小話詰め合わせ
【人虎、パンと出会う】
「………これは、どういうことだ?」
朝起きてみれば、囲炉裏の周りをぐるりと囲むように壷が並べてあった。
その傍には3日前からこの屋敷で寝泊まりしている子供の姿がある。
何の遊びか知らないが、壷の中身を見ては軽く揺すったり、壷を回して火の当たり具合を調節している。
「天然酵母を作っているんです」
囲炉裏の傍に近寄って壷の中身を覗けば、この時期山でたくさん採れる野苺と水が入っていた。
シュワシュワと泡立ち、嗅いだことのない匂いを放つそれに自然と尾が揺れる。
「これも料理に使うのか?」
「そうですよ。これを使えば美味しいパンができます」
「『ぱん』?」
「小麦を粉にしたものと塩と水とこれを練り合わせて、寝かせて、丸めて、壷を作る窯で焼き上げるとパンになるんです」
子供、…たしかユウヤと言ったか。
ユウヤの言うことは良くわからない。
俺にはただの腐れかけの水にしか見えないこれが、本当に食べられるものになるのだろうか。
「きっとハギルさんにも気に入ってもらえると思います。あ、だけど今日仕込んで食べられるのは明日ですけどね」
どうやら明日、『ぱん』なるものを食べられるらしい。
朝晩と一日二回美味い料理を用意してくれるユウヤのことだ、多分その『ぱん』も美味しいのだろう。
俺はこんなにも明日を待ち遠しく思ったことはない。
それほどまでに、俺はユウヤの料理を気に入っていたのだ。
囲炉裏を囲むようにしてナトリやユウヤ、コセンを筆頭にした見習いの人虎数名が座る。
この4日ですっかり恒例となった食事風景だ。
しかしいつもと違って、俺達の目の前には大きく半円型をしたものが鎮座している。
昨日ユウヤが言っていた『ぱん』というものだ。
余程出来が良かったのか、にこにこと笑いながらユウヤがそれを薄く切り分けていく。
差し出された『ぱん』を受け取ると、その柔らかさにまず驚いた。
「いただきます」
ユウヤが食事の前に決まって口にする言葉を、両手を合わせて皆一様に唱える。
これは食物や、それを育てた者、作った者に対する感謝の意が込められているらしい。
儀式を済ませると再び『ぱん』を手に取る。
縁が茶色く焼けていて、中は白く大小様々な穴が空いている。
匂いを嗅ぐと、何とも言えない香しい香りがした。
昨日のおかしな水が加えられたとは思えない、食欲をそそる匂いだ。
恐る恐る口へと運び歯で噛み切る。
カリッとした外側と、ふんわりとした内側の触感に驚いていたが、今度は口に広がる香りと優しい味わいに頬が綻んでいくのがわかる。
「……美味い…」
周りの人虎達も、俺の食べる様子に安心したのか次々に手にした『ぱん』を食べていく。
「美味い!」
「本当に美味しいですね」
「これが本当にあの硬い小麦かよ!?」
「この『すーぷ』とメチャクチャ合うぜ!」
「いや、これなら今までのどの料理とも合うよっ」
興奮したような人虎達の様子に、作った本人は驚きながらもどこか嬉しそうに顔を緩めていた。
騒ぐ外野を余所に俺はユウヤに追加の『ぱん』を貰う。
「ハギルさんも気に入ってくれましたか?」
ふんわりと笑うユウヤに、食事をする手を止めずに頷き返した。
胸が暖かくなってくる。
それが温かな『すーぷ』のせいなのか、あどけないユウヤの笑顔のせいなのか、その時の俺にはわからなかった。
【end】
【人虎、ベーコンと出会う】
明日は人虎族恒例の春の儀式があるとかで、昼を過ぎた今はみんな集会所に篭ってるみたいだ。
その隙に前々から準備していたアレを仕上げてしまおうと、俺は樽から肉の塊を取り出した。
3日前にラゼアさんとハギルさんが狩ってきてくれた巨大猪のバラ肉を、たっぷりの塩で漬け込んだ塩漬豚。
それを紐で樽の内側に括り付けて、木のチップや枯れた蔓を入れた鍋の上にそっと置く。
これでチップを燃やしていけばベーコンになるというわけだ。
これから暖かくなっていくから肉の保存には最適だし、何より旨味が増すからスープのコクが断然違ってくる。
今回成功したら、次はソーセージにも挑戦したいな。
鍋を火にかけて暫くすると樽の隙間から煙が出てくる。
何の木かはわからなかったけど、中々いい香りだ。
時折樽を傾けてチップを追加しながらじっくり燻製にしていく。
あぁ、早くみんなに食べさせてあげたいな。
今日は贅沢に厚切りベーコンのポトフを作ってあげよう。
この時の俺は、これから起こる事態を全く予想できていなかった。
いつものように仕事が終わったみんなにスープを配って、俺達は自分達のお椀を手に囲炉裏を囲んだ。
「今日はベーコンを作ってみたんです。この肉がそうなんですけど、感想聞かせてくださいね」
教えたその場で器用にお箸が使えるようになったラゼアさんをはじめ、ハギルさん、ナトリさん、コセン、台所番のみんなが「いただきます」をしてから食事をはじめる。
「…あぁ、程よく塩気が効いてて美味しいですね」
「匂いもチョーいい感じだよ!」
「旨味が汁に熔け出してるな、いつもより上手い気がする」
口々に褒めてくれる中、それまで黙って食べていたラゼアさんが急に顔を上げた。
何故かほんのりと頬が赤い気がする。
囲炉裏に当たりながらポトフを食べたから暑くなったのかな?
