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観測者は感情を知らない【フルサイズ】  作者: 白鐘サウザーいちご味
最終章 観測者は感情を知らない
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110/118

11-3 選べ


■中核・合流


白い膜が完全に剥がれ落ちる。

その瞬間。

ファニーの足元が、ぐにゃりと歪んだ。


「えっ」


踏みしめていたグラウンドが消える。

代わりに、白い糸が幾重にも重なる空間が足元へ広がっていた。


「わぁっ!」


身体が前へ投げ出される。

その腕を、誰かが掴んだ。


「危ないよ」


聞き慣れた声。


「……マスター!」


にへらと笑う顔。

いつも通り。

肩には血が滲んでいるのに、その笑顔だけは変わらない。


「無事だった!」


勢いのまま抱きつこうとして、


「今はやめてねぇ」


苦笑される。


「肩、ちょっと切れてるから」

「あっ、ご、ごめん!」


その横へ、青い光が落ちる。

空間が波打ち、シエルも静かに着地した。

周囲を一瞥する。


「……座標が移動しています。外部空間は消失。中核領域へ強制転移したと判断します」


返事をするように、黒い空洞の奥で巨大な脚がゆっくり持ち上がる。


ギギギ……


空間そのものが軋む。

シエルが静かに構えた。


「観測対象、更新」


ファニーが拳を握る。


「今度は三人!」


マスターは首を横に振る。


「違うよ」


その視線は、さらに奥へ向いていた。


「まだ全員じゃない」


白い糸が一本、静かに震える。

返事はない。

代わりに、世界そのものがこちらを見た。


『……完全観測、開始』


空気が沈む。

肺へ空気が入らない。

立っているだけで身体が軋む。

存在そのものへ、重しが載せられたような圧力。


ファニーが歯を食いしばる。


「……これ、ヤバい」


シエルも小さく息を吐く。


「観測圧です。存在情報を直接読まれています」


マスターだけは、静かに前を見ていた。


その時、


バキンッ!!


