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境界堂へようこそ 〜壊れかけの観測者の日常〜  作者: 白鐘
第九章 分ける必要なんてなかった
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86/98

9‐2 ノイズ処理完了


■境界堂


午前八時。

やわらかな光。

ファニー、ソファでだらり。

頬ぷく。


「ねぇマスター。お菓子ない」


シエル、資料を閉じて一瞥。


「チョコレートも尽きましたね」


マスター、コーヒーを傾ける。


「じゃあ買っておいで」

「やった!私じゃがりこ!」

「俺はキットカットで」


「マスターは?」


少し考えて。


「僕はいいや。三ヶ月前にポテチ食べたし」


ぴたり。

ファニー、瞬き停止。

シエル、眼鏡を押し上げる。


「……三ヶ月前?」

「記録単位がおかしいですね」


のんびり。


「コーヒーあれば十分だし。お菓子は半年に一回くらいで満足かな」


ファニー、じり、と距離を詰める。

笑顔、でも目が据わる。


「ねぇマスター」

「それ、“人間”の仕様じゃないよね?」


シエル、即補足。


「菓子は通常“周期的欲求”です。マスターは“イベント発生型”」


「イベント型。ちょっと格好いいねぇ」

「褒めてない」


首を傾けて覗き込む。


「もしかしてさ。“美味しい”って、一回で満タンになると思ってる?」


「違うのかい?」


「“美味しい”は補給ではなく、娯楽です」

「そう!だから“また食べたい”ってなるのが普通!」


マスター、少し考えてから肩をすくめる。


「でもコーヒーで満足しちゃうんだよねぇ」


一瞬。


ファニー、にやり。

シエル、無言で頷く。


「「マスター、矯正しよう」」


「え?」


びしっと宣言。


「本日、“お菓子で世界を再教育する日”!」


メモを取りながら。


「段階的刺激。まずは軽い塩味から」


「実験扱いだよね?」

「安心して。副作用は“幸せ”だけ♪」


苦笑。


「それなら、まぁいいか」


ファニー、小さくガッツポーズ。

シエル、ペン先を走らせる。


――その日、境界堂に

“ポテチ一枚で世界が広がる男”の記録が残る。


一時間後。

マスター、袋を見つめて固まる。


「……あれ」


袋を見つめる。


「前に食べた時、こんな感じじゃなかったんだけどねぇ」


ファニー、即反応。


「いつの比較!?」

「三か月前です」

「十分長いよ!?」


ぱり。


「……なんか今回、“次”が来るね」

「次?」

「もう一枚で終わる感じがしない」


シエル、目を細める。


「刺激の連続性を認識しましたか」

「依存確認。順調です」

「急に研究結果みたいに言うねぇ」


コーヒーの国に、

塩と砂糖の小さな革命。


「……興味深いですね」

「なにが?」


シエル、視線だけ向ける。


「マスターの欲求は“遅延型”。外部刺激で一気に振れる」

「つまり――」



\ガチャッ!!!/


扉が弾ける。


「今、“依存”って言いました!?」


「「「言ってない(言った)」」」


カノン、ずかずか入ってくる。

目が完全に研究者のそれ。

テーブルの上を見て、目を輝かせる。


「なるほどなるほど……」

「刺激による欲求誘発、段階的強化……!」


「いいですねぇ……“制御されていたズレが外部刺激で拡張する個体”……!」


「言い方ァ!!」

「ええ、最悪のタイミングです」


カノン、ビシッと指を立てる。


「ズレは悪ではありません!」


ドンッ!!

机に置かれる謎装置。

キラキラ。無駄に存在感。


「でも!」

「“共有できないズレ”はストレスになります!」


「え、なにこの流れ」


「だから!」


ぐいっと前のめり。


「理解して、整えるのです!」


「思想は正しい」

「使う人間が終わってる」

「ひどくない?」


カノン、さらにもう一台取り出す。


「それと、はいこちら!」

「境界分離・固定化装置です!」


ご丁寧にラベル付き。

怪しさ倍増。


「これでズレるストレスからはおさらば!」

「快適な日常を送れます!」


シエル、わずかに眉を寄せる。


「……現状でも、十分制御されていますが」

「むしろ今くらいがちょうどよくない?」


「え、でも面白そうじゃない?」


「「その発想がダメ」」


マスター、二つの装置を覗き込む。


「ここ押すの?」

「あ、同時に押すのはまだ検証してない――」


ポチ。

コンマ数秒の静寂。

次の瞬間。


――キィィィィィィンッ!!


