47 お料理
この章からリタース回です。
レクティタはたっぷりのバターと蜂蜜がかかったパンケーキに、ぽふっとナイフを刺した。
切っている途中で動かないよう生地をフォークで押さえながら、中心から自分に向かってナイフを引いていく。その動作を二回繰り返し、小さな三角形を作る。切り分けたパンケーキに再びフォークを刺し、レクティタは「あーん」と大きく開けた口へ運んだ。
「んふ~~~……! はちみつしみしみ、最高……!」
朝の五時半。いつもより早く起きてしまった彼女は、焼きたてのパンケーキに舌鼓を打っていた。既に朝食の準備をしていたリタースが、腹を空かしたと食堂に来た彼女のために作ってあげたのだ。
『隊長、おかわりいるか?』
「いる!!」
また一枚焼き上げたらしく、リタースはパンケーキが載った皿を食堂へ運んできた。レクティタの元気の良い返事ににこりと目を細めて、彼は新しい生地を彼女の皿へと移す。
『ゆっくり食べるんだぞ。早食いは喉に詰まるからな』
「安心してください。レクティタは美食家ですから、そんなもったいないことしません。はちみつとバターがしみたパンケーキを、ぞんぶんに味わうのです」
『口に合って何よりだ。俺は厨房に戻るから、食べ終わったら声をかけてくれ。机にある蜂蜜は好きなだけ使っていいからな』
「はーーい」
レクティタがいそいそと新しいパンケーキにも蜂蜜をかけ始めたところで、リタースは厨房に戻った。石造りの壁に寄せられた作業台を前に、彼は食材を手にする。
今日も今日とて、炊事兵のリタースは隊員達の食事の用意をしていた。
彼は週に六日、朝の五時に起床し、仕事を始める。オルクス砦に来てからはほとんど一人作業だった。
リタースはここに飛ばされた当初、負担が大きくなりそうだと覚悟していた。が、蓋を開ければ意外にも前線で料理をしていた頃よりは悪くなかった。
掃除や食器洗い、野菜の下拵えなどの雑用はリーベルが作ったゴーレム達が担当し、リタースは彼らに指示をするだけでよかったのだ。最初はずんぐりむっくりな彼らに包丁や皿が扱えるのか訝しげだったが、綺麗に剥かれたじゃが芋や汚れの無い皿などを見て考えを改めた。今やすっかり彼らと作業するのが日課となっている。
前線にいた頃の早番よりも朝は寝れるうえ、どこからか聞こえる砲弾の音や地響きにも悩まされない。耳が良いリタースにとって、これより嬉しいことはなかった。
リタースは皮が剥かれた芋を手に取り、手際よく一口サイズに切っていく。ゴーレム達は皮むきはできても食材の切り方までは覚えられない。一度指示してみたら野菜を全て輪切りにされたため、それ以降リタースは彼らに雑用以外の仕事は任せないでいる。
ただ、一体を除いて。
『リタース、リタース』
名前を呼ばれ、リタースは振り返った。反対側には焜炉が設置されており、火の魔石を利用して調理に使っている。そこで湯を沸かしていたゴーイチが、ひょこひょことこちらへ走ってきた。
『コンロ、キエチャッタ。ボウ、ウゴカシテモ、テンカ、シナイ』
『ああ、魔石切れだな。在庫の場所を教えよう。おいで』
リタースは包丁を机に置き、屈んでゴーイチを片手に載せた。そのまま火の魔石の保管場所へと歩いていく。
『火の魔石は厨房の奥の部屋、鍵付きの箱に保管している。ほら、普段立ち入れない、あの部屋だ』
リタースは食糧庫の隣部屋の鍵を開け、ゴーイチに中を見せた。部屋は人ひとりが入る程度の広さしかなく、ゴーイチはトイレの個室を思い浮かべた。便器がある場所に、鍵付きの鉄製の箱が置いてある。リタースはゴーイチを肩へ移動させてから、しゃがんで鍵を開けた。
『ここに火の魔石が保管されている。こんな風にな』
箱の中にはクッションが敷き詰められており、等間隔に藁で包まれた赤い石が置かれている。火の魔石だ。箱の裏には魔法陣が刻まれている。ゴーイチは似たような図柄を魔法学院で見かけたことがある。確か、魔人のミイラの腕が保管されていた木箱にも同じなのがあったはずだ。壊れないよう魔法をかけているんだとパウロが言ったのをゴーイチは思い出した。