背後で何かが爆ぜる音が響く。

張り巡らされていた白い糸が、一斉に弾け飛ぶ。

裂け目の奥から一人の影が現れた。

ゆっくりと。

迷いなく。


「……そこか」


低い声。

クロードだった。

黒いコートは裂け、腕からは血が流れている。

それでも歩みは乱れない。


その後ろから、勢いよく白い空間へ転がり込む影。


「ふぅぅ……なんとか間に合いましたぁ!」


カノンだった。

白衣はぼろぼろ。

髪にも糸が絡みついている。

それでも胸を張って、工具ポーチを叩く。


「位相アンカー、大活躍です!」


ファニーの表情が、一気に明るくなる。


「クロード!カノン!」


クロードは短く頷く。


「遅れた」


マスターが、ふっと笑う。


「おかえり」


「はい!」


カノンが元気よく返事をする。

クロードも小さく息を吐いた。


「待たせたな」


五人の視線が、自然と中央へ集まる。

欠けていた輪が、静かに繋がる。

シエルが一歩前へ出た。


「戦力、再集結を確認」


その声は、いつもより少しだけ力強い。


「五人でのフォーメーションへ移行します」


ファニーが拳を合わせる。


「今度こそ!」


カノンが装置を構える。


「支援は任せてください!」


クロードが餓狼を握り直す。


「道は俺が開く」


四人の視線が、マスターへ向く。

マスターは少しだけ目を細めた。


「うん」


そのエメラルドが静かに輝く。


「じゃあ、いこう」


五人は、同時に前を向いた。


黒の奥。

世界の外側から覗く巨大な蜘蛛が、ゆっくりと身じろぎする。


『……観測対象、更新』

『三位一体……再構成』


白い空間が、低く軋んだ。


五人が並ぶ。

誰も言葉を発しない。

視線の先には、本体。

世界の外側から覗き込むように、巨大な蜘蛛が静かにこちらを見つめていた。


その存在だけで、空間が軋む。

白い糸は震え、地面は呼吸をするように脈打ち続ける。


シエルが小さく息を吸う。


「……来ます」


蜘蛛の脚が、ゆっくりと持ち上がる。


「散開!」


クロードの声と同時に五人が飛ぶ。


蜘蛛の脚が振り下ろされる。

轟音はない。

それでも世界が裂けた。

白い空間へ、深い亀裂が走る。


真正面から踏み込む。


「止める!」


餓狼が唸り、蜘蛛の脚を押し返す。


「まだだ!」


押し切れない。

その隙へ、ファニーが一直線に飛び込む。


「うおぉぉぉっ!」


赤い衝撃が蜘蛛の脚を弾き上げる。

同時に。


「位相アンカー、最大出力!」


カノンが撃ち込んだ青白い杭が空間へ食い込み、揺らぐ位相を縫い止める。


蜘蛛の動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。


「今です!」


シエルが両手を重ねる。

青い結界が幾重にも展開する。その中心で、マスター、ファニー、シエルの三人だけが一本の線で結ばれた。


「三位一体、接続」


空気が変わる。


呼吸。

鼓動。

波形。

互いの存在が、一本の線で静かに結ばれていく。


ファニーの爆発的な出力。

シエルの精密な制御。

その二つが、マスターの中へ流れ込む。


混ざらない。

奪わない。

ただ一本へ束ねられる。


「……流すよ」


マスターが小さく呟く。

緑の光が静かに脈打つ。


暴れていた赤は真っ直ぐな熱へ。

研ぎ澄まされた青は一本の軌道へ。

二つの力が絡むことなく、一本の流れへ変わっていく。


マスターが蜘蛛を見据える。


「行こう」


緑。赤。青。

三色の光が完全に重なり、一条の奔流となって蜘蛛へ突き抜けた。


白い外殻へ、一本の亀裂が走る。


ギィィィィィ……


初めて、巨大な蜘蛛が苦悶の声を漏らした。

張り巡らされていた糸が一斉に震え、数百本が音を立てて千切れる。

世界そのものが悲鳴を上げた。


その瞬間だった。

耳元のカフスが、小さく震える。


ピシッ。


細い亀裂が一本、静かに走る。

マスターがわずかに眉を寄せる。


「……あれ」


もう一度。


ピシッ。


今度は亀裂が枝分かれする。

淡いエメラルドが隙間から滲み出した。

シエルが目を見開く。


「まずい!」


カノンも叫ぶ。


「制御装置が負荷限界です!」


ファニーが振り返る。


「え?」


シエルは歯を食いしばった。


「三位一体で増幅された《定義》を、カフスが抑え切れていません!」


クロードが短く舌打ちする。


「限界か」


マスターは苦笑した。


「やっぱり無理させちゃったねぇ」


堰き止められていた川が、少しずつ溢れ始めるように。


マスターは耳へ触れる。

その指先に伝わる振動だけで分かった。


