#12 大内裏潜入⑥
一瞬で散らかってしまった室内を見渡しながら、野分は呆けたような顔で立ち尽くしていた。
「……どうした?」
「あ、いや!こんなあっさり見せてくれるなんて思わなくて」
あまりにも太っ腹な対応に、野分は何度も瞬きをしながら足ものに広がる巻物の山を見つめた。
侍医は、
「おかしなことを言うなあ。お嬢さんから頼んできたのに」
と、呟いて自分の近くに転がっている巻物を順に手に取りながら、何かを探している素振りを見せた。
そして部屋の隅に転がっていた一本の巻物を手にすると、それを野分に差し出してきた。
「これは『医心方』と言ってな、療法や医療技術についてまとめられている資料なんじゃよ。その友人の医者がどの程度の知識があるかは知らんが、これさえ読んどけばまず大丈夫だろう」
手渡された巻物は、ずしりとした重みがあった。
開かれた部分にはわかりやすいイラストとともに、漢文での説明文が書き連ねてあった。
「まあ、しかしこの巻物自体を持ち出すことはできないからなぁ。ここで覚えてもらうしかないぞ?」
ニヤリと侍医が歯を見せる。
なるほど。
彼は野分程度の小娘がこの医学書を全部覚えられるわけがないと見越して、この巻物を見せてくれたのだと、その時初めて野分は合点がいった。
しかし野分は気を悪くするどころか、少し安心さえした心地だった。
本来は国家機密として扱われるはずのこの貴重な情報を、そう易々と外部の人間に渡されては国の機関としての信頼に欠けるからだ。
こういった点から、この典薬寮はしっかりした信用のおける部署だということがわかり、野分はほっと胸を撫で下ろした。
「うひゃあ、漢文だらけですねぇ。俺は読めないなぁ」
狛が横からひょっこりと覗き込みながら、頭を掻く。
侍医は頬の肉をこんもりと盛り上げた。
「そうだろう、そうだろう。書き写して持っていってもいいが、生憎ここには書写してやれるような手が空いている者はいないぞ?」
にこにこと笑顔を浮かべている侍医に、野分はふっと笑みを溢す。
「私、漢文の方が得意なの!それに書き写さなくても大丈夫!」
野分は手に持ったスマホを得意げに彼の前に突き出した。
もちろん彼にはただの板にしか見えていない。
野分はフフンッと鼻を鳴らしながら、侍医が見せてくれた巻物を端から順にスマホで撮影していった。
里は清麻呂に手習をさせてもらったため、漢文も読めるのだと以前聞いたことがあった。
撮影したこの画像を見て文章を別のものに書き写し、それを里に見せれば情報の共有はできる。
野分は里の喜ぶ顔を思い浮かべながら、ウキウキと撮影を続けていった。
そんな野分の行動を不思議そうに眺めながら、侍医は次々と巻物を広げていく。
「お嬢さん、漢文が読めるのかい?」
「まあ、授業で習ったし、崩し文字のひらがなよりは読みやすいよね」
あっさりとそう言い放つ野分に、その場にいる三人の目が丸く見開かれる。
「書き写さずとも覚えられると?」
「うーん、厳密に言えば覚えているわけじゃないけど、そういうことになるのかな」
野分のちんぷんかんぷんな答えに、侍医が首を捻りながら、さらに問を重ねる。
「ちなみに、この書物は30巻くらいあるが?」
「30巻?!うわぁ、パノラマ撮影できるスマホで良かった!」
巻数を聞いても怯むことなく嬉々として書物を眺めている彼女を、侍医はその場にあぐらをかいて、興味深そうに黙って眺めていた。
しばらく撮影に没頭していた野分だったが、突然庭先から荒々しい足音がこちらに近づいて来るのに気がついた。
何事かと思い、巻物の撮影を中断して、パッと顔を上げる。
「失礼いたします。先ほどこちらから異臭を伴う煙が漂っていると通行人より耳にしまし……て……?」
「……」
バッチリと目が合ったまま、固まる二人。
乾燥した空気が、部屋の中をひゅるりと通り抜けていた。
「野分ーーーーーッッ?!?!?!?!」
「義道さーーーんッッ?!?!?!?!」
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