「…おい、チビスケ…この匂いは…ッ」
「あ、これは木の煙の熱で燻してるんですよ。だから、何のかはわかりませんけど…取り合えず木の香りですね」
あれ、みんなの食事の手が止まってる。
一様に耳を寝かせて顔を赤らめているような…
「バカッ、こりゃ…、っ、木天蓼だ!」
「…へ、マタタビ?」
「た、確かにこの感じは、木天蓼です…っ」
ナトリさんが自分の腕を擦りながら顔を赤らめてる姿はちょっと色っぽい。
隣にいるハギルさんも片手で顔を覆い荒くなった息を吐き出している。
なんかセクシーだな。
「木天蓼は、俺…達、人虎にとって…高揚を高める効果が…」
確かに猫に木天蓼って聞くけど、虎にも有効だったのか。
「はれー? らんか、楽ひくらってきたぁ~!」
コセンも何を言ってるのかわからなくなってるし、台所番のみんなも床に寝転がってうにゃうにゃしはじめてる。
まるでお酒に酔ったみたいだ。
ラゼアさんは床に尻尾を叩き付けながら、ガツガツと料理を食べている。
「みっ、水を飲んだらいいんですか?」
「いや、もう効果が…切れるまで、時間を置くしかねぇ」
「え、ラゼアさん? 何で俺に近寄ってくるんですかっ?」
空になったお椀を置き、ラゼアさんが四つん這いで近付いてくる。
「責任取れよ、チビスケ…俺の興奮を…」
「ラゼアッ、ユウヤに絡むな!」
もう少しでのしかかられそうになったところを、隣に座っていたハギルさんが抱き締めて守ってくれた。
…いや、これはこれで恥ずかしいけど…
「ら~め!! ユーヤはこっちー!!」
投げ出していた足にコセンが抱き着いてくる。
「コセンッ、ユウヤから離れなさい!」
ナトリさんが俺の腕を掴んで引っ張ってくる。
「テメェ等! こういうのは年長者優先だろうが!!」
いつの間にか獣化しているラゼアさんが暴れはじめた。
何だこの状況…
その日、村のあちこちで騒ぎが起きたことは…言うまでもない。
【end】
【人虎、プリンと出会う】
牧場を作って2度目の夏。
着実に乳牛も揃ってきたし、毎月1、2頭の仔牛も産まれている。
鶏達も数が増え、最近じゃ卵用だけじゃなくて食肉用に使っても十分なほどになっていた。
羊に、山羊に、兎に、鴨に、養蜂。
豚に近い猪も少しずつ増えてきたし、何処から見付けてきたのかラゼアさんが水牛まで捕まえてきた。
豊富な牛乳と卵、水牛からとれる上質な生クリームといえば、やっぱりプリンだよね。
最近とれた甜菜もあるし、甘味はこれでバッチリだ。
子供達や女の人達だけじゃなく、意外なことに男の人達もみんな甘い物が大好きだ。
やっぱり疲れたら甘い物が欲しくなるしね。
今までは蜂蜜の甘味か、人鷲族から買った少しの砂糖しかなかったけど、今年は地道に甜菜を栽培してたからこれでみんなに別の甘味を味わわせてあげられる。
隣でパンを仕込んでいる台所番のみんなの視線を感じながら、俺はデッカイ鍋に膨大な量の卵を割り入れていく。
プリンってなんて贅沢な食べ物なんだろう。
プリプリの卵達を泡立て器で混ぜながら、3日分の卵が甘味になっていく姿を感慨深げに見下ろした。
これに甜菜の煮汁と生クリームに牛乳を入れて、底の浅い鍋に注ぎ湯を張った鉄板に乗せて石窯で焼けば焼プリンになるわけだけど。
流石に村全員分のプリンともなると大量で、これはそう何度も作れそうにない。
つまりは、贅沢品だな。
だけど、今日は特別。
一年で最も暑い時期の今日は、寒さに強く暑さに弱い人虎さん達にとってかなり辛いらしい。
子供達も川に浸かりっぱなしだし、いつもは虎の姿をしているラゼアさんも今日ばかりは人の姿だ。
こんな日に甘くて冷たくて栄養価の高いプリンは最適だ。