「……もう保たないか」


苦笑する。

どこか覚悟を決めたような笑みだった。


蜘蛛が再び脚を振り上げる。

世界が悲鳴を上げる。


シエルが叫ぶ。


「マスター!離脱してください!」


カノンも声を重ねる。


「今そこで制御を失えば、この空間ごと共鳴します!」


ファニーは歯を食いしばる。


「お願いだから下がって!」


三人の声を聞きながら、マスターは静かに笑った。


「大丈夫」


誰を見るでもなく、穏やかな声だった。


「みんなで帰ろう」


その一言だけ。

ファニーが目を見開く。


「マスター……」


シエルの演算が、一瞬だけ止まる。

クロードは何も言わなかった。ただ、その背中を見つめる。

カノンは唇を噛みしめる。


マスターはゆっくりと前を向く。


「ごめんね」


蜘蛛の脚が再び落ちる。

マスターは逃げない。

一歩だけ、前へ踏み出す。

エメラルドの瞳が強く輝いた。


それと同時に。


──バキン。


乾いた破砕音が響く。

耳元のカフスが砕け散った。

破片が白い空間へ舞う。

その一つ一つが光となり、消えていく。


そして、今まで抑え込まれていた緑の光が、一気に溢れ出した。


空間が震える。

糸が逃げるように後退する。

蜘蛛の脚さえ、一瞬だけ止まった。


シエルは息を呑む。


「……制御、消失」


その姿は変わらない。

でも、どこか、人間ではない何かが立っているように見えた。



マスターはゆっくりと拳を握る。

緑の光が指先へ集まり、空間を揺らす。


「……久しぶりだねぇ」


その声はいつもと同じだった。

けれど、その奥には、境界堂の皆でさえ知らない"誰か"が、ほんの少しだけ顔を覗かせていた。


糸が逃げるように後退し、蜘蛛の脚が初めて動きを止めた。


カノンが計測器へ視線を落とす。

表示された数値が次々と書き換わり、やがて画面そのものが白く染まる。


「測定不能……」


クロードが低く呟く。


「来るぞ」


蜘蛛が動く。

今までで最も速く。

最も重く。

空間そのものを押し潰すような一撃。


誰も反応できない。

そのはずだった。


ふっ。


マスターの姿が消える。


「……え?」


ファニーの声だけが残る。


次の瞬間。


キィィン。


澄んだ音。


蜘蛛の脚が宙で止まり、ゆっくりと横へ滑り落ちる。

切られた。

そう理解した時には、もう終わっていた。

マスターは蜘蛛の背後に立っている。


「……あれ?」


自分でも少し驚いたように首を傾げる。


「速いねぇ」


その声は穏やかだった。

けれど、何かが違う。


ファニーは思わず息を止める。


「マスター……?」


振り向いたその瞳は、もうエメラルドではなかった。


金色。


朝焼けのような、神々しい輝き。

感情を映すはずの瞳が、世界そのものを映している。


シエルの喉が小さく鳴る。


「観測精度が……上昇しています」

「それって」

「人間の認識速度を超えています」


蜘蛛が咆哮する。

何百本もの脚が同時に襲いかかる。

だが、一本も届かない。


マスターは避けていなかった。

蜘蛛が動くより先に、その軌道からいなくなる。結果だけが決まっている。


脚が折れる。

糸がほどける。

白い空間が静かに崩れていく。

まるで戦いではない。

未来を一枚ずつめくっているだけだった。


「すご……」


ファニーの声が震える。


「強すぎる……」


シエルは首を横に振った。


「違います」


その瞳はマスターだけを見つめている。


「あれは……危険です」


マスターはゆっくりと拳を開く。

金色の光が指先から零れ落ち、空間そのものを書き換えていく。


蜘蛛が後ずさる。だが、その一歩ごとに、マスターはいつの間にか真正面に立っていた。


歩いた記憶はない。飛んだ記憶もない。ただ、そこに立っていた。


蜘蛛は動けない。


金色の瞳が、静かに蜘蛛を見つめている。

マスターはゆっくりと両腕を持ち上げた。

まるで、大きな球体を抱え込むように。

その指先が、空間そのものへ触れる。


ゆっくり。

ゆっくりと。

両手を閉じる。


ぎり。


見えない何かを握り潰すように。

それと同時に、巨大な蜘蛛の全身が軋んだ。


ギギギギギ……


外殻がひしゃげる。

脚が折れ曲がる。

張り巡らされた白い糸が一斉に悲鳴を上げ、世界そのものが押し潰されるように歪んだ。


蜘蛛は暴れる。

逃げようと脚を動かす。


だが、動けない。

まるで存在そのものを、巨大な手で掴まれているかのように。


金色の瞳は瞬きもしない。


ただ静かに。

世界を握るように。

両手が、さらにわずかに閉じられた。


「……もう終わりだねぇ」


ギィィィィィッ!!


