9‐7 帰ったあとの朝
■境界堂
朝。
窓から差し込む光。
ポットの湯気。
紅茶の香り。
――とても平和。
なのに、どこか空間の重心がズレている。
マスターはティーカップを傾ける。
動きは完璧。無駄ゼロ。
でも、頭がほんの少しへこんでいる。右肩がわずかに下がっている。
まるで、そこに何かが乗っているみたいに。
目をこすりながら、ファニーが起きてくる。
「マスターおはよー……」
一歩、止まる。
「……ねえ」
シエルも視線固定。
「マスター、頭部形状に異常」
「へこんでるよね?」
「右肩も傾斜しています」
「ん?」
紅茶を一口。
自然に。
「……ああ、見えないだけだよ」
「「は?」」
空気が止まる。
時間も止まる。
ファニーの思考はショート寸前。
シエルの解析も例外エラー。
ふわり。
マスターの頭の上。
小鳥。
肩の上。
リス。
どちらも、当たり前の顔でそこにいる。
ただし――
二人には見えない。
小鳥、くるり。
ひょいとこちら側へ。
頭の上。ふに、と軽い重みが跳ねる。
ファニーの目が見開く。
「……え?」
何かの重みを感じた気がする。
温かい。軽い。確実にいる。
「あっ……あっ……」
そして――
『うらめしや〜』
一拍。
「アイエエエエエエ!!!???」
境界堂が震える。
小鳥はファニーの頭の上でぴょんぴょん跳ねる。
『もー、ちゃんと朝ご飯食べないとだめだよ?』
「食べてるし!」
『甘いものだけじゃカロリー偏るよ〜』
「なんで知ってるの!?!?」
マスターは紅茶を飲みながら。
「……似てるねぇ」
「なにが!?」
小鳥、首を傾げる。
『あと寝る時、布団ちゃんとかけないとお腹壊す』
「やめて生活習慣暴露しないで!!」
シエル。
完全停止。
目だけが、微妙に動く。
「……解析不能。質量はあるが、視認不可。…存在定義を確立できません」
肩のリスはしっぽを揺らす。
ゆっくりと、シエルの方を見る。
『……身体の鍛え方が全く足りませんね』
「……は?」
見えない。
でも、確実に言われたと理解する。
静かに空間を睨む。
「どこですか」
リスはシエルの肩に座る。
ふう、とため息。
『肩、硬すぎます』
「……誰目線ですか」
『あと睡眠時間が不足』
「管理されている……」
『紅茶のカフェイン量も過多です』
「うるさいですね」
リス、静かに首を振る。
『その返答の速さ。図星ですね』
「…………」
ファニー吹き出す。
「シエルが健康指導されてる!!」
シエルは無言。
だがちょっと悔しそう。
「ふふっ。懐かしい感じするねぇ」
「だから何が!?」
紅茶、コトリ。
カップを置く。楽しそうに。
「いいねぇ、この反応」
軽く手を振る。
「はいはい、悪戯はそこまで」
『はーい』
『了解です』
ふわり。
元の位置へ。
頭と肩に、収まる。
「……今のなに?」
「新種の異常存在、もしくは……」
「ただの同居人だよ?」
「ただのじゃない!」
「なぜ見えないのですか」
「見ようとしてないからじゃない?」
即答。
マスターは微笑む。
「いる前提で見ないと、見えないよ」
「無理無理無理!!」
「……試行します」
小鳥、さえずる。
リス、くつろぐ。
見えないまま。
でも確かに、そこにいる。
小鳥、窓辺へ飛ぶ。
朝日。きらきらした光。
『わぁ〜』
その瞬間。
ファニーも同時に声を漏らす。
「……あ、なんで」
理由もなく、胸がふわっと軽い。
楽しい。嬉しい。なんか分からないけど、外に飛び出したくなる。
小鳥、ぱたぱた。
『いい天気だね!』
「……うん」
自然に返してから自分で止まる。
「今のなに!?」
マスターは紅茶の向こうで笑ってる。
反対側。
リス、本棚を見上げる。
『整理が甘いですね』
その瞬間。
シエルは眉間を押さえる。
「……気になる」
「え?」
「左から三番目の本だけ、背表紙の高さが違う」
即座に立ち上がる。直す。ぴたり。
『よろしい』
「……っ」
止まる。
「今、満足感が共有されました」
「なにそれ怖」
リスは尻尾を揺らす。
『効率化は快楽です』
「言ってることがシエルなんだよなぁ……」
小鳥が笑う。
ファニーも笑う。
リスが呆れる。
シエルもため息。
ぴたり。
感情のタイミングだけが重なる。
四人とも、少しだけ黙る。
「……これ」
ファニーはそっと胸を押さえる。
「一人じゃない感じ、すごい」
静寂。
マスター、少しだけ目を細める。
「……エコーしてるねぇ。あ、そうだ。一回中に入れば見えるようになるんじゃない?」
「「は!?」」
軽いノリ。
軽すぎる仮説。
――なのに。
『そうかも〜』
『してみましょうか』
即採用。
とん。
二人の胸の奥に、軽い衝撃。
痛くない。でも、内側に何かが来た感覚。
ファニーの背中がむずむず、ぞわぞわ。
「……なにこれ」
振り向く。
確認する。
止まる。
黄色い羽根がちょこん、と。
確かに生えている。