「後は粗熱をとって、冷蔵庫に入れるだけ」
灼熱地獄と化している台所で死にかけの台所番達を尻目に、俺は意気揚々と氷室の氷を取りに行った。
***
side:ナトリ
今日は一年で最も暑いとされている日だ。
人虎族は元は北から南下してきた種族だから、暑さに対しては体質的に強くない。
特に最北に生息していた人虎のラゼアにとってこの暑さはまさに地獄なようで、子供に交じって水浴びしたいのを懸命に堪えているようだ。
ラゼアだけではなく、ハギルにもその影響は顕著に現れていた。
執務中窓を開いてはいたが暑さは和らぐことはなく、己を律することに長けたハギルとはいえ発汗が余りない人虎族である以上仕事の能率が下がってしまうのは止むを得ないでしょう。
この村で唯一元気なユウヤは、朝から暑い台所に篭って何やら作っているらしい。
耐え切れずに飛び出してきたコセン達の話によると、大量の鶏卵と牛乳を使っていたそうだ。
これは俄然、夕食が楽しみになってきましたね。
食欲のわかない人虎達に、『冷汁風うどん』というものが振る舞われた。
昨年から仕込んでいた『味噌』を水で溶き、輪切りにした胡瓜を浮かべてうどんにかけてあるそれは体温を下げてくれる効能があるようで、食堂内にいる皆一様に落ち着いてきたようだ。
一息ついた後、遂に噂のものが台所番によって配られた。
「これはプリンって言って、栄養価の高いお菓子なんですよ」
にっこりと笑う愛らしいユウヤが言うには、人間にとっては有名な冷たい菓子なのだそうだ。
以前作ってくれた『けーき』のように切り分けられた『プリン』は、少し揺らしただけでフルフルと震える不思議な食べ物だ。
『スプーン』で掬い上げて、恐る恐る口へと運ぶ。
「……美味しいです」
口の中に広がる甘味と卵の優しい風味、そして何よりその冷たさに溜息が出そうだ。
「美味いな、これは」
「んーっ! やっぱりユウヤが作るのは何でも美味しいね!」
「もうねぇのかよ?」
ハギルもコセンもラゼアでさえもかなり気に入ったようで、あっという間に食べ終わってしまったようだ。
「不思議な食べ物ですね。水のように柔らかいのに崩れない。甘くて優しくて…まるでユウヤのようですね」
「それって俺が冷たいって言ってます?」
隣に座り幸せそうに『ぷりん』を食べているユウヤの頭をやんわりと撫で、心からの言葉を口にする。
「その冷たさにも溢れんばかりの愛を感じます。ユウヤ、みんなのためにありがとうございました」
『ぷりん』のような貴方。
今日も貴方の甘さに酔わせてください。
【end】
【人虎、バターとチーズに出会う】
今日で乳牛の数が3頭になった。
乳牛は上手く搾れば1頭当たり1日50Lの牛乳がとれる。
つまり単純計算1日に下手しても100Lの牛乳がとれるわけだ。
前までは子供と妊婦さんとご老人方に飲んでもらってただけだったけど、これだけの量になったらそろそろ料理にも使えるだろう。
鍛冶屋さんに頼んで作ってもらった巨大ボウル2つに、10Lずつ加熱殺菌した牛乳を入れて泡立て器を構える。
隣では俺の真似をしてコセンが同じように泡立て器を手にボウルの前に立っていた。
「それじゃ、今からバターを作ります」
「『ばたー』って?」
「牛乳の中の脂肪分だけを取り出したもの…かな」
コセンをはじめとする周りの台所番達も一様に首を傾げている。
どう見たって俺よりも背の高い男達なのに、そこに虎耳と尻尾が付いているだけでめちゃくちゃ可愛く見えるから不思議だ。
「ま、見てたらわかりますよ。まずは塩を少し入れて、とにかくひたすらに混ぜます」