『それで、取る時はこれを使う』
リタースは立ち上がって、壁に立てかけられていた長いトングらしきものを手に取った。鉄製で出来たそれは、見るに大人の手首から肘ぐらいの長さがあった。ゴーイチが首を傾げる。
『ナニ、ソレ?』
『火ばさみだ。魔石が途中で割れるかもしれないから、これで挟んで持っていくのが鉄則だ。直接手で持っていったらダメだぞ』
『トチュウデ、ワレタラ、ドウスルノ? ショウカ、スル?』
『いや、急いで焜炉の中に入れる。水をかけても消火できないからな。燃えていてもさっさと焜炉に入れた方が安全だ』
『エェ……? ニンゲン、ザツ。ボクタチト、チガッテ、ヤケド、スルノニ』
『俺の火傷より砦の火事にならないのが優先だからなぁ。気を付けるに越したことはないが』
そう言うとリタースは火ばさみで藁ごと魔石を取ると、落とさないよう気を付けながら焜炉まで運ぶ。
魔道具である焜炉は、正面に投入口用の扉が付いている。リタースは器用に片手でそれを開けると、静かに魔石を中へ入れた。きちんと投入口が閉まったのを確認したあと、焜炉の脇にある点火棒をガシャガシャと動かした。そうすることで中の粉砕機が回り、火の魔石を割るのだ。
何度か取っ手を動かしていると、消えていた火が再び燃え上がる。鍋底から漏れ出るほどの勢いだった。
『火が強いな。弱めよう』
『コノ、ツマミ、マワス?』
『ああ、合っている。せっかくだからゴーイチにお願いしよう』
リタースはゴーイチをまた手のひらに載せ、投入口の上にあるつまみの前まで降ろした。斜めに傾いているつまみを、ゴーイチが両手で持ち、右回りにゆっくり動かしていく。すると、開いていた弁が徐々に閉じていき、火の勢いが少しずつ弱まっていった。鍋底に収まる程度になったところで、リタースがゴーイチを止める。
『それくらいで大丈夫だ。さっきみたいに鍋よりも火が出ていたら、はみ出ないように弱めてくれ。魔石がもったいないからな』
『カリョク、アッタホウガ、ハヤク、オユ、ワカナイ?』
『いや、そうでもないらしい。鍋からはみ出るぐらいの強火と、今みたいに鍋に収まるぐらいの強火、結局使える火力は同じらしい。だから魔石の節約をするために、ちゃんと調整した方がいいんだ』
『ヘェー、ソウナンダ』
「ほうほう、勉強になりますねぇ」
突然斜め下から聞こえてきた声に、リタースが『うわっ!?』と驚く。見ればいつの間にかレクティタが隣に立っており、空の皿を持ったまま焜炉を興味深そうに眺めていた。
『た、隊長、いつの間に……。勝手に厨房に入ってきちゃダメだろ。ほら、火から離れて』
リタースはレクティタと焜炉の間に腕を入れながら、反対の手で己のピアスだらけの耳を触った。
魔道具で力を抑えているとはいえ、彼は音に敏感だ。なのにレクティタが声を上げるまで気づかないとは。先日、彼女がアルカナの旅行鞄に入り、砦を抜け出した時も反応できなかった。まさか不調かとリタースが億劫になっているのを露も知らず、レクティタは皿を差し出した。
「お皿下げにきたの。はい、ごちそうさまでした。パンケーキ、大変びみでございました」
『あ、ああ、ありがとう。お粗末様です……』
レクティタが頭を下げれば、リタースも釣られて敬語で答える。彼が皿を受け取れば、「ということで」とレクティタは顔を上げて目をキラキラさせた。
「レクティタもお料理したい。ごはん食べ終わったし、お手伝いします」
『ダメだ』
レクティタの発言を予想していたと言わんばかりに、リタースは即答した。
『気持ちは嬉しいが、包丁も火もあるしダメ。隊長には危ない』
「えーーー!? でもゴーイチはお料理してるじゃん。ゴーイチができるなら、レクティタにもできるよ!」
『フッ、アマイアマイ。レクティタ、ユビ、キル。ゼッタイ、ナク。ミライ、ヨソク、カノウ』
