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ep.12 深夜の自己討論会と突撃階下のインタビュー

 自分の正体というものを知っているか?


「――せ、え――のッ」


 濃密な夜の静けさの中、控えめな掛け声とともに靴底がステラ邸・裏庭の地面から離れる。離れる。まだ遠く。まだ重力は感じない。紺碧の空に吸い込まれるみたいに上昇する。再び地面に引っ張られるようになる頃には、もう、屋根の上にいる。


 猫も一緒に。


「……ニナ?」


「なぁん」


「いつの間に上ったの」


「なぁぉーん」


「今地面(した)にいたよね?」


「みゃお」


 なんだか得意そうな様子の猫又である。そうか。猫か。猫。と、同等。自分の正体。うーん。猫なのかな。まさか。セージはため息を吐いた。

 今にも弾劾を受けそうになった険悪な昼下がりを体験したセージはふと思い立ったのだ。「お前は何者だ」に対する回答を検証してみようと。差し当たっては気になることもあった。ウドルをすっかり沸騰させるまでにあらゆる攻撃を回避できたこと。ぶっちゃけありえないのである。セージは格闘技どころか格ゲーの経験もない。それなのに、無意識のうちに体が動いた。防衛本能が限界まで引き上げられたところで、通常、生物は圧倒的強者の前には敵わぬことが常である。一体自分に何が起こったのか。死亡重複ボーナスのステータス異常でも発生したか? すぅ、と宙に指を滑らせてみた。ステータス画面もオプション画面も出てこなかった。まあこんな死にまくるゲームあっちゃたまらないもんな。よし、とりあえず簡単に検証でもしてみるか。

 そこで、ものは試しにと跳んでみたわけで。


「……屋根裏の天窓、開けてくればよかったな」


 高いところに上ったはいいが下りられない猫の気持ちがよくわかったセージだった。


 上れたのだから下りることも容易なはずだ、と屋根から地面を見下ろす。生唾を飲み込んだところで左を黒い影がサッと通り過ぎた。ニナが屋根の上から華麗に地面に着地するのを見た。さすがは猫又だ、と感服した。ニナは屋根の上のセージに向かってひと鳴きすると森の方へ消えていった。えっ。行っちゃうの。心細い。


「はー……」


 誰に届くこともない憂鬱を吐き出す。天窓の横に寝転ぶ。その角度が危ういことに気付く。しかして、落ちたらそのときはそのときだ。それで死ぬことができたなら願ったりかなったりなのだし。やり直し(ループ)した場合だってステラは状況をわかっている。まあ、なんとか、


「ならないよなあ……」


 既知の諸法則が通用しない世界だ。そんなところでこいつを殺せだの救ってくれだのお前は人間じゃないだの言われて冗談じゃない。滅相もありませんおれは無力な有象無象からピックアップされた人間のひとりなんです。そう釈明しようにも、この島で最も有望(・・)なウドルをコケにした伝聞は風の速さで知れ渡ってしまったところだ。


 自分の正体を知っているか?


 思うに、哲学とは暇人の学問である。言い方は悪いが、暇を持て余すほどでないと「我思う故に我あり」なんてことは考え付かないはずだ。明日を生きることで精いっぱいな人間の意識は内に向く余裕などない。セージはずっとそうだった。呉井誓治という人間は耐え忍ぶことばかりで。現実から目を背けて、ありもしない空想で気を紛らわせて。できるだけ、現状を考えないようにして。それでもなお、現実に望まれない人間だというのは承知の上で、望まれることを願っていた。それも三年前のあの日までのことで、それ以降は最低限の尊厳を保って生きることが限界だった。


 自分の正体を知っているか?


 あの世界での自分の正体と、この世界での自分の正体には差異はあるのだろうか。セージはこの世界の人間の定義に当てはまらない。この世界では人間ではない。イレネストは「そういうこともあるんじゃない」、なんて言ってたけども。世界が違うのだ。人間の定義だって違って当然で。セージはこの世界(サニフェルミア)では人間ではなくてもっと特別な――例えば、死んだ白石の代わりに世界を救う勇者なのかもしれない。そのための力が、今朝みたいに何かの拍子に表出するのかもしれない。

 もしも力を持っているのなら、その力で望まれたことをしてみたい。「したい」ことが「できる」のなら、それを叶えたい。それが正しくても、間違っていても。ここにはセージを白い目で見る親戚もいないし、理不尽に暴力を振るう同級生もいない。屑中の屑であるクソ野郎もいない、頭のイカれた救世主妄想(メサコン)は目の前で死んだ。今、ここに、セージを制限する存在は何もない。自分の正体は自ら定めることができる。


 もしもこの手で誰かの望みをかなえることができるのなら。

 自分の存在()(ため)と成れるのであれば。

 

「――おれは、その願いに応えたいんだよ」


 ゆっくりと瞬きをする。幾千の星が瞬く夜空は、今まで見たどんな夜よりも広大だ。

 さて、と天窓の取っ手に手をかける。何気ない動作だった。そこに窓があって取っ手があったから引いた。鍵がかかっていることは忘れていた。パキャ、と小さな音がして、多少の引っ掛かりを感じつつも窓は開いた。なんだ、鍵、開けてたんだな。思い直して窓から屋根裏部屋へ身を滑り込ませる。階下のステラを起こさないように、静かに。静かに窓を閉めて――


「……うわ」


 錠はすっかり破壊されていた。

 やれやれとベッドに潜り込む。きっともろくなっていたんだ。そうに違いない。明日、スーゾさんに言おう。まさか、ちょっと引いただけで金属が引きちぎれるとか。いやまさか。脆くなっていたって、こんな壊れ方はしない。と思う。そういう破損の仕方をしていた。

 それにしても、何度も死と再生を繰り返したりとか、屋根まで跳べたりとか、金属を軽く引きちぎれるとか、我が身に起きていることだと自覚すると、なんだか化物じみて――


「――セージ? まだ起きてるの? 何かあった?」


 床を貫通して無垢の声が聞こえる。ステラだ。もう夜も深いのに、起こしてしまったらしい。なんでもない、と返そうとした声が詰まった。

 それは、初めて(・・・)彼女に会ったときと同じ意思の気配を感じたからか。


「あなたに何が起きていようと、舞台から降りることは許されない」


「……ステラ?」


 訝しんで跳ね上げ戸に手をかける。ここを開ければステラの部屋だ。ただ、開けるのは躊躇われた。年頃の女の子の部屋である。朝だってステラから呼ぶまで開けるなと言われている。いやいや。今、そんなことを考えている場合か。逡巡の間にもステラの声を借りた誰か(・・・・・・・)の言葉が続く。


「これが最後」


「もう時間はない」


「どうか見極めて。神の呪いは閉ざされた戯曲すら歪めた」


「最後に正しい選択を」


 これは誰の言葉なのだろう。

 誰の願いを代言しているのだろう?


「……――ライラを、たったひとりの友人を、どうか、救って――」


 縋るような祈りを最後に、静寂が夜を支配する。

思うところがあり、本章ちまちま改稿しております。おそらく、セージの心情変化がわかりやすくなっているはず…! 彼は良くも悪くも原動力を自分の外側に見出すタイプの少年です。どうぞよろしくお願いします。

そして、あらすじをさっくり変えております。本章から始まる体裁です。時が来たら時系列順に並べ替える予定です。この物語の持つ雰囲気を壊さないように、慎重に全面改稿いたします。ご迷惑おかけいたしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。20200118 朱坂

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