児童館にて
夕食のときに『奥様コミュニティ』の話をしていたら、慶一さんが「じゃぁ、児童館には俺もついていこう」ということになった。
別にそこまでしなくてもいいんだけど……、デートだと思えばそれも良しだ。
翌日は買い物を兼ねて外出。児童館ものぞく。
土曜の昼下がりとあって、かなり混んでいる。小学生の姿が多いと思ったら、ここは学童保育もしているとのこと。確かに、近くには小学校もあった。
受付で利用者の氏名・住所を書くのだが、慶一さんが優乃を抱っこしているので、私が受付に向かう。
例によって、私の外見に職員が驚く。年配の職員に押されて、若い職員が私の前へ。
「ぅ、うえるかむ、つぅ……」
「日本語で大丈夫ですよ」
挨拶回り以来の、久々のテンプレ。
出された用紙に氏名を漢字で書く。
施設利用にあたって、注意点は特になし。図書コーナーでの飲食は禁止、オムツの交換は授乳室で、使用済みのオムツは持ち帰ること、そして体育館は内履きシューズで、等々。
ごくごく一般的な内容だ。
慶一さんが、お父さんがオムツ交換をする場合について訊いたら、授乳室は親子一組ずつで使えるよう、パーティションで区切られているとのこと。
改めて、児童館を見渡すと、子ども達はそれぞれ遊んでいる。保護者はと言うと、飲食コーナーでお茶を飲みながら井戸端会議に花を咲かせている。山下さん情報では、近藤さんが児童館をナワバリとするボスママらしいけど……。誰がそうだろう?
とりあえず、初めは挨拶だ。
こういうのは、夫の陰に隠れてとだと印象が悪いだろう。優乃を抱いて行く。ここでは慶一さんは付録なのだ。
「初めまして、高橋 昌と申します。こちらは娘の優乃」
「私は、夫の慶一です」
なんかすごく変な自己紹介に、自分でも違和感を覚えてしまう。奥様コミュニティが変なのか? いや、自己紹介で夫が主で妻が添え物的な順を自然と思ってしまうのは、政治的に正しくないのだろう。
今日は近藤さんが不在だ。それもそうだ、毎週来ることもないだろう。慶一さんが傍にいるからか、ボスママが不在だからか、表面上は皆フレンドリーだ。
児童館にいる奥様方は、全般的に垢抜けていて、服装もスカートが多い。公園メンバーが全員パンツルックで、それほどオシャレでなかったのとは対照的だ。とは言え、公園で遊ぶのにスカートってわけにもいかないからだろう。
子どもを抱っこしているお母さんもいるけど、大半は勝手に遊んでいて、お母さんはお茶を飲みながら待っているというところ。
とりあえず施設を見て回ろうとしたときだ、スラリとした長身で、化粧っ気のないママが話しかけてきた。化粧すれば映えそうなキリリとした美人は、川口さんという先輩ママ。服装がこのメンバーの中では質素だ。
「高橋さん、優乃ちゃんはもうすぐ離乳食?」
うーん。どうだろう。夏の終わりからになるかな。最初は重湯から始めて、野菜や果物の順だっけ? でも、重湯は新米で作りたいところ。
話していると、このママはオーガニック推しで、いろいろとこだわりがあるようだ。
「離乳食の加熱はね、電子レンジはやめた方がいいわ」
「そうですね、電磁波はどうしても尖った部分に集中するし、特に凍ったものだと、加熱ムラが起こりやすいですよね。
よーく交ぜて、何回かに分けて加熱しないと」
「電子レンジとかIHだと、タンパク質とかが変質しちゃうから」
ん? なんだか違和感。タンパク質を加熱すれば、加熱方法にかかわらず変性する。卵の白身はフライパンで焼こうが、鍋で茹でようが、方法にかかわらず白く固まる。
その後もIHは電磁波がどーのとか、鍋の材質がどーのとか……、正直メンドクサイお母さんに捕まったかも。多分、専業主婦なんだろうな。でなきゃ、調味料や調理方法にそこまでこだわる時間が無いだろう。
初対面で波風立てるのもアレだ。私は、曖昧な笑みを浮かべつつ、聞き流すが、ほとんど宗教のレベルだ。
