#7 里②
この世界では見た事のない、茶色くて短い髪。
余程痛んでいるのか、それが縦横無尽に外側に広がっている。
少し日に焼けた肌にはそばかすが無数に散らばっている。
くりっとした目を人懐っこく細めて、彼女は野分の方へと近づいてきた。
「あなたが、野分さん?」
とても柔らかく、温かみのある声だった。
おそらく野分よりも年下だろう。
しかし、その落ち着きぶりは、彼女とは比べものにならなかった。
「あ、はい!えっと、里……さん?」
「あはは!里、でいいですよ!」
くしゃっと目尻を垂らして、口を覆っていた手拭いを外す。
横に開かれた口には、前歯が一本無かった。
ただ、それすらもチャームポイントに見えるほど、彼女は明るく、愛くるしい雰囲気の持ち主だった。
本当に要と血がつながっているのかと疑ってしまうほどだ。
彼女がいる土間の横には小上がりがあり、そこに敷かれた布団には二人、人が横たわっている。
いずれも額に濡れた手拭いをおかれ、静かに眠っている様子だった。
「この人たちはもうほとんど治ってるから、安心して?」
無意識に身を強張らせていた野分に、そっと微笑みかける。
「先ほど、うちの屋敷のものが運ばれてきただろう?」
新たな手拭いを口元に巻きなおしている彼女に、要が問う。
「……うん」
「どこの棟だ?」
「……三の棟」
里は眉の間をぎゅうっと狭めて俯いた。
先ほどまで彼女が巻いていた手拭いが、彼女の手の中でぐしゃりと握り潰されている。
「わかった」
要はゆっくりと頭を前後に動かし、里の背中を軽く叩いた。
口下手な彼の精一杯の励ましなんだろう。
一人っ子である野分は、少しだけ兄妹というものに憧れを抱いた。
そしてすぐに、タエの顔が脳裏に浮かんだ。
そのまま外に出て、さらに奥にある建物の前まで移動する。
しかし、先ほどとは違い、すぐには中には入らなかった。
「この中にいられるのは、一分だけだ。できるだけ呼吸は控えろ」
彼は口布をきつく締め直しながら木の扉に手をかけた。
建て付けの悪い扉は、まるで人間の叫び声のような音を立てながら開かれていく。
わずかに開いた隙間から、生温い空気とともに、何か小さく蠢くものがするりと抜け出て行ったような気がした。
再び中を覗き込むと、鼻を摘みたくなるような臭気が鼻腔を刺激する。
室内からは荒い息遣いと微かな呻き声が聞こえてきた。
窓を閉め切っているのか、昼間だというのにひどく薄暗い。
部屋の中には、六名が横たわっていた。
皆、野分たちが入ってきた事にも気づかないくらいに、苦しげにうなされている。
その真ん中に、タエの姿を発見すると、野分はすぐに彼女の枕元に駆け寄った。
「タエッ!タエッ!」
開いた口からは短い息しか吐き出されない。
彼女の耳元で何度も何度も名前を呼ぶが、それでも野分の声は彼女には届いていないのか、反応はない。
顔や首筋に大量の汗を浮かべて、ガタガタと身を震わせている。
壁にかけられていた手拭いを手に取って何度も額を拭いてやるが、泉のように汗が湧いてきてきりがなかった。
「薬……、薬とか無いの?!」
野分は入り口付近で腕を組みながらこちらを見ている要に尋ねる。
「里が今作ってる。しかし、その状態では飲めないだろう」
「そんな……」
彼は意気消沈とする野分に歩み寄り、彼女の腕を少々乱暴に引き上げた。
「近付き過ぎだ。離れろ」
「待ってよ!だって、このままじゃ……ッ」
頭を振りながら食い下がる野分に、彼は少しだけ眉を吊り上げた。
「じゃあ、お前がなんとかできるのか?」
掴んだ手が、彼女の腕に食い込む。
普段と変わらない声量。
しかし、そこにはわずかに怒りの色が滲んでいる。
何も言えなくなってしまった野分は、花が萎れていくように項を垂らし、口を噤んだ。
「……一分経った。出るぞ」
何事もなかったかのようにパッと手を離し、要は入り口までつかつかと歩いていく。
徐に開かれた戸口から外部の光が差し込み、野分の網膜を無数の針のように突き刺した。
タエを振り返る。
やはり瞼は開かない。
最後にそっと汗を拭き取ってやったが、拭き取った次の瞬間に直ぐにじわりと汗が浮かび始めてしまう。
要に名を呼ばれてやむを得ずに立ち上がると、野分は何度も振り返りながらその小屋を後にした。
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