1話 最後で最期の夜
一月。極寒の時期。熊でさえも、寒さで冬眠してしまうこの季節。その冬の中でも、今日は特に寒いらしい。しかも俺の住む町では、大量の雪が降っていた。ゲリラ豪雨ならぬ、ゲリラ豪雪だな。空も地面も白く塗り潰されている。どこまでも真っ白だ。
「月が綺麗だ」
ビールをコップに注ぎながら、窓の外が雪のせいで何も見えないのに呟いてみる。シュワシュワーっと泡が立てる音が実に耳に心地良い。景色を眺めながら、ビールを飲み、つまみを口へと運ぶ。最高の気分だ。
「外、何も見えねーよ」
隣に居る無精髭を生やしたおっさんから鋭いツッコミが入る。良いんだよ。こういうのは気分で言うもんだ。この言葉は夜に酒を飲みながら空を眺めてたら、言って良いんだ。
「ふーん。何でもいいけどそれ「I love you」って意味だぞ 」
悪かったな、そういうこと言う相手が居なくて。しかも年齢=彼女いない歴で!
「それにしても、今日はご機嫌だな」
お前のせいで、気分が台無しだけどな!
でも確かに、今日は機嫌がいい。
何故なら、
「明日は遂に念願のマイホームに引っ越す日だからな!」
俺は再度つまみを口へと運んだ。それを喜びと共に噛み締めつつ、これまでの苦労を思い出す。
俺の名前は、村上奏太。年は25歳。
俺は今、この無精髭を生やしたおっさん、俺の親友である立向居賢吾の家でお世話になっている。よく言えば、間借り、悪く言えば、居候である。
家賃払ってないんだけどな。
…よく言っても居候でした。
誤解される前に言っておこう。別に、働いてない訳でも、養ってもらっている訳でもない。ちゃんと大手のおもちゃ会社で頑張って働いている。居候しているのには、ちゃんとした理由があるのだ。
最初は俺も一人暮らしをしていたのだ。こぢんまりとしたアパートだったが、家賃はそれなりに安かったし、職場からも近かった。事件が起こったのは三年前、まだ社会人になって半年の頃だ。当時は、運送会社で働いていた。大型トラックの免許をなんとなく取ったのが、きっかけだ。あまり話すと長くなるので、ザックリ具体的に説明しよう。
荷物の運送をしている途中で、猫が飛び出してきた。なんとか避けることが出来たのだが、何故かその猫が死んだように動かなくなっていた。慌てて駆け寄ると、ちゃんと息はしていたのだが、やはり動かない。
自分で思っているよりかなり慌てていたんだろうな。俺は、何故かトラックを置いて、徒歩で獣医さんを探し回った。しかもドアに鍵を掛けずに、だ。
このご時世には少し、いやかなり不用心だったかもしれない。
猫を預けて帰ってきた時には、トラックは跡形もなく消えていた。俺には地面に残ったタイヤ痕を虚しく見つめることしか出来なかった。
ここまでなら、損害分のお金を払うくらいで、まだなんとかなったかもしれない。しばらく金欠状態に陥るくらいで、まだ立て直せただろう。とにかく、今の状況にはならなかった。
積み荷がものすごく重要なものだった。
なんでも先方が、かなりの資金を投じた最新の発明の部品の一つだったらしい。なんで、新人の俺がそんなものを、と思うがそれでもやってしまったことは取り返せない。多大の賠償額を迫られ、その上に契約を切られた俺の勤めていた会社は、かなりの被害を被った。
俺は当然の様に解雇された。
そしてこの家に泣きついて今に至ると。
因みに猫はただ驚いて固まってただけだった。
ほら、ちゃんとした理由があるだろ?
これ以上調子に乗っていると、賢吾が見ただけで人を殺せそうな目を向けそうなので、やめておく。
まぁ、そんな訳で俺は一つの目標を設定していたのだ。これ以上賢吾に迷惑をかけないためにも、必ずや自分の家を手に入れると。
だから家を買う資金を集める三年間、賢吾の家に住まわせてもらっていた。これに関しては、感謝しても仕切れない。
「本当に三年間お世話になりました。このご恩は一生かけて返します」
頭を下げる。
「よせよ。そんな大層なことはしていない」
何言ってるんだ。幾ら、親友とはいえ、あんなアホみたいな失敗をしたやつの面倒を誰が見たがるんだ。おまけに、三年前、こいつとこいつの奥さんの理恵は、新婚生活真っ最中だったのだ。そこに転がり込んだ俺を二人は嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
俺は彼らに対して、多大な恩を感じている。彼らを命の恩人と呼んでも、差し支えないほどだ。
再度、頭を下げる。正座の状態から、さっきよりも深く、手を折って。そう土下座だ。
20秒くらいそうしていただろうか。不意に、頭上からため息が聞こえてきた。顔を上げると、出来の悪い息子を見つめる様な目で、賢吾が俺を見ていた。
失礼な。
「もう出掛けるから、この家での最後の一夜を楽しんどけ。」
そう、明日は結婚記念日で、彼は奥さんと共に一泊の旅行に行ってくるのだ。良いご身分である。目出度い日というものは、重なるようだ。
「分かってる。俺は、明日に備えてもう休むからそっちこそ存分に楽しんでこい」
その言葉を聞いて、賢吾は旅行カバン片手に立ち上がった。
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玄関先で賢吾と奥さんの理恵、彼女とは高校からの仲だ、の二人を見送ってきた俺は、空き缶などを片付け、既に寝る準備へと移っていた。
布団を敷き、分厚い掛け布団を二枚ほど取り出す。ドアと窓がちゃんと施錠されてあることも確認する。さっきトイレに行った時、廊下がものすごく寒かったからだ。外なんて言わずもがなである。
「いつもは理恵に怒られるけど、今日はストーブをつけたまま寝よう」
どれだけ着込んでも寒いし。
布団に潜り込み、体が温まるのを待つまでの間、これからの生活へと思いを馳せる。
と言っても、これといった何かをしたいわけじゃない。家を買うことをとりあえずの目標にしてきたから、しばらくは何もやる気が起きないだろう。身の回りの荷物を持って、新しい家に移り、やっと一息つける。
当面の目標は、立向居夫婦への恩返しだな。あいつらがどれだけ必要ないと言っても、これだけは譲れない。先ず、家賃を払おう。賃貸の相場なんかも調べなきゃな。
ストーブのおかげでいい感じに体がポカポカしてくる。寝る準備は万端だ。
まぁ、いいさ。細かいことは追々考えていけばいい。
今は、素直に喜ぼう。
「やっと居候卒業だ!」
俺は重力に任せて瞼を閉じた。
この言葉がこの人生、最後で最大のフラグになると知らずに。