本当なら生クリームをペットボトルで振ると簡単に出来るんだけど、水牛はまだ牧場にはいないしペットボトルがこの村にあるわけもない。
ともなれば、かなりきついけど泡立て器で頑張るしかない。
カシャカシャとリズム良く混ぜていくけど、元々体力のない俺は5分も経たずにギブアップしてしまった。
脇に控えていた台所番の人虎さんにバトンタッチすると、流石というべきか一向に疲れる気配がない。
コセンも鼻歌交じりに軽々と仕事を熟している。
もうここまで違うなら劣等を感じるまでもなくいっそ清々しい。
20分ほど掻き混ぜるとまた塩を加えて今度は少し置いておく。
こうすることによって分離が進むらしい。
「このバターは料理に使うことも出来るし、パンを作る時に加えると柔らかくなって風味も良くなります。あ、パンに塗って食べても美味しいですよ」
俺が口を開くと一言一句聞き逃すまいと、みんなの耳が俺の方に向けられる。
ここにいる台所番のみんなは初めこそ戸惑ってばかりだったけど、今じゃ料理を作ることを楽しんでいるし確実に腕も上がってきていた。
教える立場として嬉しいことこの上ないし、力仕事が苦手な俺にとってみんなの存在は大助かりだ。
少し水っぽくなった牛乳を再び混ぜていくと、今度はどんどんと分離が進み水が黄色がかってくる。
こうなるともう完成間近だ。
鍋に水を注ぎボウルに残った白い塊に、味を見ながら塩を加えて練り込んでいく。
「おぉっ! 凄いね、ユウヤ! 何であんな液体が混ぜただけで固まるんだろう。ユウヤはホントに魔法使いみたいだ」
キラキラとした笑顔で俺の手元を見ているコセンが可愛くて、ついつい頭を撫でてしまいたくなるけどここはグッと我慢する。
まだまだ作業は残ってるんだから人虎の誘惑に負けるわけにはいかない。
「ふふっ、それじゃ今度は別の魔法を見せてあげるよ」
出来上がったバターを丁度良い大きさのボウルに移し替えて、氷の入った冷蔵庫にしまう。
そのまま半分に切ったレモンを取り出すと、今度は鍋に移した乳精を火にかける。
「今から作るのはチーズです。これも料理やパンに塗っても美味しいですよ」
ゆっくりと木のヘラで鍋を掻き交ぜながら、温まったところで火から外しレモン汁を注ぎ入れる。
みんなが興味津々といった感じで鍋を覗き込んでいる姿はやっぱり可愛い。
また木ベラでゆっくりゆっくりと掻き交ぜていくと、今度は白い固形の物が浮き上がってきた。
「うわっ、なんか出てきた!」
「汁入れただけなのにっ」
「本当に魔法のようだ…」
しばらく混ぜて今度は清潔な布でこしていくと、残ったのはカッテージチーズだ。
「はい、これがチーズです。本当は牛乳や水牛の乳を使うんですけど、今回は節約のためにバターの残りで作ってみました」
試食のために一摘みずつ食べてもらうと、みんなの目が真ん丸に開かれる。
尻尾も落ち着きなくパタパタと振ってるし、まるで子供のようなリアクションに今度は堪らずに近くにいたコセンの頭を撫でてしまった。
「うっ、わ! ユ、ユウヤ…?」
「どうだ、美味いか?」
「うんっ、ちょっとすっぱくて、口の中に入れたらまったりして…牛乳じゃないみたいだ! きっとハギルやナトリやラゼアに食べさせたらビックリするよっ」
「そうか、良かった」
俺よりも大きなコセンの無邪気な笑顔に、猫っ毛の茶髪をワシワシと撫でていく。
嬉しそうに目を細めて喉を鳴らすコセンに、こうして見れば年相応に見えるとこっちまで頬が緩んでしまいそうになる。
「俺、ユウヤの『料理』大スキ!」
「ありがとな、コセン」
ふにゃっと笑うコセンに内心悶えていた俺は気付かなかった。
その後に続いたコセンの言葉に。
「……でも、1番スキなのはユウヤだよ…」
【end】