空気を引き裂くような不協和音。


「っ!?」


光。白。紫。

色の判別すら壊れる。


机の上の装置が、互いを拒絶するみたいに明滅する。

波長が噛み合わない。

なのに、無理やり“重なっている”。


ジジッ!! 空間が歪む。

マスターの輪郭が、ぶれる。

一瞬ごとに、立っている位置がズレる。

肩。 指先。 視線。

“存在座標”そのものが滑っていく。


「……え」


ファニー、息を呑む。


「ちょ、待っ――」


マスター、こめかみを押さえる。


「――ッ、ぁ……!」


頭痛。

ただの痛みじゃない。

脳の奥に、別方向から“引っ張られる”。


視界が裂ける。

音が遅れる。

呼吸の感覚だけが、遠い。


シエル、即座に。


「離れてください!!」

「異常共鳴です!」


装置がさらに脈打つ。


ドクン。


その拍動に合わせて、マスターの身体が“ズレる”。

半歩右。

一瞬後、元の位置。

輪郭が二重。

三重。


「これ、嫌なやつ――」


笑おうとして、失敗する。


「……っ、頭、いて」


ノイズ。

耳鳴り。

視界の端で、 自分自身が“遅れて瞬きする”。


「マスター!!」


ファニーが駆け寄る。

その瞬間。


――バチッ!!!