でもこれ、加熱方法による変性の違いや。その違いが人体に及ぼす影響について根拠を求めたら、波風どころじゃなくなりそうだ。
一通り話し終えたら満足したのか、川口さんは子どものところへ行った。……疲れた。
とりあえず、施設を見て回ろう。
「災難だったね」
「だったら、助けてくれればよかったのに」
「俺も言おうかと思ってたんだけど、あのお母さん、光や電波――電磁波――が何かも解っていなさそうだし、温度って呼んでるものが何かも知らないだろう。
君が聞き流すモードに入ったから、静観することにした。こんな所で初日から衝突するのもよくないだろ」
確かにそうだ。
別にオーガニック自体は悪くないんだけど、それに傾倒するあまり、それ以外を『悪者』にしちゃうのは宜しくない。
そして、それを指摘すると宗教戦争になってしまう。
施設を一通り見たが、優乃にはまだ早そうだ。せめて歩けるようになってからじゃないと、ここに来てもあまり楽しめないだろう。
その頃には家のリフォームも終わっているだろうから、ここはあまり利用しないかも知れない。
談話室に戻ると、別の先輩ママと少し話すことに。
「あの川口さんって、ちょっと苦手なのよね」に始まる、愚痴というか陰口だ。
川口さんは、本人に悪気は無いのだろうけど、あの調子でオーガニックを推すから、近藤ママグループからは距離をおかれている。言うなれば一匹狼ママだ。でも、一匹狼ママの方が、変なしがらみから距離をおける分、ラクかも知れない。
「ところで電子レンジって、本当によくないの?」
一人の奥様が訊くので、慶一さんに目配せする。こういうことの説明は夫がした方が、説得力が違う。
「まず、電磁波も電波も光も同じものだよ」というところから始まり、高校の物理で習うことをかいつまんで。
波長の短い方から、ガンマ線、X線、紫外線、可視光線、赤外線、電波……。それぞれ、社会でどう使われているかも書きながら説明する。
更に、私たちが温度と呼んでいるものが、物質の運動エネルギーであることも説明する。
そして最後に、電子レンジの加熱方法について。
うん。大雑把だけど、なかなか上手な説明だ。部下に仕事の指示を出すときも、こんな感じなのだろう。
我が夫ながら、ちょっと格好いいと思ってしまう。
他の奥様も同様なのだろう。ほー、という顔で聞いている。
「だから、特に凍ったものの解凍は、ちょっと注意が必要なんだ。
この辺は、さっき昌が話してたとおりだけどね」
最後に私へのフォローも忘れない。
慶一さんの株が奥様方の間で上がったところで、買い物があるからとお暇する。
「あのぐらいのこと、君も説明できたんだろうけどね」
「でも、慶一さんだから、みんな聞いてくれたんですよ」
「だったら、ついて来た甲斐があったというものだ。
でも、高校時代の知識、試験以外で役に立ったのは初めてだ」
「知ってるだけで、騙されずに済むってこともありますから、気づかないうちに役に立ってるんですよ」
「そう考えると、中学や高校の理科って大事だよなぁ。社会に出てから騙されないためにも」
「そう考えると、台所ってそういうものが多いですね。
電子レンジもそうだし、『混ぜるな危険』の洗剤とか」
「言われてみると、その通りだ。
学校で学ぶことってのは、知らなかったら役に立たなそうに見えるけど、知っているだけで、誤った判断を避けられる」
そこまで言って、慶一さんはバツが悪い顔になる。
「済まない。それを辞めさせることになって……」
「そう思うなら、いずれ大学、通わせて下さいね。
とりあえずは、優乃が一歳になったら保育所行かせる段取りで。別に四年で卒業とは思ってないですけど、優乃を連れて講義ってわけには行かないし」
「保育所は就労してないと入れないだろうから、会社に席を準備するところからかな」