「なんですとー? レクティタ、ゴーイチとちがって手先きよーだから、そんなヘマしないもん。百人前のみじん切りぐらい、朝飯前です」
『タイゲンソウゴ、ミエッパリ』
「間違いです。レクティタには実力がともなっていますから」
『二人とも、朝から喧嘩は止めような……』
リタースはこれ以上話が進むと面倒になりそうだと二人を止める。不満気なレクティタを見て、ごねそうな気配を感じ取った彼は強硬策に出た。
『あ、隊長。後ろ後ろ』
「え? 後ろ? 何かある──」
レクティタが背後を振り返った瞬間、リタースはひょいっと彼女を両脇から抱えて持ち上げた。「んぎゃ!」と宙に浮いたレクティタが抗議の声を上げる。
「おろしてよーー! 大人げない! 力で物を言わせるなんて! へいわてきかいけつをーー!」
『戦場で話し合いは通用しないぞ、隊長。ゴーイチ、火の様子を見ていてな』
リタースはゴーイチを一瞥してから、暴れるレクティタを食堂へと強制連行していく。抵抗しても体格の良いリタースに敵わないと悟ったのか、レクティタはやがて諦め、まるで猫のようにぷらんと伸びた状態で大人しく運ばれた。
「むーー。お料理楽しそうなのにーー」
『もう少し大人になってから試そうな。俺も隊長ぐらいの時は、包丁や火なんて扱わせてもらえなかったぞ。隊長にはまだ早い』
「じゃあリタースお兄さんが子供の時はなにしてたの? お料理の練習? それともお勉強?」
『あ……まあ、そうだな。勉強、かな……』
レクティタの質問に、リタースはバツが悪そうに目を逸らした。厨房から食堂へ戻ると、彼はわざとらしく話題を変える。
『とにかく、もう勝手に厨房に入ってきたらダメだぞ。今日は不意を突かれたが、普段は入ってきたらすぐわかるんだからな』
「えーー……、いいじゃんちょっとぐらい」
リタースに未だ抱えられたまま、レクティタはわざわざ振り返って唇を尖らせる。『ダメなものはダメだ』とリタースが頑なに拒否していると、ちょうど食堂の前を訓練着姿のヴィースが通りがかった。眠たげにあくびをしていた彼は、視界の端に映った二人を見てつい足を止めた。
「……朝から何しているんですか、二人とも」
「あ、ヴィース、おはよー」
レクティタは呑気にヴィースへ手を振った。ぷらんと宙に浮いている幼き隊長に、副隊長は挨拶を返した。
「おはようございます。どうしてリタースに抱えられているんですか、隊長」
「お料理手伝おうとしたら、阻止されたのです。ヴィース、えんごしてー」
不満顔のレクティタと後ろの困った様子のリタースを見て、ヴィースは現状を把握した。
「リタース、私が隊長を引き取りましょうか」
『よろしく頼む』
「んなっ!?」
男二人はそれだけのやり取りで、流れるようにレクティタを渡していく。ヴィースは彼女の頭を後ろにするようレクティタを小脇に抱え、食堂を後にした。
「あんまり部下を困らせるものではありませんよ。隊長は私と朝の訓練をしましょうね」
「えーー! 今は料理がいいーー! それか訓練するなら魔法じゃないとやだーー!」
「じゃあ昨日の復習でもしますか。その前に、アルカナを起こしてきましょう。彼がいない間にやると後でうるさそうですし」
「おお! 話がわかるじゃないですか、ヴィース。魔法がつかえるなら、レクティタも訓練につき合ってあげます。これも隊長のつとめですから」
「はいはい、ありがとうございます」
さらりと朝の弱いアルカナが巻き込まれたが、リタースは聞かなかったことにした。去っていくヴィースとレクティタを見送ったあと、また厨房に戻ろうとして、彼は無意識にマスクで覆われている喉を触った。
『……子供の頃の、思い出か』
皮の分厚い感覚が指先に伝わってくる。だが思い出に耽る暇はなく、またゴーイチが呼ぶ声で我に返って、リタースは厨房へ戻っていった。
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