閃光。

世界が、白く焼ける。


「……え」


マスターの身体が、音もなく沈む。

床じゃない。

空間そのものへ。


輪郭から、色が抜ける。

指先。

肩。

視線。


順番に、“白”へ飲まれていく。


『……あ』


最後に残ったのは、自分の声だけ。


『これ――』


感覚が、切れる。


『“戻らないやつ”だ』


落下。


音もない白。

どこまでも、境界のない空間。


そして。

外側。


「……静かだねぇ」


そこに立っていたのは

――マスターであって、マスターではないもの。


瞳は、深いピジョンブラッド。

“瞬きしない”。

声が、ほんのわずか遅れて届く。


マスターの声は、

どこにも届かない。


『ちょ、ちょっと待って』

『これ、え、なに』

『……同乗?』


だが応答はない。

完全な遮断。


「空白体……?」


ファニー、一歩近づく。

いつもの調子で笑おうとして、失敗する。


「……ねえ」

「冗談、だよね?」


返事。


「冗談ではないと思うよ」


即答。間がない。

ファニーの喉が、ひくりと動く。


「いやいやいや」

「“思う”ってなに!?」


空白体、首を傾ける。


「感覚的な話だから」

「でも、たぶん戻らない」


『たぶんで人生終わらせないで!?』


ファニー、完全に笑顔が消える。


「……マスター?」

「ねえ、ほんとに?」


近づく。目を見る。

赤い。でも、 “いつもの揺れ”がない。


ぞわり。


「……っ」


一歩、止まる。


「……なに、それ」


声が小さい。


「なんで」

「そんな静かな顔してるの」


空白体、瞬きしないまま。


「静かな方が、楽だからね」


『違うだろ』


届かない。

ファニー、無意識に袖を掴む。

温度はある。ちゃんと人間の体温。

なのに。


「……やだ」


ぽつり。


「これ」

「マスターの顔した、“知らない誰か”じゃん」


空白体、少し考える。


「似たようなものかもね」


『似てねえよ!?』


ファニー、びくっとする。

聞こえていない。

でも、“なにか”が引っかかった。


「……今」

「なんか……」


シエル、視線を細める。


「内側が反応しています」

「え」


ファニー、さらに距離を詰める。


「マスター!」

「いるんでしょ!?」


空白体、わずかに眉を寄せる。


「……奥が騒がしい」


『いるよ!!』

『めちゃくちゃいるよ!!』


「聞こえない?」

「うん」


あまりにも自然に返す。

ファニー、数秒固まる。

それから。


「……っ」


ぐしゃ、と前髪を掴む。


「なにそれ……」

「なにそれぇ……」


笑おうとして。

失敗する。


「そんな」

「ログインできなくなりました、みたいな顔で言わないでよ……」


その瞬間。

ガラッ。

境界堂の扉が開く。


新渡戸。


「おーい、依頼してた件――」


一歩、踏み入れて。


「ん?」


空白体を見る。


「目の色違うな。カラコンか?」

「……そうだよ」


間もなく、自然に返す。

新渡戸、肩をすくめる。


「まーた変な事やってんだな」


そのまま歩みを止めず、机の方へ。


『よくないよ!?』


内側の声は、届かない。


「で、学園の安全管理補助の引率なんだが――」

「いいよ」


即答。

間を食わず、繋がる。


「はっや。助かるわ」


空白体、端末を取り出しながら。


「この時間帯なら移動ロスが少ない」

「危険度も平均以下」

「問題ないね」


軽く笑う。


「相変わらず仕事早ぇな」

「普通だよ」


指が止まらない。


「……この条件で申請出しとく」

「じゃ、頼むわ」


ガラッ。

バタン。


静寂。


窓から差す光が、少しだけ角度を変えている。

時計の針は、午前十時を過ぎていた。


ファニー、小さく。


「……気づかなかった」


シエル、目を細める。


「外側の整合性が高すぎます」


空白体、首を傾ける。


「問題ある?」

「効率的だろ?」


微笑む。

“正しすぎる笑み”。



内側。

白い空間。

マスター、ひとり。


『……』

『……回ってるな』


視線だけが、外を追う。


『僕がいなくても』


外では。

空白体が淡々と処理を進める。

無駄がない。隙もない。


『……いや』


小さく首を振る。


『それは、違う』

『……違うはずだろ』


声は届かない。

形だけが残る。




「ねえ」

「ええ」


「「これ、戻せる?」」


空白体、少し考える。


「……さあ?」


沈黙。



『……さあ?』


その言葉だけが、遅れて落ちる。


『……そういう扱いか』



カノン。


「…………」


一歩、下がる。

さらに一歩。

逃げている距離じゃない。

“測っている距離”。


視線は外さない。

空白体を、舐めるように観察。

瞳孔が、わずかに開く。


「……なるほど」


声が、ほんの少し震える。

興奮を押し殺した振動。


「完全分離……情報遮断……」

「それでいて外側は最適化……」


唇が、ゆっくり持ち上がる。


「――最高じゃないですか」


その声は、興奮というより確信だった。


「マスターさん」

「本当はずっと、“多すぎた”んですね」


誰かを気にして。

空気を読んで。

自分を抑えて。


「でも今は、“処理しなくていい”」


ゆっくりと、 空白体を見る。


「……楽ですよね?」


「迷わなくていい」

「傷つけないように考えなくていい」

「誰かの感情で、選択を鈍らせなくていい」


小さく笑う。


「それ、たぶん」

「すごく静かでしょう?」


「やばい顔してる」

「ええ。起動直前です」


カノン、ぱっと顔を上げる。

笑顔。整いすぎた笑顔。

指先で、装置を軽く撫でる。

愛でるように。


「準備が、必要ですね」


“決定”。


「メンテナンスしてきますーー!!」


ダッシュ。

ガラッ!!

バタン!!!


外。

カノン、全力疾走。


「うわぁぁぁぁどうしよう!!」

「想定外です!!」

「でも最高です!!」


鞄の中。

装置が、ピッ、ピッ、と不安定に点滅している。


「とりあえず母機!」

「母機で波形見ないと!!」


角を曲がる。

三秒後。


「っ、は、」

「む、り、です……っ」


失速。

壁に手をつく。

肩で息。

ぜぇ、ぜぇ。


「なんで……」

「研究者に……」

「走力を要求するんですか……」


装置。

ピッ。ピッ。ピピッ。


「急かさないでくださいぃ……」


ふらふら歩き出す。

でも口だけは止まらない。


「冷却回して……」

「同期ログ取って……」

「境界フィルタ再調整して……」

「あと栄養ゼリー……」


コンビニ前。

数秒、本気で悩む。


「……いやでも今は母機優先……」

「でも糖分が……」


装置。

ピピッ!!