「……は?」
思考が完全に置いていかれる。
シエルの腰、違和感に手を当てる。
ふさ。もう一回触る。ふさふさ。
水色の尻尾が滑らかに揺れる。
「……意味がわかりません」
声は冷静。
でも、理解が追いついていない。
ふと。
視界の端。
“それ”がいる。
小鳥。
リス。
今度は、はっきり見える。
『見えた〜?』
『遅いですね』
「え、見える!?見えるんだけど!?」
「視認成功……しかし代償が不明」
尻尾がぴくり。
自分で動いて、ちょっと驚く。
マスターは二人を見て、にこっと笑う。
「2人とも可愛いねぇ」
「そこじゃない!!」
「評価基準が逸脱しています」
『似合ってるよ〜』
「やめろコメントするな!!」
『バランスは改善の余地ありです』
「重心を評価しないでください」
ファニー、羽根を触る。
感触、リアル。
「これ……取れる?」
『取れないよ〜』
「なんで!?!?」
シエル、分析。
「一時的な同調状態……。内部知覚を共有する代わりに、外部形状へ反映」
「見えるってことは、少し混ざるってこと」
「割に合わない!!!」
「……興味深いですが、不採用です」
小鳥とリスは楽しそうにしている。
『楽しいね!』
『観測対象として優秀です』
マスター、くすっと笑う。
「ほら。ちゃんと見えるでしょ?」
「見えるけどさぁ!!」
「……戻す方法を提示してください」
小鳥とリス、同時に。
『『やだ』』
「……帰っておいで」
少しだけ柔らかい声。
命令というより、呼びかけ。
『えー』
『仕方ありませんね』
不満と理性。
ちぐはぐな返事。
ふわりと羽根が消える。
尻尾がほどける。
小鳥とリスも、静かに輪郭を失っていく。
『またね〜』
『次はもう少し上手くやりましょう』
消える。
静寂。
境界堂。
朝の光。
紅茶の湯気。
それだけ。
「…………」
ファニーは背中を触る。何もない。
でも。
「……軽い」
ぽつり。
「なんか、さっきまでいたのに」
言いながら少しだけ寂しそう。
シエルも無意識に腰へ触れる。
当然、尻尾はない。
だが。
「重心が、不安定です」
「そんなレベルで馴染んでたの!?」
「……違います」
否定する。
少しだけ間が空く。
「ただ」
窓を見る。
「静かすぎる」
風が吹く。
でも、さっきまであった小さな気配がない。
ファニーはソファへ沈む。
「……変なの」
ぽつり。
「いた時の方が、落ち着かなかったのに」
マスターはカップを傾けながら。
「戻っただけだよ?」
「うーん……」
膝を抱える。
「でも、なんか」
少し考える。
「帰ったあとみたい」
静か。
時計の音。
湯気。
窓の外を抜ける風。
さっきまで確かにあった、小さな気配だけがない。
マスターはカップを持ち上げる。
一口。
その横顔が、ほんの少しだけ遠い。
「……寂しい?」
はっとする。
「ち、違っ」
否定しかけて止まる。
言葉が見つからない。
「喪失感に近い反応です。短時間の知覚共有による、感覚的依存」
「言い方!!」
でも。
否定できない。
胸の奥が、少しだけすうすうする。
その空気ごとマスターが笑った。
「見え方の違いかな」
「雑!!」
「説明として不十分です」
肩をすくめる。
「だってさ」
窓の外を見る。
「いるもの全部、見えたら疲れるでしょ?」
ほんの少しだけ視線を逸らす。
ファニーは言葉を止める。
シエルは思考を巡らせる。
「だから、普段は見えないようにしてるだけ。で、ちょっとだけ中に寄せると」
軽く指を鳴らす。
「見える」
「いや理屈はなんとなくわかるけど納得はできない!!」
「恒常的視認は可能ですか」
「できるよ?」
「でも、おすすめしないよ?境目なくなるからねぇ」
また、静かになる。
今度はさっきより少しだけ深い。
「……さっきのやつ。ちょっとだけ」
もじもじ。
「……あったかかった。……なんか」
言葉を探す。
「一人じゃない感じ、した」
言ってから、はっとする。
「……違う!今のナシ!!」
「感覚データも一致。不快ではありませんでした」
視線が、ほんのわずかに下がる。
「……むしろ」
言いかけて、止まる。
「……いえ」
窓の外。
風が吹く。
ほんの一瞬だけ、影が二つ揺れた気がする。
見えないものは、優しくて。
見えたものは、戻らない。
「……ねえ、また来る?」
「確率は高いでしょう」
「そのときは、もう少し長くいようか」
一拍。
風が、もう一度だけ揺れた。
まるで、見えない誰かがそこにいたみたいに。
マスター「モフるなら尻尾かな? でも羽根もいい」
ファニー「だからなんで触れる前提なの!?」
シエル「……視認不可でも接触は可能ですから」
マスター「まあでも、長く繋がると」
くすっと。
「そのうち、どっちが誰の感情だったか分からなくなるんだよねぇ」
ファニー「怖い怖い怖い!!」
シエル「……否定材料がありません」