蜘蛛の悲鳴が白い空間へ響き渡る。



その瞬間。

世界から色が消えた。


音も。

風も。

時間さえ。


マスターは、ふわりと身体が軽くなるのを感じた。

足元はない。

落ちてもいない。

淡く虹色を帯びた透明な膜。


自分を包む、大きな球体。


シャボン玉。


その内側だけが、静かに時間を止めていた。


膜の向こうでは、蜘蛛も仲間たちも、水面越しに見る景色のようにゆっくりと歪んでいる。


声は届かない。

けれど、誰かが必死に叫んでいることだけは分かった。



「――選べ」


静かな声。

振り向くと、いつの間にかシロが座っていた。

白い尾をゆっくり揺らし、マスターを見つめていた。


「ここから先は、おぬしが決めることじゃ」


シロが膜へそっと触れる。

波紋が広がり、その向こうには。


街。

人。

仲間。


世界が、小さな箱庭のように映し出された。


「観測者となり、この世界を俯瞰するか」


金色が、静かに深まっていく。


「それとも、人間として歩み続けるか」


マスターは答えない。

ただ、膜の向こうを見つめる。



その頃、現実では。


マスターは両腕を掲げたまま、微動だにしなかった。

指先は何かを掴むように固く閉じられている。


その姿勢のまま。


蜘蛛は目前で身を軋ませ、逃れようともがいていた。

一本、また一本と脚が砕ける。


だが、金色の光は少しずつ薄れていく。

握り潰されかけていた世界が、ゆっくりと軋み返した。


「マスター!」


ファニーが駆け寄り、その腕を掴む。


「ねえ!聞こえる!?」


返事はない。

瞬きさえしない。

蜘蛛が目前で蠢いても。

金色の瞳だけが、誰もいない遠くを見つめている。


シエルが息を呑む。


「……意識が外側へ引き込まれています」

「そんな……!」

「マスター!聞こえる!?」


クロードが低く言う。


「呼べ」


カノンも涙声になる。


「帰ってきてください……!」


四人の声が重なる。


「「マスター!!」」


その声が。

初めて、膜を震わせた。



ぴちゃん。


雨粒が落ちたような、小さな波紋。

マスターがゆっくり顔を上げる。


もう一度。


――マスター!!


ぱきり。


膜へ細い亀裂が走る。

重なる声。


――帰ってきて!

――戻れ!

――お願い!


蜘蛛の巣のように、ひびが一気に広がった。


シロは静かに微笑んだ。


「聞こえておるじゃろう」


マスターは小さく頷く。


「……うん」


「答えは、もう出ておる」



ぱん。


軽い音とともに、シャボン玉は弾けた。


風が戻る。

音が戻る。

蜘蛛の咆哮。

仲間たちの叫び。

現実が、一気に押し寄せる。


マスターがゆっくりと瞬きをする。


静かに四人を見渡す。


金色だった瞳の奥で、小さなエメラルドが灯る。

火種のように揺れながら。


少しずつ。


少しずつ。


人間の色を取り戻していく。


「……ねぇ」


少し照れたように笑う。


「みんな」


四人を見渡す。


「手を貸してくれる?」


一瞬。

全員が息を呑む。


金色の奥で灯ったエメラルドは、確かにさっきより大きくなっていた。


「当たり前だぁぁぁっ!!」


ファニーが真っ先に飛び出した。



マスター「震えるぞハート!燃え尽きるほどヒート!おおおおっ!刻むぞ血液のビート!」

ファニー「ちょ、待って!?何!?よく分かんないけどジャンル変わってるよね!?」

シエル「……それは山吹色の波紋疾走サンライトイエロー・オーバードライブです」


マスターがジョジョ立ちをキメる。

バアァァァ〜〜ン!!


マスター「ジョナサン・ジョースター!」

シエル「出典は『ジョジョの奇妙な冒険』第一部です」

ファニー「なんで二人とも通じてるの!?」

カノン「カッコいいですね!」


ゴッ。


クロードが無言で拳骨を落とす。


マスター「……いたいよー」

クロード「現実に戻れ」

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