「分かってますぅ!!」


半泣きで再加速。

速度は、ちょっと早歩きくらい。

そのまま、住宅街の奥へ消えていく。




『……逃がしたか』


ほんの少しだけ、息を吐く。


『……まずいな』



「逃げたね」

「ええ。最悪の形で」

「……合理的だね」



『合理的、ね』

『……それで切られるのか』



シエル、小さく息を吐く。


「……時限です」

「だね」


「次に彼女が戻るまでに現状を変えられなければ」

「…“完成されます”」


ファニー、顔をしかめる。


「改良されて帰ってくるやつじゃんそれ……」



『……完成、か』


わずかに笑う。


『それは困るな』



――静寂の質が変わる。

さっきまでの軽さが、沈む。

時間だけが、薄く圧を持つ。


空白体、装置を見る。

コツ、と叩く。


「これ」

「壊したら戻るのかな」


『……やめろ』


短い。

ファニー、一歩前。


「それ、“試す顔”」

「試さないと分からないでしょ」


迷いがない。

選択に重みがない。


「……質問します」


視線を合わせる。


「現在のあなたにとって、“戻る必要性”は?」

「低いね」


「理由は?」

「困ってないから」


淡々と。


「……ノイズが少ない」


『……ノイズ、か』


少しだけ、目を伏せる。


『そこに入ってるんだな、僕は』


『……いや』

『それは違うだろ』



「……ねえ」


声が落ちる。


「それさ」

「“マスターいなくてもいい”って言ってるのと同じだよ?」


空白体、首をかしげる。


「違うよ」

「“いなくても成立する”ってだけ」


「いた方がいいかは、別」


ほんのわずかに、間を置く。


「……混ぜる必要がないだけだよ」


微笑む。

温度のない、整った形。



内側。

マスター、固まる。


『……は?』

『……ちょっと待って』


『それさ』


言葉が、うまく続かない。


『……だいぶ、まずくない?』


返事はない。



「……ねえシエル」

「ええ」

「これさ」


「“強くなった”んじゃなくて」

「“削れている”……それも、意図的に」


「効率化じゃない」

「人間性の切除です」




数分後。

空白体、境界堂を見渡す。


「……暇だね」

「いや状況見て???」

「通常業務に戻るには不確定要素が多すぎます」


空白体、ゲーム機を見る。


「これ、途中?」

「あ、それマスターが詰んでたやつ」


『……詰んでない』


小さく。


『時間かけてただけ』


無言で起動。

操作、正確。

判断、最短。

――数分後。 クリア音。


「は????」

「……最短攻略を確認」


「簡単だったよ」

「最短で終わるし」



マスター、ゆっくり座り込む。


『……そうじゃないだろ』

『そこ、削るとこじゃないだろ……』


空白体、帳簿を見る。


「……ここ、無駄」


線を引く。

丸める。

捨てる。


ファニー、目を見開く。


「ちょ、それ去年の!」


『……取っといてたやつ』


空白体、ふと止まる。


「……騒いでるね。奥で」


『聞こえてるなら――』


止まる。


『……いや』

『聞こえてるだけか』


「……まあ、いいか」

「困ってないし」


時間だけが進む。

境界堂の空気は変わらない。


なのに、

窓際の光だけが、ゆっくり移動していく。


十一時。

十一時半。

誰も、昼食の話をしない。



冷蔵庫。


「……これ、美味しそう」

「ちょ、それ」

「“特別な日用”のプリンです」


パク。


「……うん。美味しい」


一拍。

崩れない。 爆発もしない。

代わりに、静かに落ちる。


『……それ』

『僕が選んだやつだろ』


『なんで』

『“今じゃなくてもいい”みたいに扱うんだよ』


「?」

「食べ物は、早い方が価値が高いよ」

「最短で満たせるしね」


顔を上げる。


『……違う』


『それは』

『“当てにいってる”だけだろ』


呼吸が少しだけ乱れる。

でも、崩れない。


『僕は違う』


ゆっくり。

言葉を選ぶ。


『取ってたんだよ』

『タイミングも』

『気分も』


『揃ったときに』

『“これだ”って思える時に食べてたんだ』


――そこで、ようやく気づく。


『……ああ』


静かに、落ちる。

一瞬、別の夜。

弦の重なり。

音が積み上がって、収束する。


『僕さ』

『“外さない選び方”してたんだ』


クラシック。

ロック。

プリン。


『形が見えるもの』

『終わりが読めるもの』

『期待通りに落ちるもの』


『……だから、“外れない”』


少しだけ、息を吐く。


『……いや』

『違うな』


『“外さないようにしてた”んだ』


「……予測通りだね」


その言葉に、否定はない。

ただ、“結論”だけが置かれる。


『……それ』

『そういうとこだろ』


『それが、“ズレてる”って話だ』


