーンを照らす月の明かりが、私の背中をそっと撫でる。

 けれど、カーディーンの指は一度も私を撫でてはくれなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読み返してきました。 カティアが可愛く、風景描写が素敵なお話だと改めて思いました。 七草さまはお元気でいらっしゃるでしょうか? いつまでも待っていますので、カーディーンが幸せになる姿を読ま…
[良い点] 最後の更新から3年近く経ったいまでも、月の砂漠の風景と、物語の余韻が残っています。 こう長く止まると、古い読者も物語を忘れたり、サイトを移動したりして、再開してもいろいろ難しいと思います。…
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