声は強くない。

でも、引かない。


『……意味、あったんだよ』

『だから、残してた』



外側。


――時間。


空白体、振り返る。


「行くよ」

「準備して」


やわらかい。

でも、余白がない。



内側。


マスター、座り込む。


『……まずいな』

『想像より、深い』


視線が落ちる。


『“いなくても成立する”』


その感覚が、静かに広がっている。

ゆっくり、立ち上がる。


『……でも』


一歩。


『聞こえてるなら』


さらに一歩。


『触れるはずだろ』


目を閉じる。

呼吸、一回。


チョコの甘さ。

コーヒーの苦味。

笑ったときの、胸の揺れ。

バラバラだったものが、 一点に寄る。


『――返せ』


世界が、わずかに“引っかかる”。



空白体の指先が止まる。

ほんの一瞬。

“遅れる”。


「……今」


間髪入れず距離を詰める。


「ねえ」


腕を掴む。

逃がさない。


「行く前にさ」


くしゃっとした袋。

ポテチ。

一枚、押し込む。


「食べて」


「必要ないけど――」

「いいから」


パリ。

その音だけが、やけに鮮明に響く。


『……それだ』


小さく。


『それ』


空白体の瞳に、わずかな“遅れ”。


「……」


噛む。

評価が――止まる。


シエル、即座に。


「仮説更新」

「完全分離ではない」


「感覚入力に対し、内側が反応」


「干渉可能。ただし――」


ファニーを見る。


「情動トリガーが必要」


「感情で殴れってこと?」

「端的には」



マスター、手を伸ばす。

今度は迷いがない。


『もう一回』

『今の、届いた』



ファニー、二枚目。


「ほら、もう一口」

「……非効率――」


言い切る前に。


「続けてください」

「反応閾値、低下中」


パリ。

二枚目。

世界が、わずかに“二重”になる。


ノイズ。

薄く。

でも、確かに。


『それ』

『好きだっただろ』


空白体の口が、止まる。


「……誰」


ほんのわずかに、“遅れて”問う。



マスター、踏み込む。


『今だ』

『――戻る』


「……あ」


ほんの一瞬。

口元が、“マスターの笑い方”になる。


ファニー、息を呑む。


「戻っ――」


ジジッ。

空気が、歪む。

シエルの瞳が跳ねる。


「……干渉!?」


机の上。

装置が、遅れて脈打つ。

淡い光。

規則的な、嫌な揺れ。


空白体の視界が“固定される”。

ノイズが、切断される。


「……っ」



伸ばした手が――弾かれる。

感触が、消える。


『……は?』

『今、届いてたろ』


小さく。

でも、確かに。



空白体、ゆっくり瞬きをする。

完全に、整う。


「……ノイズ処理完了」


さっきより静かに。

さっきより、揺れがない。


「嘘でしょ……今の……!」


シエル、歯を食いしばる。


「外部装置による安定化……」

「“ズレを固定”されています」



内側。


マスター、崩れ落ちる。

でも。

すぐに顔を上げる。


『……そういうことか』

『邪魔が入るタイプね』


小さく、笑う。

拳を握る。

今度は、さっきより深く。


『なら』

『それごと、剥がす』


カチ、と時計が鳴る。


壁掛け時計。

短針は一を指していた。


午後一時。

本来なら、昼食を囲んでいるはずの時間。


なのに。

境界堂には、

塩の匂いと、

妙に静かな会話だけが残っている。



空白体、扉に手をかける。


「行こう」


今度は――完全に待たない。


『待て』


届かない。



「……これ、時間ない」


「ええ」

「次にカノンが戻れば」


静かに。


「――“戻れなくなります”」



内側。

マスター、視線を上げる。


外側。

扉が開く。


ほんの一瞬。

視線が――“合う”。

今度は、はっきりと。


何も言わない。

でも。

“気づいている”。


そして。

ズレたまま、動き出す。





マスター「僕がいない方が効率いいって言われたんだけど」

ファニー「うん」

シエル「事実として、処理速度は向上しています」

マスター「フォローが刺さるタイプのナイフなんだよそれ」


一拍。


「……ちょっと傷ついたねぇ」


ファニー「だいぶでしょ」

マスター「泣いちゃうぞ?」

シエル「どうぞ」

マスター「大人のガチ泣きを見せてやるっ!」


ファニー「あああもう!!分かった分かった!!」


立ち上がる。


「プリン!買ってきてあげるから!!」

マスター「わーい」


即回復。


シエル「回復が早すぎます」

ファニー「チョロいとかいうレベルじゃないんだけど」

シエル「操作難易度、最低クラスです」

マスター「聞こえてるよ!?」

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